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2011年7月

2011年7月29日 (金)

大井川鉄道旧型客車レポート

先日、7月23日に青春18切符で東京へ行く途中、時間を生み出して大井川鉄道の20年ぶりの訪問が実現した。

今回の訪問では何より客車に乗ることを第一義として、出来れば何両かの内外の写真を撮影しておきたいと思っていた。
ただし、旅程の都合上、大井川鉄道に居られる時間はわずかで、その間に千頭まで行くとなると、単純に往復するしかない厳しい条件でもある。

夏休みとあって、窓口が大変混雑する金谷駅で、SL列車に乗りたいが予約していない旨を告げると、座席指定のない急行券を発行してくれた。
ただし、座席は車掌さんが指示してくれるそうで、必ず座れますとのこと、感謝して切符を受け取った。

0723sl501 すぐにSL急行川根路号が入って来たが、後部補機が牽引する7両編成・・
金谷駅には機回り設備がないので、SL列車は金谷向きの電気機関車に牽引されて入線してくるが、さすがに7両ともなるとC11やC10の牽引力では不足気味で、このままELが後部補機としてつくことになるのは容易に想像できる。

しかし、大井川鉄道のELは国鉄EF56あたりを小さくまとめなおしたような形態で、旧型客車にはよく似合う。
金谷駅には5両程度のホーム有効長しかなく、それより前の車両に乗車する人は手前の車両から連結部を渡っていく・・
このあたりの対処もかつての国鉄を思い出し、懐かしい。

072335435 さて、乗客の案内に忙しい車掌さんに声をかけると、「すぐにご案内します!最後尾の車両で中で待っていてくださいね」とのこと。
デッキで待つとすぐに件の車掌さんが小走りで来てくれ、オハ35435の隅のボックスを案内してくれた。

本当は43か47に乗りたいなぁ・・と思いながら・・なぜか見覚えのある雰囲気に・・
そう・・なんと、わがホームページの表紙を飾ってくれている車両なのだ。

なんとも縁を感じ、オハ35435の座席に落ち着いた。

列車はやがてゆっくりと発車・・
田園をわたる夏の風が涼しく、電力不足の懸念から節電のために冷房温度設定をあげているJR電車よりはるかに快適だ。

072335149 新金谷に入線するとき、ここの客車の中でも国宝級の1両、オハ35149が留置されているのが目に入る。
塗装は緑じゃなかったのか・・やはりオリジナルの茶色が美しい。
意欲的な仕事をしていた小倉工場、戦前の試作車で、ウィンドヘッダーのない外観が健在だ。

0723367 その隣に居たのがオハニ367・・
いまや大変貴重な荷物合造客車で日本ナショナルトラスト保有の車両だ。

072342286 反対側の車窓からスハフ42286と、その後ろに大井川鉄道で電車を改造して作り上げた客車が並んでいる様子が見える。

さて、列車は日本の原風景のような線路を走って行く。

072316000 すれ違う普通電車も、客車よりは相当新しいものの、かつて関西で活躍した特急電車たちばかりで、この電車は近鉄特急16000系。
まるで新性能電車が走り始めた頃の亜幹線を思わせる交換風景。

0723sl 吹き抜ける風はあくまでも心地よく、オハ35のガタガタとした乗り心地も楽しく、トンネルの中では機関車のシンダーとともに、地下水のひんやりした空気も感じることが出来る。

懐かしさ極まるオハ35の乗り心地はまさに自分の越し方を振り返らせ、ふっと感傷的になったりもする。

千頭までの1時間20分はあっという間で、今日一日中、この列車に乗っていたい気持ちを湧かさせる。

だが、時間はない。
千頭で機関車に群がる家族連れを尻目に、僕は客車を見たい。

先ほどの車掌さんに「客車を見に来た」と伝えると「どうぞどうぞ!ご自由にご覧ください」とのこと。
先行したSL列車編成が1本、向かいのホームに停車していて、あちらも7両編成、ということは両方で14両もの客車が生きた状態で僕の目の前にあるのだ。

ただし、車内で係りの人が作業をされていたり、休憩されていたりする車両は遠慮させていただいたい、外部の写真は足元が確保しずらいものや、作業用の機関車などがあるところは避けた。

072335435_2 まずは車内の写真から。
乗車してきたオハ35435だ。
内装はニス塗り、照明は丸型蛍光灯に改造、カーテンは一般的なサランのものだ。

07233522 オハ3522。
内装はニス塗り、照明も同じく丸型蛍光灯。
カーテンがオハ35戦前型オリジナルの緑のビニール製遮光カーテン。
灯火管制に備えたものだったとか。

