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2011年1月 1日 (土)

485系への賛歌

485系電車については以前にも触れているけれど、新しい年を迎えるその第1回のエントリーとして改めて485系電車を存分に?取り上げてみたいと思う。
(なお、写真が2点、出てきたので、その分を1月8日に追記している)

何より485系は普遍的だった。
一時的に北海道にも渡ったし、青森から鹿児島まで、四国を除く国鉄の主要電化幹線で見ることのできた車両だ。

僕自身は子供の頃の「しおじ」「つばめ」「なは」あたりまさにこの電車との出会いで、以後、遠出をするたびに見たり、乗ったりできた電車で、急行をなるべく使うという旅行コンセプトにあってもやはり時には特急に乗らざるを得ず、そういうときには大半がこの電車だったといっても過言ではない。

485 上手くない写真だが、中学生がコンパクトカメラで撮影したとあらばこんなものか・・

岡山駅での「つばめ」

485_2 西鹿児島駅だと思うが・・「にちりん」日豊本線周りの長駆特急だった。

鹿児島交通線を見に行ったときにたまたま撮影したもの。

485_3 博多駅だろうか。「みどり」

九州のボンネット型はヒゲが消されていて、それだけでもかなりイメージが変わる。

485_4 博多駅に入線する「有明」

九州を代表する特急だったが、すっかり影が薄くなったように感じる。

九州新幹線開業後も少し残るのはちょっと嬉しいか。

Dd54 既出だが大阪駅でのDD54との並び。

駅の雰囲気も激変中、もちろん、もう二度と見られない顔合わせ。

485_5 ボンネット型同士のすれ違い。

列車は手前が「雷鳥」

白いリニューアル車が「白鳥」

485_7 大阪駅での「北越」

列車は雷鳥に吸収され、この名称は早くに姿を消した。

485_8 倶利伽羅峠を行く「加越」

一時は国鉄最速の列車だった。

この名称は最近、「しらさぎ」に吸収された。

485_9 湖西線の「雷鳥」

湖西線は高規格路線だがなぜか国鉄時代には速度を抑えて運転されていた。

485_10 「かがやき」速達型の特急列車だった。

常願寺川橋梁にて。

485_11 取手駅の「ひたち」

関東鉄道線を見に行ったときに偶然通りがかってくれた列車。

485_12 既出だが秋田駅で並んだ「つばさ」「たざわ」

今の新在直通ミニ新幹線の前身でもある。

短編成の特急を頻発運行する方針に特急列車の方向性が変更されたときにできた列車。

485_13 「はつかり」野辺地駅近くだろうか。

南部縦貫線訪問のときに撮影した。

Photo 「いなほ」秋田県の景勝地、象潟を行く列車。

田んぼのところはかつては海だった由。

Photo_2 倶利伽羅峠を行く「雷鳥」

霧の中、颯爽と走る特急には強く惹かれるものがある。

485183 10月に撮影した城崎温泉駅での「北近畿」

現在の系列は183系だが485系の直流化改造車。

181183 その列車の城崎温泉での181系「はまかぜ」との並び。

キハ181は消えたが、まもなく残るもう一方も見られなくなる。

Photo_3 その「北近畿」登場当時。

後ろにキハ65の「エーデル丹後」をくっつけている。

北陸線でも気動車を連結した実績がある。

ただし、気動車は協調運転ではなく、485系の牽引。

485 常願寺川を渡る「スーパー雷鳥」。

2両目に「だんらん」が連結されている。

485_2 こちらはボンネット型の「雷鳥」だけれど、サロがリニューアル車になっている。

485_14 現存する唯一の485系「雷鳥」での定期運用。

かつての「スーパー雷鳥」編成だ。

特急列車の定番とした活躍した485系もいよいよ、その終末期を迎えようとしている。

時代といえば時代だし、国鉄解体から20年以上も走り続けてくれたことに、大きな拍手を贈りたい。

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485系への賛歌を参照しているブログ:

コメント

確かに485系は日本の津々浦々にキハ58系並に走っていたのですね。その源を辿れば151系で、実に昭和33年の登場です。
このボンネットスタイルと肌色の塗色、ライトケースのデザインを活かした塗り分け、更に当初はファスナー留めの外幌と、メカ面を語らずとも画期的とはこの事でしょう。
10年後に寝台電車581系が新たな前頭形状を以って登場しましたが、大きな車体断面にもマッチして大陸的な雰囲気もまたよいものでした。
その後、ボンネットスタイルは581系スタイルに変更されたのですが、私には木に竹を接いだ樣に思えたものでした。
その後、短編成化が進みましたが、そうなるとボンネットスタイルは長編成の頭を飾ってこそのものなのだと認識出来ました。

