フォトアルバム

プロフィール

フォトアルバム

こう@電車おやじ

小説サイトSTORY http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/ 鉄道掲示板 http://6551.teacup.com/kouzou/bbs プロhttp://pr.cgiboy.com/02653710/フィール

« 2011年4月 | メイン | 2011年6月 »

2011年5月

2011年5月26日 (木)

名鉄・気動車の時代。

かつて名古屋の大手私鉄、名古屋鉄道にも気動車があったことは鉄道ファンの読者の皆様なら十分承知しておられることだろう。

もちろん、戦前のガソリンカーやその前の時代の蒸気動車のことではなく、平成、あるいは昭和の末のことだ。

国鉄高山線、さらにその先、富山地方鉄道に乗り入れて立山や宇奈月まで走った名車、キハ8000がその嚆矢である。
8000 初めての電車旅行で向かった名古屋・・
それは昭和51年の春・・
新名古屋駅手前の駐車場の警備員さんにお願いして入らせてもらったときの1枚。

「急行・北アルプス」だ。

よくも折りよくこの列車が来たものと、今では驚きもするが、当時、まともに時刻表などで調べることのなかった僕には、淡々と通り過ぎる見たことのない優等列車だった。

この列車は、登場当時は準急「たかやま」で、その後に準急の急行格上げに伴い急行「たかやま」となった。
さらに富山へ乗り入れることになり急行「北アルプス」を名乗った次第だ。
こういう道・・準急から急行への道をたどった列車は数多いが、この列車はさらに一味違う。

なんと、車両はそのままで特急列車に格上げとなり、通常とは逆のコース・・特急列車からの格下げは良くあるが・・をたどった稀有な列車、稀有な車両でもある。
しかし、外観は特急列車としてみても遜色がないが、足回りはキハ28系列と同等の車両だった。

なお国鉄では他に準急→特急への出世をした157系電車があった。

8000_2 キハ8000の特急時代の写真。
特急に格上げされたとはいえ、当初存在していた1等、後のグリーン車は普通車に格下げ改造されていた。

この時代に一度だけ富山から新名古屋まで乗車したことがある。
特急にしては転換クロスの座席はやや粗末に感じたけれども、窓やカーテン、室内造作などに名鉄の個性が強く感じられ、明るく、非常に快適な時間を過ごしたことだ。

転換クロスではあるが、当時、国鉄の高山線特急はキハ80による回転クロスでリクライニング機構はなかったから、「ひだ」と比べる限り、見劣りはあまりしなかった。
82 その「ひだ」の倶利伽羅峠での一枚である。
軽快な名鉄に対し、いかにも国鉄らしい重厚さが感じられるのが面白い。

さて、名鉄は特急車両のデラックス化を推し進め、「北アルプス」の車両も変更されることになった。
平成の世に登場した新型気動車は落ち着いた外観で、JR東海の誇るキハ85と併結運転まで行い、その高性能振りを発揮した。

8800登場当時の犬山橋におけるキハ8500である。

窓周りはパノラマデラックスやパノラマスーパーと同じイメージで、上質な特急車両という雰囲気だ。
足回りはキハ85と共通である。

私鉄が国鉄・JRへ乗り入れる車両としては非常にデラックスで、同じ大手私鉄の南海が紀勢線乗り入れに使ったキハ5501を思うとそのイメージの違いに愕然とする。

そういえば現代の第三セクター私鉄からJRに乗り入れる特急車両はいずれも劣らずデラックスで、高性能だ。
智頭急行HPT7000系然り、北近畿タンゴ鉄道「タンゴディスカバリー」「タンゴエクスプローラー」然りだ。