07234781 オハ4781。
座席は急行仕様の背もたれが2段になったもの・・
国鉄では上下段ははっきりと分割されていたが、こちらでは補修の都合だろうか、座席生地が1枚ものになっている。
それでも、きちんと整備されていることが如何に素晴らしいことか。
内装化粧板は国鉄急行標準の茶系ハードボード、カーテンキセはアルミ製、荷棚受けはメッキされたもの、照明はサークライン2列、床は灰色リノリューム。

072335459 オハ35459。
戦前型だが更新工事がされている。
内装は茶系ハードボード、カーテンキセはアルミ製だが連続タイプ、荷棚受けはメッキされたもの、43系に近いが、座席はオハ35そのもの、照明は20ワットの蛍光灯2列、床は米松そのまま。

072335857 オハ35857。
戦後製の車両だが、内装は余り手を入れられていない。
内装はニス塗り、照明は元の白熱灯の台座を利用しながら20ワット蛍光灯2列にした特殊なもの、荷棚受けは塗装したもの、網棒がニス塗りのまま、カーテンキセは塗装したもの、床は木製。

072335857_2 この車両の天井の様子。
高砂時代には見たことがないタイプだ。

072347380 オハ47380。
上記オハ4721とほとんど同じ仕様。
この車両は関西出身らしい。高砂受け持ちだったようだ。
しかし、僕の持つ客車配置表にオハ46380はあってもオハ47380はない・・
オハ46,47、スハ43の間では結構頻繁に形式の変更があったからだろうか。

072333469 オハフ33469。
これも岡山にいたクルマで、高砂の受け持ちだったクルマ。
内装は徹底的に更新されていて茶系ハードボード、荷棚はスハ43並みのものに変更されている。
カーテンキセはアルミ製、連続タイプだが、こちらは丸みを帯びたもの、照明は20ワット蛍光灯2列、床は米松のまま・・
この改造工事には高砂の匂いが漂う気が・・

072333469_2 この客車の手ブレーキ。
車掌が列車の安全をバックアップできた時代・・鉄道マンがプロフェッショナルだった時代を髣髴とさせてくれる。

0723432 スハフ432。
これも国宝級の車両。
かつての特急「つばめ」「はつかり」急行「銀河」などにも使われた特急用の三等車で、回転クロスシート、窓はアルミ製のもの、カーテンキセはオリジナルの塗装連続タイプ。
僕はこの車両を多度津で撮影している。
座席は向かい合わせで固定されている。
背もたれのテーブルなどが撤去されたのは通勤車両転用の時か。
内装はニス塗りの上から後にペンキ塗装したもの・・優等車両にこういう処理をしたものが多かった。

0723432_2 この車両の洗面所。
優等車両だけにちょっと趣がある。

0723433 スハフ433。
上記と同じ形態の車両だが、国鉄工場の仕業?か・・仕切り板の処理が左右で違う・・
多分、向かって左はオリジナルのままのニス塗り。照明はスハ43一党標準のサークライン2列だが、荷棚はなぜかスハ43より落ちてオハ35タイプのものになっていて、これもたぶん、オリジナルのまま。

072342184 スハフ42184。
内装はオリジナルのニス塗りの上からペンキを塗ったもの、照明、荷棚は他のスハ43、オハ47一党と同じだが、窓がアルミ製に変更されている。
最後は清水港線を走っていた由。

072342304 スハフ42304。
内装関係は標準的な急行仕様、オハ4721などと似ているが、荷棚がオリジナルのもの。

072342304_2 この車両のベンチレータ、国鉄部内では「整風器」と呼んだ。
開閉にはやや力が必要で、車掌が長い棒を持って操作していたのが思い返される。

072342304_3 同じくこの車両の荷棚・・いわゆる網棚である。
オハ35一党とは異なり、通路より前に網棒より前に飾りの太い棒が1本通っている。
急行型客車では更新時に荷棚はビニールでラッピングされた網棒を使うなど、変更されていたはずだが、この車両はなぜか荷棚だけがオリジナルのまま残ったようだ。
荷棚受けも塗装していないタイプ。

0723433_2 次は外観、
スハフ432。
ブルートレイン塗装にしているけれど、できれば元の青一色がいいと思うのは僕だけ?

