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2009年8月

2009年8月20日 (木)

「なにわ」と「みやび」

ホームページ中のコンテンツ「国鉄高砂工場」で公開されている写真も含め、「サロンカーなにわ」「お座敷客車「みやび」の二つの写真を改めてここで公開していこうと思う。

このブログでも「サロンカーなにわ」それに「みやび」のエントリーで過去に書いているので合わせてごらんいただきたいと思う。

まずは「サロンカーなにわ」から。

Photo 改造中の姿。

14系客車スハフの前後を反転させ、便所、洗面所を撤去してそこに展望室を作る。

もっとも、反転とは言っても編成の前後を入れ替えるだけで、客車の向きを変えたわけではない。

Photo_2 完成した展望車の車内。

非常にシンプルで座席定員も少ない。

Photo_3 展望車のビュッフェ。

古典的な喫茶店のよう。

Photo_4 展望車の外観。

連結側の妻面。

半流線型の妻面を切妻に改造、編成で違和感が無いように配慮されていた。

Photo_5 展望車の全景。

Photo_6 工事開始第1号車の車内。

国鉄としては思い切ったつくりではある。

天井右側、斜めになっている部分は暖房装置。

Photo_7 第1号車完成。

高砂工場塗装職場にて。

塗装は徹底的に磨き出しされた。

Photo_8 完成、プレス公開。

Photo_9 東加古川ー加古川間を行く完成記念、公開試運転列車。

Photo_10 こちらはついでに・・

同じ時期に東京で完成した「サロンエクスプレス東京」

安土駅付近にて。

ここからは「みやび」だ。

高砂工場での「なにわ」スタッフによる工事で、場所は移転しても高砂最後の仕事とも言える。

Photo_11 工事中の「みやび」車内。

格子天井、引き違いの障子、掘りごたつ式の座席、常時使える通路など従来のお座敷客車とは一線を画すものだった。

Photo_12 掘りごたつ式座席テーブルにある小型モニター。

これまでの大型モニターから各自で調節できるモニターに変更された。

Photo_13 カラオケのコントローラー。

当時最新の機器が導入された。

Photo_14 仕切部分。

赤いふすまはなにやら遊郭を思わせる。

全体に高級料亭の雰囲気でまとめたそうだ。

Photo_15 引き違いの障子、14系の面影を残す窓。

窓の内側はFRPのカバー。

障子は全開できない。

Photo_16 いったんこの状態で完成した。

ただし、まだホロが取り付けられている。

Photo_17 ホロは撤去、埋め込みされた完成直前の姿。

Photo_18 完成した「みやび」

塗装はグレーに茶色、国鉄117系と似た雰囲気だったように思う。

2009年8月10日 (月)

神有電車・神戸電鉄

僕は神戸の下町、湊川の生まれだ。
そこは神戸の地形上ではやや山の手にあるが、町の雰囲気は完全な下町で、歓楽街である新開地に接した庶民的な街だ。

その湊川、公園の西側、その下から出ていたのが神戸電鉄であり、僕の父母も周囲の人たちも「神有電車」と呼んでいた。

長じてこの鉄道は本当は「神戸電鉄」と呼ばれる鉄道であることを知ったが、神戸の神と有馬の有を取った名称であることは理解できても、この鉄道が「神戸有馬電気鉄道」から「神戸電気鉄道」に社名を変更したのは戦後すぐのことであり、昭和40年代前半では未だに新社名は利用客や沿線住民に受け入れられず、いつまでも「神有」という名前が愛称として使われていたのは不思議な気がする。

僕の幼少期、この鉄道の鵯越駅近くに、母方の祖母が住んでいて、よく家族でそこまで通ったものだ。

そのころの神戸電鉄は古い旧式の電車が多く、普通電車の大半は旧型だったように思う。
時には2両連結でも幌が繋がれていない電車もあって、家族で前後に分かれて乗車してしまったこともあった。

