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こう@電車おやじ

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2011年8月

2011年8月24日 (水)

昭和50年代の広電、宮島線。

広島電鉄は路面電車の最右翼的存在で、それは今も変わらないのだけれど、この当時、鉄道線たる宮島線は一種の混沌たる様相を見せ、その魅力たるやただ事ではなかった。

当時、全盛ともいえた鉄道線車両から。

1051 単行で走るのは1050形1051、近代的感覚溢れる車体になんともクラシカルな台車。
それもそのはず、台車、機器は京阪創業時の100形200形由来だとか。

10532 1053と1054の2連、片運転台化工事をされ、連結車とされた。
当時の宮島線は広島駅直通の低床電車が12分ヘッド、その間に西広島と廿日市の間の区間運転も含め、線内12分ヘッドで入っていたように思う。
宮島線高床車の特徴はなんと言ってもそのドア配置で、かつての京成電車よろしくドアが左右でずれていて、客室に入ると目の前に座席があるというものだった。

1071 1070形1071。
阪急宝塚線の500形を広電仕様に改造して投入したもので、阪急のイメージは十分に残っていたが、車内の特徴的なプリント木目は塗りつぶされていた。

1073 1073。
これも同じ阪急500形からの改造車で、この系列は能勢電にも入っているけれど、あちらがほとんど原型なのと対象的ではある。

10721074 1072と1074のすれ違い。
上記編成のいずれも反対側。
駅のホームは手前が低床車用、電車が停車しているところが高床車用。

1080 1080形。
既出だが、ここでも参考までに。
阪急210形を改造して投入した形式で1編成のみ、ドア位置はこの形式のみ変更されてはいるが左右は対象。車内も阪急時代のイメージを留めていた。

10941002 1080形と1090形の出会い。
1094は上記1051と1052を連結改造した編成で、機器類の統一も行われていたそうだ。

Photo 市内線直通用低床車。
まずは拙ホームページからドルトムント電車76。
路面電車のクロスシートという車内仕様にビックリしたものだ。

2008 2000形。
2008先頭のの2連。
単行運転用だった車両を連結式に改造したもので、これにより連接車よりも大きな輸送力を発揮できるようになった。

2004 2004。
明るいツートンカラーは宮島線直通電車の証だった。

20052 2005。
宮島線では市内線とは比べられない軽快な走りを見せてくれる。

2507 2500形2507。
広電が本格的に連接車を採用した形式で、路面電車仕様といえど、宮島線での高速運転は独特のジョイント音とともに、電車の走りの楽しさを実感させてくれた。
この車両は後期形でなんと自社製造。
なお、2500形は現在3連接の3100形に改造され、塗装も変更、正面のデザインも変わり印象が変わった。

2511 2511。
同じ2500形とは思えないクラシカルな外観だが、大阪市電1601形がその前身。
趣味的には非常に興味を持ったシリーズ。

3004 3000形3004。
西鉄福岡市内線の1201形がその前身。
この形式は2連接だったが、広島入りに際して3連接に改造された。
スピードがあまり出ず、高速運転がされる宮島線ではやや苦しい引用を受けた。

まだ3500形が登場する以前、宮島線には広電のアイディアと工夫が随所に盛り込まれていたようにも思う。
横に走っていた153系快速とともに・・
ふっと遠くへ去っていったあの頃を思うこともある。

2011年8月18日 (木)

昭和51年、52年姫路駅

古いネガを見ていて、昭和51年52年ごろの姫路駅の写真が出てきた。
特に珍しいものがあるとも思えないが、この駅自体は最近に大きく変貌しているので、昔を振り返るのもよいかと思う。

18 まず、姫新線列車が西ホームに停車しているところ。

キユニ18 5を先頭にした気動車列車。

国鉄最初の中間気動車、キハ18を改造した形式で、希少形式ではあった。
この車両は岡山の所属で、姫新線を経てやってきたものか。

17312 その列車の中間にオリジナルのキハ17 312・・
これも岡山の車両だから、この列車それ自体が岡山からの遠征組ということだろう。

35138 播但線の東ホームに停車しているのは播但線キハ35 138。
キハ35にこのツートンカラーはよく似合っていた。
なお、前方にキハ17あたりが見えるが、なぜ、それを撮影しに行かなかったかは今となっては不明。

