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こう@電車おやじ

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2011年6月

2011年6月29日 (水)

昭和54年9月、札幌の国鉄。

国鉄に入社しても正職員採用となり、精勤乗車証が支給されるまで北海道への旅行はお預けだった。
ようやく、昭和54年秋、3日間の強行日程で北海道訪問を達成。

今回はそのときの札幌周辺での国鉄のスナップだ。

まずは函館本線と千歳線が合流して走る豊平川橋梁から。

Photo キハ80系特急「おおぞら」そのアップだ。;

当時はキハ80はその老朽化への対策が課題になっていた系列だが、考えると北海道投入からこの時期まで18年しか経っていない。
それだけ酷寒の地の自然は過酷だということか・・

8010 食堂車組み込みの堂々10連で去っていく「おおぞら」
昨今の軽薄な印象の特急列車とは、その土台からして違うような気がする。

Photo_2 こちらは「北斗」のアップ。
同じ80系気動車でも関西のものとはその傷み方が違っていた。

高砂工場で日常的に見ている80系気動車との違いに驚いたものだ。しかし、迫力は北海道のものが数段上に見えた。鍛えこまれた迫力とでもいうのだろうか。

781 登場したばかりの781系による「ライラック」

この後に続く新時代の国鉄型電車の嚆矢となったものだ。

Photo_3 「ライラック」を橋梁サイドから。
北の国、新時代の到来を予感させる系列だった。

711 北海道唯一の近郊電車、711系。

車端に寄せた片引き戸、空気バネ台車・・近郊型というけれどもその形態はほとんど急行型だ。

711_2 だからか、711系は最初から急行にも使われた。
「カムイ」札幌と旭川を結んでいた。
車内設備は80系300番台に近く、本来の急行型165系と比してもさほど遜色がなかった。

5640 キハ56系編成に1両だけキハ40を組み込んだ急行列車。
列車はなんだろう・・「狩勝」あたりだろうか・・

22 キハ22だけで編成された普通列車。

5連ともなるとさすがに見ごたえがある。

40 キハ40はじめ、キハ22、キハ27あたりか・・異系列混成で編成された普通列車。

Photo_4 夜の札幌駅で発車を待つ「すずらん」14系客車。
もとは本州で走っていた14系客車だが、高砂工場はじめ各地の工場で客用ドアを引き戸にする改造を受けたものだ。

711_3 夜の札幌駅、711系後期型による普通列車。
千歳線電化開業時に用意されたシリーズ。

外観上は方向幕の新設が目立つ。

Photo_5 札幌を少し離れて、堂々としたキハ56系、長大編成の急行列車、銭函付近にて。
列車は「宗谷」だと思う。

46 最後は夕闇せまる新十津川駅におけるキハ46。
近代化感覚溢れる系列だが、少数派だった。

はじめて見た北海道の鉄道はなんとも言えない凄みを持って迫ってきたものだ。
今思えば、このとき、もう少し国鉄に時間を割いていたら、かなりよい記録が得られたのにと・・これはまぁ小さな後悔でもある。

2011年6月21日 (火)

昭和54年、雨の知立。

雨の日の列車シリーズ、第3回目は名鉄・知立だ。
季節は梅雨の時期というより春雨の季節で、3月の下旬というのが記録になっている。

幾度も触れているけれど、僕はかつての名鉄の車両政策が好きで、そのごく初期に見に行ったものだ。

この日は飯田線南部や豊橋鉄道を訪れたものの、ずっと激しい雨に見舞われていたのが、この知立に来てようやく小降りになり、ここでしばし腰を落ち着けて電車を眺めた。

7000当時の名鉄の主力車両といえばパノラマ7000系列で、その7000系座席指定特急「三河湾」行き先は蒲郡だろうか。

7000_2 続いてパノラマ高速岐阜行きの風景。
7000系2階の運転台に運転士が乗り込むところ。

国鉄だったら、こんな危険に見える乗務は絶対に国労・動労が受け入れなかっただろうなと・・当時ですら思ったことだ。

7000_3 その電車に乗客が乗り込むところ。
こういった上質の車両がごく一般の列車に使われていたことを名鉄はもっと誇っても良いと思う。

7500 7500系高速「岐阜」行きが発車する。

当時の名鉄に「岐阜」という駅はなく「新岐阜」なのはご承知のとおり。

5000 近代化初期の名車、5000系による高速豊川稲荷行き、ただし行き先表示は「豊川」の大書き。
こちらは入線したときの先頭車両。
フロントガラスにピラーが入っている。

