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2011年5月26日 (木)

名鉄・気動車の時代。

かつて名古屋の大手私鉄、名古屋鉄道にも気動車があったことは鉄道ファンの読者の皆様なら十分承知しておられることだろう。

もちろん、戦前のガソリンカーやその前の時代の蒸気動車のことではなく、平成、あるいは昭和の末のことだ。

国鉄高山線、さらにその先、富山地方鉄道に乗り入れて立山や宇奈月まで走った名車、キハ8000がその嚆矢である。
8000 初めての電車旅行で向かった名古屋・・
それは昭和51年の春・・
新名古屋駅手前の駐車場の警備員さんにお願いして入らせてもらったときの1枚。

「急行・北アルプス」だ。

よくも折りよくこの列車が来たものと、今では驚きもするが、当時、まともに時刻表などで調べることのなかった僕には、淡々と通り過ぎる見たことのない優等列車だった。

この列車は、登場当時は準急「たかやま」で、その後に準急の急行格上げに伴い急行「たかやま」となった。
さらに富山へ乗り入れることになり急行「北アルプス」を名乗った次第だ。
こういう道・・準急から急行への道をたどった列車は数多いが、この列車はさらに一味違う。

なんと、車両はそのままで特急列車に格上げとなり、通常とは逆のコース・・特急列車からの格下げは良くあるが・・をたどった稀有な列車、稀有な車両でもある。
しかし、外観は特急列車としてみても遜色がないが、足回りはキハ28系列と同等の車両だった。

なお国鉄では他に準急→特急への出世をした157系電車があった。

8000_2 キハ8000の特急時代の写真。
特急に格上げされたとはいえ、当初存在していた1等、後のグリーン車は普通車に格下げ改造されていた。

この時代に一度だけ富山から新名古屋まで乗車したことがある。
特急にしては転換クロスの座席はやや粗末に感じたけれども、窓やカーテン、室内造作などに名鉄の個性が強く感じられ、明るく、非常に快適な時間を過ごしたことだ。

転換クロスではあるが、当時、国鉄の高山線特急はキハ80による回転クロスでリクライニング機構はなかったから、「ひだ」と比べる限り、見劣りはあまりしなかった。
82 その「ひだ」の倶利伽羅峠での一枚である。
軽快な名鉄に対し、いかにも国鉄らしい重厚さが感じられるのが面白い。

さて、名鉄は特急車両のデラックス化を推し進め、「北アルプス」の車両も変更されることになった。
平成の世に登場した新型気動車は落ち着いた外観で、JR東海の誇るキハ85と併結運転まで行い、その高性能振りを発揮した。

8800登場当時の犬山橋におけるキハ8500である。

窓周りはパノラマデラックスやパノラマスーパーと同じイメージで、上質な特急車両という雰囲気だ。
足回りはキハ85と共通である。

私鉄が国鉄・JRへ乗り入れる車両としては非常にデラックスで、同じ大手私鉄の南海が紀勢線乗り入れに使ったキハ5501を思うとそのイメージの違いに愕然とする。

そういえば現代の第三セクター私鉄からJRに乗り入れる特急車両はいずれも劣らずデラックスで、高性能だ。
智頭急行HPT7000系然り、北近畿タンゴ鉄道「タンゴディスカバリー」「タンゴエクスプローラー」然りだ。

5500 南海、あるいは島原鉄道が国鉄への直通急行を廃止したあとも、名鉄の高性能気動車によるJR乗り入れは続けられる・・

8800_2 同じ時期、名鉄に導入されたデラックス電車、8800系電車もこの気動車と同じ雰囲気を醸し出しているようだ。

さて、名鉄は特急列車の営業政策を全面的に変更。
乗客がJRの「ワイドビューひだ」や高速バスに転移している「北アルプス」は廃止されてしまう。

以後、この車両は会津鉄道に譲渡されしばらく活躍を続けるもついにお役御免となってしまう。

10 名鉄特急の一群を気動車が占めていた頃、名鉄ローカル線の一部で軽快なレールバスが活躍していた。
写真は八百津線のキハ10だ。このローカル線も廃止され、ある程度の乗客があったはずの岐阜地区の路面電車も消え去った。
600 帯があった時代のモ600。
初めて名古屋に行ったときに名鉄で最初に見た車両でもある。

