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2011年12月

2011年12月22日 (木)

国鉄80系電車

国鉄が戦後すぐに、速く快適な長距離用の電車を目指して作り上げたのがこの系列だ。
客車の基本レイアウトを採用したからか、車体は電車でありながら出入り台が車端にあって、車内にはずらりとクロスシートが並ぶ。
ただし、通勤兼用と言うことは考えられていたようで、座席は当時のモハ51なみの「近郊型」サイズだった。

湘南型と呼ばれ、最初は東海道本線東京口の客車列車を置き換え、後に徐々に優等列車にも進出したけれど、近郊型としてはやがて111系、後に113系、そして優等列車用としては153系の登場により、早い時期から地方へ転出してローカル運用に徹した電車だと言えるかもしれない。

この電車は僕の幼少期のころ、京阪神地区において国鉄快速電車の看板として走っていたこともあり、僕にとっては憧れの電車でもあったけれど、僕が鉄道の写真を撮影し始めたのが昭和49年、80系電車の姫路地区からの撤退が昭和53年だから、僅かにその最後の時期に「間に合った」と言う印象だ。

昭和50年当時、すでに京阪神の快速電車は113系への置き換えが完了していて、80系は姫路より西側に走っていた。
ただし、朝の下り、深夜の上り各1本が西明石発着で、地元宝殿駅でもその様子を見ることができた。

80 駅構内における下りの岡山行き。
クハが全金300番台。

80_2 駅東側の踏み切り付近における下りの岡山行き。
こちらは二次型だ。

80_3 一次型は半流線型3枚窓だったが、戦前の半流線型が幌の効果もあり電車らしい、非常にバランスのとれたようなデザインだったのに対し、80系のクハ86では貫通扉がなく、なんだかのっぺりとした間の抜けた顔立ちになってしまった。
これは名古屋駅での一次型クハを先頭にした東海道ローカル。

8080 車内は客車的で、なぜに「弾丸列車」用には3ドアセミクロスを提唱しておきながら、80系では客車と同じ構想の2ドアクロスになったのか・・
しかも、通勤兼用として車端にのみ2~3人掛けのロングシートとつり革、それに座席が長距離にはきつい狭く小さなものだった。

この点は後に改良されるが、そうなると尚更に通勤には使いにくいわけ。

8085 こちらは元2等、サロ85を改造したクハ85の車内。
ご婦人の表情もわかるが、すでに30年以上前の写真であり、ご勘弁いただきたい。
撮影したのは赤穂線内だと思う。

8086200 姫路駅でのクハ86二次型。
流線型と側面の古い客車のイメージがアンバランスな感じがする。

8086300 姫路駅でのクハ86最終300番台。
軽量客車風の側面となり、正面デザインとも釣り合いが取れる好デザインとなった。

80_4 雨の姫路駅、下り方のクハ86300番台を先頭にした列車。
当時の姫路駅周辺の雰囲気もまた、思い出深い。

80115 後継115系と並んだ80系電車。
これも姫路駅にて。
115系は当初は東京、東北線高崎線のお古が投入されたが、後に新車の冷房つきとなった。

8086 80系電車の運転台。
貫通扉がないので運転室は広々としていて、評判は良かった由。
ただし、夏には大きな窓から陽射しが差し込み、まるで金魚鉢のようで、非常に暑かったとか・・

80_5 赤穂線播州赤穂だと思うが発車風景。
駅員と車掌のやり取りも懐かしい。

(読者の方よりご教示いただきました。日生だそうです。ありがとうございます)