072342184_2 スハフ42184。
青の急行型客車・・そのもののイメージだ。

072342184_3 そのデッキ部。
なんと風格溢れる入り口だろう・・旅への期待が高まる気がする。

072335435_3 オハ35435・・屋根周りの痛みが進行しているようで、非常に気になる。
なお、大井川鉄道では屋根には電車用のイボリュームを貼り付けていて、これは非常にうまいやり方だと思ったけれども、根本的には屋根を作り直すしかないのでこれら客車が持つ、持たないは屋根の補修にかかっているように思う。

072347380_2 オハ47380。
茶系の43系は珍しい。

072342304_4 スハフ42304。
これも茶系で、もしかすると大井川では客車の塗り替えをするときに茶系に塗りなおしているのかもしれない。

0723c11190sl 千頭に到着した様子のC11190牽引の急行列車。
まるで昭和30年代の地方駅の風情だ。

0723el101 こちらの列車は発車準備がなり、ELが反対側へ回って後部補機になっている。
101号機関車は、その雰囲気は国鉄の旧型電気機関車と似ていて、こうして客車の前に立っても貫禄がある。

0723c108 こちらは全国唯一のC10、これも国宝級の機関車だ。

072342304_5 客車のデッキ、自動ドアではない、走行中、いつでも開閉できる・・
夏は涼しく、それでもスリル満点だった・・

0723slel 到着して次の発車準備中の急行列車とその横の電気機関車・・
現実の鉄道を使って昭和の国鉄を、あるいは昭和の鉄道風景を最大限再現しているのが大井川鉄道であるといえようか・・

07233008 うれしい気持ちを抱えたまま、僕は折り返し電車、京阪3000系に乗車して千頭を後にした。

2011年7月21日 (木)

神戸市営地下鉄西神山手線の34年。

神戸市営地下鉄の開業は比較的最近だと思っているけれども、よくよく考えると昭和52年の開業だからすでに34年の月日が流れていることになる。

僕にとっては実は自宅の一番近くの鉄道・・
それより近い位置に山陽新幹線が通っているが、これはただ通過しているだけで乗るには遠く新神戸か西明石へ出る必要があるから、実際に乗車できる鉄道では神戸市営地下鉄西神山手線が最も近いということになる。

さて、その神戸市営地下鉄は市電廃止直後に建設工事が始まったが、最初は旧市街地の市電代替路線ではなかった。
開業したのは西神線、新長田と名谷の間で、市電路線と重なったのは南の一駅区間、板宿と新長田の間だけだ。
開業日は昭和52年3月13日で、これは6年前に市電を全廃したその同じ日付だ。

僕は昭和51年に鷹取工場敷地内にあった関西鉄道学園鷹取分所に入っているから、その翌年に開業したわけだ。

鉄道学園からは板宿、新長田とも徒歩圏であり、いわば自分たちのすぐ横で新しい地下鉄が産声を上げたわけだ。

1 その地下鉄の開業日の様子。
名谷駅に入線する祝賀電車。
市電由来とされる緑の濃淡のデザイン、大きな窓だが、市電が好きな僕らには700型のもっと大きな窓、シックな緑色ととても似ているとは思えなかった。

写真のバックはまだ造成地そのもので、今のようなニュータウン、ショッピングセンターなど想像も出来ない更地だった。

2 名谷駅舎と祝賀電車。
当時、こんなに立派な駅舎を何に使うのが疑問に感じたものだが、今となってはこれでも手狭に感じる。
余談だがカラーネガフィルムは30年を経過するとメーカーによりその保存性に大きな違いが出てしまう。
このフィルムは愛用のK社のものではなかったがためか・・褪色が激しい。

さて、その後、市営地下鉄は順調に路線を延ばす。
昭和58年6月17日には山手線、新長田から大倉山まで。
線名は変わるが、西神線と一体運行される。
これでようやく市電の基幹路線だった上沢線の代替路線が出来たわけだ。

昭和60年6月18日、西神延伸線、名谷・学園都市間、並びに山手線、大倉山・新神戸間が開業。
ようやく神戸の都心、三宮に地下鉄がやってきた。
1104_2 そのときの学園都市の風景。
線路と道路だけであとは何もない。

1606 同じく学園都市駅東方の様子。
今、このバックは熟成された住宅地になっている。

昭和62年3月18日、西神延伸線、学園都市・西神中央間が開業。
2_2 当時の伊川谷付近の様子。
この写真は元はカラーネガだが、余りにも褪色が激しく、色情報を破棄してモノクロにして加工した。
この頃の伊川谷は純然たる田園地帯だ。
横に並行する道路はいまや立体交差の高規格道路に変貌している。

