フォトアルバム

プロフィール

フォトアルバム

こう@電車おやじ

小説サイトSTORY http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/ 鉄道掲示板 http://6551.teacup.com/kouzou/bbs プロhttp://pr.cgiboy.com/02653710/フィール

« 2009年9月 | メイン | 2009年11月 »

2009年10月

2009年10月19日 (月)

西鉄、宮地岳線

西鉄には面白い支線もあるし、本線でも見ていて飽きないくらい私鉄ファンを自認する僕にはうれしい鉄道会社と言う印象がある。
けれども、この会社は実はバス事業では日本の最大手のひとつであり、鉄道事業はバス事業ほどの重みをなすわけではないそうだが、かつては非常に多くの鉄道路線を保有し、それがまた活発に走っていたものだ。

僕が鉄道写真を撮影できるようになってから、ようやく宮地岳線と北九州線、それに甘木線を訪れることが出来た。
北九州線、甘木線は次の機会に譲るとして、今回は宮地岳船貝塚車庫の写真をいくつかお目にかけようと思う。

西鉄貝塚車庫にお邪魔したのは昭和53年頃だろうか。
初めての九州旅行で、熊本から大牟田で西鉄電車に乗り換え、福岡入りしたのだ。
このとき、大牟田線特急は最先端の2000系ではなく、山陽3000系をさらにコストダウンさせたような600形だったからがっかりしたものだ。

天神から路面電車で貝塚に向かった。

貝塚車庫ではお願いすると気軽に車庫の撮影を許可してくれた。

福岡市内線電車の写真も残っているのだが、今回は宮地岳線を見ていただこうと思う。

まずは、宮地岳線が「博多湾鉄道汽船が馬車軌道を買収し、これの軌道を改良、改めて宮地岳線として大正13年に開業したその生え抜きの車両が前身のモ2。Photo

Photo_2

この路線は最初から電化の予定で、最初の客車も将来の電化をもくろんだ設計だったが、電化最初の車両、モ9。Photo_3

同じくモ8。

Photo_4

大阪電気鉄道(大鉄・・今の近鉄南大阪線)から譲受した電車を鋼体化したモ13。Photo_5

昭和11年、大牟田線用として登場した車両を転属・改軌させたモ21。Photo_6

国鉄の木造国電、クハ17が前身、鋼体化したク63。

大手私鉄の支線とはいえ、本線である大牟田線とは軌間も異なり、さまざまな面白い電車が走っていた宮地岳線は福岡の強烈な魅力を示す一つの存在でもあった。

僕が訪れた当時、313系の入線も始まっていて、そういた意味では宮地岳線らしい最後の時期だったのかもしれない。

この路線が最近、末端区間を廃止したと聞いて、その頃の繁盛振りを目にしているものからすれば意外な気がしている。
モータリゼーションの急激な進展は都会の大手私鉄支線にも多大な影響を与えているということだろうか。

2009年10月 1日 (木)

改めて赤字ローカル線問題

Photo 日本航空の経営再建問題がここのところ、毎日のように報道されている。
赤字が分かっていながら建設される地方空港、その空港への乗り入れを半ば強制されたことも日本航空の大きな赤字を生んだひとつの要因であることは否定出来ないだろう。
元来は千歳、羽田、伊丹、板付といった基幹空港を結ぶ幹線航空路と、独占状態の国際航空路のみを運行して来た会社だが、航空自由化の波に押され、他社が国際線に進出する一方で日本航空は国内の地方都市を結ぶ路線にも進出、これの度が過ぎた事・・ここに大きな落とし穴があったということか。

この問題を聞いていると、何やら国鉄の赤字の問題を連想してしまうのは僕だけではあるまい。

明治時代に鉄道が国有化されたとき、国鉄は「幹線鉄道」を担い、民鉄は「地方路線」を担うのが方針だったはずで、このとおりに進んでいけば国鉄は赤字に転落などしなかっただろうと思う。
ところが、我田引水ならぬ我田引鉄の時代がやってくる。
代議士たちは己の力を地元に見せ付けるために民間鉄道が建設しようとしなかった路線までも次々と国鉄に建設させていく。
(ちなみに現代では我田引空・もしくは我田引道か)

