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2011年9月

2011年9月29日 (木)

昭和50年代の能勢電。

Emaiko_144 僕は小学校時代の大半を大阪で過ごしたから、遠足や野外活動に北摂方面に連れて行ってもらうことは良くあった。
そんなとき、猪名川に沿って、カーブの多い道路をバスが北上するときに、決まって路面電車よろしく道路の横を茶色の古い電車が走っているのが見えた。
小学生ながら、鉄道ファンの素質満点だった僕は、これが「能勢電」であることは知っていた。
当時の「能勢電」は「能勢電気軌道」の略称だ。

さて、昭和50年代になり、僕もようやくカメラを持って、関西一円の鉄道を追いかけるようになる。
そんなときに、地元の山陽、神戸電鉄、阪急、阪神とともに、比較的早い時期に訪れるようになったのがこの能勢電だ。

なお、この会社は昭和53年に社名を「能勢電鉄」と変更しているから、これ以後は「能勢電」は「能勢電鉄」の略称となる。

さて、僕がはじめにこの路線を訪れたのは、まだ川西能勢口と川西池田の小運転が成されていた頃だった。
まずはその電車から。

51 川西能勢口駅の川西池田側から区間運転の電車を見た様子。
線路にクルマ止めがしてあるのはこの区間が朝夕のみの運転だったからか。
電車は51号で、なんと戦後能勢電が自主制作した唯一の4両のうちの1両。

5101 川西能勢口ホームから見た51号。
カラーでご覧いただこう。
この電車を含む4両以後、能勢電の車両はすべて阪急からの譲受車となっている。
川西能勢口のホームも今では考えられないほど、こじんまりしたものだった。

612 阪急から移籍した610系が川西能勢口近くの狭隘な踏切で市街地を通過する。
阪急610系は車体幅を大型車並にした旧型車の車体更新車。

615 妙見口の615。
この車両で能勢電鉄の近代化も一気に促進した気がしたものだ。

518 日生中央への新線開業は昭和53年、関西では神戸市営地下鉄西神線と同じ年で、この時期、まさに日本はバブルの上り坂にあった。
その日生中央駅の500形518。
阪急宝塚線標準車といってよい電車で神戸線920系を小さくしたようなタイプ。

327 それより古い320形327が日生中央で休憩している。
阪急時代に性能が統一され、500形も320形も実質上は同じ性能になっていた。

518_2 518が山下で発車を待つ様子。

今の日生線盛況ぶりから考えられない旧型、小型電車の2連だ。

506520 506と520の編成が日生中央の留置線で憩う様子。
当初の日生線はローカル電車の折返し運転だった。

527 527の編成が山下の折り返し線で待機する様子。
山下駅は日生線開業に合わせて高架化された。
この頃になると、路線の大規模な改良がほぼ完成して、路面電車然とした面影は消え去っていた。

52002 520の車内風景。
阪急時代そのままの雰囲気、阪急旧型車の凝ったつくりが生きていた。
ただし、化粧板の汚損の激しいものは茶系統に塗りつぶされていた。

612_2 612が山下に入線する。
この車両でさえも能勢電が近代化されたという印象をすごく持った。
僕の脳裏にある能勢電は、ポール集電、単行で道路の横を埃を立てて走る姿なのだろう。

66003 山下駅の660で、610系のなかにわずか2両だけだった非貫通タイプの車両。
京都線210系と似ている。

67152904 671と529が山下で並ぶ。
なんとはない風景に思えたのがこの当時だが、今となってはもう見ることの出来ない両者である。

1500 この当時、能勢電初のカルダン駆動、1500系が入線していた。
写真がトップナンバーの1500で撮影は川西能勢口だ。

この電車のもとは阪急2100系で、当時、このツートンカラーは落ち着きがあって大好きだった。
阪急6300系の塗装色を使ってその塗り分け方を変えたらこんな感じになるというところか・・・

僕が写真を撮り始めた最初期に訪れた頃、営業していた国鉄川西池田への路線は日生中央への路線が開業してまもなく廃止されてしまった。
Photo その廃止当時の様子。
阪急5100系が走る築堤へ向かう廃止路線。

Photo_2 そして川西能勢口近くの様子。
西友が見えている。
電柱は新しく見えるが、道路転用を見据えたものだろうか。

今、JR川西池田から阪急・能勢電の川西能勢口までは連絡通路が出来ていて、全く電車で移動する必要があるとは思えない距離だ。
この区間に電車を走らせていたのは、国鉄へ向かう通勤客への配慮とともに、沿線の工場からの貨物輸送があったからだろう。