41 播但線ホーム、東2番線、オハ41を最後尾にした客車列車。
前方はスハ43系列だろうか。
当時から播但線はラッシュの混雑が激しく、今に至ってもロングシートの103系が中心だ。

50 ちょっと後の時期の50系客車。
学生の悪戯が度を過ぎ、手動ドアからの転落事故が相次いだため、播但線への50系投入はごく最初期に行われた。

80115 山陽本線、電留線に停車しているのは岡山方面行きの80系電車と115系電車。
115系は当時、東北・高崎線の冷房化率向上のために投入された同じ系列の新車に押されて、この地に回ってきた。

86 岡山方面からの80系電車がいったん上り方向に引き上げられていく。
80系300台で、この車両が岡山と姫路の間には最も似合っていたように思う。

165 京都行きの153系新快速。
最後尾はクハ165。
153系を短編成化する際に、クハ153ではなく、当時主流だったクハ165を新製した。
乗り心地はもう、クハ165が歴代新快速では最も良かったように思う。

103 最後に今の様子。
高架工事が成された播但線ホームに停車する播但線専用の103系電車。
実にMT55、110kwオールMであり、実際にその性能を生かした、猛烈な走りを実感できる。

姫路駅もまた、激変の最中であり、その激変も線路が高架になって、ようやく大きな峠を越えたというところだろうか。
今後、豊橋や天王寺と並び、国鉄最初期の民衆駅であった駅ビルの建替えも必要であり、まだまだ目を離せない駅でもあるが、こうして過去の記録を眺めると、なんとなくその当時のゆったりとした雰囲気が伝わってくるように思う。

2011年8月10日 (水)

海と列車の滝の茶屋

山陽電車は今でも「シーサイドエクスプレス」と会社自身も呼ぶだけに、都会の電車にしては海のすぐ傍を、それも海が見えるように走る稀有な存在だ。
その山陽電車、かつて、垂水区内の埋め立てが成されるまでは、今よりずっと、海が身近な存在だった。

今回はその頃、昭和53年ごろの滝の茶屋付近だ。

まだネイビーブルーとクリームイエローと言われたツートンカラーの時代、海をバックにした山陽電車はよく似合っていた。

3604 まずは3604を先頭にした下り特急。
正面貫通ドアの行き先表示器が後付のために、その部分が出張っているのがわかる。

3620 3620を先頭にした普通電車。
遠くにうっすらと見えるのは大阪湾の対岸、和泉付近だ。

この車両は最初から行き先表示器が装備されていて、貫通ドアもすっきりしている。

3631 3050系3631が最後尾になる阪急六甲行き普通電車。
このころ、山陽電車ではまだ冷房改造が行われておらず、冷房つきは新車の3050系5編成だけだった。
冷房化率10パーセントの頃。

3607 3607のサイド。
遠くに見える山はちょうど南海線が和泉山脈を越える孝子峠辺り。

2015 ステンレス試作編成、2015による普通電車。
あまりにも有名な日本最初のアルミカー2012~13に隠れて目立たない電車だが、この2編成のテストで山陽電車は以後、アルミ車体を作り続けることになる。

なお、この編成の前、クロスシートのステンレスカー2010編成も存在している。

851 普通電車、東須磨行き851ほか。
戦後、私鉄界初のロマンスカー800型のパワーアップ版として登場した形式。
旧型電車らしいエクステリアデザインはこの頃も健在だった。

853 同じく850形853による下り普通電車。
こうしてみると、なんと風光明媚な路線だったことか。

さて、この当時は垂水の地名由来ともなった海岸段丘の滝に沿って小道があり、滝の茶屋駅脇から海岸沿いの国道2号に出ることが出来た。
その途中で国鉄の列車も見える。

Ef58 まずはEF58牽引の荷物列車。
この頃はなんとも思わなかったこの種の列車だが、今となっては思い出それ自体も貴重なものかもしれない。

153 そして青い海に青いラインを映えさせる新快速電車、ブルーライナー153系だ。

3026 海側から山陽電車を眺めてみる。
3026による普通電車。

3000 そして青空と雲を車体に映しこんで走る3000系電車。
遠き日の思い出は、あのときの空の色と同じようなブルーに染まっているものなのかもしれない。