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2011年9月 3日 (土)

国鉄高砂工場、昭和54年5月8日入場待機線。

これまでホームページ本体「こうワールド」においてコンテンツ「国鉄高砂工場」を掲載してきたけれども、どうしても紹介できる写真点数が限られ、説明も詳細に出来ないこと、すでにこのコンテンツを作成したときのソフトが供給されなくなっていることもあり、今回から時折、「国鉄の思い出」カテゴリーで改めて国鉄部内での写真なども紹介していこうと思う。

最初は昭和54年5月8日、僕が高砂工場旅客車職場に配属されて一ヶ月後のネガからだ。
このネガフィルムはモノクロ36枚撮りで、情報量も多いことからその前半部分、高砂工場入場待機線当たりでの撮影部分だ。

540508815 このときの撮影目的はまさにキハ81にあり、番号はキハ815、名古屋「くろしお」で使われていた最後の車両のうちの1両だ。
まずはマニ60、ナハネ20を従えているかのように見える全景から。

入場待機線は高砂工場に入場し検査、修繕、改造などを行うためにここでいったん留め置かれる場所であるのだけれど、キハ815は多分、部品取りのためにいったん入場線で作業されたのではないだろうか。

540508815_2 やや後ろから見たサイドビュー。
すでに車番は取り外されていて、この車両が廃車であることが分かる。

背景の立派な建屋は隣の神戸製鋼所。

540508815_3 正面。
ヘッドマークがなく、それだけでも車両が生きていないように見える。

高砂工場の入場待機線、その後方には広大な廃車置場がある。

はるか遠景に見えるのは三菱重工業の建屋。

540508815_4 右側サイド。
まだJNRマークは外されていない。
背景にキハ17やオハネフ12も見えるがあちらは紛うことなく廃車解体の待機だ。

540508815_5 左斜めから見た様子。
泥臭いデザインで、このあとのキハ82の洗練さとは比較にならないが、それでも、パノラミックウィンドウの角度も美しく、それぞれの部品の設計はさすがで、いわば美人になる素質を持っているのにバランスを欠いた親しみやすい表情と言うところだろうか。

540508815_6 キハ815の運転台。
タブレットキャッチャーも取り外されている。

廃車車両が入場すると材料係が真っ先にまだ使える部品を取り外して別に保管する。
それにしても、運転台正面ガラスの角度が美しい。

540508815_7 テールライト。
ガラスも電球も取り外されている。
しかし、デザインには国鉄最初の気動車特急を少しでも格好よくしようという意気込みも見える。

テールライトと標識灯は最初はかなり意匠的、意欲的なデザインだったようだ。

540508815_8 台車。
特急気動車の台車はよく出来ていたように思う。
特にこの80系シリーズは乗り心地も柔らかだった。
もとより、今の振り子気動車のような高速運転をするわけではないが。

54050881543573 スハ43573を背景にキハ815の左サイド。

スハ43は全般検査で入場の車両。

540508815_9 キハ815の前で記念撮影。
国鉄標準の菜っ葉服、上回り作業者はヘルメットは着用せず、布製の帽子だった。
手前が筆者、運転台に友人がいる。

540508431 他に入場線付近の様子など。
これはマヤ431。
乗務員の教習用で、車内はアルミデコラの壁面、それに大きな固定窓だけの何にもない車両だった。
もとはマロネ41で、オロネ10や20系客車に合わせた改造工事が行われた車両を教習車に改造したもの。

54050850 スユニ50。
50系客車の一員ではあるけれど、台車は旧型客車、スハ43あたりのものを用い、国鉄工場で製造された。
高砂での製造車両はないはずで、この車両は名古屋工場製。

当時、高砂では気動車のキユニの製造、お座敷客車の改造など多忙を極めていたからかもしれない。

5405082085 キハ2085。
バス窓、初期タイプで加古川気動車区所属の車両、通常の重要部検査で、外板の修繕をしているところ。
全般検査の場合は、窓もすべて取り外される。

54050820 キハ20の修繕部分と友人。
上記と同じ車両と思われる。
この外板修繕はきちんと鉄板を切り接ぐもので、高砂ではほとんど補修はきちんと行われていた。

一部工場ではこういった切り接ぎが面倒だったのか、通称「パチ当て」と言われる腐食部の上から鉄板を直接貼り付けてしまう「補修」もされていた。
強度、長持ちのためには当然、きちんとした補修をすることが必要だ。

