フォトアルバム

プロフィール

フォトアルバム

こう@電車おやじ

小説サイトSTORY http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/ 鉄道掲示板 http://6551.teacup.com/kouzou/bbs プロhttp://pr.cgiboy.com/02653710/フィール

« 2009年3月 | メイン | 2009年5月 »

2009年4月

2009年4月30日 (木)

汎用になった山用電車165系

Photo かつて、ブルーライナーの愛称で親しまれていた153系新快速だけれども、この列車には実は165系の先頭車両が17両も含まれていた。
東海道線の急行用だった153系の編成を短縮し、通勤列車や地方線区の急行列車として運用するためには先頭車両を増備する必要があったけれども、そのときはすでに153系の製造は終了していたので後継車両たる165系の先頭車両をこれにあてがったものだ。

こうしてみると165系は急行形電車と言うものを確立した153系の純然たる後継車両であるように見えるけれども、実は165系の場合、これは157系や161系をベースにしたいわゆる「山用」であり抑速制動や高性能制御器を装備、しかも当初の投入線区が上越線であったことから耐寒耐雪装備も施されている。
東海道・山陽区間ならば平地・暖地向けの設計で良いのだが、当時としても、やがて延伸するであろう新幹線博多開業後の転用を考えると、後の改造工事などの手間を省くためには多少はオーバースペックであっても止むを得ないと言うことか・・

国鉄の電車は新性能化当初の100キロワットMT46電動機から、昭和37年ごろからは新性能第二世代では120キロワットのMT54に変更されていく。
それが101系に対する103系であり、111系に対する113系、151系に対する181系になっていくのだけれども、近郊型電車は山用、平地用ともに十分な需要があるのに対し、特急・急行形では、将来の新幹線延長開業を踏まえるとどうしてもその用途が限られてくる。
最初、153系に対する新性能第二世代、163系が企画されたが、結局・・これは一部サロを先行投入しただけで計画そのものが見直され、山用、寒冷地対策装備の165系が後継車両として新製されることになったのだ。

165系はそう言うわけで、結果的に山岳区間でもない、寒くもない地域で長く愛され続けることになるのだけれども、オーバースペックが現場での好評につながり、長生きしていくことになる。
153系と165系とではその誕生年度に5年の開きがあるだけだけれども、153系が国鉄解体を待たずに早々と引退してしまったことを考えると、21世紀になっても生き続け、今でも一部私鉄で活躍している165系の幸運にはなにやら人生にも通じるものがあるように感じられるのだ。

Photo_3 国鉄は山用電車を見分けるためか、正面の塗装デザインを変更することで平地向けと区別したけれども、たとえば161,181系の正面の印象的な赤い帯や113系の斜めにカットした塗り分け線に対する115系の貫通ドア以外はサイドの塗りわけと同じ位置に直線で決めた塗り分け線などと同じく、165系は正面に回りこんだ直線の塗り分け線が印象的だった。

この塗装デザインは、なんだか間の抜けたような印象になってしまう153系のオレンジ色だけの正面デザインに比べると急行形電車の高運転台デザインによく似合い、いかにも強そうな感じがしたのだから不思議だ。
そう言えば、山陽3000系は国鉄153系とよく似たデザインを採用したけれど、こちらも直線的な当初の青とクリームの塗り分けの方がよく似合っていたように思う。

さて、僕自身はもちろん、仕事でこの電車を触ることはなかった。
ただ、12系客車も内装の雰囲気などは、165系電車そのものであり、親近感を覚える存在だった。

Photo_2 さらに言えば、ブルーライナー当時の新快速はくたびれた153系で、時には台車の調子が悪く、高速で走ると振り回されるようなひどい乗り心地であったけれども、これに連結されるクハ165の静かで快適な乗り心地は自然に自分の中での165系の評価を高いものにしていった気がする。
これには台車の変更が大きな要因で、MT54と時を同じくして開発されたDT32系台車はその乗り心地のよさで、また扱いのしやすさで乗客にも現場にも好評だった。

今思えば153系が登場したのが昭和33年・・153系ブルーライナーは昭和47年からの運転開始で、それも昭和55年くらいまでしか運転されていないのだから・・老朽化と言う言葉が当てはまらないような気もするが、東海道を高速で走り続けた酷使の歴史と、新性能・軽量化初期の未経験が生んだ脆弱な車体だったということになるのだろうか・・

