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2011年10月

2011年10月25日 (火)

予讃本線海岸寺・多度津の昭和55年頃。

先だって、ネットで知り合いになれた方に案内していただき、予讃線の海岸寺で列車の撮影をすることが出来た。

この場所には、実は僕は一度来たことがあって、それを思い出してネガを探してみると、出てきた・・

ただし、今回連れて行ってもらった場所とは反対側、詫間に近いほうからの撮影だ。

181 まずは当時のこの路線の花形、特急「しおかぜ」
キハ181系で運転された四国初の特急列車。

画面の海はもちろん、瀬戸内海で「潮風」を受けて走る。

Df50565_2 DF50牽引の貨物列車。
短い編成が当時の四国の鉄道のささやかさを物語っているようだ。

Photo 円形のヘッドマークも鮮やかな「いよ」
「うわじま」とあわせ毎時1本を確保していたキハ28系列による定番急行。

Photo_2 国鉄工場自作のキユニ28を先頭にした普通列車。
キユニの塗装が急行色なのが、国鉄の自信を物語っている?
高砂で製造したこの手の気動車は朱5号だった・・・やはり急行色は映える。

Df5061 前面強化工事を施されたDF5061。
普通列車を牽引する。

33 普通列車、旧型客車オハフ33のデッキや最後尾の貫通部で涼をとりながら通学する学生たち・・
長閑な風景だが今思うと危険そのものだ。
この危険性が旧型客車を引退させる最大の要因だった。
しかし、開け放したデッキで海を眺めるの・・気持ちよかっただろうな・・

海岸寺から多度津まで旧型客車の普通列車に乗車したようだ。
61 珍しいオハ61が連結されていた。
その車内。
通勤改造は成されているものの、座席背もたれや荷棚の前棒まで木製、ニス塗り・・
もう一度こういう列車に乗車してみたい・・

Df50571_2 多度津でDF50571の単機回送。
四国はこの機関車を最後まで使いこなした。

181_2 多度津での「しおかぜ」
凛々しい特急だが、当時は食堂車がなく編成が6連という短さが、なんだか物足りなかった。

この当時から四国の国鉄はサービス精神は旺盛だった。
短編成、フーリークエントサービスの急行列車、車内ではステレオ音楽も流してくれる特急列車、丁寧で懇切きわまる車内放送や車内での案内、美しく美観をともたれた車両たち・・

国鉄四国総局のよき伝統は今にも息づいているのではないだろうか・・

さて、つい先日に撮影した海岸寺での写真。
30年前とは逆の方向からの撮影だ。

10047000 JR四国オリジナル、7000系電車が2連でいく・・
旧型客車や気動車の重厚ぶりとは比すべきもない、軽快な列車が軽やかに通過する・・

10048000 本邦在来線最高性能を保持するといわれるJR四国8000系振り子車両による「しおかぜ」
編成も8連で、見ごたえもあり、まさに四国鉄道の王者。

2011年10月21日 (金)

北条鉄道開業前夜

北条鉄道は、隣の三木鉄道と共に国鉄の特定地方交通線第一次廃止対象路線の一つだけれども、その前身は播丹鉄道の支線だ。
戦時下に国家に買収され、国鉄路線の一員となったのが不幸だったのかもしれない。

昭和60年4月1日を持って国鉄の経営から、地元自治体と企業が出資する第三セクターとなった。

2084 その経営の移行直前の様子だ。

写真は北条線を行くキハ2078ほか。

1985 北条町にはすでに新車のレールバス3両が揃って搬入されていた。
手前は国鉄の気動車。

1985_2 留置されている様子。
中間の1両はまだシートを被せられている。

1985_3 輸送量が少ないと予想された鉄道だから、当時、最も小型のレールバス、富士重工のLe-Carでニ軸車だ。
三木鉄道のものが当時の路線バスのような窓を持っていたのに対し、こちらは観光バスのような大型の固定窓で登場した。

