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2010年11月 5日 (金)

キハ181系特急「はまかぜ」惜別!

いよいよ、キハ181系気動車特急「はまかぜ」の運転が終了し、11月7日から新型キハ189系による運行となる。
キハ181は、僕の中では偉大なキハ80の後継車ではあるけれど、その偉大さの陰に隠れて、華やかな印象をあまり持てない系列でもあった。

だけれど、僕が接した時間・・いやいや、気動車特急としての寿命の長さも言えば、それはキハ80をはるかに凌駕し、21世紀も10年以上を経た今日まで走り続けてくれたのだから、現場や利用者にとってはキハ80以上の名車になっているはずだ。

82 キハ80時代の「はまかぜ」の写真を2点。
ひとつは新装成った宝殿駅を通過するシーン。

Photo もうひとつは、雨の中、確か入梅の日だったと思う・・山陰線東浜付近を通過するシーン。

考えればこれで僕が高砂工場にいたころに業務で触れていた、見ていた車両が山陽線神戸口から消えてしまったわけで、それを思うと時の流れを実感してしまう。
「はまかぜ」に限らず、キハ181系はいつも近くにいてくれた国鉄特急車両だった。
一時的に夜行列車を除けば山陽線神戸口では「はまかぜ」しか特急列車が存在しない時期もあり、「はまかぜ」は憧れというにはちょっと気恥ずかしいような、慎ましやかな特急だった。

登場時、食堂車もない特急なんてと、陰口をたたかれはしたが、僚友だった急行「但馬」が消え去ってしまってから、兵庫県内、県都と但馬方面を結ぶ唯一の優等列車として走り続けてくれている。
「はまかぜ」は最大でも7連で、普段は4~6連、運行本数も片道2本、後に3本・・
但馬と神戸を結ぶと言いながら、それでもこれだけの輸送量で事足りて、今に至るまでまことに慎ましやかな列車だ。

それでも、国鉄の特甲線であり、日本を代表する大幹線である大阪と姫路の間の東海道山陽線を、その性能を目いっぱいに使って走ってくれたのだから、気動車特急としては願ってもない舞台で活躍してくれたように思う。

キハ181が高砂工場担当になったのは、「やくも」が381系電車に変わり、その余剰車で「あさしお」「まつかぜ」「はまかぜ」を老朽化著しかったキハ80から置き換えたときだ。
僕は高砂工場では客車上回り組に所属していたから、気動車に直接の関係はなかったが、それでも工事が立て込んできたりすると、動車組との間で応援のやりとりもあり、そういうときにまれに触ることができた。
客車組はすでに14系、12系などの客車で当時の新系列車両の作業には慣れていたが、動車組にとって初めての新系列でもある。

当初は戸惑いもあったようで、181系転属と聞いて、高砂工場スタッフが最も心配したのが食堂車の作業だった。
ぺネシアンブラインドの保守を最も心配していたのだ。
これは後に食堂車は移籍せず廃車となる旨通知があって、「な~~んだ」となったものだ。

さて、キハ181系はキハ80を駆逐し、山陰方面3特急で活躍。
置き換え当時の「まつかぜ」武田尾付近での撮影だ。
Photo_21枚目は雪の武田尾駅を通過するシーン。

Photo_3 2枚目はススキの河原を見ながらゆっくり過ぎていくシーン。
当時は増結用の先頭車があって、時にはこういった不思議な編成もあった。
この場合、キハ181にはトイレがないものだから、トイレのない車両が2両続くといったサービス上問題のあることもあった。

Photo_4 「はまかぜ」の宝殿での様子。
これも先頭車を増結している。

181 冬の餘部橋梁を通過する特急。
列車名は不明だが、同じネガに「はまかぜ」「まつかぜ」はあるので「あさしお」か。

福知山線電化で「まつかぜ」が消えた。
山陰線京都口電化で「あさしお」が消えた。
一時的に新規開業した智頭急行線へ乗り入れる「はくと」ができたが、それは「スーパーはくと」に比べあまりにもサービス上も、その速度も差がありすぎて不評であり、すぐに智頭急行線の振子式気動車が増備され、短命に終わった。