特急が特別急行という殿様列車として君臨していた頃に源を発する系列の終焉は、代替わりして隠居していた元の主の過去帳入りにすら思えます。

こうさん、今年も懐かしいお話を楽しみにしています。
宜しくお願いします。

私にとって485系は初めて電車特急を目にした形式です。
485-1500番台でしたが。
その485系も終わりが近付いていると思うと寂しい気がします。
まぁ~485系より新しいキハ183系もかなりの数が置き換えられている現実ですので、仕方ないのかな。
頭の上のライトが1灯より2灯の1500番台の方がデザイン的に私は好きでした。
日本を網羅した485系、間違いなく名車の一つだと私は思います。

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
私の場合は、いささか特殊な事情が有り、485系を含む特急電車というものはある種の憧れの対象でした。物心ついた頃には、神戸駅では特急電車は見られず、ある意味ブルトレ以上に珍しいものでした。
以前にも書きましたが、修学旅行で初めて乗った“白鳥”には色々なインパクトを受けました。
新快速117系(当時比較対象はこれしか有りませんでした、笑)との違い、デッキが付いている事、シート背面のテーブル、何より延々と続く独特かつフル回転のモーター音。
それこそゲタ電以上に普遍的だったはずなのに、なぜか私は出会う機会をあまり得られませんでした。ここ数年は普遍的だった系列が、次々引退して行きそうな気配です。せめて最後にはきちんとお別れをしておきたいと思います。 以上

あづまもぐらさん>

確かに、485系の定期運用の終了は隠居して閑職に自ら甘んじていたご隠居の過去帳入りに見えますね。

ボンネット型に比すと、印象の薄い貫通型ですが、今見るとそれもなかなか良い男ぶりだと思えます。
国鉄デザインは決して凡庸でなかった証でしょうね。

ほろきねぇねさん>

485-1500!
大阪駅で「白鳥」に使われていたのを思い出します。
ポケットカメラで撮影していて、画質が良くないので今回は掲載を見送りましたが、あの「貼りサボ」が印象的でした。

デザインとしてはこの1500番台が完成型といっても良く、非常に均整の取れた良いデザインだったと思うのです。

坂本賢介さん>

今でもそうですが、「しおじ」撤退後、山陽線神戸口では国鉄特急電車がまったく見られなくなりましたね。

今年は国鉄時代の名車にとって、その去就を決定付ける一年となりそうです。
485系、103系、113系、381系まで・・
やはり名残惜しいです。

 485系は旅行に出張によく利用しました。私の485系のイメージは長大編成でグリーン車、食堂車を連結した関西―九州を往復していた長距離ランナーです。その頃の特急は運転本数は少なくても長大編成で人員を多く運ぼうといった国鉄らしい発想でした。
 485系の白眉的存在は“白鳥”で、初めての北海道旅行の際に485系の白鳥を全区間乗車し更に青函連絡船に乗って函館線経由で札幌まで乗車しました。流石にお尻も痛く疲れました。今ではLCCの航空会社が出来て嘘みたいですが、当時はそれしか北海道に行く選択肢はありませんでした。
 日毎に長距離列車が姿を消し、それに比例して485系も短編成が主体となっていきました。

L急行鷲羽さん>

九州特急の「つばめ」「はと」「しおじ」「なは」「日向」「みどり」あたり・・懐かしいですね。
すごくかっこよく見えたものです。

それから僕も「白鳥」には何度か乗車しました。
同じ列車で食堂車2回も行ったのはこの列車だけでした。

今は、最後の「雷鳥」が唯一、485系らしい使われ方をしているように思えます。
あと何度か見ておきたいなと思っています。

 お久しぶりです。今月12日のダイヤ改正で、九州旅客鉄道の485系電車が事実上廃止、と聞きました。私も、10代の頃から旅行・所用で使ってきただけに、さみしいです。(もちろん、新幹線ができて、より快適になるのは歓迎ですが)
 さて、485系は50ヘルツ区間、60ヘルツ区間のどちらでも走れる、ということでしたので問題ないのですが、今話題の「はやぶさ」のE5系は50ヘルツ専用、「みずほ」のN700系は60ヘルツ専用ということになっております。仮に、50ヘルツ専用の電車を60ヘルツ区間で走らせた場合、あるいはその逆で60ヘルツの電車を50ヘルツ区間で走らせた場合、どのような影響が出るとお考えでしょうか。あるいは過去の実験結果がございましたらうれしく存じます。

