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こう@電車おやじ

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2011年1月16日 (日)

583系電車賛歌

485系の賛歌を書いた後は、583系の賛歌を書かねばならない。
この2系列は大きくイメージが異なるけれども、基本的なシステムは同じで、いわば485系の夜行兼用が583系だという認識だからだ。

しかし、どちらかというと軽快で普遍的な存在に近かった485系に比して、583系には「特別な電車」あるいは「長距離をいく電車」というイメージが強い。
あの、深みのある塗装・・横須賀線の電車と同じ色合いだったにしても(20系客車も同じ色合い)、巨大な車体に青の部分が大きく、そしてずらりと並んだ寝台用の小窓、夜行列車らしい折り戸、初めて採用した貫通型の落ち着いた容貌・・

これらがすべて織り合わさり、しかも使っている列車が最短でも関西・九州夜行というのだから特別な列車という印象は強まり、子供たちにとってはブルートレインに並ぶ存在であったことも間違いがない。

583 さて、583系賛歌だからまず「月光型」あの愛称の元になった「月光」から。
昭和50年、岡山駅で。
当時すでに、岡山で新幹線に連絡する列車となっていた。

583_2 昭和50年改正までの岡山といえば・・「つばめ」
既出だが倉敷駅での「つばめ」

583_3 そして同じ場所で似たような構図「しおじ」
日中の列車で使われる583系に出会えたときはなぜか嬉しかった。

583_4 九州に入って「金星」
鳥栖駅だろうか。
名古屋と九州を結ぶ列車だった。

583_6  「有明」
博多駅だろうか。
この列車にも583系が使われていた。
当初、食堂車も営業していたのはもはや記憶の彼方。

583_8その「有明」のサイドビュー。
明るい車内が旅情を掻き立ててくれる。

583_9 名古屋での「しらさぎ」
この列車にも「金星」間合い使用の583系が使われていた。

583_10 金沢だろうか・・「雷鳥」

583_11 上野駅での「ゆうづる」
常磐線・東北線系統での最大の列車本数を誇る列車で、583系のほか20系客車の列車もあった。

583485 583系は485系と走行システムは共用なのでお互いに併結運転もできる。
実際の運用では、583系自身が昼夜兼行で車両によって寝台と座席を分けられるので、485系との併結の必要性はほとんどなかったけれど、一部、「シュプール」などで見られたと思う。
この当時の写真を探しているが見つからない。(写真は大阪駅での485系との併結回送)

さて、その583系は今現在、定期列車としては唯一「きたぐに」に使われている。
「きたぐに」が14系客車から583系に代わった当時、この系列は非常にくたびれていた印象があるが、その後、JR西日本による徹底した手入れのおかげで、今はぴかぴかに輝いているように見える。
Photo その今現時点の大阪駅での「きたぐに」クハネ581-35が先頭。

58288 こちらはパンダグラフを搭載したモハネ582-88。
パンタグラフの部分だけ屋根が低くなっていて、この部分では車内の寝台も他の3段とは異なり2段である。

58125 グリーン車、サロ581-25。
天井が高く、非常にデラックスな印象のあるグリーン車だ。

5811 当初は583系は優等車と言えばグリーン車だけで、寝台はすべてモノクラス、B寝台だったけれど、「きたぐに」での運用に際し、それまで評判の良かった14系オロネの代わりの車両を準備することになって誕生したのがサロネ581-1。
ただし、座席運用時はオロネと異なり普通車扱い。

58136 座席車でセットされている側のクハネ581-36。
明るい窓、ゆったりとした座席が並ぶ車内は、今でも旅情を誘うには十分だ。

JR西日本はこの「きたぐに」3編成を維持するために、団体用に使っていた2編成を廃車して補修部品を確保、さらに、この電車から改造した北陸線の419系の廃車体も部品確保に使われているという。

4195 先日北陸線で見ることができたクハ419-5・・クハネ581からの改造車だ。

11 この列車「きたぐに」が残っているうちに、もう一度は乗車したいと願うのだけれど、実行は難しいだろうなぁ・・

しかし、今のJR関係者が、涙ぐましい努力でこの電車を維持してくれていることに大きな感謝を表したいと思う。

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583系電車賛歌を参照しているブログ:

