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2010年10月21日 (木)

別府鉄道のデラックス?編成

古いネガから使えそうなのを探すのはこういったブログをしている以上、当たり前のことなのだけれど、それでも時として自分でも忘れているようなコマを見つけてニヤリとなることもある。
今回のものはまさにそんな数コマなのだが、どうも撮影当日のお天気があまり芳しくなかったようで、露出が良くなく、それでもPhotoshopで加工して見られるようになった3枚だ。

このブログのサイドバーにはブログ内でのウェブページへのリンクが入れてあり、別府鉄道はその中に(別府鉄道の物語)として入っているのだけれど、ページを作ったときには漏れていたものだ。

別府鉄道土山線。
場所は土山線の撮影名所であった鳥居のところ。
今で言えば大中遺跡公園の近くだ。

そこへ走ってきたのいつものDB201牽引の混合列車で貨車を10両ほど、その貨車の前に連結されているのが2両の客車だ。
当時、土山線にはハフ5、ハフ7の2両の客車があったから、これは土山線客車の全てということになる。

この2両が一緒につながれている姿をこの後は別府鉄道最終日の、あの雪の中でだけだっし、そのときはもう貨車は連結されていなかったから、この写真に写っているのは当時の別府鉄道としては非常にデラックスな混合列車ということになる。

撮影日は昭和58年1月8日。

2 1枚目は土山方向からやってきた列車の全景。
この列車を見たとき、僕の胸は高鳴ったのだろうか・・
全く覚えていないが、このネガを見つけた僕の胸は高鳴っている。。

25 2枚目はハフ5のアップ。
ハフ7は緩急車代用としても使いやすかったらしく、多くの写真が残っているが、ハフ5の走行中の写真は、地元に住んでいた僕にとっても珍しい。

2_2 3枚目は鳥居の前を通過して別府港方面へ向かう列車。
この鳥居がまた不思議な存在で、田んぼの中にぽつんと屹立していた。

冬枯れの播州平野を駈け抜けてと言うよりは・・多分、騒音を撒き散らしながら、ゆっくりと歩くかのように去っていったのだろう27年前の情景・・
加古川の、発展した今の景色からは想像も出来ない情景ではある。

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別府鉄道のデラックス?編成を参照しているブログ:

コメント

確か昭和48年にただ一度だけ訪れました。列車の本数が少ない上に野口も高砂線でしたから、スケジュールを立てるのに時刻表をひっくり返した覚えがあります。
土山からDL+ハフ7という最短編成でしたが、オープンデッキには驚きました。別府港での乗換時間が数十分あり、暫く客車を中から外から見回しました。野口へはDCで、列車も5~6往復ずつでしたから、「専用車輌の充当」をせずとも間に合ったのではないかと思ったものです。
何年も経ってから、相鉄が記念車輌として買い戻すとの報で、初めて地元横浜にゆかりのある車輌と知り、また驚きました。その後、かしわ台工機所で化粧直しされて、大切に飾られているのを見、長旅の果てに帰り着いた車輌が愛らしく思えたものです。
野口から高砂へ向かい、高砂線踏破に折り返す合間に、山陽電車を見に行き、暗くなりかけた中に270形を見た事も思い出しました。

 別府鉄道、懐かしいですね。廃止になって四半世紀は経ちましょうか。当時も別府鉄道の車両は戦前の車両といわれれば納得できるような車両ばかりで、あたかもタイムスップしたような雰囲気で驚いたものです。
 別府鉄道の最終運行日は珍しく雪で大したセレモニーもなく、平日だったので見送る人少ない最期でした。
今でも別府鉄道の遺構は多く、線路跡をサイクリングロードに供与しています。また、明姫幹線道路が別府の辺りは上り線だけ高架道路になっていますが、その当時は、明姫幹線道路は対面通行の2車線道路で別府鉄道を跨いでいました。別府鉄道が廃線になり、同線を跨ぐ必要もなくなったので地上を明記幹線道路下り線が通ることになりました。更に上下4車線に拡幅され、上り線だけ高架道路になり今日に至ります。

あづまもぐらさん>

この鉄道は山陽電車から向かった方が楽な鉄道でした。
でも、時刻表ではべふ北口と電鉄別府がほぼ同一地点であるとの記載はないし、高砂線から向かった人が多かったのも頷けます。
ハフ7、かしわ台に保管されていますね。
せんだって、海老名の友人がその様子を送ってくれました。
会いに行きたいなと思うこのごろです。

L急行鷲羽さん>

最終日は雪の降らない播州が大雪で、びっくりしましたね。
僕は仕事の帰りに別府まで電車で行き、お別れをしました。
昨今の廃止路線ではお祭り騒ぎになりますが、別府の場合、本当に好きな人だけが集まったという感じでしたね。

皆さんすごいですね。
鳥居は城野宮の南の物ですね。
今の播磨町郷土資料館の道を挟んで西側に有った神社の物ですね。
別府鉄、3回程、私はデートで使いましたね。
高砂線から別府鉄道野口線(ほとんど気動車でした。)
別府港に着いてから、別府港の灯台で釣りをして、(現在は公園化してますが)
昼の土山行き(DL+ハフ7)オープンデッキで遊んでました。
土山から国鉄で帰るルートでした。
今考えると優雅なコースですね。
最終日、バイトが川重信号線の近くだったので、当日、尋ねられたことが有りました。雪の中で迷ったのでしょうね。風景変わってましたから。こちらは雪掻きで大変でしたね。

mashさん>

いいデートですね!
羨ましいです。。
鳥居は今も残っていますが、あのあたり、当時とは比べられないほど変化しましたね。
時折、廃線跡を訪ねますが、あの風景は記憶の中の断片でしかないようです。

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