80_6 同じ駅で、ホームから離れる80系電車。
80系の流線型は、どうしてもおでこのあたり、汚れがついてしまう。
特にトンネルのある区間だと尚更の由。

80_7 備前片上付近で単線区間を走行する80系電車。
当時から赤穂線はまったりとした走り具合だった。

80_8 備前片上付近、駅構内を行く。
正面2枚窓、金太郎塗りのデザインはこのあと、私鉄で爆発的に流行した。
ただし、関西では少数派で、南海の11001、21001一党、阪神の3011、近鉄の800、神戸の300くらいしか思い浮かばない。
それもそれぞれに湘南型というにはあまりにも個性的で、関東では大手すべてが、こぞってこのデザインを取り入れたことを思うと不思議だ。
しかも、西武や京王はごく最近までこのデザインを取り入れていた。

なお、国鉄では70系とEF58、DD50、キハ15くらいか・・

80_9 既出だが飯田線に最初に入った80系はサハだった。
サハ87001、牛久保にて。
流電モハ52の中間に挟まっていたものだ。

8085_2 豊橋におけるクハ85100番台。
クハ85は当初は二等車サロ85→サハ85からの改造だったが、後にサハ87からの改造も登場した。
103系モードの切妻のデザインは丸みを帯びた80系とは一線を画しているように見える。

80_10 飯田線早瀬付近を走る80系電車。
飯田線には非常に似合っていたこの電車だが、戦前製旧型電車より先に消えてしまった。

80系電車の活躍期間は昭和25年から昭和58年までで、33年になるが今も走っている113,115系電車はそれよりはるかに長い活躍をしている。

出来れば、名車80系電車にも、もっと長い活躍をしてほしかったと思ってしまうのだ。

姫路と岡山の間で2往復走っていた80系快速の、つりかけのモーター音とともに、滑らかな乗り心地を思い出すとき、ふっと、80系電車への子供のころの憧れが蘇る気がする。

(80系電車については以前の記事、「湘南電車一考」もご参照ください。)

2011年12月12日 (月)

名鉄犬山橋と車両たち

昭和59年、名古屋鉄道=名鉄に画期的な新車が登場した。
それまでの通勤汎用タイプ、SRシリーズから大きく進化した初めての有料特急専用車、8800系だ。

何かにつけて名鉄を見に行っていた僕は、友人とともに、この電車を見に行くことにした。
ただ、当時の名鉄は一種混沌とした車両たちが活躍していて、戦前の流線型や戦後の更新車、国鉄へ乗り入れる気動車、ローカル線区の経営改善のためのレールバス、それに何より大好きなパノラマカーをはじめとするSR系列などもあったから、勢い、名鉄に行くときはメニュー過多の状況になってしまう。

850 まず、偶然出会えた名鉄の流線型2種。
こちらは犬山だろうか。
名鉄発足時の西部線用850系。

スマートとはいえないが、独特の風貌は異形の古武士を思わせる。

3400_2 こちらはどこの駅だろう。
ちょっと記憶にないが、八百津線を見たときに撮影しているので新広見=今の新可児あたりだろうか・・
戦前の日本の流線型最高傑作のひとつ、名鉄東部線3400系だ。

こちらはスマートな花武者というところだろうか。

さて、ここからが本題。
犬山橋は大手私鉄の幹線が堂々と道路上を走る稀有な景色が好きだった。
それに、ここを走る列車は速度が低く、大好きな名鉄電車を心ゆくまで眺められたものだ。

2702 犬山橋での列車たち。
まずは旧型電車の車体を更新したHL3700系。
まるでローカル電車のお手本のようなまとまったデザイン。

7000 パノラマカー7500系。
河和行き高速だろうか・・

7000_2 7000系パノラマカーが2列車。
白帯の7000系と一般用7000系とがすれ違う。
もっとも、橋の上での電車のすれ違いは禁止されていたはずで、手前の電車は向こうの電車の通過を待っている状態ではないだろうか。