5500 南海、あるいは島原鉄道が国鉄への直通急行を廃止したあとも、名鉄の高性能気動車によるJR乗り入れは続けられる・・

8800_2 同じ時期、名鉄に導入されたデラックス電車、8800系電車もこの気動車と同じ雰囲気を醸し出しているようだ。

さて、名鉄は特急列車の営業政策を全面的に変更。
乗客がJRの「ワイドビューひだ」や高速バスに転移している「北アルプス」は廃止されてしまう。

以後、この車両は会津鉄道に譲渡されしばらく活躍を続けるもついにお役御免となってしまう。

10 名鉄特急の一群を気動車が占めていた頃、名鉄ローカル線の一部で軽快なレールバスが活躍していた。
写真は八百津線のキハ10だ。このローカル線も廃止され、ある程度の乗客があったはずの岐阜地区の路面電車も消え去った。
600 帯があった時代のモ600。
初めて名古屋に行ったときに名鉄で最初に見た車両でもある。

ずっと以前に「嗚呼名鉄SR系」という一文をエントリーしている。
名鉄はいろいろな列車、車両が存在していた頃のほうが今よりはるかに魅力的で、それだけ一般乗客からの受けも良かったように感じられてならない。
これは名鉄だけでなく、名鉄と似た特急政策を実施する南海にも言えることではあるのだけれど・・

3400 最後に流線型3400系電車の姿など・・

2011年5月18日 (水)

加古川駅

加古川駅を思い浮かべるとそこはまさに僕にとっての心の故郷の玄関口。
僕は神戸生まれ、大阪で小学校時代を過ごしたから、加古川は僕にとって決して故郷ではない筈なのだが、それでも、少年期の今で思えば多感な時期にを過ごしたその場所が加古川だということは僕にとって悪くないことだったかもしれない。

僕は神戸の下町、湊川の生まれで、神戸の小学校には一月通っただけで、あとは大阪の港区と泉大津市の小学校に通っている。
都会生まれ、その中で引越しを重ねた僕には故郷というものが存在しないが、敢えて故郷と思われる土地をあげるなら、それこそまさに加古川になるだろう。

肥沃な播州平野の只中にあって田園が広がり、遠くにさほど高くない小山が点在する加古川の景色は今も僕を和ませてくれる。

さて、地元だった宝殿駅については以前に取り上げているのでそちらをご覧いただきたい。
今回は加古川の玄関口として今も昔と変わらず君臨する加古川駅だ。

Photo まずは加古川駅の正面。
撮影は昭和51年ごろだろうか。
薄いピンクに塗られた駅舎は、かつての西成線(現桜島線)・桜島駅から移設したもので、2代目だとのこと。

山陽本線の重要駅で急行が停車する駅であることに申し分ない風格を備えていた。

Photo_2 加古川駅を斜めから見た様子。
正面玄関左に自動券売機、中に入って左に窓口があった。

宝殿とは違い、列車ごとの改札は行わず、改札口はいつもフリーで、駅員が常駐していた。
停車列車の本数も多く、加古川線、高砂線も発車する駅であり、列車ごとの改札など出来る状況ではなかったのだろう。

加古川駅には跨線橋が東西二つあり、ひとつは多分、開業時からの古いもの、もう一つが比較的新しいものだった。
その新しい跨線橋から見た様子。
Photo_3 まずは中線に貨物列車が停車している夕方のラッシュ時。

左が加古川線、右が山陽本線上りホーム。
多くの乗客がどちらのホームにも居て、当時も加古川駅がいつも混雑していた様子が伺える。

Photo_4 上り急行列車が入ってくる。
列車は「みささ・みまさか」あたりではないだろうか。
バックには播州平野に屹立する高御位山が見える。

153 加古川線ホームで最後尾にキハユニ153を連結した編成が停車しているところ。
加古川線も当時は非常に乗客が多く、3連、4連は当たり前で、6連なんていう列車もあった。

