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2010年4月29日 (木)

新潟の私鉄電車、蒲原鉄道・新潟交通

僕が新潟に下車したのは国鉄改革の前年だから昭和61年の夏になろうか。
このときの旅行では大阪駅から「きたぐに」に乗車、新津で下車してまず、蒲原鉄道を目指した。

朝、親不知の辺りで目が覚めると雨だ。
それも相当降っている。

雨はそのまま降り止まず、それでも、僕は「蒲原鉄道へ行くなら朝の3連」との意志は曲げず、磐越西線に乗り換えて五泉へ向かう。
五泉で停車していたのは古風な単行電車だった。
今思えばモハ61あたりだろうか・・

そのまま、雨の中、村松へ。

ここがまさにこの鉄道の中心地であり、駅前はいかにも地方都市のど真ん中という雰囲気に満ちていたように思う。
ただ、僕はひたすら電車ばかりを見る旅行であり、あまり時間がない。
かつて、宮脇俊三さんがここを訪れたときには「鯉の料理」を食べたらしいが、鉄道ファンの貧乏旅行では食べ物などは駅で調達できるものが一番である。

Photo 駅には古風な機関車が停車していた。

71 駅近くの線路際で待っていると、お目当ての3両編成がやってきた。これは先頭のモハ71で西武鉄道からやってきた電車だ。

Photo_2 こちらは2両目のクハ10で、戦前の国鉄気動車を改造した車両。

Photo_3これは3両目のモハ91は名鉄生まれだが、車体を更新して山形交通に行き、そこで廃線になって当線にはいってきたもの・・高松琴平電鉄に同型の電車があり、それと同じ山形出身。

Photo_4 撮影後、すぐに村松駅へ戻り、加茂行きの電車に乗る。
毎時1~2本と頻発する五泉行きに対し、こちらは列車の間隔が時には1時間半にもなる閑散さだ。

走り出したモハ61の単行電車は、低くモーターをうならせながら、勾配に挑んでいく。
スピードは出ないし、沿線風景はまったくの山村だ・・すごく時間がかかったように思う。

この電車も西武鉄道出身。

このあたり、ローカル電車の・・時間を超越した走りというのでは熊本電鉄の菊池温泉行きや、名鉄美濃町線の美濃行きにも似ていたように思う。
電車の中も閑散としていて、夜行の疲れからか、寝入ってしまってほとんど覚えていないというのが現実でもある。

加茂から信越線と弥彦線を乗り継いで燕へ・・この頃になると雨が上がってきた。

ただ、本当に弥彦線に乗車したのか、あまり覚えていない・・この頃の記憶で新潟あたりで路線バスに乗ったような思い出もあるから、本数の少ない弥彦線では時間が合わず、バスに乗った可能性もある。

ここから新潟交通の乗車だ。
県庁前からの乗車が筋かもしれないが、とにかく二日で新潟・長野の電車をすべてみようという欲張りな旅行だ。
先を急ぐ・・
列車を見るためなのか、列車を見たという事実を味わうためなのか・・
このあたりの感覚は今の僕にはわからない。

Photo_5 新潟交通の燕駅のイメージは脱落している。
写真が1枚、残っている。
小田急からやってきたクハだ。

新潟交通も距離は長いが、スピードが結構出ていたように思う。
蒲原鉄道のような遅いイメージはない。
川筋の横をかなりのスピードで飛ばすイメージだ。

新潟市内に入ると路面電車宜しく併用軌道となる。
ここからは、かなりゆっくりした走り方だ。
自動車にさえぎられ、なかなか進めない。

Photo_6 県庁前駅は大通りに挟まれた島のようなところにあった。
なんとも古風なたたずまいの駅だった。

Photo_7 あれから四半世紀・・・
どちらの電車も今は存在しない。
私鉄が好きな僕にとって新潟は、魅力のない土地になったか・・

そんなことはなく、ただ、僕がそれ以来、旅行というものを満足に行えない立場になったことが、この地に足を踏み入れない最大の要因だろう。

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コメント

私が訪れたのは昭和40年代末でした。
夜行の急行ばんだい号から磐越西線の一番列車で五泉へ向かい、蒲原鉄道は村松で降り、再度加茂へ抜けました。クハ10はクロスシートがずらりと並んでいたのを憶えています。加茂への途中の野原の只中に「○Χスキー場前」という駅があった様に思います。新潟交通は、ささやかなターミナルの県庁前から燕へ。蒲原鉄道よりは少々近代化されていて、電動車は統一されていました。白根は流石に駅の風情を醸していました。燕からは弥彦線で弥彦神社に詣でましたが、赤谷線は時刻が合わず諦めました。当時はまだ越後交通も辛うじて残っていて、ナローの見附線で西見附を往復、長岡線は長岡から信濃川を渡った西長岡へ出て来迎寺へ向かいました。確か元小田急の車がいました。新潟からはみ出しますが、当時は庄内交通善宝寺線も健在でした。山形交通三山線(未訪)と併せ、みんな歴史の中へ去ってしまいましたね。モータリゼーションの発達で仕方ない定めであったとは思いますが、新潟交通だけは、新潟が政令指定都市へと発展し、白根市を沿線に持っていたのですから、新幹線とのリンクを謀れば別の展開もあった様に思えて残念です。

マニラから大阪へさん>

越後交通はその存在を知っていても、僕が新潟を訪問できたのは廃止後でした。
新潟交通の場合、今のLRTの考え方が浸透していたら・・
これは確かに違った展開になっていたでしょうね。
残念でなりません。

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