コメント

583(581)系に最初に乗ったのは、父の故郷岡山から大阪までの「みどり」でした。その前年も「みどり」に乗りましたがその時はキハ82だったので、初めて見る新幹線の様な色で重厚な姿の581系には驚きました。「みどり」は「月光」の昼間運用で、翌年には485系に置きかえられ、581系の運用は昭和42年10月から43年10月までのわずか一年だけだった事は、ずっと後で知りました。
茨木市に住んでいた頃、土曜日には茨木駅までよく列車を見に行き、17時過ぎに通過する581系「はと」の新大阪から向日町への回送を見てから帰宅するがいつものパターンでした。181系や485系の軽快な走りに比べて重々しい感じに見えた事が印象的でした。
父が名古屋始発時代の581系「つばめ」に乗って、なかなか乗り心地が良かったと教えてくれたことがありました。でも私は481系の「つばめ」に乗った時の印象が強く、スピード感があり他の特急より格上の感じを抱いていた「つばめ」には、いわゆる「こだま型」の481系の方がふさわしいと思っていました。〔話はそれますが、3月全線開通の九州新幹線。最速列車が「みずほ」で、「つばめ」は九州内の各停列車となるそうですが、私は逆にして欲しい〕
その後山陽新幹線岡山開通後に、岡山始発となった「つばめ」で尾道まで乗車したことがあり、結局581系の特急に乗ったのは「みどり」と「つばめ」だけでした。

「きたぐに」には私も機会を見つけて乗りたいと思っています。

583もやはり私はゆうづるでした。
モハネのパンタ下は中段の安い料金で下段並みの広い空間を確保していたので、チケット購入時はピンポイントでここを狙う方もいたと聞いてます。
だけど・・・パンタの擦れる音も聞こえて来たような気がしました。
583もできるだけ長く走ってもらいたい車両ですね。

こう@電車おやじ様
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。

581、583系ですか~。
10月に北陸に出かけた際、419系に乗車しました。
むかし、はつかりで乗ったときと比べると、深々としたシートのすわり心地は流石に健在でしたが、
車内の仕切りがなくなったせいか、随分うるさく、よく揺れる車になっていました。
本来のあるべき姿だった頃の583系は、昼行のはつかりが初めてでしたが、
随分と静かな車だなアと、好印象の車だったんですが。
しかし、本来の583系の車内の静かさは特質すべきものがありますよね。
仕事の移動でよく乗る285系と比べても遜色ないと思ってます。
世界初の寝台電車にかけた国鉄設計陣の意地を見るようです。

「はくつる」のグリーン車(サロ581-3)、沢山のお客さんが利用している寝台車に対して、グリーン車は私一人、眠くなるまで本を読んだり、車窓を見たりしても、旅の期待に気持ちは高ぶり、全く眠気を催しません。なぜか日付が変わっても車内灯も減光されないので、1時過ぎまで読書をし、頑張って眠ろう!と決意して背もたれを倒すと車掌さんがやってきて「暗くしてもよろしいですか?」と一声。たった一人の客に気配りをしてくれたことに大変感謝したものでした。なんとか眠りに落ち、三沢あたりで目を覚ますと打って変って、座席がほぼふさがっているのにびっくり。寝ぼけ眼で青函連絡船の乗船名簿を記入し、青森駅に降り立つと、迎えてれたのは「摩周丸」の大きな姿でした。25年前、初めて北海道へ渡った際の思い出です。

小学生の頃、横浜在住の私は祖母に頼み込んで、軽井沢発神戸行きの583系を使った臨時列車「シャレー軽井沢」に乗せてもらいました。この列車は3段寝台を全車2段寝台に改造した非常にレアな列車で、恐らくこの列車以外に使われた事は無かったのではないでしょうか?(いい加減な知識なので違うかもしれませんが)初めて電車に興味を持ち始めた時、写真で見た「はくつる」や「ゆうづる」の583系に乗れるぞ!と思うとワクワクドキドキした事を今でも思い出します。車内に入ると、太った人は通れないのでは?と思うくらい狭い通路の両側にセット済みの「2段式」プルマン型寝台がズラリ。ハシゴを上ってカーテンを開け、電車寝台の広いベッドに寝っ転がったものでした。そして何より、ガキの私でさえも驚いたのが、走行中の静けさです。ガタガタした線路の在来線を走る電車寝台車であるにもかかわらず、防音は完璧でまるで新幹線に乗っているかのよう。実に快適に眠れたことを覚えています。別の機会に、北陸に行った際、臨時特急「雷鳥」がホームにおり、それが583系で乗っても良かったのですが、特急料金を払ってクロスシートに座るのもなんか損した気分だったので見送りました。その雷鳥もなくなってしまうのですね。