Ef58835 上りホームに入線するのはEF58牽引の急行列車。
「阿蘇」だろうか・・
時刻は8時35分である。

Ef5843 上りホームのEF5843。
上記列車とは別の日に撮影。

583 583系の「彗星」が通過していく。
今に至るまで加古川駅は正式な特急停車駅ではない。

153_2 153系、低窓のクハが先頭の新快速。
クハ165も良いが、初期のクハ153も捨てがたい。

20 加古川線ホームのキハ20。
僕が国鉄が生み出した傑作のひとつだと信じて止まない気動車だが、加古川線ではキハ35あたりと組んでいることが多かった。

Photo_5 加古川市は駅前を再開発し、大手百貨店「そごう」を誘致。
その初日に撮影したのがこの夜景の写真。
美しい木造駅舎はライトアップされていた。

Photo_6 その駅舎の近景。
基本的に上記の昭和50年ごろと変わっていないけれども、それでも時代に合わせた近代化もなされていた頃。

急行停車駅として、しかも、規模の大きな支線の始発駅として、独特の風格を持っていた駅が加古川駅だった。
待合室の混然とした雰囲気、狭いホームに溢れそうな多くの乗客、そして優等列車が到着したときのなんとも言えない煩雑さ・・
加古川駅は良くも悪くも国鉄を感じさせる、大阪管内では最後の駅だったのかもしれない。

高架工事でこの愛すべき駅舎は大きく変貌した。
それ以前に「そごう」が経営破たんし、駅前の百貨店が地元の「ヤマトヤシキ」となったことも、なんだか最初から組まれていた芝居のような気がするのだから不思議だ。
そういえば、昭和50年当時、駅前にあった「ヤマトヤシキ」の支店は不思議な形状の建物で、加古川の一種独特の雰囲気を支えていたような気がする。

Photo_7 現在の加古川駅。
その外観である。
デザイン的な工夫は感じられるし、利用するには非常に便利な形をしているが、加古川駅独特の個性というものはほとんど得られない。

221125 加古川駅のホーム。
加古川線125系電車と山陽本線快速221系の出会い。

223103 同じく、加古川線103系のラッピング電車と山陽本線223系の出会い。

Photo_8 夜の加古川駅に停車しているのは181系気動車最後の特急運用。
「カニかにはまかぜ」だ。

加古川駅を思うと、不思議に青春が蘇る気がする。
それは決して良い思い出ばかりではなく、苦渋に満ちた、あるいは世間の冷たさや、逆の温かさを知ったその青春が蘇るということだ。

僕にとって加古川はやはり心の故郷なのだろうか。

2011年5月 8日 (日)

阪急今津線西宮北口~宝塚間(映画・阪急電車公開によせて)

先日、家族で映画「阪急電車」を鑑賞した。
くどくど説明するまでもなく、詳細は映画ドットコムで見ていただくとして、素直でよい映画だった。

というか、このごろ年の故か涙もろくなっている僕の本領発揮というような作品だった・・つまり、ぼろぼろになってしまった。

鉄道をモチーフにした映画作品としては古くは渥美清の「喜劇・急行列車」や森繁久弥の「喜劇・各駅停車」などが有名だし、高倉健の「鉄道員(ぽっぽや)」も記憶に新しい。
昨年夏には中井貴一主演で「RAILWAYS・・49歳で電車の運転士になった男の物語」が公開され、これは僕にとって実に20年ぶりに映画館に足を運んだ作品となった。
鉄道を舞台にするということは、これまでは基本的に男性が主人公であり、朴訥で純情な男の物語という方向性になってしまうように思うが、こと「阪急電車・・片道15分の奇跡」に関しては登場人物の大半が女性で、主役級では男性はただ一人だけ、5人の女性の不思議な縁のようなものを感じさせる仕上がりになっている。


YouTube: 映画阪急電車予告

この鉄道をモチーフにしながら女性が主人公であることに何の不思議も違和感も感じず、素直に観客がそれを受け入れてしまうあたり、監督の力量ももちろんそうだが、そこに阪急電車の独特の個性を感じてしまうのだ。

さて、作品の舞台になった阪急今津線、今津線は本来は阪神電車と接続する今津と阪急宝塚線と接続する宝塚の間の路線名称だが、今や西宮北口駅改修工事の結果、路線は分断され西宮北口以南は「今津南線」と呼ばれ、今津に行かないのに北側を今津線と呼ぶことが多い。
映画「阪急電車」の中でも、今津線は北側しか紹介がなされていないのだが、これは今現在の感覚からすると普通のことかもしれない。