今の能勢電は阪急梅田と結ぶ直通特急「日生エクスプレス」が走り、電車のスタイルも塗装も全く阪急と変わらない雰囲気を通している。
それでも、阪急の支線ではなく能勢電であることを主張するところに、僅かだがこの電鉄の自主性を見る思いがする。

Photo_3 写真は阪急十三を発車して梅田へ向かう能勢電鉄からの直通、「日生エクスプレス」現代の様子。

2011年9月19日 (月)

国鉄高砂工場外部向けパンフと、車両たち

予定を変更して国鉄高砂工場の第4弾。

私鉄ファンの皆様には、もう一回だけご勘弁ください。

というのは、こういうブログをしていると、不思議に片付け物などで昔の資料などが出てくることもあって、今回も実家の片づけをしていて国鉄高砂工場の外部向けパンフレットが出てきたし、これまでの3回のネガで出せなかった車両たちの写真も出して行きたいと思う。

Photo まず、そのパンフレット表紙だ。
「案内のしおり」と題された表紙には木工建屋をバックにしたキハ82が写っている。
なぜか、貫通扉は開いたままで、車両の説明ではなく工場の説明なのだからこれで良いということだろうか。

1ページのサイズは13㎝×19cmで、四つ折り、B6判4枚と言うことになろうか。

表紙の続きは工場の平面図だが、裏表紙を表紙とあわせてスキャンした。
担当車両の運行区間と受け持ち両数が案内されていて、青森から西鹿児島まで、東日本の一部を除いて本州・九州のほぼ全域の幹線に担当車両が走っていたことになる。
客車、気動車合わせて1600両あまりの受け持ち両数ということは、当時の阪急よりずっと車両が多く、近鉄に匹敵する両数を一手に引き受けていたことになる。

なお、貨車の3227両と言うのは、国鉄工場で貨車を担当する工場としては少ないほうだと思う。

Photo_2 表紙の続きになっていたのが平面図。
広大な工場敷地の大半が遊休地だった様子が見て取れるが、末期には一部空き地を駐車場として整備して、国鉄現場では珍しく自家用車でほぼ全職員が通勤できるようになっていた。
画面左下部の空き地は廃車解体作業場とその留置線だ。

旅客車主棟が建屋の大半を占めるが、木工建屋には製材工場とエンジンの検修場があって、関西一円の気動車エンジンをここでまとめて整備していた。

Photo_3 この「しおり」を裏返すと沿革、事業内容、組織、施設の簡単な説明がある。
沿革では陸軍の工場として戦前に設立、昭和21年に鉄道工場として発足したことが記されている。

時代を感じるのは巨大な製材工場の存在で、関東以西の鉄道用材木の加工処理を一手に引き受けていた。

Photo_4 職員数1148人だが、僕が入社した頃にはすでに950人までリストラも進められていた。
客車、気動車、貨車の修繕日数や検査周期も書かれていて、今となってはこれも貴重な資料なのかもしれない。

高砂工場の職員、昭和52年当時の平均年齢は37歳、国鉄職場としては若い方だったろう。

さて、車両の写真には既出ものもあるが、改めてスキャンもやり直しているので、じっくりご覧いただきたい。

55102225 まずは入場待ちの車両から。
ナハネフ2225で、尾久にいたクルマだが、「だいせん」20系化での転属車だろうか。

551020240 ナハネ20340と読めるクルマ。
屋根布の張替えが終了して入場を待っている状態。

501030156558 姫路のスエ3015が全般検査で入場待ちしている。
キハ65、キハ58の姿の見える。

55102557 オハネ2557と読めるクルマ。
宮原の所属だったから「日本海」用だろうか。

5010342007 軌道試験車マヤ342007。
試験車も自分が検査してもらわねば走ることは出来ない。

5510641 オハ641。
和田岬線の通勤客車。
座席は中央ドアの向かいに数人分あるだけで、あとはずべて立席だった。
これから思うと、今の和田岬線103系は相当なサービスアップになっているかも・・