8000 国鉄乗り入れ気動車8000系。
準急・急行・特急と進化した稀有な車両だ。

88002 これが8800系パノラマDX。
通勤汎用をまったく考えぬ名鉄初の座席指定特急専用車両。

ブルーリボン賞まで受賞した。

8800 車内の様子。
デラックスで、お洒落・・だったけれど、セミコンパートメント座席のリクライニンがごくわずかしかできず、不満に思ったものだ。

さて、この数年後、特急気動車が新しくなったので、眺めに行った。
車両は幾分変わっていて、名鉄の変化もまた楽しかった。
ただ、不思議と犬山橋では天候不順なことが多く、この日も雨が降りしきっていた。

8800_2 8800系は中間に通常のリクライニングシートを配置した新車を挟んで3連になっていた。

1000 座席指定特急は白帯車からパノラマスーパーへ。
1000系全車座席指定特急。

5500 本邦初の本格的通勤冷房車5500系。
まだまだ、この電車が大活躍していたころ。

6000 名鉄が始めて造った本格的通勤電車6000系。
まだセミクロスだったころ。

8500 そして新型の国鉄乗り入れ特急気動車8500系。
なんとも、気動車らしい好ましいデザインだが、案外その寿命が短く、すでに走行シーンを見ることもできないのは残念でならない。
会津鉄道ではなくJR西あたりに買って貰えば良かったかも・・

今年夏に、ひさびさにここを訪れた。
楽しい道路併用橋は、鉄道専用となり、軌道敷のすぐ近くにあった電車ファン御用達の歩道も撤去されて、鉄道の橋梁内には立ち入ることもできないが、それでも、道路橋の脇から鉄道橋を見ることができた。

Photo やってきたのは特急「ミュースカイ」と自由席・指定席併結の2300系「特急」。
ここでパノラマカーや特急気動車を眺めたのが嘘のようだ。

6000_2 ほっとしたのは、6000系が来てくれたとき。
あの時と同じように雨が降る中、名鉄らしい真っ赤な電車がゆっくりと進んでくる。

2300 変わるもの、変わらないもの・・
鉄道趣味とは変化を追い、変化を憂う趣味なのかもしれない。

2011年12月 2日 (金)

宝殿駅周辺の列車たち

今回は僕にとって鉄道ファンとしての生き方を決めてくれた国鉄宝殿前後での列車の写真だ。
宝殿駅そのものについては以前のエントリー「宝殿駅」をご覧戴きたい。
撮影時期は昭和51年から55年頃までの写真だ。

宝殿は日本の地名には珍しくNで終わる発音で、これは駅名ともなった駅南西1キロ強のところにある本邦最高の自然石産地、そして巨石が水に浮かぶ奇景で有名な「石の宝殿」から来ている。
僕は中学時代の大半をこの駅と加古川駅の中間地点にある「加古川市高砂市組合立宝殿中学校」で過ごした。
通学の途上には山陽本線の踏切があり、否が応でもその素質のあった僕は、鉄道ファンとして育っていくことになる。

まず、宝殿駅西方から。
Ef58 曽根駅との中間地点あたり、石の宝殿、竜山をバックに快走するEF58の牽引の団体専用列車。
当時はごくごく普通に見えたこの光景も、今、この場所には姫路バイパスが通り、住宅も増え、ましてEF58など見ることも出来ない・・

Ef581 古レールを上屋の柱に使った宝殿駅上りホームを行くのは・・
なんとEF58のトップナンバー。
古レールの風景が撮りたくてカメラを構えたのだが、まさかトップナンバーが来るとは思わなかった。
この写真は偶然の産物だ。

35190 その列車の横に停車していた貨物列車。
その最後尾、ワフ35190が写っている。
緩急車の独特の風情は鉄道の景色として途絶えるはずもないと・・思っていた頃。

122094 宝殿駅留置線に停まっているのはオハネフ122084。
臨時列車や団体列車の車両がここに留め置かれることが多かったように思う。
このクルマの乗務員室にはベットのシーツも見られ、臨時列車に使われる直前だったのかもしれない。

