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2011年9月 7日 (水)

国鉄高砂工場、昭和54年出車作業場ほか

国鉄高砂工場のシリーズは前回の旅客車主棟、前々回の入場待機線に続いて今回、出車作業場での写真。
工場に入場した車両は解体、修繕、塗装の工程を経て、組み立てられ、新車同然のコンディションになって最後に検査、試運転を経て出場していく。

55071630 さて、今回、出車(でぐるま)作業場の話をする前に、まず、この写真を見ていただこう。
オヤ30で、これは吹田操車場の通勤用に使われていた車両だ。
原型はオハ31で、本邦最初の鋼製客車、最近、津軽鉄道に残っていた1両が徹底的な復元作業のすえ、鉄道博物館に所蔵されているのでそれを思い起こされる方もあるだろう。

実に貴重な車両でもあるけれど、老朽化著しく、細部の部品もすでに手作りするしかない状態だった。
一応、全般検査の予定で入場したけれど、結局、当時50系の投入で余剰が出ていたオハフ33が廃車入場してきたのを幸い、この車両と取り替えることになった。

55070630 写真が出場時のオヤ30だ。
これを知ったファン諸氏は驚愕したことだろう。
17メートル級、リベット止めの車体が戦後製のオハ35と同型になって戻ってきてしまったのだ。

54090728 さて、ちょうどキロ28の更新工事の写真が出てきた。
前回記事でキロ28の当初の更新工事が原型に戻す工事だったと書いたが、原型に戻されたのは多分、1~2両で、それ以後は二段窓に改造して出場していった。
写真は改造工事中の車体。
車体の腰から下はすべて新品の鋼体になっている。

54090728_2 これが新品のユニット窓。
製造もしくは輸送の過程で、ゆがみが出ていたようで平面を出すために置かれている感じだ。

54090728_3 車内から見たユニット窓の様子。
窓の構造そのものは12系のユニット窓と似ている。

54090728_4 車内の工事の様子。
壁の内張りはすべて新品になっているほか、床にもロンテックスが流されて新品同様とされ、その上に保護シートを敷き詰めている様子。
なお、天井は冷房改造時に更新されているのでそのままだ。

54090728_5 ユニット窓を取り付けた様子。
腐食に泣いた下降窓とおさらば・・
でも、デザイン的にも雰囲気も下降窓が圧倒的に良いのではあるが・・

550706282190 これは違うクルマだが、キロ28更新修繕が完了、出車作業場での出場直前の様子。
和歌山のキロ282190だ。

541082 こちらは出車作業場でのキハ82。
ヘッドマークがないから営業車両である雰囲気には欠けるが、塗装も新たに一新された姿。

541080 キロ80。
現場ではペンキのにおいも真新しく、新品同様によみがえった。

5510805 キハ805。
この車両自体はキハ81と同期の車両。
キハ82、キロ80とともに3両で出場、いずれも和歌山所属の車両だった。

551022 ナハネフ22。
全般検査で窓周りのゴムを交換した車両だが、窓周囲の鋼板が痛んでいた。
修繕をしても外板の傷みはどうしてもその跡が残ってしまう。

まだまだ国鉄工場も忙しい時代、手早く、きれいに車両を仕上げるのが至上命題だった。
昨今の車両とは異なり、鋼板の耐用命数や設計上の腐食対策の不備などの問題もありながらも、現場では精一杯の思いを込めて車両を送り出していたと言うのは決して誇張ではないと思う。

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国鉄高砂工場、昭和54年出車作業場ほかを参照しているブログ:

コメント

こうさんが整備に携わっておられた頃の車両は、永年の使用で拭き磨かれた味があったように思います。でも、言うは易し行うは難し、であったことがとてもよくわかりました。

和歌山機のロ28、2段窓に更新されていたのは、すでに記憶から薄れてしまっていました。

写真を見ると2000番台になっていて床下には4VK8.8発電エンジンがぶら下がっているので、そういえばそうやったと記憶が少しずつ蘇ってきます。
単独給電の4DQ11Pエンジンはすべて4VKに更新されてしまったんでしたかね?

4VKエンジンはやかましいので閉口しました。
耳の横でディーゼルエンジンが3000回転で回るのですから、そりゃあ耳が変になりますが、このエンジンが回りだすと夏が来たと感じたものです。

未だにエンジン形式を思い出すのは若かったころに覚えたからでしょうか。

DMHエンジンの噴射順序、15738426を覚えてるのも、そうかも知れませんね。

キロ28の窓下車体腐食は本当に酷かったですね。一度姫新線
で「みまさか○?」号に乗ったら、隣のキロ28の窓下に
ベツタリとテープが2-3ケ所貼ってあって------。
同じ下降窓でもRが少ない阪急電車などそんなに腐食していない
のに-----。117-100系もRが少ないけれど。
紀勢本線直通の2段窓改造キロ28は六十谷付近で撮影しました
が、撮り鉄仲間が「腐食がはげしいからなあ」と-----。