あ、きのうは言い忘れておりましたが、「はやぶさ」号のデビュー、おめでとうございます。今、東北出身のシンセサイザー奏者・姫神こと星吉昭さんのcdを聞きながら、入力しています。星さんは2004年10月1日、心不全のため58歳で死去しましたが、生きておられたら「はやぶさ」のテーマソングとか発表しておられた、と思います。

ハイセンマンさん>

僕は客車担当でしたから電車の詳しいことはよく分からないのですが、交流の場合、60Hzの車両を50Hzで使うことは無理にはできるかもしれませんが、性能の低下が著しくあまり推奨できないでしょうし、その逆は絶対に使えないということだったと思います。
このあたりは架線電圧1500ボルトの車両を600ボルト区間で性能を限定して運転していた阪急の事例と似ているかもしれません。

東北新幹線の「はやぶさ」いいですね!
そのデザインも「はやぶさ」をイメージさせているように思います。
姫神センセーション・・詳しくはないけれど、曲は大好きでしたよ。

このたびは私の質問に答えていただいて、ありがとうございました。電車に限らず家庭用の電気器具にも、いろいろと制約があってたいへんですね。最近では485系のように、両方の地域で使える製品が多く出回っているようですが、日本全土どちらかに統一してほしいものです。

ハイセンマンさん>

電気の規格は本当に統一してほしいですね。
もっとも、日本の場合、西日本のほうが規格としては高規格な訳で、東京はじめ人口の多い東日本の規格を合わせることは難しいでしょうね。

あらためて、お写真を拝見しました。在来線時代の「つばさ」と、いまはE3・E6系「こまち」になってしまった「たざわ」のすれちがいシーンに、なつかしさで胸がいっぱいです。どちらも大学生の時に乗車しました。でも、3月11日を境に、このように田園風景の中を、この前申し上げた「はやぶさ」をはじめとする特急電車が疾走する姿が見られなくなりました。つつしんで連続大地震の犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。被害を受けた方には心からお見舞い申し上げます。
 また、発電所の火災と闘う、自衛隊・消防・警察の方々のご健闘とご安全をお祈り申し上げます。

ハイセンマンさん>

復興に向けて必死に働く人たちには本当に頭が下がります。

どうか、無事故でありますように!

東北新幹線、全線復旧!ということで、わたくしどもも一息ついております。でも、被災地のみなさんが3月10日以前の生活に戻るには、これから長い年月がかかると思います。私自身もあの阪神淡路大震災を経験しましたが、今回に比べると「まだまだ、恵まれていたのだ」(もちろん、犠牲者も多かったのですが)という思いでいっぱいになってきます。あらためまして、犠牲者のみなさまのご冥福をお祈り申し上げます。被災者のみなさまにお見舞い申し上げます。復旧作業に携わるみなさまの、ご健闘と無事故をお祈り申し上げます。

ハイセンマンさん>

阪神淡路の時には僕の友人たちが専門分野を超えて脱線車両を起こし、線路のゆがみを直していたりとしていました。
本当に涙が出ました。
このたびの震災でJR東の方々の頑張りは本当にすごいですね。
頭が下がります。
そして、被災地の皆さんが一日も早く復興の途に就かれますよう、祈っています。

復旧のためにがんばっておられるみなさんの姿には、何度見ても感動させられます。ご無事をお祈り申し上げます。
 さて私事で恐縮ですが、家内の両親が公明党員であり、私も機関紙・『公明新聞』を購読しているのですが、本年5月15日の号に、鉄道写真家・南正時さんが「応援メッセージ」を寄せていらっしゃいました。その中の一文です。
 「本来は被災地を応援すべき私(南さん)を逆に励ましてくれたのが、被災からわずか5日後、三陸鉄道が『復興支援列車』として運行を再開したというニュースでした。
 高齢者、そして車を失った被災者らの貴重な“足”としての使命を果たそうと、自らも被災しているのに不眠不休で復旧作業に当たった鉄道マンの心意気。ここに、復興を成し遂げゆく東北人の底力を見た思いがしました。」
 「こう」さまのお友達も、三陸鉄道の人たちも「鉄道」や「電車」を、「自分たちの商売道具」としてだけでなく、いや、それ以上に「街の誇り、宝」「国民の財産」として扱っていらっしゃることに、感動を覚えました。
 

ハイセンマンさん>

僕は基本的には公明党の交通政策には懐疑的な立場です。
その件に関してはブログの過去ログをお読みくださいね。

鉄道などの交通に勤める人たちというのは、仕事としてだけではなく、乗り物そのものを愛している人が多いと思います。
その愛がなければ難しい仕事かもしれませんね。

僕は今、また交通に関係していますが、やはり不思議な縁のようなものを感じています。

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