1985_4 これがその台車。
ニ軸車であっても、台車によって乗り心地の向上、高速運転の確保が図られている・・もちろん、空気バネだ。

1985_5 エンジン。
小型のエンジンだが、これでもDMH17系と同等の出力を誇る。

Photo 当時の北条町駅舎。
なんともクラシカルな、落ち着いた駅舎で、三木線三木駅と同じ雰囲気だった。

Photo_2 北条鉄道本社。
駅舎横の木造の建物を本社に使用した。
新発足の会社だけれど、出費を出来るだけ抑えようとした会社の気持ちが伝わってくる。

Photo_3 車庫・・建設工事中。
国鉄時代は加古川気動車区を基地としていたが、一人前の鉄道となる以上、これは造らなければならない施設。

Photo_4 レールバス1両で十分と思われていた輸送力だが、朝夕などそれでは到底足らず、結局、日中の列車の一部以外はレールバスで重連運転されることが多かった。
写真は開業当初のレールバス2連、法華口駅。
朝には日本の鉄道唯一のレールバス3連運転もあったそうだが、残念ながら僕はその光景を見たことはない。

Photo_5 レールバスは車両の寿命が一般の気動車よりも短いのだろう・・2000年には新車に置き換えが始まった。
これは隣の三木鉄道も同じで、同じ時期に同じタイプの大型気動車へ置き換えが行われた。

写真は大型気動車と並んだレールバス。

20003 写真はつい最近の様子で、三木鉄道廃止に伴い、北条鉄道に移籍してきた気動車。
北条鉄道の車両とよく似ているが性能面や寸法で若干の差異があるようだ。

ローカル鉄道の生き残りにはさまざまなアイディアが必要だが、この鉄道では駅長を公募したり、イベント列車を走らせたり、小猿に駅長になってもらうなど、あの手この手の話題作りが功を奏しているようで、赤字幅も縮小、乗客数も下げ止まりという、「成功」例でもある。

しかし、まだ鉄道を完全に維持できるというところまではいっておらず、今後のアイディアを応援していきたい。

北条鉄道の沿線の大半は加西市内にあり、その加西市にはフラワーセンター、五百羅漢、法華山といった観光地もある。
それに、戦時の航空基地の跡もあるし、鉄道沿線の景色はいかにも日本の田園風景といった風情で、まだまだ観光に力も入れていけそうな気もする。
ただし、観光地の多くは鉄道から離れていて、これらへ接続するバス便もないのが現状。
株主の一員でもある神姫バスと組んで、北条鉄道のみならず、加西市全体の観光地が潤うような、魅力的な集客は出来ないものだろうかとも思う。

どうか、どうか頑張って欲しい鉄道だ。

2011年10月12日 (水)

福塩線、府中電車区の70系。

僕たちがレンタカーで福塩線を訪問したのは、昭和54年ごろだったと思う。
国鉄時代の同期で、電車好きが集まって、当時、置き換えの噂が出ていた福塩線70系電車を見に行こうと言うことになった。
免許取立て、今思えば無謀でもある。

当日、新幹線で福山駅に到着、駅前のレンタカー会社で「スターレットSE」を借りて、これで沿線を回った。
そして、ついには府中電車区を訪問して、撮影させてもらったものだ。

当時は支線区の車両基地も、独立した立派な組織になっていた。
特に福塩線、可部線、宇部線、加古川線などはかつて私鉄であったその名残からか、しっかりとした自前の車両基地を有していて、府中電車区もそういった私鉄の面影を残す車両基地ではあった。

ここに阪和線で活躍していた70系電車のうち、比較的新しい車両が集められて使われていたのだ。

写真が福塩線を走行する70系電車。
70 大半が全金属製の300番台で、一部にごく初期の車両も入っていたはずだが、当日の僕らは300台ばかり見ていたような気がする。

20 当時、日に数本、塩町方面から福山へ直通する気動車列車も運行されていた。
写真はその気動車列車。
キハ20だ。

762 府中電車区におけるクハ76307と、更にもう一本。
当時の福塩線電車は70系に統一されていた。

76 別のクハ76。
70系電車は、80系のデザインを踏襲したものであることは確かだが、そのデザインセンスは80系よりはるかに優れていると思う。
湘南形二枚窓に、側面には国電近距離タイプの大きな二段窓、そして明るい横須賀カラー・・
こういったことがこの電車を洗練されたデザインに見せているように思う。

