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2011年9月19日 (月)

国鉄高砂工場外部向けパンフと、車両たち

予定を変更して国鉄高砂工場の第4弾。

私鉄ファンの皆様には、もう一回だけご勘弁ください。

というのは、こういうブログをしていると、不思議に片付け物などで昔の資料などが出てくることもあって、今回も実家の片づけをしていて国鉄高砂工場の外部向けパンフレットが出てきたし、これまでの3回のネガで出せなかった車両たちの写真も出して行きたいと思う。

Photo まず、そのパンフレット表紙だ。
「案内のしおり」と題された表紙には木工建屋をバックにしたキハ82が写っている。
なぜか、貫通扉は開いたままで、車両の説明ではなく工場の説明なのだからこれで良いということだろうか。

1ページのサイズは13㎝×19cmで、四つ折り、B6判4枚と言うことになろうか。

表紙の続きは工場の平面図だが、裏表紙を表紙とあわせてスキャンした。
担当車両の運行区間と受け持ち両数が案内されていて、青森から西鹿児島まで、東日本の一部を除いて本州・九州のほぼ全域の幹線に担当車両が走っていたことになる。
客車、気動車合わせて1600両あまりの受け持ち両数ということは、当時の阪急よりずっと車両が多く、近鉄に匹敵する両数を一手に引き受けていたことになる。

なお、貨車の3227両と言うのは、国鉄工場で貨車を担当する工場としては少ないほうだと思う。

Photo_2 表紙の続きになっていたのが平面図。
広大な工場敷地の大半が遊休地だった様子が見て取れるが、末期には一部空き地を駐車場として整備して、国鉄現場では珍しく自家用車でほぼ全職員が通勤できるようになっていた。
画面左下部の空き地は廃車解体作業場とその留置線だ。

旅客車主棟が建屋の大半を占めるが、木工建屋には製材工場とエンジンの検修場があって、関西一円の気動車エンジンをここでまとめて整備していた。

Photo_3 この「しおり」を裏返すと沿革、事業内容、組織、施設の簡単な説明がある。
沿革では陸軍の工場として戦前に設立、昭和21年に鉄道工場として発足したことが記されている。

時代を感じるのは巨大な製材工場の存在で、関東以西の鉄道用材木の加工処理を一手に引き受けていた。

Photo_4 職員数1148人だが、僕が入社した頃にはすでに950人までリストラも進められていた。
客車、気動車、貨車の修繕日数や検査周期も書かれていて、今となってはこれも貴重な資料なのかもしれない。

高砂工場の職員、昭和52年当時の平均年齢は37歳、国鉄職場としては若い方だったろう。

さて、車両の写真には既出ものもあるが、改めてスキャンもやり直しているので、じっくりご覧いただきたい。

55102225 まずは入場待ちの車両から。
ナハネフ2225で、尾久にいたクルマだが、「だいせん」20系化での転属車だろうか。

551020240 ナハネ20340と読めるクルマ。
屋根布の張替えが終了して入場を待っている状態。

501030156558 姫路のスエ3015が全般検査で入場待ちしている。
キハ65、キハ58の姿の見える。

55102557 オハネ2557と読めるクルマ。
宮原の所属だったから「日本海」用だろうか。

5010342007 軌道試験車マヤ342007。
試験車も自分が検査してもらわねば走ることは出来ない。

5510641 オハ641。
和田岬線の通勤客車。
座席は中央ドアの向かいに数人分あるだけで、あとはずべて立席だった。
これから思うと、今の和田岬線103系は相当なサービスアップになっているかも・・