ちなみに、今津線は開業当初は西宝線と呼ばれていて、今の実態はこれに近いけれど、なんとなく「今津線」のほうが親しみがあるような気がする。

さて今津線の昭和54年55年頃の写真だ。

8046000 宝塚に停車するのは今津行き804で、隣に登場したばかりの6000系トップナンバーが並ぶ。
駅の雰囲気はまったく現在と違い、開放的な明るい駅だった。
800系は戦前戦後の名車920系の流れを汲むもので、元は神戸線用の大出力形。
今津線は今に至るまで神戸・宝塚線を追われた電車たちの第二の活躍場所ではある。

817 宝塚南口に進入するのは810系817ほか。
810系は前述800系を大型化した系列で、後に3ドア化された。
阪急の車両は古くても整備が行き届き、旧型車ゆえの嫌悪感を催すことなどまったくなかった。

Photo 宝塚南口に停車する810系863。
戦前からの阪急スタイルを崩すことなく大型化して時代の流れに沿っていく。
頑なに自らのスタイルを守るのが今も昔も阪急流。
しかも更新修繕でも大きくイメージを損なうことのないように時代に合わせていく手腕は見事というほかない。

宝塚と宝塚南口の間には武庫川橋梁があり、北側に宝塚大劇場、南側に宝塚ホテルがあって独特の雰囲気を醸し出している。
1020 武庫川橋梁では1000系列の写真を。
まずは1010系1020の編成。
1010系は阪急最初の高性能車1000系を量産化した車両で、当初は2ドアだった。

1112 1100系1112。
1100系は神戸線1010系の宝塚線バージョン。
1010系が当初オールMだったのに対し、MT編成でつくられた。
1000系列の車内は旧型車の職人技をそのまま受け継いだような重厚なもので、全金属製とは思えない暖かさに満ちていた。 このあたり、明るい色調のアルミデコラを使うのが当たり前だった他社と阪急とでは明らかに異なると思う。

1206 1200系1205。
1200系は旧型車の部品を集め、これに新型の車体を載せた車両だが、モーター出力は920系と同じく150kWという強力なものだった。

1252 1200系1252。
上記編成の反対側Tcだろうか・・
阪急の高性能軽量化初期車両は一種独特の雰囲気・・
それは今に通じるクラシックモダンというコンセプトで統一されていたように思う。 京都線にも同系列の1300系があり、また、旧型車両の機器を使った1600系も存在していた。

Photo_2 西宮北口から南へ進む863。
神戸線との平面クロスを超えて電車は南へ・・
横に停車しているのは1200系か・・
この駅の風景もまた過去の思い出でしかない。

3019 さて、こちらは映画「阪急電車」にも出てきた3019が宝塚駅に停車している先日の様子。主演の一人、中谷美紀がウェディングドレスを着て見送った印象的なシーンに使われた電車だ。
阪急では前面の行先表示器の設置工事が進み、いまや、当面使う予定のほとんどの車両に表示器が設置されている。
この車両は僅かしか残らない表示器未設置の編成で昔懐かしい前サボがぶら下げられている。

映画「阪急電車」宣伝のヘッドマークはご愛嬌。

今回の映画では登場するのはすべて前サボ使用の編成で、3編成を使ったとのこと、ただし、1編成は映画完成前に廃車になり、残るは2編成ということだ。
昔の阪急のイメージでなければ作れない映画ではないとは思うが、雰囲気を大事にし。そのために車両も限定した三宅監督の感性には我々鉄道ファンも大いに共鳴できると思う。

6025 その今津線、3019の窓から撮影した仁川付近での6025。
支線であっても、本線を引退した車両であっても、しっかりと阪急品質を提供するのはまさに阪急流だ。