唯一残った「はまかぜ」は走り続けた。
最高速度120キロ、181系気動車の持てる性能を発揮できる最高の職場に恵まれ、沿線の利用者やファンに愛されながら走り続けてくれた。

Photo_5 JRになってからの須磨海岸での撮影である。

しかし、同じ路線を走る新快速のスピードアップがなされ、130キロ運転となると、181系の性能では通過駅がいくぶん、新快速より多くてもどうしてもダイヤの足を引っ張ってしまう。
智頭急行線の「スーパーはくと」は元々最高速度130キロで、加速も国鉄エンジンとは違いすばらしく、新快速に引け目をとらぬばかりか、新快速より早く走ってしまう。

この状況下で21世紀も10年以上を経た今まで、181系気動車が走り続けてくれたことは奇跡に値するかもしれない。

18026 それも、車両内外は大変美しく整備され、特急車両としてまったく違和感のない状況を保ってくれたこと、素直にJR関係各位に感謝したい。

3 11月3日、最後に「はまかぜ」に乗車してお別れを告げてこようと、僕は姫路へ向かった。
まず、舞子駅で「はまかぜ3号」の雄姿を撮影。

轟音とともに通過していくが6連に編成され、特急列車らしさが少し戻ったように思えた。

4 姫路駅から大阪駅まで「はまかぜ4号」に乗車、これが僕にできる精一杯のお別れ乗車だ。
姫路駅播但線ホームに入線する姿。

自由席5号車、キハ180-26、17D席に自分の居場所を決める。
見事に磨かれた窓、清掃の行き届いた車内は清潔感が漂い、発車してまもなくの車内放送は慇懃で丁寧、加速はキハ181特有のゆっくりしたもので、こういった場面にも国鉄らしさを感じてしまう。

走り出した「はまかぜ」の車内を眺め、車窓を眺めるうちに、この車両に出会ってからの自分の来た道が思い起こされてならない。
カーテン溝の3ミリのネジ、天井板を飾り面を使わずに合わすその工夫、アルミ製の仕切り扉、単純で評判の悪かったロール式のカーテン、無骨なカバーに収められた蛍光灯・・
この車両が消えることで僕の地元から「乗れる国鉄」が消えてしまう。
それは僕という人間が、人生の青年期をもはや過ぎ、これより老境にいたるであろうその現実や、この車両とともに思い起こされる国鉄時代の先輩、上司、友人、あるいは沿線でことあるごとにこの車両の通過を一緒に見ていた友人たち・・
通過する御着や、ひめじ別所(もちろん、この駅のできた場所は田んぼのど真ん中だった時代)では亡き父親との思い出、父の亡くなったその日のことが思い返され、もう35年も前のことなのにと、思うが涙が湧き出てくる。

宝殿は僕が少年期を過ごした場所でもある。
今まさに通過する踏み切りで命を絶った僕らのアイドルの姿まで思い起こされる・・

なぜか、死生観までも呼び起こし、特急列車「はまかぜ」はそれこそ滑るように沿線を通過していく。

キハ80には及ばないものの、柔らかくソフトな乗り心地は、まさに国鉄気動車の粋といってもよいもので、僕は何にも邪魔されず、「はまかぜ」の車内で暮れゆく秋の空を眺める。

明石に停車し、快速電車と同時刻に発車。
加速はまったく比べ物にならず、快速はあっという間に走り去ってしまう。

丘の上から明石海峡・播磨灘の絶景、僕が生き、仕事をしている朝霧・舞子の景色もまた格別なものに思える。
特急列車というものは、実にさまざまな思いを乗せて走るものなのかもしれない。

鉄道ファンと思しき人たちが数人、車内を歩くほかはいたって静かな雰囲気である。

夕闇迫る神戸の町並み、自分の青春すべてをこの列車が振り返らせてくれるような気もする。
仕事も、遊びも、恋愛も、友情もすべてがこの窓の向こうに流れていく。

「はまかぜ」は僕の青春の走馬灯か。

夜の帳が下りた大阪駅に到着。
盛んにフラッシュがたかれ、窓の外は人でいっぱいだ。

鉄道ファンはもとより、若い女性やサラリーマン風の男性も携帯電話のレンズをこの車両に向けている。
「ありがとう・・キハ181・・ありがとう、国鉄」
万感の思いが湧き出し、僕はお祭りのようなホームで「はまかぜ」の回送発車を見送った。

