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2011年1月

2011年1月28日 (金)

貴志川線今昔

今昔とは言っても、僕は昔の山東軽便鉄道、あるいは和歌山鉄道、和歌山電気軌道の時代を知る由もなく、さらに南海に合併後の旧型車が雑然と活躍していた時代すら知らない。
僕の知るのは南海の名車、1201系がこの線区に集結して活躍していた時代からだ。

だから、僕が貴志川線に興味を持ったのは、僕にとっても思い出のある、馴染みのある南海の・・かつては淡路連絡急行などや本線急行などでも使われた名車1201系の存在があったからで、それがなければこの路線に興味を持つこともなかったかもしれない。

昭和50年ごろ、南海電鉄は600ボルトで残るこの路線に、粒のそろった1201系をまとめて投入し、運用の合理化を図ったのだけれど、はからずもまさに南海本線にとってはかの大型2001系、カルダン11001系に並ぶ名車であり、均整の取れたスタイルは旧型電車の完成形としてファンが多かった。

12103 まずはその1201系、伊太祁曽付近を3連で走る風景から。

今、この場所では同じような写真が撮影可能だろうが、住宅が随分増えて、田園地帯をいく長閑な雰囲気は少なくなっていると感じる。

21201 そして、同じ場所で高野線急行の任を解かれた21201の姿。
この車両も名車で、旧型車の機器を使って当時のズームカーの車体を載せ、車内は特急用のクロスシートとしたもの。

僕は正面2枚窓の湘南型スタイルでは南海が阪神、名鉄と並び一歩抜きん出ているように感じるけれども、この電車にも、筋のよさはある。
ただし、この当時は電装解除され増結用だったと思う。

1234 伊太祁曽車庫における1201系2連。
なんと、番号が1234で、これは、語呂のよさは今なら阪急の7777に匹敵するだろうか。

この1201系車両は、永く活躍したが、やはり老朽化や冷房装置が搭載されていないこと、ワンマン化などの合理化への対処が難しいことから、南海は当時、高野線で置き換えが進んでいた急行用ニューズームカー22001系を改造してこの路線に投入する。
2273 車体正面は貫通路が撤去され、運転台よりの客扉は前方に移設の上、片開きとされた。

今のJRなどの間に合わせ的な改造とは違い、ワンマン化に適した車体構造に大改造して高野線急行電車はこの路線に入ってきたわけだ。

高野線は急行に使う車両なれば、カーブが連続する橋本以南へ入線できる中型で、寒冷地対策として2ドアの車両でなければならず、この車体構造がかえって貴志川線には適していたともいえる。

しかし、貴志川線専用に改造された22001系改め2270系は見るからにローカルな雰囲気の電車となった。
貫通扉を撤去した後の固定窓を両側の窓より大きくしたあたりがそう感じさせる所以だろうか。

けれども、モータリゼーションの進展は、南海をしてこの路線を維持することを許さざる状況に追い込んでいった。
もともと、近鉄と並び多くの不採算区間を抱える南海のことである。

わずか10数キロの鉄道とはいえ、その路線の維持にも限界があると感じたのだろう。

2005年、南海電鉄はこの路線の経営から身を引き、地元が公募した業者のうちから岡山県でバスと路面電車事業を営む岡山電気軌道=両備バスグループがこれ以後、経営を続けることになる。

新生「和歌山電鉄(旧漢字)」は生き残りをかけてさまざまな対策を講じることになる。
増発と、印象的なデザインで電車のリニューアルを進める新企画・・
Photo その第一弾は「いちご電車」だ。
沿線の名産である「いちご」をクローズアップし、車体内外をそのイメージで統一した本邦では他に例を見ない「楽しい」電車を実現。

