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2011年8月10日 (水)

海と列車の滝の茶屋

山陽電車は今でも「シーサイドエクスプレス」と会社自身も呼ぶだけに、都会の電車にしては海のすぐ傍を、それも海が見えるように走る稀有な存在だ。
その山陽電車、かつて、垂水区内の埋め立てが成されるまでは、今よりずっと、海が身近な存在だった。

今回はその頃、昭和53年ごろの滝の茶屋付近だ。

まだネイビーブルーとクリームイエローと言われたツートンカラーの時代、海をバックにした山陽電車はよく似合っていた。

3604 まずは3604を先頭にした下り特急。
正面貫通ドアの行き先表示器が後付のために、その部分が出張っているのがわかる。

3620 3620を先頭にした普通電車。
遠くにうっすらと見えるのは大阪湾の対岸、和泉付近だ。

この車両は最初から行き先表示器が装備されていて、貫通ドアもすっきりしている。

3631 3050系3631が最後尾になる阪急六甲行き普通電車。
このころ、山陽電車ではまだ冷房改造が行われておらず、冷房つきは新車の3050系5編成だけだった。
冷房化率10パーセントの頃。

3607 3607のサイド。
遠くに見える山はちょうど南海線が和泉山脈を越える孝子峠辺り。

2015 ステンレス試作編成、2015による普通電車。
あまりにも有名な日本最初のアルミカー2012~13に隠れて目立たない電車だが、この2編成のテストで山陽電車は以後、アルミ車体を作り続けることになる。

なお、この編成の前、クロスシートのステンレスカー2010編成も存在している。

851 普通電車、東須磨行き851ほか。
戦後、私鉄界初のロマンスカー800型のパワーアップ版として登場した形式。
旧型電車らしいエクステリアデザインはこの頃も健在だった。

853 同じく850形853による下り普通電車。
こうしてみると、なんと風光明媚な路線だったことか。

さて、この当時は垂水の地名由来ともなった海岸段丘の滝に沿って小道があり、滝の茶屋駅脇から海岸沿いの国道2号に出ることが出来た。
その途中で国鉄の列車も見える。

Ef58 まずはEF58牽引の荷物列車。
この頃はなんとも思わなかったこの種の列車だが、今となっては思い出それ自体も貴重なものかもしれない。

153 そして青い海に青いラインを映えさせる新快速電車、ブルーライナー153系だ。

3026 海側から山陽電車を眺めてみる。
3026による普通電車。

3000 そして青空と雲を車体に映しこんで走る3000系電車。
遠き日の思い出は、あのときの空の色と同じようなブルーに染まっているものなのかもしれない。

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海と列車の滝の茶屋を参照しているブログ:

コメント

このあたりは昔から気になっていた場所でした。神戸市に限らず日本の行政は、どうして景観を破壊するような開発?が好きなのでしょうか?

はじめまして、元東垂水町住人です。
東垂水から滝の茶屋にかけて、私の遊び場でした。
その頃はカメラなど持っていなかったので懐かしく見させて頂きました。
どちらの駅も構内踏み切りが有ったのを思い出します。

 私も以前、滝の茶屋駅の北のジェームス山に20年近く住んでいました。そのため、同駅をよく利用しました。この駅はこうさんの仰るように切り立った崖の上にあるため駅前広場もない小さな駅でした。塩屋駅からわずか1kmほどですが、MHI,KHIという重工業の社宅があり、乗降客も多い駅でした。
国道二号線と滝の茶屋駅を結ぶルートは過去には存在しましたが。今は閉鎖されているようです。私が小学6年生の時、同級生が海神社の祭りの帰り、このルートを通って快速電車に撥ねられ亡くなりました。塩谷から垂水にはかけては海岸段丘地で南北の道路が少なくこのルートを選んだようです。国道二号線の増田屋(寿司店)の西2、300mの山側にも人が通行できない通路がありますが、そこも死傷者が多発するため閉鎖されました。
 山陽電車も乗客をJRに奪われ、沿線の滝の商店街、滝の市場もシャッター通りになったと聞きます。長年住んでいた町が寂れるのは残念です。

横浜育ちの私には、半世紀前の大森海岸駅辺りが連想されます。
品川から5kmに満たぬ距離ですが、当時プラットフォームは砂利引きで上屋は申し訳程、線路の東側には海苔の養殖竿が海岸を埋めていました。先の駅は学校裏(現、平和島)と路面時代の名残を留めていました。
今では海岸線も遥か3km東に遠退き、海はおろか土すらも街路樹の根元にしか見る事が出来なくなりました。
通る電車の音も速度も行き先も変わりました。

山陽に戻れば、折角の瀬戸の陽光が失われぬ事を。

話は変わりますが、山陽がステンレス車やアルミ車に傾注した動機は、やはり海沿い故の塩害だったのでしょうか。

Cederさん>

ブログ拝見しました。
実にいいブログですね。

滝の茶屋駅付近は今も絶景の場所であることに変わりはありません。
海が数百メートル、遠くなりましたが、それでも、ここからの大阪湾の眺めはすばらしいです。
でも、できれば、この当時のままに置いていて欲しいところでした。

にんにん3さん>

はじめまして。
構内踏切があった頃というと、この写真の時代よりずいぶん前の時代ですね。
僕はその頃は知りませんが、今はその当時の面影がないと・・僕の母は嘆いています。

L急行鷲羽さん>

滝に沿った通路は風情がありました。
でも、遮断機どころか、警報機もなかったですね。
西舞子ではこの種の踏切にも警報機、遮断機がつけられているので、なんだかなぁと・・思ってしまいます。

今、滝の茶屋付近から海岸に出るには東垂水駅の歩道橋を使うか、塩屋1丁目の交差点まで降りるしかないのがまどろっこしいです。。

滝の茶屋は寂れてきていますが、その山手のジェームス山はいまや大変なことになっていますね。
残念ながら道路が狭隘で、滝の茶屋や塩屋から路線バスも出せないのが悲しいところですが。。

あづまもぐらさん>

大森海岸!
今やそこに海があったことすら信じられないような場所ですね。山陽の場合、まだ加古川市内や妻鹿付近を除けば沿線に大規模開発はあるものの、イメージを何とか保っている状態ですね。
特に明石と神戸の境目付近が、今のイメージにつながっているようです。

山陽がステンレスやアルミに走ったのは、これは山陽の希望ではなく、川崎車両の押しの強さがその遠因だったようです。

仕事柄、山電にもよく乗りますが、3000系のカラーリングはこの時代の方が個人的には好きです。地味な車体にこのカラーリングはあっていると思っています。

akeyanさん>

山陽電車のカラーリングは今のものよりこの時代のほうが都会的で、歴史を感じたように思います。
ただ、阪神の普通電車と間違われると言う問題はあったようです。。

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