Photo_6 後二日で五十路を向かえる人生の分岐点で彼、「キハ181系」との別れを告げることができた僕は幸せなのかもしれない。

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コメント

僕の181系に対する関わりは「しなの」から「やくも」、それからは飛んで最近の「はまかぜ」。一番好きな車両だと豪語?しているわりには知識も関わりも浅いので、山陰本線におけるキハ181系の歴史とも言えるkouさんのお話、大変興味深く拝見いたしました。
思えば山線用にとわざわざ新エンジンを開発、華々しく登場したキハ181系でしたが、当初は故障続きで苦戦、その後は電化により活躍の場がどんどん狭まり、あまり力を発揮しきれなかったように思えました。
ただ最期の場所が山線・播但線だったのはキハ181系にとって幸せだったかもしれません。

181系の乗車は幼いころ、猛暑の中乗車した「やくも」で冷房故障という散々な経験が始まりですが、白い制服の車掌さんに「ぼく、ごめんね。米子まですぐだからね」と声をかけていただいたものでした。成人してからも津和野駅で「おき」の指定券を購入しようとしたら、にこやかな初老の駅員さんに「もったいないです。間違いなく座れます」と断言され、結果無駄遣いせずにすんだり、冬の姫路駅で「はまかぜ6号」で帰ろうと播但線ホームで待っていたら駅員さんが走ってこられ「『はまかぜ』をお待ちですか?餘部鉄橋が強風のため15分ほど遅れているんですが…」と申し訳なさそうに謝られたりと、優しい鉄道の方々と共に思い起こされるのが181系の記憶です。80系のような威風堂々たる姿の記憶ではありませんが、いつまでも忘れずにいたいと思います。

今日は御幣島へ私用があり、猪名寺の友人を訪ねて、時効を合わせて大阪へ出向きました。18時過ぎに、短編成故に4番線の中程から京都寄りの位置でしばし休息の後、あの重い唸りを轟かせながら、5番線の223系快速に伴われる様にして永久の旅立ちとなりました。
その後にはEC183系北近畿が、明日は我が身とばかりに入線して来ました。
大阪駅も大屋根がしつらわれ、あと少しの差で、壮大なドームの下に憩う姿が見れたものをとの思いがよぎりました。
関東の私には、やはり特急つばさが思い浮かびます。出力アップした後も補機を要した板谷峠も、新幹線となって昔の語り草です。
記憶に残るものとしては、特急しなので先頭を機関車とし、二輌目が中間車で続く珍編成での運行でした。あれは総括制御していたのでしょうか。

こう様、今晩は。

四国出身の私にとって181系は幼い頃より馴染みがある車両でした。昭和47年の新幹線岡山開業に時を同じくして四国の鉄道史上初めての「特急」が登場し、四カマに配属された新製車を含む181系が走り始めました。

私の場合は「しおかぜ」に良く乗りました。
登場当時は運転本数も少なく急行「うわじま」「いよ」の合間を縫って走るような感じでしたが停車駅が本当に少なく、明らかに急行とは一線を画した「特別な急行」と言う印象でしたね。