「オヤ30の大変身」
80系気動車の挿げ替えは聞いてましたが
これは凄い!
でも、ガチガチの官僚組織と思っていた旧国鉄って
以外に鷹揚だったんですね。

キロ28の下降窓からユニット窓へ変わったのは、よく覚えています。私の地元、阪和線を走る「きのくに」のキロ28がキハ65に似たユニット窓になったんですから、びっくりしました。

私鉄車両(例えば阪急)の下降窓が腐食することは聞いたことがなかったのですが、なぜ国鉄の車両だけ・・・って思ったものです。

国鉄急行用グリーン車のユニットサッシ化には皆さん強い印象を残されている様ですが、それは私も同じで、横浜在住故サロ165によるものでした。
窓1つの差はありましたが、共通のデザインは、電車、気動車の範疇を超越して急行型グリーン車スタイルを確立しました。
このデザインは不思議なもので、一段窓のDC普通車、二段ユニットサッシのEC普通車いずれに組み込まれても、優等車としてそこそこの主張をしつつも編成としての纏まりを乱さぬ、実にスマートなものと思います。
特急車が全て統一デザインで製作されたのとは対照的で、旧きPC列車の香りを伝えていた様にも思えます。
ユニットサッシ化によりアルミの窓枠が嫌が上にも浮き立つ様になると、普通車の窓枠との不整合さが目立ち、同じ車輌での編成とは思えぬ見てくれとなりました。阪急100系に近鉄6600系を組み込んだとでも云えばよいのでしょうか、単独ではそれぞれに纏まってはいるのですが。
その裏で現場は、腐蝕と闘っていたのですね。

今では急行型どころか急行列車自体が希有な存在となり、急行型グリーン車という概念自体が消滅してしまい、この種の車輌の登場する可能性は絶望的となりました。

余談ですが、キロ27がキハ56と同じデザインの流れの一段窓で製作されたのは、極寒地向二重窓対策故の妥協なんでしょう。
と云う事は、国鉄としては「急行型グリーン車」を意識的に位置付けしてデザインにも腐心した事になりますね。
美しい訳です。

こうさんの上げられている写真の年、昭和54年と言うと、私がちょうど後藤工場のフェンス越しに車両を眺めていた頃です・笑。その頃は後藤でも沢山の旧客の全検出場がまだあった頃ですネ~。
写真のキロ28のサッシ窓の更新修繕の様子、
出来上がりの車を見ることしか出来なかったのですが、
営業運転している車両から想像も付かなかった外板の腰下から交換という大規模な修繕だったんですね。
鉄を少し弄った経験しかないのですが、ガスにしろ、電気にしろ、薄物の鉄板溶接はゆがみがどうしても出るものですが、キロの側板のゆがみの無い見事な仕上がりはすごいですね。鉄道工場の意地を見せられたように思いました。
鉄板といえば、後藤の工場祭に行ったさい、特別に廃車解体待ちの10系のナハネを見せてもらった事がありましたが、工場の方が腐食とツギハギだらけで大変な車だったと
言われていたのを思い出しました。
当時でも昭和16年製造なんていう旧客が沢山走っていましたが、それより車齢の若い10系の痛みの酷さに正直驚きましたが、こうさんの高砂での思い出を読むたびに、
さもあらんかな?と思うようになりました。

もしよろしければ、こうさんが高砂工場で見た、他の工場車の修繕の善し悪し、工場ごとの特色などあれば、お聞かせ願えないでしょうか?
地元びいきかも知れませんが、末期の181の『はまかぜの』ような最期まで美しく整備した後藤工場での仕事他、こうさんの、現場から見た特色など是非お伺いしたいです。

こう様、こんばんは。

数々の車両の修繕現場での写真を興味深く拝見しております。
小学生の頃に「社会見学」で当時の国鉄多度津工場を見学したことがありました。素人が偉そうな事を言うようですが「外せる物は全て外して徹底的に検査や修繕を行って、万全の体制にして再び営業線に戻す」ということになるでしょうか?

当時の四国は電化区間は全く存在しなかったので、多度津工場は各種のディーゼル車が集結する場所でした。
「工場のしおり」という冊子を頂きましたが、キハ55のエンジンそのものを取り降ろし、更にそれを細かいところまで分解整備する様子が紹介されていました。

キロ28は四国にとっても大変縁のある車両でした。グリーン車時代に乗った経験は少なく、むしろ指定席に格下げ後の5000番台になってからの方が多かったようです。
格下げ後も元グリーン車であったので座席のゆったり感は不変、ただ枕カバー(?)がビニール製に変わったぐらいで「乗り得」車両ということには変わりなかったですね。
間合いで急行列車用の編成が普通列車でも運用されましたが、キハ20やキハ52のような一般型から見ればキハ58やキハ65でも「特別」な感じに見えたものです。