5510806 キシ806。
入場待機の様子。
堂々とした車体、特急が特急であった時代を感じる。

551060140 マニ60140。
このマニは一般客車の改造車。
窓配置が不揃いなのはそのため。

540907612012 スロフ622022だろうか。
お座敷客車への改造ではなく、一般の全般検査入場。

5409078000 ワキ8000番号不明。
高砂工場ではワキ8000は貨車職場ではなく旅客車職場、客車組の担当だった。

次は廃車解体の順番を待っている悲しい様子。

5510102032 オロネ102032。
「きたぐに」からの撤退時だろうか・・
まだまだ使えるきれいな車だった。

現場には評判のよくない10系でもオロネはまったく別物だった。

5010102066 オロネ102066。
これと、この前にもう1両、同じオロネ10があって、この3両が夜行列車1往復とその予備ということか。

501010 オロネの車内。
通路。
カーテンもシートカバーもない状態で、営業線では見ることが出来ない裸の姿。

501010_2 オロネの寝台。
下段の座席枕を上げると、寝台使用時の鏡や照明、小物入れのネットが出てくる。

501010_3 オロネの喫煙室。
決して広い空間ではなかったが、国鉄が詰め込みだけを考えていたわけではないその証拠の施設。

55101213 オハネフ1213。
新宮のクルマで、「はやたま」用だったのだろう。
下降窓付近の大修繕のあとが見える。

551012 そのクルマか判別できないが10系寝台車の内部。
寝台の読書灯は小さな白熱灯、廊下に折りたたみ椅子はなく、通路には立つしかなかったが、下降窓の旅情は捨てがたいものがあった。

なお、鏡はすでに外されている。

551012_2 寝台の様子。
中断ベットを降ろして座席背もたれにする設計はこの系列だけで、20系では中段は跳ね上げて、背もたれは別に固定されていた。

551041354 オハ41454。
オールロングシートの通勤客車だが、元は由緒正しき優等客車。
これはスロ53がその原型。

551041351 オハ41351。
こちらはスロ51がその原型。

55104154 オハ4154。
これは広窓が特徴のオロ40がその原型。

55104154_2 その車内。
窓が異様に広い。

551033455 オハフ33455。
戦後製造のグループで屋根が鋼板製。

551035 オハ35番号不明。
戦前製のオリジナルタイプかと思われる。
オハ35一党に関しては、戦前製のもののほうが戦中、戦後製のものよりも出来が良かったように思う。
材質の関係だろうか。

5510602416 マニ602415。
このグループは当初から荷物車として製造されたため、窓の配置が美しい。

55107028 オエ7028。
救援車だが、元は戦災国電を叩きなおした戦災復旧客車。
電車の二段窓の面影がある。
原型は17メートル級国電。

551010103 ナハ10103。
軽量客車の廃車はオハ35あたりよりも早かった。
粗製濫造、劣悪な材質は戦時設計の車両にも通じるものがあるのか・・
デザイン的には非常に優れたデザインであるだけに惜しい存在だった。
仕事の上では老朽化が隠せなく、まさに大変な思いをしたものだ。

5510153 キハユニ153。
加古川線の名物車両も、荷物輸送、郵便輸送の廃止で、解体の憂き目にあうことに・・

551017130 キハ17130。
ローカル線近代化の立役者だが、電車や新型気動車に追われて廃車。
大阪口では意外に遅くまで残っていた。

551017 番号不明、朱色のキハ17。
朱色への塗装変更もキハ17シリーズ全ての車両に成されたわけではなかった。

551020285 キハ20235。
二段窓、後期形のクルマも早々と廃車に・・

551020 キハ20前期形、番号不明加古川所属。
鉄道ファンには人気のあるバス窓タイプだが、個人的には後期形が好きだった。
乗り心地も含めて・・

551026267 キハ26267。
準急気動車の代表格、キハ28シリーズとは違った好デザインで、好きな車両の一つ。
子供心に南海の「きのくに」に憧れたからか・・

5510 トラ45253。
三角のマークは「廃棄」の意味。
木製の側をもつ小型無蓋貨車の用途がなくなっていく時代。

580037 そして新車の職員研修のために入場したキハ37。
キハ47をさらにランクダウンしたような設計だったが、基本デザインはよく、もっとこの車両が増えていればと・・今は思う。
撮影場所は出車作業場。

551060 高砂工場の一番奥、ジャングル化した雑草に埋もれて時を過ごしていたのがスロ601。
記念すべき特別二等車の第一号車で、廃車後も永くこの場所に鎮座していた。
周囲の雑草は人が近づくのを阻み、車内には蜂の巣や巨大な蜘蛛の巣もあって、虫たちの楽園と化していた。

この客車が解体されず、ずっと残っていたのには、この車両廃車当時の高砂工場関係者が誰か、意思を持ってここに残したのだろう。
けれども、結局、痛みがひどく・・
この撮影の数年後には解体されてしまった。