5510806 キシ806。
入場待機の様子。
堂々とした車体、特急が特急であった時代を感じる。

551060140 マニ60140。
このマニは一般客車の改造車。
窓配置が不揃いなのはそのため。

540907612012 スロフ622022だろうか。
お座敷客車への改造ではなく、一般の全般検査入場。

5409078000 ワキ8000番号不明。
高砂工場ではワキ8000は貨車職場ではなく旅客車職場、客車組の担当だった。

次は廃車解体の順番を待っている悲しい様子。

5510102032 オロネ102032。
「きたぐに」からの撤退時だろうか・・
まだまだ使えるきれいな車だった。

現場には評判のよくない10系でもオロネはまったく別物だった。

5010102066 オロネ102066。
これと、この前にもう1両、同じオロネ10があって、この3両が夜行列車1往復とその予備ということか。

501010 オロネの車内。
通路。
カーテンもシートカバーもない状態で、営業線では見ることが出来ない裸の姿。

501010_2 オロネの寝台。
下段の座席枕を上げると、寝台使用時の鏡や照明、小物入れのネットが出てくる。

501010_3 オロネの喫煙室。
決して広い空間ではなかったが、国鉄が詰め込みだけを考えていたわけではないその証拠の施設。

55101213 オハネフ1213。
新宮のクルマで、「はやたま」用だったのだろう。
下降窓付近の大修繕のあとが見える。

551012 そのクルマか判別できないが10系寝台車の内部。
寝台の読書灯は小さな白熱灯、廊下に折りたたみ椅子はなく、通路には立つしかなかったが、下降窓の旅情は捨てがたいものがあった。

なお、鏡はすでに外されている。

551012_2 寝台の様子。
中断ベットを降ろして座席背もたれにする設計はこの系列だけで、20系では中段は跳ね上げて、背もたれは別に固定されていた。

551041354 オハ41454。
オールロングシートの通勤客車だが、元は由緒正しき優等客車。
これはスロ53がその原型。

551041351 オハ41351。
こちらはスロ51がその原型。

55104154 オハ4154。
これは広窓が特徴のオロ40がその原型。

55104154_2 その車内。
窓が異様に広い。

551033455 オハフ33455。
戦後製造のグループで屋根が鋼板製。

551035 オハ35番号不明。
戦前製のオリジナルタイプかと思われる。
オハ35一党に関しては、戦前製のもののほうが戦中、戦後製のものよりも出来が良かったように思う。
材質の関係だろうか。

5510602416 マニ602415。
このグループは当初から荷物車として製造されたため、窓の配置が美しい。

55107028 オエ7028。
救援車だが、元は戦災国電を叩きなおした戦災復旧客車。
電車の二段窓の面影がある。
原型は17メートル級国電。

551010103 ナハ10103。
軽量客車の廃車はオハ35あたりよりも早かった。
粗製濫造、劣悪な材質は戦時設計の車両にも通じるものがあるのか・・
デザイン的には非常に優れたデザインであるだけに惜しい存在だった。
仕事の上では老朽化が隠せなく、まさに大変な思いをしたものだ。

5510153 キハユニ153。
加古川線の名物車両も、荷物輸送、郵便輸送の廃止で、解体の憂き目にあうことに・・

551017130 キハ17130。
ローカル線近代化の立役者だが、電車や新型気動車に追われて廃車。
大阪口では意外に遅くまで残っていた。

551017 番号不明、朱色のキハ17。
朱色への塗装変更もキハ17シリーズ全ての車両に成されたわけではなかった。

551020285 キハ20235。
二段窓、後期形のクルマも早々と廃車に・・

551020 キハ20前期形、番号不明加古川所属。
鉄道ファンには人気のあるバス窓タイプだが、個人的には後期形が好きだった。
乗り心地も含めて・・

551026267 キハ26267。
準急気動車の代表格、キハ28シリーズとは違った好デザインで、好きな車両の一つ。
子供心に南海の「きのくに」に憧れたからか・・

5510 トラ45253。
三角のマークは「廃棄」の意味。
木製の側をもつ小型無蓋貨車の用途がなくなっていく時代。

580037 そして新車の職員研修のために入場したキハ37。
キハ47をさらにランクダウンしたような設計だったが、基本デザインはよく、もっとこの車両が増えていればと・・今は思う。
撮影場所は出車作業場。

551060 高砂工場の一番奥、ジャングル化した雑草に埋もれて時を過ごしていたのがスロ601。
記念すべき特別二等車の第一号車で、廃車後も永くこの場所に鎮座していた。
周囲の雑草は人が近づくのを阻み、車内には蜂の巣や巨大な蜘蛛の巣もあって、虫たちの楽園と化していた。