5000_2 こちらは同じ列車の後部、5000系の標準の顔立ちだが、行き先表示が「豊川稲荷」となっている。駅名としてはこちらが正確。

5200 5200系による高速岐阜行き。
二段窓に改造直後。

3859 HL3859による普通岡崎行き。
名鉄には「岡崎」駅はなく、「東岡崎」のはず。

3552 AL3552による急行「碧南」行き。
2連、つりかけ、ロングシートの急行が走っていたとは・・今になると驚きである。

2860 HL2860による急行「森上」行き。
碧南と森上の間を結ぶ急行があったということも驚きではある。
急行区間は三河線だけで、本線内は各駅停車だったのだろうかと・・今になると思うのだが・・

27422707 知立駅三河線ホームに並ぶのは2742と2707の普通列車。
吉良吉田行、西中金行き共に・・今は走りたくても走れない。

802 AL802による急行森上行き。
戦前の名車による急行はいかにも誇らしげに見える。これは西へ向かう列車の写真に見えるから、やはり本線を2連のツリカケ急行が走っていたのだろう。

100 そして新時代の息吹を感じさせたのが豊田新線・地下鉄直通用100系暫定運用の急行列車。

この直後に開通した豊田新線は、名鉄の行き先をも変えてしまったように思えてならない。

2011年6月17日 (金)

昭和57年、雨の山陰本線。

雨の列車シリーズ、二つ目は山陰本線、それもキハ82や旧型客車がj活躍していた頃の写真だ。

この年は入梅が遅れ、6月12日になったようだ・・これは僕のアルバムの記録から。
その入梅の日に山陰本線を撮影している。
記憶では日帰りで撮影したことになっているが、ネガではどう考えても二日分の写真が写っている。
6月12日と翌6月13日の様子。

19820612 まずは東浜で。
既出だが「はまかぜ」の正面。
端整な顔立ちという表現がぴったりで、山陰本線に最も似合う特急車両だったと思う。

19820612_2 こちらは「まつかぜ」下り方。
1号か3号か判然としないが、時間的に米子行きの3号だろうか。

19820612_3 おなじ「まつかぜ」上り方。

1982061328 餘部でキハ28、4両の急行末端普通列車か。
この当時、この区間で急行型車両の4両編成は短く感じたものだ。

19820613dd51 餘部橋梁のDD51牽引普通列車。
これぞ、山陰本線のイメージそのものと感じる。

1982061333 その普通列車の客車。
雨に旧型客車はよく似合う。
演歌の世界というのはこういう情景を言うのだろうか。

19820613dd51_2 餘部駅に入線する上り普通列車。
毎日繰り返されたのは、今となっては得がたい絵画のような風景か。

19820613 雨の餘部駅ホームにて、普通列車の発車風景。
万感の思いを込めて。列車は発車する。
ワンマン気動車とは格が違う。

19820613_2 列車の最後尾。
下り方に荷物車が連結されることが多かった。
名残のテールライトが、雨の中に消えていく。

もはや記憶の中にしか存在しない、鉄路の情景である。

2011年6月13日 (月)

昭和53年、雨の広島駅前。

雨の季節、列車の撮影などとも思う。
だが、撮影するには難儀しても雨の日の写真にはそこはかとなく情感のようなものが写りこむような気がする。

今回は昭和53年、広島駅前の様子。

初めて広島へ言ったときに撮影したもので、期待した路面電車都市、広島のその全貌を知るのはまだまだ先のことだ。
このときは松江から「さんべ」で下関へ、そこから153系の快速電車で広島入りしたように記憶している。