それでも、国鉄全体がまだ元気で、モータリゼーションの姿などまだなかった時代なら、辻褄は合うものだ。
昭和30年代になると日本の自動車産業は急成長を遂げ、自家用車があふれるようになってくる。
道路整備の進歩とともに自前で線路を有さなくてもよい路線バスも発達する。

結果として経営基盤の脆弱な地方路線から鉄道としての使命を終えたような閑散路線が出現することになる。

昭和39年。
新幹線開業というエポックメーキングなこの年、国鉄は赤字に転落する。

国鉄の赤字は確かに国鉄自体の放漫経営によるところも大きいが、本質的には政治的に押し付けられた植民地鉄道職員への年金、恩給など、あるいは高度経済成長を支えるための莫大な設備投資などの国鉄自体には責任がない部分が大きな割合を占めている。

それはともかく、新幹線開業と国鉄の赤字転落とが同じ年であったことに、僕としては深い感慨を抱いている。

さすがに当時も国鉄の赤字は大問題だったらしく、昭和43年、国鉄諮問委員会は国鉄に鉄道としての使命を終了した赤字83路線を明示し、この営業を終えるように提言している。
この、昭和43年と言う年は、国鉄が近代的な幹線鉄道に脱皮するための白紙ダイヤ改正を行った年であり、全国で特急・急行の大増発が行われたこともまた・・なにやら因縁めいたものを感じる。

さて、赤字83路線を見てみると、このときに廃止されたのは福島の川俣線や徳島の鍛冶屋原線、兵庫の篠山線など、区間廃止の札沼線・唐津線を含め12線区で、他の線区はその後も生き延びていく。
いや、それどころか、白糠線、大隈線(当時は古江線)、三江線のように、まるで傷口を広げるかのような路線の延長工事がなされた線区もある。
(江差線、参宮線、日南線あたりが入っていることにも意外な感じがする)

Photo_2 中には後の情勢の変化や工事による残区間の完成で持ち直した路線もあるが、過半は国鉄改革の際の特定地方交通線として指定され、せっかくの新線区間も長く使われず、廃棄されてしまったり、可部線などは赤字83線区指定後も工事を続け、区間延長し、さらにその先へ工事を進め・・その工事は巨大な廃墟を残したまま中断され、指定当時の非電化区間も結局はJRによって廃止されてしまっている。
利用者も国鉄も政治屋に翻弄されているような印象を受ける。

これらローカル線の維持運営はもちろん、建設費にいたるまで国鉄がその負債として抱えたわけであり、国家というものはいつの時代も交通事業者に多大な負担を与えるものであると・・今回の日航問題を見てもそのように思う。

なぜに、赤字と分かっている路線を建設させたのか。
莫大な資金をつぎ込んで建設させた代議士たちこそ、国鉄赤字の真犯人であり、なぜに彼らをマスコミや世論は糾弾しないのか。
Photo_3 日航の赤字にしても、無理やりに地方空港・・僕の大嫌いな神戸空港や静岡空港などといった無意味なものを次々と作らせ、結果として当然のことながら航空会社や空港運営事業体に巨額な赤字を生み出させた政治屋の責任はなぜ問われないのか・・

鉄道建設公団が工事をしていた路線も国鉄改革でいったん白紙に戻された。
必要性の高いものはやがて第3セクターによって運営することで工事が再開され、智頭急行や北越急行、愛知環状鉄道のような幹線鉄道も開業している。
ただ、このうち、北越急行に関してはせっかくの高規格路線も、やがて開業する北陸新幹線にとって変られ、そのあとはローカル線化せざるを得ない未来が待っている。
智頭急行にしても高速道路無料化が実現するとその経営は今のように安泰とは言えないだろう。
鉄道は国家の阿呆政治屋によって弄ばれている感すらある。

自らの票欲しさ、人気取りだけの政治屋は何党であれ不要である。
国鉄にしろ、日航にしろ、赤字を生み出させた政治屋たちの責任を問い、場合によっては財産を没収してでも穴埋めさせるようなルールを作らないといつまで経っても形を変えて、国鉄の赤字ローカル線問題は生まれ続けると僕には見えて仕方がない。

なお、ローカル線は利用者(特に交通弱者)にとってはなくてはならぬものであり、作った以上、簡単に廃止などできないのはモノの道理である。