この客車が解体されず、ずっと残っていたのには、この車両廃車当時の高砂工場関係者が誰か、意思を持ってここに残したのだろう。
けれども、結局、痛みがひどく・・
この撮影の数年後には解体されてしまった。

2011年9月 7日 (水)

国鉄高砂工場、昭和54年出車作業場ほか

国鉄高砂工場のシリーズは前回の旅客車主棟、前々回の入場待機線に続いて今回、出車作業場での写真。
工場に入場した車両は解体、修繕、塗装の工程を経て、組み立てられ、新車同然のコンディションになって最後に検査、試運転を経て出場していく。

55071630 さて、今回、出車(でぐるま)作業場の話をする前に、まず、この写真を見ていただこう。
オヤ30で、これは吹田操車場の通勤用に使われていた車両だ。
原型はオハ31で、本邦最初の鋼製客車、最近、津軽鉄道に残っていた1両が徹底的な復元作業のすえ、鉄道博物館に所蔵されているのでそれを思い起こされる方もあるだろう。

実に貴重な車両でもあるけれど、老朽化著しく、細部の部品もすでに手作りするしかない状態だった。
一応、全般検査の予定で入場したけれど、結局、当時50系の投入で余剰が出ていたオハフ33が廃車入場してきたのを幸い、この車両と取り替えることになった。

55070630 写真が出場時のオヤ30だ。
これを知ったファン諸氏は驚愕したことだろう。
17メートル級、リベット止めの車体が戦後製のオハ35と同型になって戻ってきてしまったのだ。

54090728 さて、ちょうどキロ28の更新工事の写真が出てきた。
前回記事でキロ28の当初の更新工事が原型に戻す工事だったと書いたが、原型に戻されたのは多分、1~2両で、それ以後は二段窓に改造して出場していった。
写真は改造工事中の車体。
車体の腰から下はすべて新品の鋼体になっている。

54090728_2 これが新品のユニット窓。
製造もしくは輸送の過程で、ゆがみが出ていたようで平面を出すために置かれている感じだ。

54090728_3 車内から見たユニット窓の様子。
窓の構造そのものは12系のユニット窓と似ている。

54090728_4 車内の工事の様子。
壁の内張りはすべて新品になっているほか、床にもロンテックスが流されて新品同様とされ、その上に保護シートを敷き詰めている様子。
なお、天井は冷房改造時に更新されているのでそのままだ。

54090728_5 ユニット窓を取り付けた様子。
腐食に泣いた下降窓とおさらば・・
でも、デザイン的にも雰囲気も下降窓が圧倒的に良いのではあるが・・

550706282190 これは違うクルマだが、キロ28更新修繕が完了、出車作業場での出場直前の様子。
和歌山のキロ282190だ。

541082 こちらは出車作業場でのキハ82。
ヘッドマークがないから営業車両である雰囲気には欠けるが、塗装も新たに一新された姿。

541080 キロ80。
現場ではペンキのにおいも真新しく、新品同様によみがえった。

5510805 キハ805。
この車両自体はキハ81と同期の車両。
キハ82、キロ80とともに3両で出場、いずれも和歌山所属の車両だった。

551022 ナハネフ22。
全般検査で窓周りのゴムを交換した車両だが、窓周囲の鋼板が痛んでいた。
修繕をしても外板の傷みはどうしてもその跡が残ってしまう。

まだまだ国鉄工場も忙しい時代、手早く、きれいに車両を仕上げるのが至上命題だった。
昨今の車両とは異なり、鋼板の耐用命数や設計上の腐食対策の不備などの問題もありながらも、現場では精一杯の思いを込めて車両を送り出していたと言うのは決して誇張ではないと思う。

2011年9月 4日 (日)

昭和54年5月8日、国鉄高砂工場旅客車主棟

昭和54年5月8日前回記事の続きだ。
まず断っておくが、当時の国鉄と言えど業務中に趣味の写真撮影などできるはずもない、
このブログで公表する写真はすべて昼休み、もしくは終業後の撮影だ。

その当時、鷹取工場には名だたる鉄道ファン諸氏がいて、彼らによって発表される記録もあるが、高砂工場では鉄道ファンと言える人とは出会えず、趣味としてではなく生き方として鉄道が好きな人が多かったように思う。
その表れが何より丁寧なその仕事ぶりで、他工場ではゴマカシで済ませてしまうようなことは、こと高砂に関してはほとんどなかった。