広島電鉄の電車たち・・
705 700形705号。
もと京王の23型の台車、機器類を利用して車体を新造した車両、500形がその前身。
戦後、鋼製の車体を新造して700形になったグループ。

756 750形756号。
もと大阪市電の1600形。
大阪市電廃止の際に広島へやってきた大型車両だ。

この電車を始めてみた僕には、この電車が自分と縁の深い大阪生まれであることなど分かるはずもなかった。

575 570形575号。
一目でもと神戸市電だと分かった電車だ。
ただ、神戸ではこの大阪の電車に似た無骨なデザインはあまり好きにはなれなかった。

580 570形580号。
570形は1926年以降に製造された大型車だ。
戦後に更新され、神戸市電廃止直後に広島へやってきた。

580_2 580号俯瞰。

当時の広島駅前の様子が垣間見える。
古い電車だがその寿命は長く、今も1両がほとんど動態保存のような形ではあるが実際の営業運転用として残存している。

1101 1100形1101号。
神戸市交通局が1954年に自社で製造した電車で、紛う事なき神戸・長田の生まれである。
この電車を一目見たとき、神戸の電車が本当に広島で働いているその実感を得たものだ。
正面のおへそライト周りが黄色く菱形に塗られてはいるが、それでもまだまだ、神戸時代の原型がほとんどそのまま残っていた頃の写真でもある。

1105753 1100形1105号、750形753号。
ハノーバーカラーに塗られた電車は1101号と同じ元神戸市電1105号。
横の753号は大阪市電で、神戸と大阪の電車が出会った様子。ハノーバーカラーは悪くはないが神戸市電にはやはり、オリジナルカラーが似合う気がする。

1153 1150形1153号。
昭和29年から30年ごろに流行した和製PCCの生き残りで、神戸市電1150形がその前身。
神戸市電時代に進みすぎた高性能は使い辛く、大阪市電の中古の機器や台車を組み込まれて旧性能に改造され、市電廃止とともに広島へやってきた。
しかし、車体の美しさはまさに神戸市電の完成型といってもよく、実に現在もハノーバーカラーに塗られた1両が現存している。

神戸市電からの移籍車、さらに、大阪、京都、福岡からの移籍車についてもこの後、頻繁に広島を訪問して撮影しているのでいずれきちんと取り上げたいと思う。

ちなみに、神戸市電からの移籍車両は570形を除けば出入り口のスペースが狭く、最新型の多機能料金箱を置くと乗客のスペースが非常に狭くなってしまい、乗降に時間がかかるので保存目的以外の1156号以外は早くその姿を消した。

2501 2500形2501号。
日本の路面電車斜陽の昭和36年に製造された意欲的な電車で、宮島直通用の連接電車。
この当時はクリームとピンクの直通カラーに塗られ、登場17年を経ても最新型として君臨していた。
雨の中にひときわ映えるその明るい色合いが、路面電車ファンとしては意気消沈の時代の唯一の希望に見えたものだ。
この車両は後に3連接に改造されて色合いも緑系の「グリーンライナー」塗装となっていて、今も活躍している。
なお、2500形には大阪市電からの中古車を改造した編成もあったが、これは後日、別の機会に紹介したい。

はじめて見た雨の広島市内電車。

このときは乗車もしなかったように思うが、以後、僕はこの電車を頻繁に訪れるようになり、さらには青春の切ない思い出までもこの町で作ることになる。

その広島の電車との最初の出会いの思い出である。

2011年6月 7日 (火)

三木線・三木鉄道

加古川線の支線だった三木線は国鉄時代には加古川から直通列車も多く、乗客も多かったように思う。
廃線となった加古川線系の支線4線区のうちでも鍛冶屋線と並ぶ活気のあった路線だ。

