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2009年12月

2009年12月20日 (日)

加古川橋梁

兵庫県最大の川、加古川には一番河口に近いところから、国鉄高砂線、山陽電鉄、山陽新幹線、国鉄山陽本線、国鉄加古川線、神戸電鉄、さらに加古川線の谷川支線といくつもの鉄道の橋梁が続いていた。
その中で、風景が変ってしまったといえば国鉄山陽本線の加古川橋梁だろう。

戦前の架橋技術が優秀であるがゆえに、年月を経ても列車の減速などは必要なく、特急列車などは高速で滑るようにこの橋梁を通過していた。

電車の時代となり、国鉄がJRとなっても、この橋梁の雰囲気は残されていた。

橋の前後に日本毛織の工場があり、その煙突と橋梁の姿はまるで一幅の絵を見るようで、長らく加古川と言う土地の象徴だったように思う。
しかも、そこを走る列車は第一級の幹線らしい風格に満ち溢れていた。

今回紹介する写真はJR化直後のものばかりで、車体側面にJRのロゴは入っているものの、まだまだ山陽本線が「JR神戸線」となりきれなかったころの写真である。

Photo

まずはブルートレイン「あかつき」の長大編成。
後にレガットシートとなる2両目の座席指定車が編成のアクセントだ。Photo_2

そして同じブルートレインでもオール25形による「明星」。
まだまだ、九州への寝台特急が沢山走っていた時代だ。117

そして、117系による普通電車。
まだ、ラッシュ時に新快速の運転がなかったころ、新快速の車両は朝夕には西明石以西は普通電車となる快速電車としてラッシュ輸送に頑張っていたころだ。

Photo_4 大阪方面へ向かう113系の快速電車。

まだまだ113系は快速電車の顔だった。

221系が登場するのはこの翌年のことだ。

この加古川橋梁だが、まだまだ、使えた堅牢な造りだったにもかかわらず、加古川駅付近の立体交差化で架け替えられてしまった。
今の加古川橋梁は、見た目は立派なトラス橋である。

そして、橋梁の東西にあった日本毛織の工場も今は縮小されてしまい、かつての面影はなく、代わりにショッピングセンターがそのあたりに鎮座している。

走っている列車もブルートレインすでになく、117系も臨時や団体を除いてはこの路線には入らず、今現在の主役はステンレスの223系一党か、もしくはコンテナばかりを並べた高速貨物列車ということだろうか。
いずれにせよ、トラス橋ではサイドからの列車の写真などおぼつかない。

ついでにと言ってはなんだが、山陽本線加古川橋梁の3キロほど南にある山陽新幹線の加古川橋梁から。
Photo_3
新幹線0系6連の「こだま」か・・
16連の0系ばかり(最初は0系と言う呼び方もしなかった・・新幹線にはこの車両しかなかったからだ)見慣れた目には国鉄末期に登場した6両編成はいかにも短く、頼りなく感じたものだ。

今現在では最短は4両編成、「ひかり」ですら8両編成なわけで、もはやこの程度の編成を見ても格段に頼りなく感じないから不思議だ。

100
次は既出だが100系「ひかり」のすれ違い。
100系の栄光は短く、後を告いだ300系もすでに主役ではない。

時代の移り変わりを最も感じるのが新幹線のトップスターの姿だろうか。

2009年12月 2日 (水)

30年前の福井鉄道

国鉄に入社して最初の現場忘年会は北陸の山代温泉への小旅行だった。

初めてのどんちゃん騒ぎ、先輩諸氏の酒の強さに恐れおののきながら、男の宴会とはこう言うものだとのエロチシズムに戸惑いながら・・そして、仲居さんと先輩が一人ずつ消えていく奇妙な雰囲気に大人の世界の可笑しさを知ったその夜が明けて・・

帰路は加賀温泉から「雷鳥」で大阪まで帰る予定になっていたが、北陸まで来たら一つくらいはローカル電車が見たいと・・先輩にお願いして皆と分かれて、ひとり、先に加賀温泉駅に行き、やってきた急行「くずりゅう」で福井を目指した。

前夜からの雨も上がり、日曜朝の福井駅前は静かだった。
確かこのあたりにと・・大通りを探すも電車の姿はなく、旅行者には脇道のような・・そう、日曜の朝、商店がまだほとんど閉まっている商店街の中の狭い通りにシックな2両編成の電車が停車していた。Photo

これが福井鉄道との出会いだった。

よく見ると、その電車は連接車で、近代化初期の香りを柔らかい曲線で包み込んだボディは、なかなか都会的に思えた。
ステップを登って車内に入ると国鉄式の固定クロスシートがずらりと並び、座席のピッチにあわせた大きな窓は113系電車の私鉄版を思わせてくれた。