540508 入場作業のための入場建屋。
キハ28の大規模な補修作業が見える。
客車もここで屋根の張替えなども行っていた。

54050880 入場建屋はトラバーサーをはさんで2棟あった。
前作業をした車両をトラバーサーで移動させる。
車両はキハ80。

高砂工場には入場側と出場側に二つのトラバーサーがあって、後に主棟内部にももう一箇所設けられた。
背景に見えるのは神戸製鋼所。

このフィルムの主棟内での様子は次回記事に・・

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国鉄高砂工場、昭和54年5月8日入場待機線。を参照しているブログ:

コメント

ここってたしか、うちのじい様の職場だったような…。

解体直前の車両の写真は物悲しさを増長していますね。かつては第一線でバリバリと活躍していたのに、老朽化や近代化の動きには勝てませんから。

キハ81は晩年は私の地元、阪和線や紀勢線を走っていまして、数が少なかったこともあって見かけた時は喜んだものです。(当時は子どもだったのでどの運用にあてられているか知らなかった)

そういえば、写真に写っていた三菱電機高砂や神戸製鋼は前に在職していた部署で仕事に行ったことがありまして、広大な更地が高砂工場の後だと改めて分かりました。

ペンマルさん>

もしかしたら、その方は僕の知っている人かもしれませんね。

akeyanさん>

わずか6両でその割りに「くろしお」の本数は結構多くて、キハ81の連結された列車は少なかったですね。
名古屋行きの「くろしお」によくつながれていました。

今、高砂工場の跡地はサントリーになっていたように思います。

初めまして、ずっと前からブックマークして読ませてもらってます。
私もその昔、国鉄に勤めていて当時の和歌山機関区に勤務してました。
76年に就職して80年まで車両検修係として、急行、特急気動車に真っ黒になりながらエンジンに取り付いていたのを思い出します。
DF50も出入りし、まだキハ81も全車健在なときでもあり、キシ80の交番検査仕上がり日のお昼には、厨房の保温プレートでお好み焼きを焼いてみたりしてましたね。

紀勢線も電化され、その後私は電気機関士として紀勢線を走り、わずか10年と8ヵ月の国鉄生活でしたがJR社員となることを望まずに国鉄を去りましたが、もう25年も経ったかという感じです。

まだついこのあいだのような気がして思い出します。

高砂工場からは、よく工場職員さんが来られて夜中まで作業されてましたね。

また懐かしい写真を待ってます。

くりぼんさん>

はじめまして!

和歌山に居られたのですね。
お世話になりました。

機関士という事は、当時のEF58やEF15に乗務しておられたのでしょうね。
それだけでも、なんとも懐かしい感じがします。

そして国鉄を去った時期も僕と同じ時期で、ものすごく身近に感じます。

今後ともよろしくお願いします。

 私のキハ81の思い出は紀勢線に充当された頃です。一番印象に残っているのは全般検査を終えた試運転列車です。昭和52,53年頃だと思いますが、キハ81とキハ80の2両編成で昼頃の上り列車でした。全般検査明けのキハ81はピカピカで塗装は綺麗なのですが、車体はやや波打っており、厚化粧で年は隠せないといった感じです。そんなキハ81を京都まで追跡し、京都駅に待機していたEF5860を入れて撮影しました。
 後年、廃車となったキハ81が留置されている和歌山機関区を訪ねました。さほど傷みもなくまだ十分使えそうな車両なのにもったいないなと思いながら写真を撮りました。
独特なスタイルがプラスに転じてDD54と共に交通科学館に保存され幸いです。

L急行鷲羽さん>

キハ81が交通科学館に保存されたのは同じ場所に保存されたDD5433とともになんとなく縁のようなものを感じます。。
でも、改良型、キハ82って・・案外保存が少ないんですね。。

交通科学館に保存されていたキハ81-3は展示前に当時在った大阪港(貨物)駅でお色直しをしていました。

子供の頃は家が近所でしたので、たまに線路を見たくて遊びに行っていたのですが、ある日キハ81が留まっていたのでビックリしました。

近くにいた作業員の人に聞くと、交通科学館に展示するので修繕作業を始めるところだと聞いたので、それから毎日放課後に見学に行き写真を撮りました。

ある日、交通科学館の館長が来ていて、自分が毎日写真を撮っている事を聞くと写真を使わせて欲しいと言ってこられたのです。

修繕終了後、数日ほど交通科学館に出かけ館内の暗室で写真を焼付けし、その内の2枚ほどが展示されました。

キハ81を見るとその時の事が今でも思い出されます。

床屋のシンサンさん>

貴重なお話をありがとうございます。
このキハ813、同期の5号ともに高砂では一応、廃車解体と言うことで入場したのですが、現場の人たちの間でも「潰してええノンか」といった声があり、しばらく放置されていました
突然、3号のほうを保存すると言い出し、しかも、これまでは保存車は工場で整備するのですが、工場から運び出してしまいました。

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