Photo_2 さらに貴志駅に住み着く三毛猫「たま」を駅長に就任させ、日本一有名な三毛猫にしたり、その後は「おもちゃ電車」「たま電車」を投入。

Photo_3 いずれも南海から引き継いだ電車のリニューアルだが、基本デザインが良いこともあり、非常に楽しい電車に仕上がっている。

Photo_4 こちらは車庫で休む「たま電車」

Photo_5 ちなみに、「たま電車」は本社の岡山電気軌道でも活躍中だ。

Photo_6 貴志の駅舎も「たま」にあやかったものに改築、今や和歌山を代表する観光地へと脱皮を遂げたといっても過言ではないかもしれない。

僕は先日、この路線に20年ぶりに乗車し、大きな感動を抱くことができた。

ただし、行政の財政補助は10年で見直すということであり、それにはあと5年で更なる経営の健全化を進めねばならず、今後も和歌山電鉄の奮闘が必要になるのではあるが。

赤字は大幅に減少し、経営状況は劇的に改善されているという和歌山電鉄=両備グループの更なる奮闘を祈ると共に、経済面では何もできないが心からの応援を続けることができればと思っている。

2011年1月16日 (日)

583系電車賛歌

485系の賛歌を書いた後は、583系の賛歌を書かねばならない。
この2系列は大きくイメージが異なるけれども、基本的なシステムは同じで、いわば485系の夜行兼用が583系だという認識だからだ。

しかし、どちらかというと軽快で普遍的な存在に近かった485系に比して、583系には「特別な電車」あるいは「長距離をいく電車」というイメージが強い。
あの、深みのある塗装・・横須賀線の電車と同じ色合いだったにしても(20系客車も同じ色合い)、巨大な車体に青の部分が大きく、そしてずらりと並んだ寝台用の小窓、夜行列車らしい折り戸、初めて採用した貫通型の落ち着いた容貌・・

これらがすべて織り合わさり、しかも使っている列車が最短でも関西・九州夜行というのだから特別な列車という印象は強まり、子供たちにとってはブルートレインに並ぶ存在であったことも間違いがない。

583 さて、583系賛歌だからまず「月光型」あの愛称の元になった「月光」から。
昭和50年、岡山駅で。
当時すでに、岡山で新幹線に連絡する列車となっていた。

583_2 昭和50年改正までの岡山といえば・・「つばめ」
既出だが倉敷駅での「つばめ」

583_3 そして同じ場所で似たような構図「しおじ」
日中の列車で使われる583系に出会えたときはなぜか嬉しかった。

583_4 九州に入って「金星」
鳥栖駅だろうか。
名古屋と九州を結ぶ列車だった。

583_6  「有明」
博多駅だろうか。
この列車にも583系が使われていた。
当初、食堂車も営業していたのはもはや記憶の彼方。

583_8その「有明」のサイドビュー。
明るい車内が旅情を掻き立ててくれる。

583_9 名古屋での「しらさぎ」
この列車にも「金星」間合い使用の583系が使われていた。

583_10 金沢だろうか・・「雷鳥」

583_11 上野駅での「ゆうづる」
常磐線・東北線系統での最大の列車本数を誇る列車で、583系のほか20系客車の列車もあった。

583485 583系は485系と走行システムは共用なのでお互いに併結運転もできる。
実際の運用では、583系自身が昼夜兼行で車両によって寝台と座席を分けられるので、485系との併結の必要性はほとんどなかったけれど、一部、「シュプール」などで見られたと思う。
この当時の写真を探しているが見つからない。(写真は大阪駅での485系との併結回送)

さて、その583系は今現在、定期列車としては唯一「きたぐに」に使われている。
「きたぐに」が14系客車から583系に代わった当時、この系列は非常にくたびれていた印象があるが、その後、JR西日本による徹底した手入れのおかげで、今はぴかぴかに輝いているように見える。
Photo その今現時点の大阪駅での「きたぐに」クハネ581-35が先頭。

58288 こちらはパンダグラフを搭載したモハネ582-88。
パンタグラフの部分だけ屋根が低くなっていて、この部分では車内の寝台も他の3段とは異なり2段である。

58125 グリーン車、サロ581-25。
天井が高く、非常にデラックスな印象のあるグリーン車だ。

5811 当初は583系は優等車と言えばグリーン車だけで、寝台はすべてモノクラス、B寝台だったけれど、「きたぐに」での運用に際し、それまで評判の良かった14系オロネの代わりの車両を準備することになって誕生したのがサロネ581-1。
ただし、座席運用時はオロネと異なり普通車扱い。