僕が全国を旅行して回った時期は、すでに急行列車が特急に変更されていく・・その過程にあったのだけれども、時々に出会った165系電車の落ち着いたインテリアと、静かで快適な乗り心地を充分に楽しむことが出来たように思う。
大垣夜行での静まり返った独特の雰囲気、すばらしい景色の中を走る「天竜」での眠気を誘う淡々とした走りっぷり・・関西ではクハ以外にはなかなかお目にかかれない165系電動車の、軽いモーターの音・・
そうそう、そう言えば僕の最初の一人旅での「鷲羽51号」は165系のファミリーである167系の列車だった。
上段の窓を開け放した夏の夜・・静かに回る扇風機の音・・吹きぬける心地よい風・・
165系一党に感じる優しさの原点はここにありそうな気もする。
決して広くはないが向かい合わせ固定クロスシートは人間工学に基づいた改良がなされ、すわり心地も非常によかった。

独身最後の一人旅では、僕は一乗客として関東から甲信越を回ったのだけれども、そのときに出会った165系による中央西線各駅停車は、これこそ列車と言う、独特の風格とやさしさに満ちていた。
車窓に広がる山々の姿に、多分、これ以降はこんな贅沢な旅行はめったに出来ないだろうなと・・思ったものだが、そのとおり、僕はそれ以後、20年も気ままな列車の旅行をすることが出来ないでいる。
けれども、そう言う旅行が出来たとしても・・
もはや、あの大好きだった165系の姿はJRには存在しないのだ。

2009年4月16日 (木)

ATS・・4年目を向かえた福知山線脱線事故に寄せて

2005年4月25日、福知山線(JR宝塚線)尼崎駅北方で起こった大事故から早くも4年になろうとしている。

この事故で亡くなられた方々は107名に達し、怪我をされた方が562名、その中には今も治療やリハビリ中の方もおられるし、大きな障害を背負うことになった方々もおられる。

亡くなられた全ての方々の冥福を祈るとともに、怪我をされた方々が一日も早く事故の悪夢から立ち直って、普通の生活を取り戻されることを祈るばかりだ。

この事故については拙ブログでも取り上げてきたけれども、ここで敢えて、もう一度自分なりに疑問点を書き出して見たいと思う。

僕自身が疑問に感じているのはATS・・自動列車停止装置の設置やその方式などに関わってきた国や国鉄の責任である。
いくら運転士が異常な心理状態で、電車を高速でカーブに突っ込ませたとしても、「青信号なら何も制御しないが、赤信号なら停止させる」と言う単純な保安装置ではなく「所定の速度を超えたときはすぐさま停止させるか、所定の速度まで減速させる」保安装置があれば、事故は簡単に防げたはずだ。

マスメディアの報道では、後者のような保安装置は新型ATSでなければならないかのような印象を受けるのだけれども、実は、国鉄が採用していたATSにこそ重大な欠陥があるのであり、古くても多くの民鉄に採用されているシステムであればこう言った欠陥は認められないのだ。

僕自身は国鉄部内では車両の検査・修繕がその仕事であったのであり、ATSに関しては門外漢であるけれども、それでも・・鉄道と言うものを少しばかり齧った人間として言うべきは言わねばならぬだろうと思う。

さて、国鉄は大正から昭和初期にかけての急速な技術の向上により、輸送力や列車の速度を大幅にアップして来た。
ただ、保安装置としては色燈式の信号装置しかなく、これを運転者が目視確認して列車を運行するしかなかった。
戦前とは言え、すでに最高速度は100キロのレベルに達し、主要幹線の列車密度も現在と遜色がないほどにまでに達していた。

この状態で、人間の目視だけに頼った方式では、事故はつきもので、実際に東海道、山陽線といった大幹線では信号冒進による事故が頻発していく。
ついに昭和16年9月には網干駅で普通列車に急行列車が追突し、死者65名、負傷者116名と言う大惨事が起きてしまう。

ここにいたって国鉄は自動列車停止装置の開発を決意・・
今なら電車が中心であり、電気的な指令ひとつで列車を制御できるけれども、当時は蒸気機関車が主流の時代、開発には困難を伴っただろうと察せられるが、2年弱で装置そのものは完成を見たそうだ。
この装置は速度照査機能を持った優れたもので、国鉄独自の設計・製作、これを主要幹線に設置すべく工場での量産に取り組んでいたという。