当時、予讃線の松山以遠(宇和島方面)は非自動区間(通票閉塞)が残っていましたので走行中のタブレットの授受シーンが見られたものです。

思えば今春の「はまかぜ」乗車が最後になってしまいましたが、先日姫路駅で勇姿を撮影できました。

私にとっては181系は永遠に「しおかぜ」から離れることはできなかったようです・・・・。

 私が初めて181系を見たのは40年近く前で、その頃新大阪―浜田間に運行されていた“やくも”でした。181系の印象は、キハ82に比べ、角張って排気ガスの量も多く、更に屋根にラジエターが載っていかにもハイパワーといった面構えでした。しかし、二番煎じといった感じでデザインはキハ82に軍配が上がるようでした。後年、181系の“いそかぜ”小倉―米子間を出張の際よく利用しました。全区間乗り通す物好きは私だけでした。車窓から見える日本海の眺めは素晴らしく何度乗っても飽きがこないのですが、速度は遅く折角のハイパワーも活かせないまま廃止になりました。
 “はまかぜ”は運行開始前に“はくぎん・ゆあみ”という82系の臨時列車を試験的に運行しており、撮り損ねた思い出があります。運行開始当時、播但線内はノンストップで地元はがっかりしたようです。
退社時に毎日目にする“はまかぜ”ですが、近年乗車率は低く高速道路の延伸、通行料割引に苦戦しているようです。新型車両がカンフル剤になればいいのですが。

いつかは来ると思っていましたが、
ついに、『その日』がきてしまいましたね。
田舎が米子なので、とりわけ思い入れがある車でした。
最盛期で米子機関区の配置で73両、合計で158両しか製造されなかった、国鉄内での、マイノリティでしたが、
米子駅のヤード内では王者の風格さえありました。
冬の伯備線で、食堂車の水タンクが凍りつき、
新見の駅で、水のバケツリレーやら、
夏場の冷房の故障で、飲料がすべて売り切れたり、食堂車の冷えない冷蔵庫、一緒に乗務した、運転士の方からは、80系、58系が自転車なら、181系は750のバイクみたいな運転感覚などなど、日食の先輩や運転士の方から沢山のエピソードを聞かされました。
小学生の時の修学旅行他、沢山の思い出があるのと同時に、食堂車を従えたやくもの長大な編成が疾駆する姿は、国鉄気動車の中でも、一番の迫力がありました。
昭和46年の最終増備から39年、私とほぼ同い年の車両・・・。
幾多のアコモデーションの改装を受けながらも、
最期の日まで、美しい特急車両の品を保って優秀の美を飾ることが出来た181は、幸せだったことと思います。

幼少の時、大好きな祖父のところへの帰省途中の播但線新井駅南側の踏切で通過する80系はまかぜに手を振ると、運転手が汽笛と共に手を振ってくれた。

小学校3年生の冬休み、1人で祖父のところへ一足先に帰省(既に汽車の1人旅が好きだった)行く為、明石から八鹿まで181系はまかぜ3号米子行に乗車。確か八鹿には15時過ぎに到着予定のはずが、播但線に入って間もなく、山陰線で事故発生の為、ダイヤの乱れが発生しているとの車内放送があった。車内放送も回を重ね、餘部から客車が落ちた事を知る。大幅に八鹿へ延着した時、迎えに来てくれていた祖父の安心した顔が今でも忘れられない。

祖父は13年前に他界したが、181系はまかぜは今日迄走り続けてくれた。お疲れさまでした。

私とはまかぜの出会いは、約30年前に遡ります。田舎が鳥取なので、時間の都合で「行きはまつかぜ、帰りははまかぜ」を利用しておりました※家族で帰省の場合は、節約の為、行きはみささ、帰りは但馬利用。車の免許取得や社会人になった事でほとんど鉄道を利用することがなくなってしまいましたが、数年前に愛媛の出張の際に大阪駅で型式「80系→181系」やカラーが変わったはまかぜが停車しているのを発見!思わず車内探索、古びているとはいえ特急車両の風格・独特の香り・天井に等間隔に設置されたクーラー・エンジンのアイドリング、思わず姫路まで乗ってしまいました。あっという間の時間でしたが、アルプスの牧場のオルゴール「昔は乙女の祈りだったと思います」に始まり、あのどっしりとした力強い乗り心地を満喫させてもらいました。あれが最後になるとは・・・寂しい限りです、ご苦労様でした。

