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2010年5月

2010年5月25日 (火)

昭和51年の阪急電車、桂・嵐山にて

駅の写真を探していたら、阪急電車の嵐山線とその関連の写真が出てきた。
昭和51年1月、まだ中学生だった僕が阪急6300系を生で見たくて、京都へ行ったときのものだ。
特急を見たいのに、なぜ、嵐山に行ったかは今の僕では疑問だが・・なぜか、当時の僕は嵐山を目指している。

S502814 十三から乗車した河原町行きの急行は、特急車である2800系で、これまた、すばらしい運にめぐり合えたと喜んだものだ。
当時の特急は十三から大宮まで30分弱をノンストップで、桂にいくには急行に乗車するより他はなかったが、急行もまた非常に速く、停車駅で見る限りでは現在の特急停車駅に大宮を省いただけであり、そういう意味では当時の阪急は気を吐いていたように思う。
急行と特急、どちらも15分毎で、合わせると今の特急10分毎より便利だったような気もする。

当時の桂駅は7号線まである広い構内を持っていて、京都線の上下に嵐山線がはさまれる形態だった。
嵐山線は桂駅の東方で京都線上り(京都方面行き)と立体交差していた。
嵐山線と京都線の直通運転にはこの形態のほうが便利だったように思うが、なぜか今ではせっかくの立体交差は生かされず、車庫との入出庫を兼ねるC号線と交差するだけという形態だ。

桂駅の嵐山線ホームに停車していたのは、1編成しかない210系で、中間にTを挟んで3両編成。
なんとも可愛らしい電車で、その頃、僕は宝塚線の610系は見たことがなかったから、これまた特別な電車に思えたものだ。
S506350211 この電車に乗車、嵐山へ向かう車中だったと思う。
憧れの新車、6300系が走ってきた。
思わず車内から撮影・・幸運にもうまく撮影できた。
僕が6300系を撮影した最初の1枚である。
当時の桂駅の構内配線もよく分かる。

S50211 さて、乗車した210系を嵐山駅で撮影。
本当に可愛い電車で、この前の時代には豪快な100系もここで使われていたそうだが、そんなことは知る由もない。(当時、もう1編成、700系がここで使われていた)
もちろん、阪急電車の車両への知識などほとんど存在しない頃だ。

フィルムや現像料が高価で、中学生にはもったいないと思われた時代、せっかくの嵐山もたくさんは撮影せず、最低限の撮影だが、なぜかこのフィルムに自宅近くの山野がたくさん撮影されている。
これまた今の僕には理解できない。

S506350 さて、また桂駅に戻る。
京都方面行きのホームで待っていると、向かい側のホームに河原町で折り返してきた大阪方面行きの6300系が走ってきた。
もちろん、停車などしない。
屋根が白く塗られた、いかにも「特別」を思わせるその電車は軽快に走っていく。

今では考えられないような広い構内がお分かりいただけると思う。

さて、210系はこの当時が最晩年だったようで、出会いはこれが最初で最後だった。
1080 ところが、数年後、意外なところで再会する。
広島電鉄宮島線である。
ドアの位置が変えられ、編成は2連になっているものの、特徴的な可愛らしい風貌はそのままで、すぐにそれと分かった。
再会は嬉しかったが、この出会いも一度きり・・
宮島線電車がすべて低床タイプ・・つまり、路面電車タイプに変わってから、この可愛い電車はその活躍の場所をなくしてしまった。

2010年5月11日 (火)

宝殿駅

僕は中学生になるまでは、私鉄もしくは市電、地下鉄の沿線で育った。
だから、父が亡くなり、母子家庭となった家族で移り住んだ加古川市西部は、始めて国鉄の沿線に住むということにもなったわけだ。

神戸、大阪の都会で育った僕にとって、田んぼの広がる、のどかな加古川は、子供心にも都落ちのような気持ちがしたものだ。
たとえば、路線バス・・これは神姫バスによる運行だったが、車掌さんが乗務して、下車停留所を口頭で伝えるやり方・・
その車掌さんに怖い人が多くて、なかなか下車駅を言い出せないのだが、これも都会では当時すでにワンマンバスだったのだから、こういう不安もなくてすむのにと・・恨めしく思ったものだ。
(今の神姫バスは品行方正、サービス第一で当時のような怖さなど微塵もないが)

Photo さて、自宅最寄り駅となったのが加古川の一つ西・・加古川の川を渡った先、しばらく田んぼの中を電車が快走したその先の宝殿駅だった。

宝殿駅は山陽鉄道の基本の構内配線を持った、ありふれた駅だった。
駅舎は南側にあり、駅舎側の下り本線、そして跨線橋を渡ったホームは島式で、外側に上り本線、内側に上下線兼用の待避線が設けられていた。
そのほかに、さらに上り線の外側に待避線が1本、その外側にもう1本、上り側にのみ開いた留置線があった。
ホームのない待避線では列車の退避や留置が行われていて、高砂工場出場車の留置もすることがあった。