ところが米軍による空襲で工場そのものが消失、開発はまたゼロからのスタートとなった。
(この工場は小倉工場だと言われている)

戦後、すぐに自動列車停止装置の設計に取り組んだが、なぜかGHQからの指示により開発は中断・・

戦後の復興、高度経済成長時に爆発的に増大する輸送需要、車両の高性能化による大幅なスピードアップ・・結果的に重大事故が頻発する事態になってしまう。

ついに起こったのが常磐線、三河島事故である。

詳細は省くが、昭和37年5月3日21時37分、信号無視で安全側線に突っ込んで脱線した貨物列車に、乗客を満載した下り列車が接触して脱線、多くの乗客が避難のために線路上を歩いて移動しているそこへ、上り電車が突っ込んで脱線、転覆し、160名が死亡、296名が負傷する大惨事となったものだ。

これを契機に国鉄は開発途中の自動列車停止装置(以下ATS)を全路線、前車両に設置することを決め、昭和41年に完了した。

ところが・・僕が問題にしているのはこの時に設置されたATSだ。

何故、戦前に出来た速度照査機能を省いてしまったのか・・

あくまでも個人的な考えに過ぎないけれども、当時の国鉄労使の偽りの対立、その裏にあった馴れ合いがあるのではないかと思っている。
国鉄の車両に当時、速度計はつけられていた。
更に言えば、線路、区間や車両ごとの運転速度、最高運転速度も決められていた。
けれども、実際には規定を上回る高速で運転されることが多かったのではないか・・

ATSに速度照査機能がついていれば、そういった事は不可能になる。

昭和50年ごろ、僕が乗車した山陽線の快速や新快速では当時の最高速度をはるかに上回る速度計表示を実際に見たことが何度もある。
「最高速度は100キロに設定されていても実際には120キロ以上は出せる」と言うのが運転現場の声だろうと言うのは、邪推に過ぎるだろうか。

さて、昭和39年3月、名鉄新名古屋駅で急行電車に信号冒進の特急電車が追突する事故が起きる。
速度は比較的低かったのか、負傷者は143名に達したけれども、死者は出ていない。
けれども、この事故を教訓として名鉄はATSの設置を決める。

当時、すでに私鉄では地下鉄乗り入れのために、京急・京成両社が精巧なATSを導入していた。

当時の運輸省も、大私鉄での事故頻発に、ついにATSの設置をある程度規模の大きな鉄道会社に対して義務付ける通達を出すことになる。
昭和41年度、昭和42年1月に出された昭和42年鉄運第11号がそれである。

その中の構造基準を抜粋する。

************

自動列車停止装置の構造基準

自動列車停止装置の設置基準に該当する区間に設置する自動列車停止装置の構造は、次によらなければならない。

(1) 場内信号機、出発信号機、閉そく信号機が停止信号を現示している場合、重複式の信号制御区間の終端、重複式でない信号制御方式では信号機の防護区間の始端までに列車を停止させるものとする。

(2) 速度照査機能をそなえ、速度照査地点を照査速度を超えて進行する場合、自動的に制動装置が動作するものとする。

(3) 照査速度は線区の特性に応じて多段階とし、列車最高速度が100km/h以上の区間は3段階以上、100km/h未満の区間では2段階以上を標準とする。

(4) 停止信号を現示している信号機に最も近い地点における照査速度は20km/h以下とする。

(5) 車上装置の機能が正常であることを運転台に表示する。

(6) 地上設備設置区間を運行する場合は、列車は車上装置を開放して運転できないものとする。

************

ここでは速度照査機能の完備が求められている。

大手、準大手民鉄各社のATSが国鉄=JRのものより数段進んだ性能を持っているものばかりなのは、この通達によるものである。
ところが、この通達は民鉄にこそ義務付けられたが国鉄にはその義務を求めていなかった。