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コメント

こうさん、いつも楽しく拝見させていただいております。
高砂工場の内部には、小学生の時、地元の町内野球大会が工場のグランドで開催され、その時に一度入らさせていただきました。この図面を拝見した時、グランドの彼方向こうに、キハの車両が見えたのを覚えており、この図面と照らし合わせ、廃車待ちのものだったんだと再認識できました。以前にも書き込みましたが、私のお気に入りの車両は、配給車代用のワム70000の白帯車でした。たまに、東海道線の貨物列車に紛れ込んでいたのを見つけると、心踊った記憶が甦りました。

はじめまして。
オロネ10の3両組ですが、もう1両はオロネフ102001のようですね。
(54.10.27に当該3両が除籍)

53.10のだいせん2/3の20系化による余剰車整理のようです。

平素は縦列する事のない車輌が、てんでんこに並ぶ景観は工場ならではと、縁の無かった者の感想です。
パンフレットのキハ82、正面扉のみならず側面の乗務員扉も開いていて、背景の建家も相俟って車輌が寛ぐかの如き様に工場の雰囲気がよく伝わって来ます。
カタログに載る形式写真は言わば見合い写真なのに対し、看板娘のオフタイムショットは誠に工場案内を飾るに相応しく、企画者のセンスの鋭さを感じます。

スニ40とワキ8000の見分けの着かぬ身に永く精進不足を感じておりましたが、なーんだ、家元でさえもワキを客車扱いしていたとは!
キハ55系列は大量増備の58系の不足を埋める様な感じで、急行列車にポツリ、ポツリと編成中間に組み込まれている事が多かった様に思います。ところが、そこにキロやキロハからの格下げ車が往々にして混じっていて、列車利用に当たってはその確認からが常でした。便洗面所のレイアウトも58系とは違い、デッキ側に扉があったかな?

客車群はどれも多少の差はあれ、利用経験(勿論、荷物車は目にしただけですが)のあるものばかりで、保存が殆どなされなかったのは毎度の事ながら残念至極です。
微かな前後方向の衝撃を合図に、スーッと起動し、徐々に加速、走行中は変な電子音の唸りもなく、坦々と生理的にも心地よい轍のリズムを刻むあの車窓も、現場の油にまみれた汗と苦心の賜であったかと、今更ながらの感慨に耽るものです。

いちばん最後の写真「特ロ」はいいですね。

ナマの記憶としては低屋根改造されて分散クーラーを載せたお座敷客車しか見たことないので…。

長年国鉄の車両設計を手がけた星さんの「回想の旅客車」という本で当時の事情が詳細に紹介されていたのを思い出しました。

余談になりますが、先日父方の墓参りで四国高松に行きました。

以前管理人さまが言われたとおり、四国の車両は手入れが行き届いていて本当に奇麗ですね。JR西日本も見習ってほしいものです。

旧高砂市民さん>

お返事が遅くなり申し訳ありません。
工場にはグランドが三つくらいはあったように思います。
それほど広い工場でした。

ワム7000の白帯、ありましたね!
そういえば撮影フィルムもあったはずで、探してみます。

もうすぐおやじさん>

ありがとうございます。
今後ともよろしくです。

オハネフ102001ですか!
多分、この車両は全般検査時に宝殿で撮影していたと思います。
こちらも探してみますね。

それにしても10系ロネはもったいなかったです。。

あづまもぐらさん>

ワキ8000が旅客車と同じ扱いだったのはその運用法と所属によるものでした。
荷物列車と言えど基本は固定編成で、その中での検査修繕ですね。

機関車、電車の保存に比して客車の保存があまりにも少ないのは納得がいかない面でもありますね。
せめて大井川鉄道にこの先もがんばってもらうしかないのが実情かもしれません。

キハ26・55系列のトイレドアはキハ58と同じ位置関係ではなかったかな・・
ただ、洗面所の仕切りがなく、洗面所がオープンでしたね。

東原照彦さん>

スロ60は冷房準備がされていながら、当時の設計での冷房化は効率が悪く、結局、スロ54・スロ62からの屋根全体を交換する大掛かりな工事となりました。

四国の鉄道、今でも本当にきれいですよね。
この当時の国鉄四国はまさに国鉄の中の手本的存在でした。

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