国鉄の「54」の付く形式は不運と言われますが
逆に強運だったのが「58」ではないでしょうか。
C58,EF58、キハ58に583系とそのタフネスぶりには感動します。

日本離れした大きな断面、ゆったりと配された側窓、地色のクリーム色よりも面積の広い青帯塗装も秀逸ですね。
東海道線寝台専用急行としては、銀河や彗星より編成で劣った月光も、この車輌の代名詞として名を残したのは、同格の明星とは対照です。
有名なヨンサントオダイヤ改正で、全線複線電化のなった東北線は、この車輌の大量投入で、はつかり、みちのく、はくつる、ゆうづると昼夜の特急体制を整えました。関東人から見れば、月光型とはいえ、東北常磐特急の印象が強くあります。
一方、一族の嚆矢である581系は、583系移行後は名古屋~熊本間つばめ/金星に集中的に使われていた様に私は記憶しています。
特急用でピッチが広いとは云うもののボックスシートへの抵抗感は当初よりありましたが、近鉄伊勢志摩ライナーサロンシート並であったなら、それもなかったやに思うのは私だけでしょうか。寝台使用を兼ねるあまり、充分なピッチに対して座席自体のやや急行っぽさが玉に傷と思えました。
何はともあれ、きたぐにに乗りたい…。

スミノエさん>

黄金時代の583系、485系いずれも乗車されているのは非常にうらやましいです。
「きたぐに」ぜひ乗車したいですね。
それも自由席で。

ほろきねぇねさん>

関東では「ゆうづる」関西では「明星」が大世帯でしたね。
パンタの音・・聞こえていたでしょうね。


日食さん>

419系は仕切りの撤去と、車端ダンパーの撤去、一部窓の開閉化がなされていて、遮音に気を配った583系本来の姿とは随分違ったものなっていますね。

国鉄の特急列車・・
キハ80、20系客車・・本当に静かでした。
583系も、485系もその流れを間違いなく受け継いでいますね。

ふそうやましろいせひゅうがさん>

583系のグリーン車は夜行の場合、途中駅乗降のためにあったような感じもしますね。
今の「きたぐの」もまた然りでしょうか。

明け方の青函連絡船・・
ものすごい存在感でしたね。

根岸線さん>

2段ベッドでの運用があったのですね。。
当時はチェック漏れでした。。

静けさは特筆されるべき列車ですが、座席の特急らしくなさもまた・・特筆される列車でしたね。
その座席は決して悪くはなかったのですが、見た目が少し粗末に見えたのが損をしていると思います。

ホロハフ1851さん>

地味ですがサハ58なんてのもありましたね。
国鉄の形式・・確かに54は薄命で、58は長寿です。
しなやかさがイメージされる57もありますね。

あづまもぐらさん>

巨大な電車。
その巨大さが貫通型の風貌とよく似合ってましたね。

583系の座席が後のナハ21並にできていたら・・
かえって人気が出たかもしれません。

紺のシートはいかにも急行という印象でしたね。

一昨年、大糸線の撮影に行った時に「きたぐに」普通車に乗車しましたが、最近の特急用車両に比して少々固い様に感じましたが、自分だけでしょうか?
連休前の金曜日でしたが、ボックスを2人で使用できる程度の乗車率で、経営的には苦しいでしょうが、出来るだけ長く活躍してほしいものです。
けど、あの塗装は元通りにして欲しいなあ・・・。

