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2010年12月

2010年12月25日 (土)

僕らが失った夜汽車の風景

Photo 夜汽車の窓に映るあなたの横顔を見ていると
これがふたりの最後の旅ととても思えない
静けさが不安を募らせれば二人の恋はもう戻せないと
涙があなた曇らせてもまだこんなに暖かい
二年の恋は雨を降らせて古いフイルムのよう、
帰る日差しもあんなに遠く、遠くにしてしまう

伊藤敏博「夜汽車」から。
*************

このシンガーソングライターは国鉄の車掌さん出身で、しかもこの人の曲をはじめて知ったのは、特急「白鳥」で北へ向かう旅行の途中、富山あたりを走っていた列車の中で聞いていたFMラジオだったと思う。

さすがに国鉄出身の方らしく、作品には鉄道の旅情が色濃く反映されていて、聴くほどにかつての鉄道の情景が思い浮かび涙なしではいられない。

さて、僕らは国鉄改革から20年余りを経て大切な風景というものを多く失くしてしまったように思えてならない。

Photo_2 その中から夜汽車の情景を少しばかり。
画像の中の夜汽車は「ながさき」と「きたぐに」である。

旧型客車の夜行列車には格別の情景があったように思えてならない。
深い青の車体、決して明るすぎない車内の照明。
長旅に倦んできた多くの旅行者の表情。

そして、深夜時間帯であっても煌々と明かりをつけ営業をしている駅。

Photo_3 駅員がカンテラを持ってホームに佇み、荷扱車掌が黙々と仕事をこなす。

Photo_4 質素な車両、質素な駅、それでも今から思えば十分すぎる贅沢だった。
なにより、その情景の中に自分がいた。

それは夜の通勤電車などとは異なる異質の空間。
夜汽車であってはじめて得られる異質の空間で、その空間の存在を貴重なものだと本能的に感じることのできる旅行者だけがその甘い空間を自分のものとすることができた。
それ以外の旅行者にとっては苦痛以外の何物でもないかも知れない空間でもある。

**********

12 アタイを見かけたうわさを聞いて
あんたが港を発つ汽車と
居所もたずのアタイを乗せた夜汽車が3時にすれ違う
忘れていくなら窓もこんなに滲みゃしない
あんたの涙とアタイの涙
夜汽車は03時にすれ違う

このまま切るなと話は続く
アタイは受話器の手を離す
優しい夜汽車が着かないうちに
アタイは今夜も町を出る

Photo_5 忘れていくなら窓もこんなに滲みゃしない
あんたの涙とアタイの涙
夜汽車は03時にすれ違う

あんたを乗せてる眩い窓が
あたいになぜでも見られない
似合いの暮らしを続けるために
アタイは今夜も町を出る

中島みゆき「03時」から

***********

この人には「ホームにて」などの名曲があるけれども、この03時という短い曲は当時の夜行列車の性格を言い当てているように思えてならない。
人の呼吸、汗、そして思い・・
それらを乗せた夜汽車がすれ違うのは確かに午前2時から3時の間だ。

同じ名前の上下列車がすれ違うのを確認できるのは鉄道ファンか鉄道職員か・・
だけれども、人生を歌い上げる若き日のシンガーはその情景をしっかり心にとどめていたと言うことか。

Photo_6 日本の鉄道はあの国鉄改革から大きな変貌を遂げた。
それは確かに大多数の利用者には便利でスマートな鉄道への変身として好意的に受け止められていただろう。

でも、鉄道が真にすべての国民の足として持っていた普遍性は随分失われてしまったのではないか。

便利なものから僕らは旅情を得ることができない。
それはこの国の文学が、音楽が廃れるさまにも似ているような気がしてしまう。

Photo_7 朝、列車は夜の明けきらぬ空の下を走る。
目にするのは空と海の判別もつきがたい海の水平線か、それとも、いまだ眠っている大都会の夜明けか・・

2010年12月 5日 (日)

震災前後の須磨・塩屋間

この区間については最近もこちらでエントリーしたけれども、221系が走り始めたころと、かの阪神淡路大震災後、しばらく鉄道写真を撮影しなかった僕がようやく撮影を再開したころのポジフィルムが出てきたので、これを見ていただこうと思う。
「国鉄の思い出」ではあるけれど、時代はJRになってからだ。
一部に既出のものがあるがご容赦願いたい。

なお、撮影についてはすべて軌道敷地外からの撮影で、海岸よりからの撮影については今は鉄柵に囲まれている橋梁脇からの望遠レンズによる撮影であること、ご承知おきくださればと思う。

221 当時は221系全盛期で。新快速はほぼ全列車、快速も大半が221系で運行されていた。
この221系新快速の写真。

撮影場所は今では絶対には入れない柵の向こうだけれど、当時は線路敷地以外は自由に出入りできたし、ここで撮影をしたり、釣りや海水浴の準備や休憩をする人も多かった。
線路工事によって崩された別荘の跡地が、まるでエーゲ海のような雰囲気をかもし出していて、鉄道ファンならずとも訪れたくなる場所だった。

そんな場所だから今では絶対に撮影できない写真集ということになる。

221221 221系新快速と快速の出会い。
これは国道脇からの撮影だが、ここも高い鉄柵で覆われ、撮影など不可能になってしまった。

Photo その国道脇から「スーパーはくと」下から見上げるような写真。
バックには神戸市の開発行政の象徴、ベルトコンベアが写っている。

Photo_2 さて、これは短期間しか走らなかったキハ181の「はくと」
モノクラス5両編成だった。

Sunin いきなり走ってきたのはたった2両の「ほのぼのSUN-IN」キハ58だ。

115221 また海岸側に移り、朝の列車たち。
一時的に関西の車両不足を解消するために岡山から応援に来ていた115系の快速が221系とすれ違う。。

Ef81 トワイライトカラーのEF81が牽引する12系の団体専用列車。
多分、金光臨ではないだろうか。

Photo_3 シュプール号で走っていた381系オリジナルカラー。
381系がこの区間を走るのは珍しい。

Photo_5 当時のスター、寝台特急「なは」
まだ編成が長く、夜行列車の貫禄に満ちていたころ。

Photo_6 その客車。
青く長い編成はまさに寝台特急の名に相応しい。

221207201 221系、207系、201系の出会い。
207系はオリジナルカラーだった。
すっかり今のカラーを見慣れてこの色合いを忘れてしまう。

117 震災直後の車両不足を補うためにこの時期も117系が一部列車に使われていた。
その福知山線カラー。

117_2 そして上りはオリジナルカラー。
117系はこの区間によく似合った。

JRの線路侵入対策として、高い鉄柵に囲まれて、二度とこのような撮影が出来なくなってしまった撮影名所。
今一度とは思うが、よほど高い脚立でも使わない限り、ここでの撮影はもうだめだろうなと思うとやはり寂しい。

205kei この路線で希少価値があったのが205系で、それを海をバックに国道から。

Photo_4 最後に思いを込めて117系の夕景。