76_2 これもクハ76307だろうか。湘南形スタイルで僕が洗練されていると感じるのは、この70系とともに国鉄ではEF58、そして私鉄では南海11001、京王3000だ。塗装と言い、その近代感覚溢れるサイドビューと言い、この電車の洗練はもしかしたら横須賀線がその投入の嚆矢だったことに因するのかも知れない。

32000_2 府中電車区には当時、クモハ32も1両だけ居て、この電車もつぶさに眺めることが出来た。
クモハ32000で、モハ42を2ドアから4ドアに改造した戦時型車両でもある。
これは車両の右側。

32000こちらは左側。
徹底的に整備され、茶色の塗装も輝いていたこの電車。
せめて保存できなかったのだろうかとも思う。

32000_3 正面。
古武士の貫禄十分であり、この電車区の主として申し分ない。

32000_4 サイド。
府中電車区ではこの電車を営業には使わず、ほとんど救援車代用として保管していたようだ。
元は関西急電モハ42であり、戦時に通勤用に改造したものの、結局改造両数も少なく異端車のようになってしまっていた。
横須賀線モハ32とは、全く別物の形式でもある。

70_2 府中駅に停車する70系電車。

よく見ると、この電車は300台ではない。
阪和線快速で見慣れた70系電車が、支線区でのんびり余生を送っているのを見るのは楽しいものだった。
けれど、この楽しい風景も数年で一変する。

国鉄がその最晩年に投入した105系電車がこの路線の主になっていったのだ。

Photo 最後に当時の府中駅舎の様子。

2011年10月 7日 (金)

阪神武庫川線

阪神電鉄の現有路線と言えば、本線、なんば線、武庫川線の3線区のみだ。
このうち、本線はもちろん、かつて西大阪線という名で呼ばれた阪神なんば線も今や幹線鉄道路線であり、支線区としての存在といえば、阪神では武庫川線が唯一だ。

この路線は阪神で唯一、自社の電車しか走らない路線でもある。

その武庫川線、かつてはその存在意義にも首をかしげるような路線だった。

Photo 写真は昭和54年頃の武庫川線。
本線の武庫川駅から改札を出て、武庫川にかかる線路脇の橋を渡った先にあった武庫川線ホームに停車する3303。

3301形は阪神の急行系で唯一、単行で走ることの出来る形式で、この形式の車両がもっぱらこの路線に使われていた。

Photo_2 当時の終点、州先に停車する3303号。
この電車、冷房装置はついているが、床下に余裕がなく、大型のMGを搭載できないことから、単行運転ではクーラーは使用できなかった。

Photo_3 州先からさらに南へ伸びる線路は標準軌と狭軌の三線式になっていた。
この先には当時は武庫川車両があり、阪神の新造車はここを通って尼崎へ運ばれていたが、この当時、既に国鉄貨車はここを通過しなくなっていた。

Photo_4 州先駅近くには阪神の未成線、今津出屋敷線・・尼崎海岸線の夢の跡、武庫川に橋脚群が残っていた。
この路線が出来ていれば、阪神の存在感はまた違ったものになったかもしれない。

阪神と言えば未成線の多いことも知られていて、第二阪神線、尼崎宝塚線なども、今にその面影を残している。

当時、武庫川線の武庫川から北側にも線路が残っていて、武庫大橋付近には立派な駅の跡もあった。
そのフィルムを探しているが見当たらず、見つかり次第、ここで公表したいと思う。

Photo_5 さて、昭和59年春に、かつて武庫川車両のあったその先に、巨大な公団住宅が完成し、その住民の足として武庫川線に脚光が浴びることになる。
工事中の武庫川団地前駅の様子。
都会の中の、謎のローカル線に確固たる使命が与えられるその直前。

Photo_6 新装なった武庫川駅に停車するのは方向幕がついた3301形3302。
折角、方向幕がついても、武庫川線では行き先札を使用していた。

7990 そして、こちらが今の様子。
武庫川線電車は日中、基本は20分ヘッド、ラッシュ時には10分ヘッドで運行される。
都会の中のローカル線であることに違いはないが、乗客も多く、閑散線区とはいえない。
走っている電車は佳人薄命を地でいった3801系、僅か2両の生き残り、7890形だ。

なお、戦後の廃線跡についての記述はこちら。

阪神武庫川線廃線区間の記録