ここでじっくり10系寝台車を眺めたのも思い出でもある。

昭和50年当時の宝殿駅に停車する電車は113系の「快速電車」ばかりで、これは明石以西は各駅停車となるもので、山陽本線姫路口の普通電車といえばこれだった。
編成は大抵が7両か11両で、姫路側から4両目にグリーン車をつないでいた。
運転本数は朝夕こそそれなりにあるものの、日中は30分ヘッド・・一時的に保線間合いを取るという名目で午前に60分の間隔が開くようにもなった。
Photo_2 駅の改札口は、電車が来る5分前に駅員が来て「上り○時○分発、米原行きの改札をいたします」と言って開けてくれ、駅舎のベンチに腰掛けていた乗客がゆっくりと腰を上げる。
ベンチには手作りの座布団が置いてあったし、改札側の隅にはボランティアだろうか・・盆栽の展示もあった。

駅の乗客がホームへ移ったあとに電車が到着・・
下車客の応対は今度は駅員二人で行っていた。

電車が行ってしまうと、駅員は改札口の真上にある列車案内を手動で操作し、次の列車を表示させる。
この手動操作が、くるくるとハンドルを回すもので、見ていて楽しかった。

このあたりの風景は汽車時代のそのままで、ただ、列車だけが113系と言う、汽車に比べるとずいぶん都会的になった感じだろうか。
そういえば、行き先案内には「電車 米原 グリーン車連結」となっていたように思う。

駅の南側は高砂市米田町に続く商店街。
駅の北側は加古川市米田町になるのだが、その頃は一面の田んぼで、遠くに加古川バイパスの道が見え、加古川市民病院の建物や町工場を視線の端にする以外は、播州ののどかな田園風景が広がっていた。
(なぜか、駅の南口に加古川市と大書きしたアーチが建っていたが、そこから100メートルもしないうちに高砂市になる不思議な場所だった)
上屋がほんの少ししかないホームで電車を待っていると、梅雨ごろには蛙の大合唱・・夏のお祭りの時には見事な花火、そして秋には煩いほどのコオロギや鈴虫の大合唱が聞こえたものだ。
少なくとも、この宝殿駅の雰囲気は僕が抱いていた電車の駅とはまったくかけ離れた物だった。
僕が抱く電車の駅のイメージは、改札口はもちろん、常時開いているし、切符は自動販売機で購入する。
電車はいつも少し待てばやってくる・・
そういうイメージだったのだが・・良くも悪くも宝殿駅は僕のそのイメージを変えた。

Photo_3 鉄道好きの中学生もさほど多くなかった時代・・
駅に遊びに行くと駅員さんたちは忙しい手を止めて相手をしてくれた。
あるとき、夜中に通過する夜行列車を見せてほしいと頼み込んだら、「終列車までの時間なら」と許可してくれた。
友人がその交渉に当たってくれ、僕ら数人、宝殿駅のベンチで、東京へ向かい、九州・四国へ向かう乗客を満載した夜行列車を眺める至福のときを過ごしたのは忘れられない思い出でもある。(写真は急行、鷲羽)
もちろん、本来仮眠時間であるはずの駅員さんがそばについてくれて、安全面での手抜かりはなかった。

Photo_4 この宝殿駅は駅北側に広がる加古川市西部へ向かう乗客のために、いち早く、改築されることになった。(写真は建て替え工事を背景にした急行、みまさか・みささ)
それまでの田舎の駅と言った風情から橋上式の近代的な駅舎に建て変わっていったのが昭和56年。
Photo_5 現在のJR神戸線では高架化工事で建て替えられた六甲道をのぞくと、実に最初の建て替えだった。
そして、僕らは古い駅舎に愛着を感じながらも新しい駅舎への期待が大きかった。

改札口は常時開くようになり、立派な行き先案内も装備され、中二階には喫茶室まで出来た。
駅の北にもバスやタクシーの乗り場が出来、あの蛙の大合唱の田んぼは姿を消した。

けれど、宝殿駅建て替えのころは、山陽本線の複々線化が真剣に考えられていたので、駅舎もいつでも複々線化できるように設計されているのだが・・これが、今現在の社会情勢ではその必要性すらなく、宝殿駅に停車する列車の本数も昭和50年ごろとは大差がない現状では、これ以上の発展など望めないような状況でもある。
駅に入るバス路線も大幅に減便され、駅前の開発は改築30年を経ても大きく進歩していない。

ただ、この駅がプロトタイプになり、平成のローカル駅として改築された近隣の各駅もまた同じような風情であるのを思うと、まさにこの宝殿駅改築は時代そのものの先取りだったのかと思う。
それにしても、あの、木造モルタル、赤い屋根の宝殿駅がふっと記憶に蘇ることがある。
通過していくのはEF58の荷物列車か・・
その外側に夏空と、稲の緑、そして蛙の声。。