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2011年5月18日 (水)

加古川駅

加古川駅を思い浮かべるとそこはまさに僕にとっての心の故郷の玄関口。
僕は神戸生まれ、大阪で小学校時代を過ごしたから、加古川は僕にとって決して故郷ではない筈なのだが、それでも、少年期の今で思えば多感な時期にを過ごしたその場所が加古川だということは僕にとって悪くないことだったかもしれない。

僕は神戸の下町、湊川の生まれで、神戸の小学校には一月通っただけで、あとは大阪の港区と泉大津市の小学校に通っている。
都会生まれ、その中で引越しを重ねた僕には故郷というものが存在しないが、敢えて故郷と思われる土地をあげるなら、それこそまさに加古川になるだろう。

肥沃な播州平野の只中にあって田園が広がり、遠くにさほど高くない小山が点在する加古川の景色は今も僕を和ませてくれる。

さて、地元だった宝殿駅については以前に取り上げているのでそちらをご覧いただきたい。
今回は加古川の玄関口として今も昔と変わらず君臨する加古川駅だ。

Photo まずは加古川駅の正面。
撮影は昭和51年ごろだろうか。
薄いピンクに塗られた駅舎は、かつての西成線(現桜島線)・桜島駅から移設したもので、2代目だとのこと。

山陽本線の重要駅で急行が停車する駅であることに申し分ない風格を備えていた。

Photo_2 加古川駅を斜めから見た様子。
正面玄関左に自動券売機、中に入って左に窓口があった。

宝殿とは違い、列車ごとの改札は行わず、改札口はいつもフリーで、駅員が常駐していた。
停車列車の本数も多く、加古川線、高砂線も発車する駅であり、列車ごとの改札など出来る状況ではなかったのだろう。

加古川駅には跨線橋が東西二つあり、ひとつは多分、開業時からの古いもの、もう一つが比較的新しいものだった。
その新しい跨線橋から見た様子。
Photo_3 まずは中線に貨物列車が停車している夕方のラッシュ時。

左が加古川線、右が山陽本線上りホーム。
多くの乗客がどちらのホームにも居て、当時も加古川駅がいつも混雑していた様子が伺える。

Photo_4 上り急行列車が入ってくる。
列車は「みささ・みまさか」あたりではないだろうか。
バックには播州平野に屹立する高御位山が見える。

153 加古川線ホームで最後尾にキハユニ153を連結した編成が停車しているところ。
加古川線も当時は非常に乗客が多く、3連、4連は当たり前で、6連なんていう列車もあった。

Ef58835 上りホームに入線するのはEF58牽引の急行列車。
「阿蘇」だろうか・・
時刻は8時35分である。

Ef5843 上りホームのEF5843。
上記列車とは別の日に撮影。

583 583系の「彗星」が通過していく。
今に至るまで加古川駅は正式な特急停車駅ではない。

153_2 153系、低窓のクハが先頭の新快速。
クハ165も良いが、初期のクハ153も捨てがたい。

20 加古川線ホームのキハ20。
僕が国鉄が生み出した傑作のひとつだと信じて止まない気動車だが、加古川線ではキハ35あたりと組んでいることが多かった。

Photo_5 加古川市は駅前を再開発し、大手百貨店「そごう」を誘致。
その初日に撮影したのがこの夜景の写真。
美しい木造駅舎はライトアップされていた。

Photo_6 その駅舎の近景。
基本的に上記の昭和50年ごろと変わっていないけれども、それでも時代に合わせた近代化もなされていた頃。

急行停車駅として、しかも、規模の大きな支線の始発駅として、独特の風格を持っていた駅が加古川駅だった。
待合室の混然とした雰囲気、狭いホームに溢れそうな多くの乗客、そして優等列車が到着したときのなんとも言えない煩雑さ・・
加古川駅は良くも悪くも国鉄を感じさせる、大阪管内では最後の駅だったのかもしれない。

高架工事でこの愛すべき駅舎は大きく変貌した。
それ以前に「そごう」が経営破たんし、駅前の百貨店が地元の「ヤマトヤシキ」となったことも、なんだか最初から組まれていた芝居のような気がするのだから不思議だ。
そういえば、昭和50年当時、駅前にあった「ヤマトヤシキ」の支店は不思議な形状の建物で、加古川の一種独特の雰囲気を支えていたような気がする。

Photo_7 現在の加古川駅。
その外観である。
デザイン的な工夫は感じられるし、利用するには非常に便利な形をしているが、加古川駅独特の個性というものはほとんど得られない。