ずっと以前に「嗚呼名鉄SR系」という一文をエントリーしている。
名鉄はいろいろな列車、車両が存在していた頃のほうが今よりはるかに魅力的で、それだけ一般乗客からの受けも良かったように感じられてならない。
これは名鉄だけでなく、名鉄と似た特急政策を実施する南海にも言えることではあるのだけれど・・

3400 最後に流線型3400系電車の姿など・・

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コメント

このレールバスは今、近江鉄道で保存されていますね。
全線電化されていた近江鉄道で一時的にせよ何故DCを導入したのか疑問ですが・・・。
でも近江鉄道は古い車両をすぐに解体するのではなくて、大切に保存していこうという愛情が感じられます。

会津鉄道の場合はこの優秀な気動車をどうされたのでしょうかねぇ?車齢からしてまだまだ活躍出来るはずだと思います。

こう様、こんばんは。

私の場合は結局、名鉄が保有していた気動車は八百津線でのレールバスが唯一の乗車記録です。
「北アルプス」に使用されていたキハ8000やキハ8500に至っては実車を見ることがありませんでしたね。

名鉄はフリー切符を駆使して全線乗車を果たしましたが、一般車にもクロスシートが多いのが私にとっての魅力の一つでした。
この他にも街中では姿を消してしまったと思っていた「電鐘式」の踏切警報機が数多く残っていたのも発見の一つでした。

此処に限らず非電化の私鉄は数少ないのが現状ですが、それぞれに個性があり魅力がありますね。
「南部縦貫鉄道」のレールバスは最も印象に残っています。

私はキハ8000系にしか縁がありませんでした。昭和50年頃に北陸地方を訪れた帰路に富山から鵜沼迄、「北アルプス」に乗って来ました。学生の貧乏旅行ゆえ、国鉄区間のみの利用でした。SSE車「あさぎり」の小田急区間のみの逆です。

8000系が登場した頃は国鉄もまだ1・2等級制で、南海や富士急との違いはキロ8100と云う1等車を揃えていた点が特徴的でした。やはり併結でなく一列車丸ごとを太平洋側から日本海へと乗り入れるスケール感が溢れていました。
名鉄には一等旅客運賃の設定がなく、名鉄区間に限れば一等準急料金220円(20円は通行税、二等は100円)だけを払えば二等運賃で一等車に乗れたんですね。
やがてキハに改装されてモノクラスとなり、後継車では乗り入れ区間併結運行、そして乗入廃止と尻すぼみ、戦前の国鉄客車での名鉄直通時代を含めて、名鉄のみならず私鉄からの国鉄乗入れ列車の華を為した車輌であり列車であったと云えるでしょう。
尚、8500系は、性能的には浅草~会津若松直通として東武で活かせなかった点が惜しく思えます。

紀州さん>

近江鉄道のものは近江鉄道で発注された新車だったと思います。
名鉄のレールバスはくりはら田園鉄道へ譲渡されましたが、そちらの路線も廃止されてしまいましたね。
車両は現地で保存されているようです。

泉州人さん>

名鉄名古屋本線にも気動車の全車座席指定特急が走っていました。
車内設備が良好で好評だったようですが、新名古屋駅の換気設備が気動車に対応していないような印象を受けました。

かつての名鉄は大半の車両がクロスシートでしたね。
今の名鉄にもそれなりにクロスシートはありますが、やはりちょっと趣味的な面白さからは遠ざかったように思います。

あづまもぐらさん>

拙写真の最初のものはこれはかつての1等ですね。
国鉄の学園時代、講師から知っている限りの気動車や機関車の形式を答えよという課題が出てわざと「キハ8000、キロ8100」などと書いて、講師に「何を書いているんや」と苦笑されたことがあります。

キハ8500が東武線でその高性能を生かせなかったのはなぜだろうかと・・
考えてしまいます。
もし、気は8500による直通運転が実施されていれば今回の震災後に最も早く、東北への直通特急が走れたのに・・と思うのです。

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