それでも、急行には目が覚めるような新型電車が使われていて、これがいま思うに300形だろうか。

Photo そのころの神戸電鉄は今より準急が普通より多く感じた。
列車の本数も少なかったからそう感じたのかもしれない。

湊川の駅は上沢通りの交差点に面していて、道路歩道から直接駅構内に入れたけれども、駅の上は湊川公園だった。
神戸は坂の町である。
地上にありながら公園からみると地下になる不思議な駅・・それが湊川駅だった。
だから駅はほぼトンネルの中に構築されていて、3つのホームを持つ結構大きな駅だったように思う。

上沢通りには市電が走っていて、神戸電鉄は市電とは接続しているものの、ほかの鉄道とは接しておらず、そういった意味では不便な電車だった。
この湊川は、戦前、阪神と山陽がここにターミナルを持ってくる予定で、実際に山陽は一部路線工事を始めていた(これが神明急行線である)ものの、世界恐慌と第二次大戦でこの工事は停止したままだった。

この路線構想と神戸電鉄が国鉄神戸駅まで高架線で延長する路線免許とを合わせた形で、神戸市が中心となって設立したのが神戸高速鉄道である。

我が家が大阪へ転居した後、神戸高速鉄道が開業した。
久しぶりに訪れた湊川駅はなんとも小さな対向式ホームの駅となってしまっていたが、新たに開業した神戸高速の新開地駅のつくりが旧湊川駅に似ている気がした。

0001 神戸の平坦地である新開地から北鈴蘭台あたりまでは高低差400メートル以上・・
そこを駆け上り、あるいは駆け下りなくてはならない神戸電鉄は典型的な山岳鉄道だ。
比較的勾配が少ない三田線以外では、どこにでもおよそ一般の鉄道では考えられない急勾配が連続し、車両にも特別の工夫が必要な特殊な鉄道・・
それが神戸電鉄だ。

0001_2 神戸高速開業後、沿線は爆発的に開発が進み、地形こそ山岳鉄道ながら、沿線風景は激変してしまった。
さらには谷上駅付近や菊水山駅付近の大規模な路線の変更、公園都市線の開業、そして逆に乗客の大幅な減少が始まった粟生線の苦境。

0001_3 複線化や曲線改良などのインフラ整備が追いつかず、かえって乗客を減らしていくしかない現況。
並行道路を走る神姫バスの脅威にさらされ続け、粟生線は累積赤字が100億を超すなど、鉄道としては危険な領域に入り込んでいるような気がする。

今の神戸電鉄は「神鉄」というスマートな愛称を会社自ら名乗り、イメージアップを続けてきた。
電車の建造も多く、ここ10年で神戸電鉄の車両は様変わりしてしまっている。
スピードアップも進め、最高速度は85キロのレベルにまで達している。

0001_4 けれども、三木や小野、それに三田から新開地まで大半が普通電車か少ししか通過駅のない準急で1時間弱というのはやはり遅い。
それに新開地というターミナルも中途半端な印象でしかない。

今や神戸の中心が三宮・元町であるのはだれも疑わないだろう。
三木・小野・三田からいかに早く三宮へ行けるか・・今の神戸電鉄には最も大きな課題ではないだろうか。

しかし、公共工事として完成した阪神高速北神戸線や間もなく全通する山手線・・
これらにより神戸電鉄はさらに苦境に立たされるのではないか?
会社の奮闘もさることながら、高速道路に多額の税金をつぎ込むのであれば、神戸電鉄にもまた公共資金の投入も必要ではないか?

僕にはそう思えてならない。

さて、僕ら神戸市の南に住んでいる者にとって神戸電鉄はあまり縁のない鉄道でもある。
けれども、この鉄道が一躍脚光を浴びた時期があった。

あの、阪神淡路大震災の直後、沈黙してしまった神戸中心部の鉄道に変わり、六甲の山越えをするこの鉄道を経由するルートが成立したからだ。
僕もまた、バイクで山越えをして鈴蘭台から三田を経由して大阪へ向かったものだ。