もちろん、駅も、また周囲の雰囲気もすべてが阪急流でありそこが阪急に僕らを引き寄せる要因の一つではあるのだろうけれど。

さて、年末には三浦友和主演で富山地方鉄道での「RAILWAYS2」の公開も決まった・・また見たい映画が出来るのは嬉しい限りだ。

2011年5月 2日 (月)

電化前からの福知山線。

福知山線については以前にも「福知山線 」で触れているけれど、改めて、電化直前から現在までの移り変わりについて見て行きたいと思う。
尼崎脱線事故の後遺症は今も残り、この路線を語ることが憚られる雰囲気が確かにあるけれども、先だっての片町線とともに関西では激変した路線の一つであり、鉄道ファンとしてはやはり、触れないわけにはいかない。
なお、尼崎脱線事故については以前の拙文「ATS・・4年目を迎えた福知山脱線事故に寄せて」を参照されたい。

Photo 電化前の福知山線は大阪の近郊路線で真横に阪急の三大幹線の一つである阪急宝塚線が走りながら、その雰囲気は幹線とは思えぬ長閑なものだった。
写真は大阪駅発車直前の風景。
スハ43だろうか・・
ゆったりと発車を待つ姿は長距離列車のそれである。
実際、この写真の列車は長躯米子まで行く列車だった。

僕は福知山線では武田尾付近の渓流沿いの風景が好きで、最初はこの路線の撮影といえば武田尾ばかりに出かけていたものだ。
普通列車の大半は旧型客車をDD51が牽引する客車列車で、ごく一部の快速と朝夕の普通列車がキハ47などで運行されていたに過ぎない。
しかも、普通列車の日中の運転頻度は90分ヘッドで、大阪から30キロ圏と思えぬ閑散さだった。

Dd513343 その普通客車列車の風景。
秋の景色の中、DD51がオハフ33、スハ43などを引き連れていく。

Dd513335 夏の景色の中、武田尾駅をでるDD51とオハフ33、オハ35ほか。

Dd513310 オハフ33の次にナハ10を組み込んだ列車。
軽量客車はこの路線ではあまり見かけなかった。

Dd5110 こちらはナハフ10を機関車の次位につないだ列車。

3542 客車列車の走行風景。
通学の女子学生が開け放しのデッキに立っている。
こういうことを危ないとは思わなかった時代でもある
ちなみに、僕は超満員の列車で客室に入れず、出入り台ステップで手すりにしがみついて乗車したことがあったが、トンネルや橋梁で風や温度が大きく変わり、手がしびれて怖い思いをしたものだ。
しかし、夏場に開け放しのデッキは心地よかった。

3335 茶色のオハフ33を最後尾にした列車。
茶色の客車はこの路線でも珍しくなっていた。
宮原には1両もなく、福知山に幾分残っていたように思う。

Dd5112 12系客車に置き換えられた電化直前の姿。
武田尾駅南方のススキの原をゆっくりと進む。

Dd5112_2 すでに新線工事が始まっている武田尾駅に停車するDD51と12系の普通列車。
12系のほかに50系も投入されたが活躍期間は短かった。

Photo_2 武田尾駅の下り方構内の様子。
秋の山がなんともいえない風情をかもし出す。

Photo_3武庫川対岸から見た武田尾駅。
これは冬の姿か。
宝塚から数キロ先の駅だとはとても思えない。

Photo_4 急行列車は夜行を除けばキハ28系だった。
今と違い長大な編成がゆっくり進む。

82 特急列車は一日2往復の時代。
キハ82「まつかぜ」がこれまた特急らしからぬ速度で通過する。

この路線の全線電化が成ったのは昭和61年だった。
その年の秋の改正で全面的に電車化され、普通列車の本数は大幅に増加し、特急・急行も、夜行・昼行各1往復を除いてL特急「北近畿」に統一された。

しかし、国鉄最後の電化ということもあり、逼迫する国鉄財政の影響でせっかくの電化工事であるにもかかわらず、投入された車両はすべて他線区の中古車。
特急には「雷鳥」などから転用、「くろしお」の増発にあてられていた485系。
普通には全国からかき集めた老朽113系を一部先頭車改造、短編成化して投入というありさま。