この電車こそ、今も福井鉄道で活躍する200形だ。

車掌さんから「終点まで」と言って切符を購入し、先頭車両、最前部のクロスシートに座った。
そこへ運転士さんが後ろから歩いてこられ、如何にも旅行者風の僕を見て声をかけてくれた。
「どちらから来られたのですか?」
「兵庫県の加古川です」
「遠いところからようこそ・・今日は電車を見に?」
「そうなんです。福井に変った電車があると来ていたもので・・」
「確かに、ウチは少し変ってますね」
「でも、この電車、すごく好きになりました。いい電車ですね」
「ありがとう」
「でも、なぜ連接車なんですか?」
「ああ・・道路交通法の関係で全長を31メートルに抑えなければならないからですよ。古い電車は構わないのですが、新車を作る場合はその法律に従うことになっているのです」

僕はそう言う法律が鉄道にも影響するとは考えてもいなかったから、これはすごく印象に残るお話だった。

「夕べはどちらにお泊りでしたか?」
運転士さんの問いかけに「山代温泉です」と答えると・・
「それは・・大変だったでしょう」と、にやっと笑われてしまった。

昨夜の売春防止法違反かもと言うような・・どんちゃん騒ぎを読み取られたかと・・少し恥ずかしくなってしまった。
(もっとも、僕は宴会が終わると自分の部屋で若手の先輩方と呑みなおしていたから、そっち方面は・・お座敷ストリップを見ただけで・・無縁だったけれど)

さて、福井鉄道初めての電車はスマートな200形の「武生新」行き急行電車だった。
最初は道路上をごろごろと走り、すぐにスイッチバック、そして、反対方面行きの電車とすれ違いながら道路をまたごろごろと走る。
急行であり、路面区間の停留所には停車しないが、速度は低く、その道路上を走る列車のクロスシートと言う不思議な存在はかつての山陽電車を思い出した。

やがて、福井新から専用軌道に入り、高速で飛ばす。
高速と言っても、時速は70キロ程度か・・
それでも、ローカル電車とは思えぬきびきびした走りは一瞬にして僕をこの電車に引きずり込んでくれた。

田園地帯や住宅地を停車駅も多くなく、飛ばす電車。
ポイントには雪よけのシェルターまであり、軌道の整備は悪くない。
まさに、都市間電車と言う印象を強くした。

武生新までの30数分はあっという間で、なんとも気持ちのよい時間を味わった幸福感が残ったものだ。
武生新と言い、新武生と言わないのが新鮮に思える。
福井新と言う駅もある、
Photo_2 福井鉄道は個性的で、武生新構内には古典的な電気機関車も停めてあった。

先ほどの運転士さんに教わって、支線の南越線にも乗りに行った。

終点の駅名の読みが分からず、JR武生駅の裏にあった駅の出札で「くりたべ」と発音したら「あわたべ・・だね」と訂正されてしまった。
栗と粟では字が違う。
僕は神戸電鉄の地元に「粟生」があるのに、粟の字を「くり」だと思い込んでいたのだ。

Photo_3
1両の電車は先ほどの福武線とは全く違うローカルムードの中を重々しく走る。

電車の外観は先ほどの急行電車、200形と比べても見劣りしない近代的であるがゆえに、なおさらそう感じる。
「粟田部に旨い蕎麦屋があるときいてね」そう話す初老のおじさんと僕の二人だけがこの電車の乗客だった。

粟田部は茫洋としたところだった。
まもなく雪が降り始めるその前の静けさのようなものがあたりを支配していた。
雲が低く、紅葉の名残が余計に寂しさを感じさせる。

隣の五分市まで歩いた。

僕が乗車した南越線は末端区間を廃止された後の残り区間だった。
それでも、列車に乗客は少なく、駅は閑散としていた。

廃止が近いだろうことは僕にもすぐに分かった。

武生へ戻り、ここからこのまま、大阪へ戻ればよいものを、また福井まで福武線急行に乗車したように思う。
何度でも乗りたくなるほど、急行電車は魅力的だった。

そして、南越線との違いは、都会の電車のように混んでいたことだった。

福井鉄道にはもうひとつ、好きな車両があった。
140形で、これは名鉄と長野から購入した中古車を上手に合わせてロマンスカーに仕立てた楽しい電車だった。Photo_4
ただ、長野の電車が1両足らず、その分は福井鉄道にあった古い車両を使って同じような電車に改造してあった。
2両固定で、転換クロス、シル・ヘッダがついたこの電車は客用ドアが運転台側に偏り、客扱いに便利なような構造になっていた。
しかし、その外観は本でしか見たことのない戦前の名車で日本最初のロマンスカー京阪600形に似ているように思え、親近感を抱いた。

それ以後、何度か福井鉄道を訪れた。
最後に訪れたのはもう20年ほど昔になろうか。

だから今の、LRT化された福井鉄道にはまだお目にかかっていない。
大好きだった名鉄岐阜の瀟洒な電車たちがここで活躍していることでもあり、ぜひ、見に行きたいと思う。
広電とは、先だって再会できたから今度は福武線だと心には決めているのだけれど。