最近になって、こちらのページをよく拝見させて頂いております

さて、わたしは、盛岡ですので
当時
485のやまびこ
583のはつはり、みちのく、はくつる、ゆうづる
という選択肢がありまして

専ら
常磐経由のみちのくを利用してました
一度だけ、親にねだって、ゆうづるの下段を使わしてもらったことがあります

個人的には、
みなさん、好みもあるでしょうが
わたしは、あの、天井がバカ高く、ゆったりとした、4人掛けボックスが好きですね

車重があるためでしょうか、揺れが少なく
二重窓でしたから、485より静かです


とは、言っても、
そうそう、特別急行を利用させてはもらえませんから、年に一度程度の思い出です

貯めたお金での旅行は、周遊券で
オンボロ旧客の十和田か、時間が許された時は、455のいわて

ですから、サハシ込みの13連の583系への思い入れは、強い印象が残ってますね(笑)
今時期などは、雪で真っ白になり、
ぞれでも、力強く走ってましたものね~

・・


583系、確かに「特別な列車」でした。夜行鈍行やフェリーが使える四国が多かった事も有り、実際の乗車は瀬戸大橋博の列車ホテルに使われたとき、ただ一度です。岡山~児島という短区間の走行で後は児島駅に停め置きなので皆さんのおっしゃる抜きん出た静粛さは、よくわかりませんでした。
でも強運さは同感です。419系等への転用が始まった頃は先は永くなさそうに見えましたが、同じくしぶとい「きたぐに」一本になってからずっと土俵際一杯残していますね。ひょっとしたら最後まで残らないかな?とも期待してしまいます。
話は変わりますが、北陸本線は往時の幹線の雰囲気を今に伝える遺産ですね。ブルートレインに夜行急行(それも途中駅停車)、頻繁に走る特急、長距離鈍行も有りしかもかなりデッキ付きが残り、貨物列車も多く懐かしい車両も多々集っています。しばらくは北陸本線からは目が離せませんねぇ。 以上

麻呂さん>

583系に限らず、ナロネ21でも、オハネ25でも、座席になる部分は硬いですね。
これは不用意にやわらかくすると、かえって寝台で使う場合に寝心地が悪くなるためだと思います。

「きたぐに」の今の塗装は悪くはありませんが、でもやっぱり583系はオリジナルが最も似合っているように思いますね。


たんとさん>

583系の窓は通常の複層ガラスの内側に、もう一枚ガラスをはめ込んであったので、静かさはそこから来ていたのでしょうね。

特急用といえば回転クロスが当たり前になってしまっていた時代に、改めて登場した固定クロスの車両・・
僕はその旅情は大好きでした。

坂本賢介さん>

静けさとやわらかさは特筆されるものがありますね。
80系気動車や20系客車のあの軟らかさを受け継いだような感じがします。

きたぐにが残っている事はこれは奇跡的なんでしょうが、その裏ではJR関係社員の方々の必死の努力があること・・
僕らはもっと知ってもいいのではないかと思います。

北陸線、この春に419系と485系が引退してしまいますね。
列車の運行形態は変わらないので、そういう意味では国鉄の大幹線の面影は今しばらく見られることができそうですが・・

こう様、今晩は。

583系は私も「きたぐに」「はくつる」「はつかり」でお世話になりました。

初めての583系列車は「きたぐに」でした。この「きたぐに」はA,Bの両寝台、自由席、グリーン車と組成される全ての旅客設備の経験があります。
向かい合わせのボックス席は「特急らしくない」とのご意見もあるようですが、下段の寝台となる為にシートピッチが広いあの区画にはゆったり感がありましたね。

A寝台は2段寝台というだけでB寝台とはあまり差異はないような感じもありましたが、立ったまま着替えができるという占有空間の広さや窓を独占できるという優越感を感じていました。

夜行急行列車として孤軍奮闘中の「きたぐに」ですが、車両も古くなったこともあり、いつまで元気で走ってくれるだろうかということが頭を過ぎったりしております。

泉州人さん>

「きたぐに」は幹線筋の急行列車の面影を今に伝える最後の列車になってしまいましたね。
583系の特性を利用して各種のグレードが組み込まれている列車・・
新幹線よりも一列車内での選択肢の多い列車・・
非常に貴重な列車で、できれば「JR文化財」とでも認定してほしいところです。。
無理でしょうが。。。

とにかく、せめて北陸新幹線開業まで、がんばってほしいものです。

こう様、今晩は。引き続いての連投、失礼いたします。

先日、職場の連休を利用して福井方面へと出かけてきました。お目当ては485系「雷鳥」と419系です。
「雷鳥」は途中駅の永原で撮影し、419系もじっくりと記録に残すことができました。

419系は福井鉄道を訪問しての帰路、武生~敦賀間で最後の乗車となり、編成は敦賀方先頭車がクハ419-5、福井方先頭車はクモハ419-15で、両端の「顔」が違う編成でした。
車体の老朽化は至る所に及んでいる感じで側面には茶色の錆みたいな帯が入っており、一部には腐食も進んでいるようでした。

車内は洗面台を埋めた後や、座席上部の寝台を収納した部分等、元寝台特急車両であった証が随所に見られました。

北陸トンネルを10分弱で抜け出し、交直セクションで「儀式」を経験し、私にとっての「ラストラン」は終わりました。


泉州人さん>

ご苦労様でした。
こういう改造の痕跡が残る車両の長期的な運用はあまり例がないのではとも思います。
それだけ、国鉄は厳しい状況だったし、JRも財布の紐が硬かったのでしょうね。

雷鳥とともにひとつの時代が消えていきますね。

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