フォトアルバム

プロフィール

フォトアルバム

こう@電車おやじ

小説サイトSTORY http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/ 鉄道掲示板 http://6551.teacup.com/kouzou/bbs プロhttp://pr.cgiboy.com/02653710/フィール

« 海と列車の滝の茶屋 | メイン | 昭和50年代の広電、宮島線。 »

2011年8月18日 (木)

昭和51年、52年姫路駅

古いネガを見ていて、昭和51年52年ごろの姫路駅の写真が出てきた。
特に珍しいものがあるとも思えないが、この駅自体は最近に大きく変貌しているので、昔を振り返るのもよいかと思う。

18 まず、姫新線列車が西ホームに停車しているところ。

キユニ18 5を先頭にした気動車列車。

国鉄最初の中間気動車、キハ18を改造した形式で、希少形式ではあった。
この車両は岡山の所属で、姫新線を経てやってきたものか。

17312 その列車の中間にオリジナルのキハ17 312・・
これも岡山の車両だから、この列車それ自体が岡山からの遠征組ということだろう。

35138 播但線の東ホームに停車しているのは播但線キハ35 138。
キハ35にこのツートンカラーはよく似合っていた。
なお、前方にキハ17あたりが見えるが、なぜ、それを撮影しに行かなかったかは今となっては不明。

41 播但線ホーム、東2番線、オハ41を最後尾にした客車列車。
前方はスハ43系列だろうか。
当時から播但線はラッシュの混雑が激しく、今に至ってもロングシートの103系が中心だ。

50 ちょっと後の時期の50系客車。
学生の悪戯が度を過ぎ、手動ドアからの転落事故が相次いだため、播但線への50系投入はごく最初期に行われた。

80115 山陽本線、電留線に停車しているのは岡山方面行きの80系電車と115系電車。
115系は当時、東北・高崎線の冷房化率向上のために投入された同じ系列の新車に押されて、この地に回ってきた。

86 岡山方面からの80系電車がいったん上り方向に引き上げられていく。
80系300台で、この車両が岡山と姫路の間には最も似合っていたように思う。

165 京都行きの153系新快速。
最後尾はクハ165。
153系を短編成化する際に、クハ153ではなく、当時主流だったクハ165を新製した。
乗り心地はもう、クハ165が歴代新快速では最も良かったように思う。

103 最後に今の様子。
高架工事が成された播但線ホームに停車する播但線専用の103系電車。
実にMT55、110kwオールMであり、実際にその性能を生かした、猛烈な走りを実感できる。

姫路駅もまた、激変の最中であり、その激変も線路が高架になって、ようやく大きな峠を越えたというところだろうか。
今後、豊橋や天王寺と並び、国鉄最初期の民衆駅であった駅ビルの建替えも必要であり、まだまだ目を離せない駅でもあるが、こうして過去の記録を眺めると、なんとなくその当時のゆったりとした雰囲気が伝わってくるように思う。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.eonet.jp/t/trackback/351371/26952166

昭和51年、52年姫路駅を参照しているブログ:

コメント

はじめまして、ウエレクOBのスカセンと申します。
貴サイトを何時も懐かしく拝読しています。
ところで、「高架工事が成された播但線ホームに停車する播但線専用の103系電車。実にMT54オールMであり、実際にその性能を生かした、猛烈な走りを実感できる。」とありますが…。
僭越ながら、MT54とあるはMT55セトと思います。
ご確認いただけると幸いです。

スカセンさん>

ご指摘、有難うございます。
110キロワット、MT55でしたね。
本文も訂正します。

仕事の関係で姫路へよく行きます。昔の高架前の雰囲気がよかったですね。「まねき屋」のそばもいい思い出です。

車両はパッとしないけど、写真のキハ35のカラーリングはいいですね。私がよく見かけたころはすっかりと朱色一色でしたが・・・。

私は生まれも育ちも姫路です。昭和51・52年は未だ小学低学年でしたので、自分で写真を撮る事は出来なかったので、懐かしい貴重な写真を掲載して頂き有り難うございます。

この頃の姫路駅は、気動車はもちろん、旧型客車・荷物列車・寝台列車・飾磨港線の貨物・修学旅行の団体列車等、今は無き多彩な車両が走っていたので、もしあの頃に写真撮影に目覚めていたら、きっと丸一日居ても飽きなかったでしょう。

1枚目の写真について気になる事があります。
私の記憶違いかも知れませんが、キユニを連結した姫新線上り列車に乗った事が有るのですが、キユニは上り方向に連結されていた様な気がします。掲載の写真とは逆ですね。
上り/下りどちらの方向にキユニを連結するかは列車や年代によって違っていたのでしょうかね?

無知な小学生の私にとって、キユニの存在は、好奇心、懐疑心と恐怖心の入り交じったものでした。
 ・窓の配置が客車と違うので、何だかかっこいい
 ・何故人が乗っていない(乗れない)のか?
 ・鉄格子のある窓が護送車みたいで怖い

姫路駅到着後、キユニの開いた扉をのぞき込んで父親に咎められた事も・・・今となっては良い思い出です。

駅ビルの解体も、後は元の中央改札口付近を残す所まで進んでいます。完全に姿を消すのもそう遠くないのでしょう。

バス窓のキハ17 のどかな田舎の沿線に溶け込むかのような優しい、いいデザインでしたよね~。私鉄と比べ、画一的なデザインに賛否両論あるとは思いますが、
どこに言っても、変わらぬその姿に、見知らぬ土地での旅でホッとした思い出があります。
昭和30年代のキハ17登場当時の貴重な映像がありましたので張りますネ↓
http://www.youtube.com/watch?v=o_jj4OY9aT8
(工場での全検の様子から、製造の様子まで)

それと、客車の鋼体化改造の記録もありました。
舞台は高砂工場です、昭和28年の様子ですが、
こうさんの以前書かれていた高砂工場の木工職場の様子など、大変興味深く見ました。
工場で働かれていたこうさんに是非見ていただきたいなァ

http://www.youtube.com/watch?v=FC5UkwYljr0&feature=related

akeyanさん>

本当にキハ35の色合いはこの色が一番でしたね。
まねきは今もありますが、ちょっと上品になりすぎた気がしています。

悪い猫さん>

キユニ連結方向は謎ですね。
車両によって運転台の取り付け方向が違っていたのかもしれません。
加古川線なら、キハユニでこれは好奇心の塊で乗車することも出来たのですが・・
キユニは、子供にはやはりちょっと怖いが興味津々の車両でしたね。

日食さん>

素晴らしい動画をご紹介いただき、ありがとうございます。
高砂工場、僕の居た頃も大して雰囲気は変わっていませんでした。

国鉄の輝きが表れているような気がしますね。

コメントを投稿