58136 座席車でセットされている側のクハネ581-36。
明るい窓、ゆったりとした座席が並ぶ車内は、今でも旅情を誘うには十分だ。

JR西日本はこの「きたぐに」3編成を維持するために、団体用に使っていた2編成を廃車して補修部品を確保、さらに、この電車から改造した北陸線の419系の廃車体も部品確保に使われているという。

4195 先日北陸線で見ることができたクハ419-5・・クハネ581からの改造車だ。

11 この列車「きたぐに」が残っているうちに、もう一度は乗車したいと願うのだけれど、実行は難しいだろうなぁ・・

しかし、今のJR関係者が、涙ぐましい努力でこの電車を維持してくれていることに大きな感謝を表したいと思う。

2011年1月 8日 (土)

地上時代の山陽電車板宿駅。

久々の私鉄ネタは地元の山陽電車。
板宿駅の地上時代の写真がいくつか出てきたので見ていただこうと思う。

板宿駅は現在では特急も停車する駅だが、かつては利用客がほかの駅に比して抜きん出て多いのに、特急の停車しない駅だった。
神戸市電の終点でもあり、須磨区と長田区の境目にある地元の商店街というよりは、副都心に近い場所といえようか。

僕が写真を撮影し始めたころはすでに神戸市電の姿はなく、それでも、駅前はここを始発とするバス路線もあって、商店街はにぎやかで、しかも周囲に高等学校が多く立地していて、いつも人でにぎわっていた。

僕はこの板宿駅と東須磨駅のちょうど中間地点の交通至便な土地に7年も生活していたし、国鉄工作一科寮は鷹取工場の北側にあって、鷹取駅よりは板宿駅を近く感じたものだ。

Photo さて、その板宿駅である。

商店街のど真ん中に位置しているというよりも、かつての板宿村の入り口に兵庫電気軌道の駅ができ、その駅を中心として町が広がり栄えていったといえるだろうか。
駅の北側、母屋と改札。
右側が「山陽そば」だった。

特急の停車しない駅なのに唯一、定期券発売駅になっていた。
山陽電車の特急は停車しないが、阪急・阪神の特急が毎時それぞれ3本停車し、不便は感じなかった。

6111 その阪急電車。
新製まもない6000系6111が商店街をバックに大阪方面へ走っていく。
この撮影当時は休日ダイヤでは阪急はすべて普通電車の乗り入れだったと思う。

2010板宿駅東側の踏切から。
山陽電車の「虎の子」的存在だった2000系のステンレス2ドア車が駅に向かう。

Photo_2 板宿駅の下り側改札口。
上り側に比して下り側は質素なつくりだった。

Photo_3 下りホームから見た上りホームの様子。
いつも人で溢れかえる駅で、その狭隘さの故、余計に人の多さを感じさせた。
西代の山陽本社へ通勤する幹部社員の方々が、ラッシュ時に詰め込み係を勤めてから本社に通っていたのも懐かしい。

5012 登場したばかりの5000系による阪急六甲行き特急。
この5000系登場のころには特急停車駅になっていた。

僕が板宿駅を通勤で使い、阪急六甲の写真スタジオへ通い始めたその1週間ほどあとのダイヤ改正で特急が停車するようになった。
運のよさを実感し、そこから片道20分の通勤を7年続けたわけだが、最初はロングシート車でも乗り切れない大勢の乗客で電車はいつも遅れていた。

それが5000系6連を投入、すると混雑は一気にマシになり、しかも、板宿駅で非常に多くの高校生が下車、その後に乗車するものだからいつもクロスシートにゆったり座って快適な通勤ができたものだ。

まもなく阪神淡路大震災のあの日を迎えるけれども、あの時、あの日、板宿駅は営業を停止して、地上の駅舎はそれ以来、二度と使われることはなかった。
山陽電鉄は建設中で開通間近だった地下新線の工事を最優先し、板宿駅も震災の数ヶ月後にその新線でひっそりと営業を再開した。