当時、国鉄は運輸省と並ぶほどの組織、運輸省ごときが国鉄の安全対策に口をさしはさむべきではないという、思いが両社にあったとのでは・・とも邪推している

ある意味、福知山線脱線事故の遠因の最初の一つはまさに、ここにあると言っても過言ではない。

しかし、この通達は今現在の政府の「通達データベース」で見ることは出来ない。
それは国鉄が民営化されると、JRも民鉄と法的な区別がなくなってしまうことから、昭和62年3月31日、つまり、国鉄民営化の前日に廃止されてしまう。

これで、JRが速度照査式ATSを持たないでも営業できる法的な根拠が整ったわけだ。

福知山線脱線事故の遠因の二つ目はここにある。

もちろん、JR各社とて国鉄形のATSが現代の鉄道の水準では著しく時代遅れなのは認識しているはずだ。
単に速度を照査できる機能というのであれば、比較的安価に出来る国鉄形ATSの改良でも十分間に合う。
実際にJR東海はこの方式で在来線の安全確保を成し遂げてきている。
けれども、安全面からだけではなく、列車の減速を精密に制御できないことから、ダイヤ編成上の制約もあり、過密ダイヤの線区では増発が難しいと言う営業サイドからの問題もあった。
つまり、平行民鉄を凌駕する大増発により、いっそうの過密ダイヤとし一気に増収を計りたいわけだ。

そこでデジタル技術を駆使した新型ATS、ATS-Pの登場となる。

当然ながら・・JR西日本は速度の高い区間よりも営業サイドからの要請の強い、過密ダイヤが飽和状態に達している阪和線などに、他に優先して新型ATSを設置した。

事故を起こした福知山線や、狭軌鉄道の通勤列車では世界最高速の運行を実施している東海道・山陽線(JR神戸・京都・琵琶湖線)などは後回しにされたわけだ。
しかし、旧型、単純機能のATSしか存在しないこれらの線区で、余裕時分のまったくない、しかもダイヤ上のランカーブが最高速度目一杯で設定されるダイヤ改正を認めたのは、他ならぬ国土交通省である。
これが脱線事故の遠因の三つ目だ。

更に言えば、株式の上場後、JR西日本経営陣に対して、株式配当の上乗せを望む多くの株主たちが、例えばローカル区間の線路保守をなどに要するコスト削減や、さらなる増収を迫ったのだが、JR西日本はこれに答える形で、安全面への配慮よりも営業利益を挙げることに血眼になっていく。
つまりは株主とJRの利害が共通したことにより、安全面よりは営業サイドのための「新型ATS」となってしまったこと・・
これが脱線事故の遠因の四つ目ではないか。

僕は被害者の方々の団体やマスコミが何故に、国鉄やかつての運輸省、更に言えばJRの株主たちの責任を問わないのか・・非常に疑問に思っている。

JR福知山線と並行する阪急宝塚線は、JRの積極的な攻勢により乗客数を減少させてしまっている。
ところが、この阪急と、さらに不完全な安全対策で狭軌世界最高速の通勤列車を走らせている東海道・山陽線に大きな脅威を受ける、阪急神戸・京都線、阪神本線、中小でありながらも必死でJRに抗う山陽電鉄が共通で採用している「連続誘導式ATS」は、これら各社が乗り入れる昭和43年の神戸高速線開業の際に整備されたものだが、JRが「新型ATS」と呼ぶATS-Pに匹敵する高性能を有している。

つまりはある意味では沿線利用客は安全への投資が不完全だが速くて便利なJRを、安全への投資が十分であるが、慎重にならざるを得ないダイヤがJRより見劣りがする私鉄各社に比して選択してしまっている・・事にもなっているといえば、これまた言いすぎだろうか。

さて、脱線事故の後、国会でもこの問題が取り上げられた。

2005年5月16日、衆院予算委員会で小泉首相は上記通達を廃止したことについて「反省」とする見解を述べた。
ところが、当時の国土交通大臣、公明党の北側は「国鉄方式も私鉄方式も停止信号で止めるから安全性に違いはない」とほざいた。
全く鉄道の歴史も、国鉄と言う組織の実態も、あるいは運輸省と国鉄の力関係もご存知ない大臣の発言では、それならATS-Pすらも安全面からは必要ないと言うことになると・・ご本人は理解しておられない。
当時のマスコミもまた同じで、この大臣を叩いた形跡すらない。