せっかくの振り子電車対応の電化設備も長く生かされることはなかった。

485 この時代の写真をいくつか。
まずは485系をそのまま転用した特急「北近畿」
多分、黒井あたりではないだろうか。

481802 こちらは「くろしお」転用時に貫通運転台を取り付けられた車両。
クハ481-802と読める。

113800 こちらは113系投入当時の様子。
派手な黄色い車体が篠山川に沿って進む。

113800_2 こちらは武田尾付近での113系。
この派手な色合いは決して悪くなかったと思うが、短命だった。

103 新線を行くのは黄色の103系電車。
103系の普通電車が宝塚・大阪間で阪急の急行より速く、話題になってもいた。

Photo_5 さて、廃止された思い出多い武田尾渓谷区間の廃止後の様子、それも廃止直後のものである。
トンネルから秋の風景が見える。

Photo_6 こちらは橋梁。
いまだ線路は撤去されていなかった。

さて、JRになってからもこの路線の車両はなんとも楽しい車両が入ることが多かった。

183 まずは485系の交流機器を撤去したJR西日本型183系。
非貫通スタイル。

183jr こちらはJRカラーの編成が出た当初。
そのサイドビュー。

117 117系電車も快速用として転用された。
室内は一部ロングシートに改造され、塗装も変更されている。
クリームの車体にグリーンの帯とした塗装は、実は国鉄部内でも当初「ブルーライナー」「レッドライナー」の続きとして「グリーンライナー」が提案されたその頃を思い出すもの。

113 113系電車の塗装はまもなくスタイリッシュなものに改められた。
その頃の写真。

113_2 ところが、その113系電車の先頭車改造をするにあたってコストダウンを意識しすぎ、旧型国電のような顔をつけてしまったのだから、面白い。

Photo_7 そして、新車に見えたキハ65の改造気動車特急。
「エーデル」シリーズで、最初は窓も大きく、電車と併結できる様に改造されていたが、やがて、コストダウンを意識した改造となった。
なお、JR西日本にあるキハ65では両数が足らず、JR四国から6両を購入した由。

今の福知山線は快速電車が頻発し、普通電車が大都市圏として当たり前の数だけ走っている。
福知山線と片町線をつなぐJR東西線、当初仮称「片福連絡線」は、その構想時には稜線の輸送量の違いを心配したものだが、今や、JR西日本、アーバンネットワークの中でも重要な幹線の一つとして成長している。

篠山口以南のこの路線名称は愛称「JR宝塚線」で通っていて、もはや福知山線と呼ぶ人はほとんどいない。

287 その福知山線だが、長年活躍してきた485系改め183系を、新型287系で置き換えることになり、特急列車の愛称も「北近畿」から「こうのとり」に変更された。
写真はつい先日、宝塚で撮影した287系電車。

新しい時代を感じさせるが、新型車両が当初計画どおりの両数がそろうまでの間、なんと、「はんわライナー」などに使われてきた381系を代走させることになった。
381 写真が尼崎での381系「こうのとり」だが、振り子電車に対応した電化設備が30年以上を経てようやく活用されることになったというのも興味深いことではある。

なお、今回の国鉄カラー381系は5月いっぱいの運行で、287系に置き換えられた以後は廃車になるそう。しかし、来年、「くろしお」系統の287系置き換えによって捻出される381系リニューアル編成が今の福知山線特急183系の残存編成を置き換えるという噂もある。

趣味的にはまだまだ目を離せない路線でもある。

追記:

Dd5430 福知山線でDD54が活躍していたことへのリクエストをいただいた。

大阪駅で撮影していまたのでその写真を。

DD5430牽引の客車列車が雨の日に停車している。

Dd5430_2 そしてその列車とキハ82「はまかぜ」が並ぶ。(同じ列車の485系との並びは大阪駅のエントリーで掲載済みです)