1_2 こちらは西神中央南側の櫨谷付近の様子。
まだ西神南駅は開業する前。
ここも横の道路は立体交差の高規格道路に変貌している。

Photo 開業当時の西神中央駅。
更地に駅だけがある感じだったが、いまや都会の真ん中といった場所だ。

1108 少しだけ今の様子を。
学園都市駅東方の今の様子。
住宅街が出来、道路に車が溢れている。
開業時からの1000系車両にはVVVF制御に改造されたものもある。

2121 こちらはマイナーチェンジが図られた2000系車両。
学園都市駅に入線する様子。

3127 最新の3000系車両。
伊川谷駅に進入・・
神戸市営地下鉄には独特の付番方があって、1101と書けば1000系の西神方1号車。
4桁の数字末尾は車番であると同時に編成番号であり、これは系列が変わっても引き継がれる。
最新の3000系は23から28までの6本でつまり2000系や3000系にはトップナンバーは存在しない。

7155 なお、神戸市営地下鉄は昭和63年4月2日から北神急行と相互乗り入れを実施していて、北神急行7000系も西神中央までの全区間で見ることが出来る。
写真は伊川谷における7155。

しかし、神戸市が基本計画を策定し、阪急が建設にあたった北神急行は経営破たん、さらに神戸市が市電代替路線を遅まきながらに建設した海岸線は予想の半分ほどの乗客しかなく、これもまた大赤字続きのお荷物となっている。

肝心の西神山手線はしっかりと経常利益を出していて、現状は海岸線の赤字を西神山手線の利用者が負担しているといったところだろうか。

なお、神戸市営地下鉄にはいくつかの路線延長計画があり、最も有望なのが阪急神戸線との接続、そして構想段階に終わりそうなのが東播磨方面への延長計画だ。

阪急神戸線とは実は車両の基本寸法が共通であり、内外装の雰囲気も直通を前提としているかのように見える。

名谷駅は退避設備もあって、将来の特急運転も可能だし、今でも名谷以西では最高速度90キロ以上は出している。
(平成5年から震災時まで快速を運転していて、名谷駅での追い越しも実施されたが、所要時間の短縮が少なかったこと、停車駅が少なすぎたことなど苦情があり、結局、震災後の復旧ダイヤから設定されなくなってしまっている)

身近で地味な鉄道だが、どうか、未来の大手を目指して地道な努力を続けていって欲しいと願う。

2011年7月15日 (金)

昭和51年、姫路機関区でのDD54ほか。

関西鉄道学園鷹取分所での生活が始まってまもなく、担任であり国鉄部内ではディーゼルの専門家で通っていた高部先生と話をしていて、僕がDD54をじっくり眺めてみたいと言ったことがきっかけだったと思う。
先生の紹介で姫路機関区を公式に訪問するチャンスが与えられた。
もっとも、課外授業の一環であり、時間帯は先方が指定する時間帯、訪問時の服装は学生服となったけれども、鷹取・高砂工場以外の国鉄現場を見せてもらう非常に良い経験となった。

姫路駅からちょっと距離のある機関区へ歩いていき、まずは区長さんを訪ねて挨拶に伺う。
「DD54が見たいそうですね、ちょうど2両がありますから、安全に十分注意してご自由にご覧ください」
そう気持ち良く言ってもらった様に思う。

DD54はその精密極まりない駆動システムが仇となって、廃車が決まっていた頃だろうか。
鷹取工場では全国で唯一のDD54検査修繕システムを稼働していたけれども、特に複雑きわまるエンジンの解体・修理には随分てこずっていたようだった。

Dd5433 機関区の一番目立つところに停車していたのがDD5433だ。
当時の僕は運転台窓回りをゴム支持とした後期形よりも前期形の方が好きだったからちょっとがっかりしたものだ。
こちらは1エンド側。

Dd5433_2 そして2エンド側。
この機関車はDD54のなかでも調子が良い事で知られ、今も交通科学博物館に当時のままの姿で保存されている。
保守整備に手を焼いた国労から「欠陥機関車」として残すように言われたそうだが、事実はどうだろう・・
非常に鉄道趣味人が多かった国鉄部内でそういう屁理屈をつけて残された貴重な1台ともいえるかもしれない。

Dd5411 やや離れたところにDE10とともに停車していたのがDD5411。
個人的にはメタルサッシのこの前期形が好きで、この機関車が来てくれたことは非常にうれしかった。

マイバッハのエンジンを搭載した意欲的な設計で、亜幹線での輸送力増強に多大な期待がかけられた機関車だったが、設計に詰めの甘さ、日本人には適していなかったかもしれない非常に複雑な構造が災いして早くに姿を消すことになった。
いわば国鉄の無駄遣いの象徴である。