山陰のあるバス会社の当時大阪本社の新入社員でしたが出張の帰りには 自社のバスでは夜行便だし山陰の女子社員と同時に会社もでたいし個人で奮発し昭和51年まだ80系のまつかぜ号で国鉄鳥取駅から大阪方行の特別急行の最終です。まだ夕方すぎですよ.それからはまかぜ エーデル鳥取 臨特はくと とありましたが純粋に新旧バトンタッチができたのはまかぜ ほんとうれしい限りです。80系のホーン エンジン音 年輩の白ダブルの車掌長 車内歩き中にみる機関室の大きさと轟音に感激 そして年期のはいった客扱いが快い専務車掌さん。あの時代の特別急行には 何が車格と気品がありました。駅はまだ高架前で小さな駅舎にのぼり特急 駅員と合うのです。いずれ会社の高速バスは国鉄智頭線の是非次第かなーとその時代偉い人たちはしりつつも高速バスはどの便もほぼ満席と増便で貸切から融通してもらうこともありました。でも34年たっても両者とも健在が当時をしるわたしにはしあわせなことなんです。181系=80系なんです。去年娘と和田山まで記念乗車してきました。娘はよく揺れるし大丈夫と心配していました。心の中でよる年並には誰も勝てずものだと痛感しました。おつかれさま 181系はまかぜよ

鉄路さん>

181系最後の「はまかぜ」、勾配線区でしかも、高速運転が必要な区間も長く、そういった意味で、最後まで存分に活躍できた本当に幸せな車両ですね。
いまもまだ、「キハ181はまかぜ」運転終了の寂しさから抜け出せません。

ふそうやましろいせひゅうがさん>

「やくも」時代はキハ181は一杯いっぱいの活躍だったように思えてなりません。
でも、その姿が好きでした。
写真もかなり撮影していますから、機会を見て出していきたいと思います。

あのころ、国鉄マンたちは愛想がよくない場合もありましたが、お客に損はさせないプロ意識を持っていたように思います。

泉州人さん>

四国の181は格好よかったですね。
まさに迫力十分、威厳もしっかり備わっていました。
急行キハ58・普通キハ20と役者もそろい、地味でも魅力的でした。
「しおかぜ」も何度か撮影しているのでまた機会を見て出していきます。

L急行鷲羽さん>

山陰線西部では僕は「まつかぜ」が良い思いでになっています。
おっしゃるように海の景色が素晴らしく、一度ここでキハ181を撮影したいと思っていましたが、叶いませんでした。
新型車両、おおむね好評のようですが、見た感じでは乗車率は今ひとつのようです。
どうか、「はまかぜ」新型車になってもがんばってほしいですね。

日食さん>

貴重なご経験ですね。
現場におられた方ならなお更に感無量のものがあるでしょうね。
僕自身はキハ181の引退が高砂工場最後の砦を崩してしまったような気がしてなんとも無常観に浸ってしまいます。

やくもの長大編成は本当に見事でしたね。
機会を見て記事にしますね。

急行但馬さん>

あの日のことが僕と重なります。
僕にとっても悔しくて切なかったあの日、風の強い日でした。

さて、国鉄の列車は時にはその地域そのものの思い出になじんでしまう感じもしますね。

最後まできれいに磨かれたキハ181は非常に幸せな車両だったと思います。

山陰本線さん>

地元でこの列車を見られたり、利用された方には寂しいことですね。
僕もいまだにこの車両の引退による空虚感から抜け出せないでいます。

tomozo関空快速さん>

山陰への長距離バスを早くから運行されていたバス会社ですね。
はまかぜ、まつかぜのよきライバルとして、そして今も元気に走っている姿を見ることがあります。

181と80は利用客から見れば同じ車両ですね。
イメージもそのままで、そのイメージが変わってしまうことに寂しさを感じながらも、新しい時代の息吹もしっかり感じて生きたいと思っています。

あづまもぐらさん>

「つばさ」を見たことはなかったのです。
でも「しなの」は見ることができました。
ハイパワー、新世代の気動車で、永く国鉄新性能気動車唯一の存在でしたね。

ただ、キハの場合、簡易運転装置をつければ中間車でも運転が可能ですから、この装置によれば中間車でも機関車と協調運転できたのかなぁ・・

183系電車もいよいよ、来年には消えていきますね。
まもなく、「雷鳥」485系も消えそうです。

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