5405082538 さて、入場建屋で作業のための解体を施された車両はアントと呼ばれる小型の牽引車で主棟に送り込まれる。
写真はオハネフ2538を送り込むところ。

こういった牽引車やトラバーサー、あるいは入れ替え機関車を使った作業は、工場の場内に作業者がおらず、そのために気を遣うことのない、しかも工程に影響しない昼休みや休憩時間、始業前、終業後に行われることが多かった。

54050812 入場建屋脇の鉄工職場作業場で修繕中のスハフ12。
この場所でガスや高圧電気を扱う鉄工職場が気兼ねなく作業できるようになっていた。
もっとも、工程の都合上、各職場入り乱れてやや危険な思いをしながら作業せざるを得ない場合も多々あった。

54050862 同じ作業場でスロ62の鉄工部分の改造工事・・
これはお座敷客車スロ81への改造工事で、洗面所周りなどに結構規模の大きな工事が成されている。

540508 主棟の外にはさまざまな部分も保管されていた。
これは通風器でいわゆるガーランド型。
ただし、当時の高砂工場では「ガーランド型ベンチレータ」などといっても誰もそのことを理解してくれない。
工場内部では「標準型通風器」である。
廃車や改造工事で捻出されたもの、あるいは破損などで取り替えたものを、修繕を済ませてこうしていつでも使えるようにする。

540508_2 こちらはバッテリー。
これはたぶん客車用で、部内ではもちろん「蓄電池」だ。
旧型客車、あるいは後の50系も車軸に簡単な発電機が備えられていて、車内の照明などはこの電力を使用していた。
今から見ると、なんとエコな設計であったことか。

54050880 さて、主棟に入場すると、まずジャッキアップして気動車や電源エンジンつきの客車ならエンジンの取り外しが行われる。
キシ8034がジャッキアップされているところ。
ただし、通常の客車はジャッキアップはせずに、クレーンを使って台車抜きをし、そのまま、作業線の仮台車に乗せられる。

5405088034 そのキシ8034をサイドから。
エンジン、モーターなどは国鉄の場合、現車に使っていたものは専門の職場でオーバーホールされるが、部品を共通化しているので、わざわざその部品の仕上がりを待つまでもなく、すでに仕上がった完成品をこの場所でつけてしまう。

54050880_2 取り付け準備が出来た完成品のエンジン。
このあと、午後の作業で現車に組み込まれる。

54050828 主棟の中では主に車体内外の修繕作業が行われる。
キロ28の外板取替え、更新工事をしているところ。
キロ28は下降窓が仇となって車体の腐食が早く、老朽化が著しかった。
最初は完全に原型に戻す工事が成され、後に2段窓への改造工事に変更されている。

5405085833 キハ5833と読める車両。
ただ、不思議なのは当時受け持ちにはこの車両は居らず、当時は九州に、このあと、七尾に配属されているはず・・
何かの改造工事だろうか。

54050835 手前にいたのがキハ35。
現場ではこの外吊りドアの保守に手を焼いた。

54050823 ナハネフ23の外板修繕。
この車両は僕の組の担当で、車内では破損した化粧板の張替えなども行っていた。
外板部分の工事をしたのは同期の友人で、最初は手直しくらいのつもりだったのが、車体の腐食が思わぬ進行をしてしまっていて、結構大きな工事になってしまった。

540508_3 作業用の運搬車「モートラック」
これはエンジン付だが、後にバッテリー式のものも登場した。
場内の荷物運搬に大活躍した縁の下の力持ちだ。

540508622070 スロ622070。
お座敷客車スロ81に改造工事\が進行中。
外観は洗面所付近の窓の形が変更され、アルミサッシが更新されたくらいだ。
けれど車内ではそれこそ大工事が進んでいる。

540508622070_2 スロ622070の車体側面に書かれた作業用の表記。
チョークで「山城」と大書きされている。

車両はこのあと、塗装工程、そして組立作業のある出車作業へと移され、完成となる。
それらはまた別の機会に。

2011年9月 3日 (土)

国鉄高砂工場、昭和54年5月8日入場待機線。

これまでホームページ本体「こうワールド」においてコンテンツ「国鉄高砂工場」を掲載してきたけれども、どうしても紹介できる写真点数が限られ、説明も詳細に出来ないこと、すでにこのコンテンツを作成したときのソフトが供給されなくなっていることもあり、今回から時折、「国鉄の思い出」カテゴリーで改めて国鉄部内での写真なども紹介していこうと思う。