221125 加古川駅のホーム。
加古川線125系電車と山陽本線快速221系の出会い。

223103 同じく、加古川線103系のラッピング電車と山陽本線223系の出会い。

Photo_8 夜の加古川駅に停車しているのは181系気動車最後の特急運用。
「カニかにはまかぜ」だ。

加古川駅を思うと、不思議に青春が蘇る気がする。
それは決して良い思い出ばかりではなく、苦渋に満ちた、あるいは世間の冷たさや、逆の温かさを知ったその青春が蘇るということだ。

僕にとって加古川はやはり心の故郷なのだろうか。

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加古川駅を参照しているブログ:

コメント

こうさん。こんばんわ。

加古川。僕は今でも西隣の市の山電沿線の住人なのですが。ここら辺りの、わさわさしているようで、実は時間はホワーンと進んでいるような、なんともいえない間合いが大好きです。で、加古川駅。地平時代、にぎやかでしたね。4,5番線の想い出がほとんどですが。4、5番線に向かうとき、加古川線系統の簡単なイラスト入りの沿線案内看板がありましたよねえ?跨線橋のはじっこに。
そして、踏み切りと、構内配置の関係で、上りの貨物列車が待避するとき機関車がホームからよく見えましたね?発車のときのうなり、や、引き出し時の、連結器の伸びる連続音など、なんとなく、鮮明に?憶えています。カマは、ひとつ目玉のEF60でした、たしか?
やはり、加古川。不思議な魅力があります。

読者の方からご指摘をいただき、2代目加古川駅舎を「桜島駅」からの移築であると訂正しました。
ありがとうございました。

謹んでお詫びいたします。

丘オフローダーさん>

加古川線の沿線案内、ありましたね。
それと加古川線ホームでだけ蕎麦も食べられたし・・

貨物列車が退避したり、高砂線からの貨車を連結したりするときに加古川駅で長時間停車していましたね。
懐かしい思い出です。

管理人さんこんばんは。

加古川駅は私にとっても思い出深いものがあります。
駅南の東にオースケというラーメン屋がありましたね。、駅前通りのうどん屋『かさよし』はいまでも時々立ち寄ります。もちろん、『しのだうどん』を注文します。息子はカレーうどんですが。更に私の写真の知識を増してくれたのは、今はなき『コヤマカメラ』でした。駅前の書店『詳文館』や子供の頃連れて行ってもらった『カノコ』のカツメシ。いやぁ懐かしの加古川駅です。

「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」の最新記事は加古川駅です。1950年から1999年までの配線図と写真です
http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-9aa5.html

ばんちゃんさん>

翁助でしたか・・タクシー乗り場の横でしたね。
あっさりしたラーメンが美味しかったように思います。

このお店はまた加古川駅前で復活しているようです。
一度覗いてみたいと思っています。

かさよし・・このお店は今もありますね。
コヤマカメラ・・兵庫県でチェーン展開していた有名店でしたが第一号店が加古川店でした。

本屋さんは今もありますね。
百貨店と同じビルに入っていますが・・

カノコは僕が始めて加古川に来たとき、父親に連れられて入ったお店でした。
ポタージュスープが美味しかったです。

本当に懐かしいですね。

sinarsinarさん>

教えていただき、ありがとうございます。
かつては本当に大きな駅でしたね。

 大分お久し振りですが、菊池正人です。
 ちょっと色々ありまして、かなりのご無沙汰になりました。
 これからもたま…になると思いますが、少しづつコメントかければなあと思います。
 なお、私自身一昨年より乗り物全般に関するブログを始めていますので、よろしければご覧下さい。

 加古川駅は…、一昨年の暮れに来た事があります。
 と言っても加古川線への乗換えだけで終わっているのですが。
 帰り道神戸に行こうとしたら、敦賀行の新快速が、大垣行の快速を追い抜こうとしていたのを見てなんとなく愉快になりました。

 ところで、まだ構想の段階のようですが、加古川市はいずれ姫路市に合併、姫路市は同時に政令指定都市に移行するのだそうです。
 相生市あたりまで姫路市になるそうですが、何だかピンと来ない話ですね。
(ちなみにこれが実現すると、姫路市は市町村レベルの自治体では初めて、新幹線の駅が2つある市になります)

菊池正人さん>


実は姫路市から高砂市に対して合併の申し入れがあったようですが、高砂市民の抵抗が大きく頓挫しています。
それよりは加古川、高砂、加古郡による「東播市」構想のほうが現実的でしょうね。

というのは、播州地方において西部と東部とでは相当に住民の気質が異なり、反発も大きなものがあります。
姫路が中心になった合併というのは、これは難しいのではないかと見ています。

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