ただし、当時の国鉄労使の関係悪化がその背景にあると指摘されているとおり、鷹取工場では内燃機職場・機関車職場を中心として手間取りながらもその保守に誇りを持っていたように思うが日常の点検整備を行う機関区にとってはとても維持できないと組合側に判断されていたようだ。

De101065 さて、ついでに撮影したDE101065だ。
隣に並ぶのは1063で、これらは当時の最新鋭機関車だった。
DD51と同じエンジンを1基搭載して、駆動軸を5軸として軸重の軽減を図りながらスーパーチャージャーにより1350馬力を実現するなど、運用の利便性・保守性と高性能を見事にマッチさせた高性能機関車であり、現場でも評判が良かった。
最も最高速度は時速85キロであり、優等列車牽引には向かなかった。

30 高砂工場採用の僕として忘れてならないのが機関区の片隅にあったスエ30。
当時の姫路にはスエ3015が居たので多分これだろうと思う。

17197 もっと片隅にあったのはキハ17だが、事故で大破した哀れな姿。
車番はキハ17197と読める。

鉄道学園に入学してすぐの頃の・・
まだまだ鉄道に希望があると信じて疑わなかった頃の一瞬の思い出である。

2011年7月 7日 (木)

南部縦貫鉄道・十和田観光電鉄

前回エントリーの北海道初訪問の帰路、立ち寄ったのが青森県の4私鉄だ。
よくも一日で4私鉄を回れたものだと、今となっては当時の自分に感心もするが、それだけ駆け足であり、見ておくべきものも見ていないのかもしれない。

Photo まず、野辺地から南部縦貫鉄道。
写真は野辺地駅に停車中のレールバス。

南部縦貫鉄道は遠大な構想の下に地元が出資して建設された鉄道だが、すぐに工事資金に窮し、行き詰ったといわれている。
その後、国策の「むつ製鉄」構想により、建設が再開されたが、結果として国策も頓挫し、この鉄道は開業当初から経営に苦しんだ。
そこで開業時に用意された車両も当時としては非常に小さなレールバス2両で、この2両は最後まで働き、今も現地で動態保存されているという。

Photo_2 レールバス、キハ10形の車内。
国鉄がレールバスと銘打って登場させたキハ01はたぶんに鉄道車両的な空気を醸し出していたけれど、この車両はあくまでもバスである。
レザーのシート、バスそのものの折りたたみのドア、そしてクラッチ・・
今の第三セクター鉄道のレールバスにはない味わいだ。
国鉄からの荷物輸送だろうか・・荷物が無造作にドア付近に積まれている。

七戸までは20キロほども距離があり、途中、西千曳までは国鉄東北本線の旧線を走行していた。

走り出すと猛烈な音と、二軸車独特の揺れとで、ちょうど、別府鉄道の客車と似た雰囲気だったように思う。

Photo_3 七戸駅に到着したレールバス。

レールバスではあるけれど、ワンマン化等は為されていなかった。
昭和54年当時、地方鉄道でワンマン化に熱心だったのは日立電鉄くらいか・・

Photo_4 立派な七戸駅舎とレールバス。
遠大な構想の下に出来た鉄道だけに拠点駅たる七戸は立派なつくりだった。

D451 当時のディーゼル機関車。
DD451だ。
貨物郵送が主目的の鉄道だが、国策企業の頓挫に伴い、肝心の貨物輸送もごく少量だったようだ。

七戸から少し歩いて十和田観光電鉄の路線バスで十和田市を目指した。
当時の時刻表などには掲載されないこのルートを知っていたのは、鉄道雑誌の訪問記などを参考にしたからだろうか。

3401 十和田市から十和田観光電鉄に乗車。
この鉄道では当時最新の電車に乗車したように思う。
3401・・これは十和田市か・・

4406 こちらは三沢に着いてからクハ4406・・同じような外観の車両で、2連を組んでいたがなぜに番号が離れているのか・・

1205 こちらは定山渓鉄道から移籍したクハ1208だ。
前々日に、札幌で定山渓鉄道の路線跡を少し徘徊した
それを思い起こしながら・・しかし、外観が随分汚れている。

1207 そしてモハ1207、三沢駅の十和田市側・・

このあと、すぐに三沢から国鉄に乗車して、青森を経て津軽方面へ向かったのが記憶なのだが、本当にそういう旅程が組めたのか・・
今となっては自分でも呆れる「謎」でもある。