Ef6621 宝殿駅北側には広い鉄道用地があった。
そこは道路に接していて、誰でも入れる空間だった。
今なら危険行為としてみなされるような写真も当時だからこそ撮影できたしだい。

まず、下り貨物列車。
EF6621。

Photo_5 既出だが深夜の宝殿駅を通過する「鷲羽」

まだまだ在来線での長距離列車が残っていた時代。

110900 こちらも既出だが、宝殿駅に入る普通列車に連結されていたサロ110-900番台。

国鉄最初のステンレスカーも都落ちして当地の普通電車に使われていた。

Ef662 そしてEF662、セカンドナンバーの牽引する上り貨物列車。
EF66はこの形態が最も美しいと思うが如何だろう?

Ef58_2 通過するのは朝方の急行列車だろうか。
EF58牽引の14系夜行急行、「あそ」あたりだろうか。
当時のASA100のカラーフィルムでは如何に開放F値2.8のレンズをもってしてもシャッター速度はどうしても低くなる。

Photo 高砂工場で完成したお座敷客車だろうか。
旧型オールグリーン客車列車が通過していく。

153 フィルムの傷みが目立つが、153系の新快速。
低運転台のクハ153を先頭にした編成だ。
僕は今でも、新快速のデザイン上での最高傑作がこの低運転台クハ153ではないかと思っている。

117 負けていないのが後継車種の117系。
多分、展示会があったその回送列車だろう。
なんともきりりとしてよい表情だ。

80 当時の宝殿には朝と深夜だけ岡山の80系電車が走っていた。
神戸で生まれ育った僕にとって国鉄の快速電車といえばこの系列で、その面影を唯一残した列車だったわけ。
宝殿駅に入る唯一の80系電車。

80_2 その列車の後追い。
早朝のこの列車を見るために早起きして線路際へ。
ここ数年、夏になると「サンライズ」撮影のために早朝に線路際に行く僕だが、その発想の淵源はこの時代にあったのかもしれない。

Ef615 山陽本線の稀少機、EF61が貨物列車を牽引する。
当時、たしかEF61は運用が定まっていて、その列車を狙っていったように思う。

Ef608 宝殿駅側線で退避するのはEF608が牽引する高砂工場への部内輸送列車。
後部には14系座席車、10系寝台車、キハ26か・・の姿も見える。
宝殿駅は夕方4時過ぎの到着だったように思う。

117_2 やや後の時代、橋上化なった宝殿駅を通過する新快速117系。
国鉄最終期の傑作、今見てもデザインの古臭さを感じない電車だ。

82 その列車の前後だろうかキハ82系「はまかぜ」が最後の活躍をしている。
国鉄気動車特急最高峰のデザインだと今でも信じて疑わない。

Ef65108 宝殿から東へ進むと、やがて線路は加古川を渡るための築堤に進む。
ちょうど、日本毛織印南工場のすぐ脇で、当時はまだ、専用線の軌道敷も残っていたように記憶する。
EF65108の牽引する貨物列車が行く。

Photo_2 キハ58系列の上り急行列車が行く。
6連でグリーン車が1両なので「但馬」系統だろうか。

58165 築堤を下から見上げ、通過するのはEF58165の牽引する荷物列車。
キハ58とEF58・・国鉄で何故かメジャーになる不思議な番号、58を持った両者だ。

153_2 その場所を行くクハ153高運転台を先頭にした新快速。
「ブルーライナー」
このデザインも好きで、国鉄の宣伝にはクハ153高運転台が使われていたように思う。

Photo_3 下っていく荷物電車。
クモニ83だろうか。
客車荷物列車と違い、電車の荷電は単行で走ることが多かった。

Photo_4 こちらも下り荷電。
横の工場が日本毛織印南工場。

Eh10 さらに東へ行くと山陽本線は加古川橋梁を通過する。
ちょうど、通過しているのはEH10初期車が牽引する貨物列車。
なお、加古川橋梁についてはこちらもご参照いただきたい。