四国のキロ28は1段下降窓のようでしたので、本州でユニットサッシの同形式を見た時は不思議な感がしたものです。

ふそうやましろいせひゅうがさん>

当時の工場はとても苦労していました。
でも、今のJR、当時よりはるかに車齢の高い車両もあり、もしかしたら苦労は当時の比ではないかもしれません。

くりぼんさん>

手元の昭和54年配置表によると、この頃でもキロ28の発電エンジン未換装車はまだ残っていますね。

確かに発電エンジンは喧しかったですね。
あの頃の気動車と今の気動車とでは騒音がぜんぜん異なりますね。

Pyreneanさん>

窓のRと車体腐食は関係がないのです。
問題は側構内の水抜き対策と、下降窓部分の鋼板の種類ですね。

117系100台から221系にかけては窓部分の鋼板はステンレスになっているはずです。

味噌大福さん>

国鉄組織は官僚組織でもありますが、その志向性は官僚形ではなかったように思います。
ただ、中央偏重ではありましたね。

akeyanさん>

このブログの最初期の「10系客車」をごらん戴くとわかるかもしれません。
問題は水抜き対策の不備だったのです。

阪急や南海、近鉄は万全の対策をとっていました。

あずまもぐらさん>

個人的に国鉄急行型車両は国鉄のある意味完成形態だったのではないかと思っています。
電車にしろ気動車にしろ、そのデザインコンセプトは統一されていて、そこにそれぞれの個性を織り込んだものだったように感じます。
下降窓のグリーン車は本当に美しかったですね。

そういえば最後に残ったキロハは下降窓タイプでした。
高砂での最初期の更新車だったのかもしれません。

日食さん>

このブログのごく初期に「10系客車」があります。
ご参照ください。

10系は耐用命数15年で製造されて、結局20年以上使ったのですからそれでも製造時の想定を超えていたのです。

工場ごとの特色は詳細はあまりわかりませんが、四国含む関西5工場は丁寧でオリジナルを大切にしていたように思います。

関東は仕事が荒い感じを受けました。
それだけ忙しかったと言うことかもしれません。

泉州人さん>

エンジンなどもネジのひとつ、部品のひとつまで分解して洗浄、修理していました。
だから、工場を出た後は新車のコンディションだったのですね。

でも、分解することでもしかしたら壊れてしまうものもあったのかもしれません。

四国の気動車、機関車の手入れは抜群に良かったですね。
多分、日本で最高のレベルだったのでは・・

多度津工場ここにありという感じでした。

車体を延長するとはすごいですね。私の勤務先には車両設計に関わる部署があり、そこでは強度計算を専門に行っています。今はソフトウエアの進歩がめざましく、FEM解析やCATIAで簡単に車体設計ができます。当時は事業用車両なのであまり技術的な検証はされなかったかもしれませんが、国鉄の車両製造技術力はメーカーにひけを取らなかったのですね。

L急行鷲羽さん>

このスヤ30は実際の工事は全くなく、単にオハフ33の番号を書き換えただけです。。

ただ、国鉄工場では一部鋼体は自作していましたし、かの鋼体化客車では台枠を再利用しながら、車体の延長、車体の拡幅を行っていました。

なお、国鉄時代の基本設計はすべて国鉄部内で行われていました。
それが良い面と悪い面がありますね・・・

はじめまして。
懐かしい車両の写真の数々、楽しく拝見しています。
こちらの記事の最後の写真のナハネフ22ですが、こちらは25号ではないでしょうか?
鉄道少年だった頃、大阪駅へカメラを持って良く出かけていました。
ナハネフ22が最後尾の「銀河」の姿をいつも見ていたのですが、展望室の大きな窓の下部が縫い合わされたようになっている車両を時々見かけ、印象に残っています。
腐食した箇所の手直しの跡だったんですね。
こちらの写真と同じ車両かな、と思うのですが、私が当時撮った写真の裏に「ナハネフ2225」と書いてありました。
確か25号は晩年は二本帯になり、「だいせん」にも使われていたと思います。
宮原所属の20系は良く磨かれていたのか、いつも綺麗でした。
工場や客車区で整備されていた方々のご苦労などにはその時は思いも至らず、ただただカメラを向けていました。
貴重な写真と工場での裏話、ありがとうございました。

こちらのナハネフ2225は兵庫県内で保存されているようで、他の方のブログですが写真を見ることができました。
http://jakiswede.seesaa.net/category/7437008-1.html

また他のページにも立ち寄らせていただきます…

のこのこさん>

はじめまして、よろしくお願いします。

ナハネフ2225・・そうかもしれませんね。
情報ありがとうございます。
実はこの蓬莱峡のナハネフ22については、以前から気になっていながらいまだに見に行けていないのです。

JRの梅小路の保存車にぜひ加えていただきたい車両ですね。

写真のナハネフ22は傷んだ箇所をハンマーでたたき、錆を追い出したものです。
塗装で平面にできる誤差を超えていたためにこういう結果になったと思います。

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