ちょうど、上記の写真、2011号の写っているあたりで、3000系4連が放置されていたけれども、それをどのようにして収容したのか、僕には知る由もない。

今の板宿駅は立派な地下駅で、地上の線路跡も立派な道路になり、ここに電車が走っていたとは到底思えないのだけれど、あの震災も最小限の被害で乗り切った板宿駅周辺の商店街は今も活気付いている。
そういえば、僕がこの町で最初の独立に失敗したのも今となっては懐かしい思い出でもある。

2011年1月 1日 (土)

485系への賛歌

485系電車については以前にも触れているけれど、新しい年を迎えるその第1回のエントリーとして改めて485系電車を存分に?取り上げてみたいと思う。
(なお、写真が2点、出てきたので、その分を1月8日に追記している)

何より485系は普遍的だった。
一時的に北海道にも渡ったし、青森から鹿児島まで、四国を除く国鉄の主要電化幹線で見ることのできた車両だ。

僕自身は子供の頃の「しおじ」「つばめ」「なは」あたりまさにこの電車との出会いで、以後、遠出をするたびに見たり、乗ったりできた電車で、急行をなるべく使うという旅行コンセプトにあってもやはり時には特急に乗らざるを得ず、そういうときには大半がこの電車だったといっても過言ではない。

485 上手くない写真だが、中学生がコンパクトカメラで撮影したとあらばこんなものか・・

岡山駅での「つばめ」

485_2 西鹿児島駅だと思うが・・「にちりん」日豊本線周りの長駆特急だった。

鹿児島交通線を見に行ったときにたまたま撮影したもの。

485_3 博多駅だろうか。「みどり」

九州のボンネット型はヒゲが消されていて、それだけでもかなりイメージが変わる。

485_4 博多駅に入線する「有明」

九州を代表する特急だったが、すっかり影が薄くなったように感じる。

九州新幹線開業後も少し残るのはちょっと嬉しいか。

Dd54 既出だが大阪駅でのDD54との並び。

駅の雰囲気も激変中、もちろん、もう二度と見られない顔合わせ。

485_5 ボンネット型同士のすれ違い。

列車は手前が「雷鳥」

白いリニューアル車が「白鳥」

485_7 大阪駅での「北越」

列車は雷鳥に吸収され、この名称は早くに姿を消した。

485_8 倶利伽羅峠を行く「加越」

一時は国鉄最速の列車だった。

この名称は最近、「しらさぎ」に吸収された。

485_9 湖西線の「雷鳥」

湖西線は高規格路線だがなぜか国鉄時代には速度を抑えて運転されていた。

485_10 「かがやき」速達型の特急列車だった。

常願寺川橋梁にて。

485_11 取手駅の「ひたち」

関東鉄道線を見に行ったときに偶然通りがかってくれた列車。

485_12 既出だが秋田駅で並んだ「つばさ」「たざわ」

今の新在直通ミニ新幹線の前身でもある。

短編成の特急を頻発運行する方針に特急列車の方向性が変更されたときにできた列車。

485_13 「はつかり」野辺地駅近くだろうか。

南部縦貫線訪問のときに撮影した。

Photo 「いなほ」秋田県の景勝地、象潟を行く列車。

田んぼのところはかつては海だった由。

Photo_2 倶利伽羅峠を行く「雷鳥」

霧の中、颯爽と走る特急には強く惹かれるものがある。

485183 10月に撮影した城崎温泉駅での「北近畿」

現在の系列は183系だが485系の直流化改造車。

181183 その列車の城崎温泉での181系「はまかぜ」との並び。

キハ181は消えたが、まもなく残るもう一方も見られなくなる。

Photo_3 その「北近畿」登場当時。

後ろにキハ65の「エーデル丹後」をくっつけている。

北陸線でも気動車を連結した実績がある。

ただし、気動車は協調運転ではなく、485系の牽引。

485 常願寺川を渡る「スーパー雷鳥」。

2両目に「だんらん」が連結されている。

485_2 こちらはボンネット型の「雷鳥」だけれど、サロがリニューアル車になっている。

485_14 現存する唯一の485系「雷鳥」での定期運用。

かつての「スーパー雷鳥」編成だ。

特急列車の定番とした活躍した485系もいよいよ、その終末期を迎えようとしている。

時代といえば時代だし、国鉄解体から20年以上も走り続けてくれたことに、大きな拍手を贈りたい。