いやむしろ、この大臣は被害者ヅラしてJRを攻め立てる方向にばかりむかっていた。

それでいて、この大臣の所属である公明党は事故翌日、未だ全ての人が救助されない状況の中で、国会議員団を現場に派遣し、現場の作業の手を止めさせて現場の「視察」まで行って視察状況の写真撮影までしている。
僕が北側を史上最低の国土交通大臣であるという根拠はここにある。

そういえば、事故の際、テレビなどで取り上げられた「鉄道アナリスト」なる御仁が、盛んに「ボルスタレス台車」の欠陥を説明していたが、どんな商品でも、想定を大きく外れる使い方をすれば異常な動きをするのは当然の帰結ではないか。

制限速度を50キロも上回る高速でカーブに突っ込むようなことまで想定して台車を設計せよとでも言うのだろうか。

僕なりの結論としてはJRに事故の責任の所在があるのは当然である。
その上で、昭和42年、昭和62年に立ち返り、国鉄労使や運輸省、あるいは国鉄改革を成し遂げた当時の政権の責任も当然、小さなものではないはずだと僕は思うし、JRの安全面への配慮を無視した営業努力により株主配当を享受して来た株主にも責任のいったんはあると、僕は思っている。

2009年4月 2日 (木)

阪神と京急

28901818_840473694nanbasenyodogawa 3月20日に阪神なんば線が開業した。
僕の子供の頃からの悲願の路線であり、小学校の教科書「わたしたちの大阪」にも将来の鉄道路線として記載されていたこともあるし、大阪のミナミ方面への所用が多い僕としては素直に開業を喜びたい。

僕の父方の祖母は戦後ずっと、道頓堀の大和町、今の島之内で食堂を経営していたし、引退後は桜川のマンションで生活していた。
もしも、祖母の生前にこの鉄道が出来ていたら、僕にとってはもっと喜ばしい路線になったのだろうが、神戸方面から祖母の店やマンションに出かけるには混む梅田を避け、阪神の野田駅から地下鉄千日前線と言う経路が多かった。

さて、話がそれたが阪神電車はかつて非常に情熱的な電車だった。

他社の高性能車両に比すると性能の低い急行系「赤胴車」ではあったけれども、特急や急行では駅を発車すると猛烈な加速で目一杯、性能を使いきるようなダイヤになっていたように思う。
普通電車には有名な「ジェットカー」を使用し、こちらの加速は急行系車両とは比べるべくもなく、日本最高レベルの高加速で、まさに胸のすくような電車だ。

過密ダイヤ、頻発する優等系列車・・
ライバル阪急との競争に負けじと、カーブの多い路線を急加速、急減速を繰り返しながら阪急と同じ所要時間で阪神間を結ぶ熱さと言うか、情熱は僕ら利用者にも十分伝わるものだった。

で、もう30年ほど昔、初めて東京へ行った折、時間を作って京急に乗車したのだけれども、京急の特急の高加速、高減速運転や、如何にも下町と言った風情の、家々が建て込む町中を疾走するその雰囲気に、阪神と共通のものを感じて嬉しくなったものだ。

東京の私鉄といえば、東急にしろ、小田急、京王にしてもどこかよそ行きの電車のような雰囲気を感じていたから、京急の阪神と共通する独特の雰囲気にはすっかり惚れこんでしまった。

Emaiko_98keikyuu600 ただ、路線長が京急の方がはるかに長く、そのためにクロスシートの快速特急が存在していたのが阪神との大きな違いだ。
初めて乗車した京急・快速特急は名車600形で、その飛ばしっぷりは僕を感動させた1000形の特急をさらに上回る強烈なもので、向かい合わせ、実用本位の車内デザインと合わせ、これはこれで、すっかり好きになってしまう電車だった。

0211sanyousumahansin3565 阪神は戦後、昭和29年に当時の日本の鉄道としては画期的なクロスシートの大型車、3011形を登場させるが、全長僅か30キロ余り、所要時間も30分程度とあってはクロスシートが必ずしも役に立つわけではなく、むしろラッシュの混雑や甲子園での野球輸送にはロングシートの方が好ましく、結局この電車のクロスシートとしては短命に終わり、ロングシート、さらに3ドアに改造されてしまった経緯がある。

阪神にクロスシートが復活するのは路線長の長い山陽電鉄との直通特急を運転する際、山陽電鉄から大量のクロスシート車が相互乗り入れの形で入線するようになったときである。