Photo 昭和53年頃の国鉄三木駅。
重厚で中都市の玄関口にふさわしい外観をしていた。

Photo_2 夏の三木駅のスナップ。
ごく自然に駅が町の中心だったように思う。

23 三木駅に停車するのはキハ23。
北陸からの転属車で加古川線系には珍しい車両でもあった。
これは第三セクター化寸前の様子。

国鉄の民営化を前に第一次廃止対象路線となった三木線は三木市、加古川市とその周辺企業の出資による第三セクターとなって鉄道としては存続することになった。
もっとも、国鉄とつながっていた線路を外し、直通運転はなされず、乗客は減少の一途をたどる。

Photo_3 レールバス時代の三木鉄道。
三木駅に停車中様子。
広い構内が持て余し気味に見える。

Photo_4 石野駅とレールバス、ミキ180形。
クラシックな駅舎とモダンなレールバスが対照的。

Photo_5 国包付近を通過するレールバス。
全体的に平坦な田園地帯を快走する路線だが、加古川市と三木市の境付近にわずかに変化が見られた。

三木鉄道の苦戦はモータリゼーションの影響もあるが、根本的に路線が旅客の動線と反対の方向を向いてしまっているという問題があった。
三木市から神戸へ向かう乗客は神戸電鉄で新開地へ向かう。
ローカル鉄道にとって大事な顧客であるのは高校生だが、三木市と加古川市とでは公立高校の学区が異なり、普通科の生徒はこの鉄道での通学をほとんどしない。

この上、国鉄時代はごく普通に行われていた加古川線との直通運転が打ち切られたのだから乗客は減りこそすれ増えるはずがない。
しかも、神戸への幹線鉄道ともいえる神戸電鉄の駅とは離れていて、徒歩で10分程度は必要だった。

Photo_6 そこで三木鉄道は少しでも乗客を増やそうと新駅を作ることにした。
写真は新駅の工事の様子。

2 高木と西這田だが、どちらがどちらか、今の僕ではちょっと判別がつきかねる。

レールバスから輸送力の大きな最新式の気動車に変更。
ダイヤ改正も行い、大増発とスピードアップ・・

Img014 三木鉄道の経営は積極的だったがその成績は改善されない。
気動車ミキ300時代の写真。

石野付近を快走するミキ300。

Photo_11 そして厄神駅に入線する列車。
折角の大型車両も加古川へ直通できなければ宝の持ち腐れだったかもしれない。

三木鉄道への自治体の負担は増大し、ついに、三木鉄道廃止を公約に掲げた市長が当選。
三木鉄道は廃止への道を進むことになった。

幸い、3両の最新式車両はそれぞれ嫁ぎ先が決まり、線路に沿った道路には神姫バスによる代替バスが走り始めた。

ただ、こういうローカル線代替バスは、バス転換後に急速に乗客を減らすのが通例であり、現状の路線バスも危うい状況ではある。
神姫バスはその危険性を知っていて、バス路線を神戸電鉄恵比須まで延長し、増発もしているが乗客が鉄道時代より増えたという話は聞かない。

Photo_8 さて、現在の廃止区間の様子を少し。

ほとんどの軌道などは撤去されているが、石野駅などはそのまま残っている。
写真は今の石野駅。

Photo_9 石野駅のホームに立ってみたところ。
線路も残り、今にも列車がやってきそうだ。

Photo_10 こちらは三木駅。
駅舎の位置は変更され、いったん解体して建て直されただけに、かつての駅舎の老朽ぶりは感じられない。
今はこの駅前ロータリーに路線バスが発着している。

播州地方ではローカル鉄道は生き辛い。
別府鉄道、高砂線、鍛冶屋線、飾磨港支線・・
古くは戦前に消えた播電電鉄というものもある・・

三木線が廃止された今、残る北条線、加古川線、そして、まさか廃止論議など出るはずもないと思われていた神戸電鉄粟生線など・・
どうか、どうか生き残って欲しいと願うのみだ。