最初は昭和54年5月8日、僕が高砂工場旅客車職場に配属されて一ヶ月後のネガからだ。
このネガフィルムはモノクロ36枚撮りで、情報量も多いことからその前半部分、高砂工場入場待機線当たりでの撮影部分だ。

540508815 このときの撮影目的はまさにキハ81にあり、番号はキハ815、名古屋「くろしお」で使われていた最後の車両のうちの1両だ。
まずはマニ60、ナハネ20を従えているかのように見える全景から。

入場待機線は高砂工場に入場し検査、修繕、改造などを行うためにここでいったん留め置かれる場所であるのだけれど、キハ815は多分、部品取りのためにいったん入場線で作業されたのではないだろうか。

540508815_2 やや後ろから見たサイドビュー。
すでに車番は取り外されていて、この車両が廃車であることが分かる。

背景の立派な建屋は隣の神戸製鋼所。

540508815_3 正面。
ヘッドマークがなく、それだけでも車両が生きていないように見える。

高砂工場の入場待機線、その後方には広大な廃車置場がある。

はるか遠景に見えるのは三菱重工業の建屋。

540508815_4 右側サイド。
まだJNRマークは外されていない。
背景にキハ17やオハネフ12も見えるがあちらは紛うことなく廃車解体の待機だ。

540508815_5 左斜めから見た様子。
泥臭いデザインで、このあとのキハ82の洗練さとは比較にならないが、それでも、パノラミックウィンドウの角度も美しく、それぞれの部品の設計はさすがで、いわば美人になる素質を持っているのにバランスを欠いた親しみやすい表情と言うところだろうか。

540508815_6 キハ815の運転台。
タブレットキャッチャーも取り外されている。

廃車車両が入場すると材料係が真っ先にまだ使える部品を取り外して別に保管する。
それにしても、運転台正面ガラスの角度が美しい。

540508815_7 テールライト。
ガラスも電球も取り外されている。
しかし、デザインには国鉄最初の気動車特急を少しでも格好よくしようという意気込みも見える。

テールライトと標識灯は最初はかなり意匠的、意欲的なデザインだったようだ。

540508815_8 台車。
特急気動車の台車はよく出来ていたように思う。
特にこの80系シリーズは乗り心地も柔らかだった。
もとより、今の振り子気動車のような高速運転をするわけではないが。

54050881543573 スハ43573を背景にキハ815の左サイド。

スハ43は全般検査で入場の車両。

540508815_9 キハ815の前で記念撮影。
国鉄標準の菜っ葉服、上回り作業者はヘルメットは着用せず、布製の帽子だった。
手前が筆者、運転台に友人がいる。

540508431 他に入場線付近の様子など。
これはマヤ431。
乗務員の教習用で、車内はアルミデコラの壁面、それに大きな固定窓だけの何にもない車両だった。
もとはマロネ41で、オロネ10や20系客車に合わせた改造工事が行われた車両を教習車に改造したもの。

54050850 スユニ50。
50系客車の一員ではあるけれど、台車は旧型客車、スハ43あたりのものを用い、国鉄工場で製造された。
高砂での製造車両はないはずで、この車両は名古屋工場製。

当時、高砂では気動車のキユニの製造、お座敷客車の改造など多忙を極めていたからかもしれない。

5405082085 キハ2085。
バス窓、初期タイプで加古川気動車区所属の車両、通常の重要部検査で、外板の修繕をしているところ。
全般検査の場合は、窓もすべて取り外される。

54050820 キハ20の修繕部分と友人。
上記と同じ車両と思われる。
この外板修繕はきちんと鉄板を切り接ぐもので、高砂ではほとんど補修はきちんと行われていた。

一部工場ではこういった切り接ぎが面倒だったのか、通称「パチ当て」と言われる腐食部の上から鉄板を直接貼り付けてしまう「補修」もされていた。
強度、長持ちのためには当然、きちんとした補修をすることが必要だ。

540508 入場作業のための入場建屋。
キハ28の大規模な補修作業が見える。
客車もここで屋根の張替えなども行っていた。

54050880 入場建屋はトラバーサーをはさんで2棟あった。
前作業をした車両をトラバーサーで移動させる。
車両はキハ80。

高砂工場には入場側と出場側に二つのトラバーサーがあって、後に主棟内部にももう一箇所設けられた。
背景に見えるのは神戸製鋼所。

このフィルムの主棟内での様子は次回記事に・・