その後、阪神もクロスシートの新車を作り、更には在来車両もクロスシートに改造もしている。

京急の場合、600形以降は2000系、2100系といったクロスシート車両が後継となっていくのだけれども、地下鉄乗り入れの一般車両である新600系もクロスシートとしたけれども、さすがにこれはやりすぎだったのか、今はロングシートに改造されつつあるそうだ。

さて、京急も阪神も地下線への乗り入れと言うことでは民鉄界では関東、関西の嚆矢となった会社である。
かたや、都営浅草線、かたや神戸高速線・・
そして、どちらも更にその先の京成・山陽と相互乗り入れを実施している。
似ていると言えば、どちらもその乗り入れ地下路線が、現代では必ずしも都市交通の中心軸になり得ず、他の鉄道に中心軸を持っていかれていると言うことまで・・・そうそう、乗り入れ先の先にある京成・山陽が、常にJRの猛烈な攻勢の前に劣勢であると言うことすらも、また・・・になるだろうか。

路線図を見て見ると、京急は丁度、阪神と山陽がひとつの会社だったら・・釣り合いが取れそうな感じだ。
海辺近くや港町を走破すると行った点でも似ているように思うし、それに車両のサイズも線路の幅も高架区間の多さも・・本当に京急と阪神は・・いくらでも似ていると感じることが多い。

Emaiko_139keikyuu さらに、京急は羽田線を空港まで延長することで町中のローカル線だったこの路線を、会社の更なる発展の舞台に変貌を遂げさせた。
阪神も西大阪線を難波まで延長することで、やはり町中のローカル線だったこの路線を大幹線へ発展させる可能性を得た。

元々が明治期に日本最初の都市間電車と言う、同じところから出発している両社が似るのは必然的なことかもしれない。
ただ、僕にとって残念なのは、京急が今も持ち続けている「熱さ・・情熱」といった部分を、今の阪神から感じ取ることは少ない。
高架化が進み、カーブの多い線形が随分改善され、駅や車両の造りが随分上品になったとはいえ、今の阪神は阪急と競争して1分でも早く走るといったことを投げ出してしまったように思えてならない。
ライバル阪急は特急の停車駅を増やしても所要時間を短縮し、阪神のお株を奪うような高加速運転を実現していると言うのに・・
阪神の古くからのファンとしては物足りなさも感じてしまう。

数年前だが東京へ行った折に久々に京急に乗車してみた。
新型2100系の快速特急の走り方は刺激的で、阪神では味わえないものだった。
最高速度に10キロの差があるとはいえ、今の阪神のまったりした感じとは大いに異なり、昔のあの熱い阪神を見ているような気がした。
それに関西の京阪の特急車両と比べても遜色のない京急の2100系・・この車両の落ち着きと静かさ・・
これまた阪神にはないものだと感じてしまった。

阪神は歴史が古いだけにおっとりした社風も併せ持っている。
京急のキメの細かい、それでいて積極的な社風と比するとどうしても見劣りがすると言っては言い過ぎだろうか。

おなじおっとりした社風でも京阪はキメの細かさは併せ持っているように感じるのだ。

さて、西大阪線改めなんば線には開業後2度、乗車することが出来た。
今後もこの路線は使い続けることになるだろう。

三宮から乗車した快速急行は、それまでの(なんば線開業前の梅田発着の)快速急行が、空いてはいるものの、おっとりした走りっぷりだったことを思えば随分、良い走り方をするようになったと思う。
でも、まだ物足りないのだ。
それに平日に乗車した時の尼崎から鶴橋までの各駅停車のアナウンスには・・およそこの鉄道がJRと激しい競争を演じなくてはならない・・ことなど感じられない。

25158699_2480491291hansinkousien どうか、阪神よ・・
快調のプロ野球と同じように、鉄道でも積極的に、それでいて芸の細かいサービスを見せて欲しい。
京急と言う好例が関東に存在するのであり、見習うべきは見習って欲しいとさえ思う。
僕は大概の鉄道会社は好きだが、特に子供の頃から身近であった阪神へは強い思い入れを持っているし、関西私鉄と似た雰囲気を持つ京急は関東ではもっとも身近に感じる鉄道である。
京急には今後もキメの細かさ、そして積極さを持ち続けて欲しいと願っている。