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2009年3月

2009年3月17日 (火)

阪急旧型車の職人技

Emaiko_88hankyu920 関西では電車を比較的長く使う傾向にあるとよく言われる。
その鉄道の標準的な形式になるとだいたい、40年程度は使うことが多いようだ。

僕が国鉄に入社した頃、当時の国鉄が20年程度で車両・・特に旅客車両を入れ替えていたので、この点を当時の職場長に訊ねたことがあった。
「国鉄の場合、旅客車両には水回りの設備があるので、どうしても寿命が短くなり、それを踏まえて寿命を短くして設計されている」という答えだった。
基本的には12~3年で車両を入れ替えるのが理想とのことで、軽量客車や20系などもこの考えに基づいているということ・・
けれども、国鉄の経営難から車両の入れ替えが遅れ、結果として老朽化という烙印を押された車両が走り回っているそうだ。

僕にはそれでも疑問が残る。
国鉄車両であっても通勤型など水回りのない車両もある。
近鉄などでは水回りは国鉄と同じレベルに存在するが、国鉄の老朽車両ほどには傷んでいるようには見えない。

結局は、国鉄の発想が関東式の発想だったのではないかと思えるのだ。
その証拠に、JR化のあと、こと車両の設計についてはJR東日本と西日本では車両の寿命に関しては180度発想が異なっているように見える。
JR東日本の通勤型車両などは寿命を短く、車両交換のサイクルを早く設定することで時代にあったものを常に用意でき、コストダウンにつながるというもの・・
JR西日本では221系以後、車両の寿命は長く設定し、それまで使っていた車両でも徹底した延命工事をすることで車両の交換を遅らせ、資源を有効に活用し、かつ、時代にあったインテリアに更新することで旅客の要望に応えようと言うものだ。

これは私鉄においても同じことが言え、関西在住の鉄道ファンには例えば東急8500系や京王6000系の廃車などは驚きでしかないが、関東在住のファンには南海6001系や阪急2300系、京阪2000系改め2600系あたりが未だに現役なのを不思議に思っている方も多いだろう。
もっとも、関西でも、阪神は比較的車両寿命は短いし、関東でも京急や東武は比較的寿命が長い気がするが・・

さて、前置きが長くなったけれども、僕が鉄道写真を撮り始めた頃、阪急にはたくさんの旧型車が走り回っていた。
味わい深いマルーンの艶々した車体、手入れが行き届き、古くても嫌悪感を催さない客室の内装・・
阪急は日本で最初に車両のすべてを鋼製とした鉄道である。
それは実に昭和のはじめから、戦後の一時期を除いて徹底的に貫かれたけれども、その車両の内装はしっとりとした木目調だった。
これは今ならプリントされたアルミデコラなどを使えば造作のないことだが、当時の阪急の内装は鉄板に木目プリントを手作業で行うといった職人技だった。
この木目プリントは飾り面から、座席袖仕切り、点検蓋、はてはネジやつまみ類の頭にまで及び、鋼製車両の冷たさを感じさせないよう、細心の注意が払われていた。
この職人技は、製造段階はもちろん、正雀工場などでの整備の際にも徹底的に行われ、阪急旧型車は古いけれども綺麗といった印象を常に与えてくれていた。

Dsc_0854hankyu810 昭和50年代、阪急には当時最新鋭の特急車両、6300系が登場したけれど、その同じ時代に920系や810系、710系が堂々と健在だったのだから今考えるとまさに驚きである。

神戸市の地下鉄が産声を上げた頃、僕は神戸線で920系の普通電車を通しで乗車したことがある。
200馬力モーターは迫力たっぷりで、各駅停車といえど100キロ以上の高速で突っ走るさまはツリカケ電車の醍醐味を存分に堪能させてくれるものだった。

車内は高度経済成長時代の名残で座席の短縮が行われてはいたものの、化粧板などは美しく整備され、ゴルデンオリーブの座席の深くやわらかい座り心地とあいまって(阪急独特の深緑色の座席)気持ちのよい小旅行を味わえたのだった。

神戸本線から旧型車両が撤退するのは6000系の増備が本格化してからだけれど、その後も今津線や伊丹線などで旧型電車の活躍が見られた。
特に将来の幹線を見越して設計された伊丹線ではある程度の高速も体感でき、時にわざわざ乗車しに行ったものだ。
(ただ、阪急でも標準型からはずれるものは結構、早い時期に廃車されているし、京都本線の特急車両は走行距離がどうしても長くなってしまうので、同じ阪急の他系列に比して早めの廃車は止むを得ない部分があると思うが)

阪急の旧型車の一部は能勢電鉄と広島電鉄で余生を送ることになったけれども、これらの鉄道では外観はともかく、車内の美観保持は難しかったようで折角の職人技もペンキで塗りつぶされることが多かった。
今現在の阪急車両の内装も大変に凝った作りではあるけれども、これらの保守も独自の技術を持つ阪急以外では難しかろうと思う。

僕が国鉄高砂に居た頃、「阪急の技術に追いつけ、追い越せ」という合言葉で客車の改造工事を行ったけれども、今のJR西日本の内装の水準を見るとき、かなりの水準に達したとは思えるものの、阪急に追いつき、追い越せたかどうか・・
到底、追いつくことは今後も難しいのではなかろうかとも思う。

Emaiko_145hankyu1010 阪急の職人技ともいえる旧型車の内装作りは、新性能車になってからも1000系シリーズでも続けられた。
この1000系は性能的には他社の高性能車に引けをとらないけれども、外観上は独特のクラシックさにあふれ、それがため、他社ほどの華やかさを感じさせなかったのは残念だ。
高性能車のゆえ、冷房化推進の時代には一部が冷房改造まで施され、アルミサッシ化、そして、職人技の内装プリントも色調をやや明るくして、継続された。
僕は1000系列の冷房化を非常に喜んだけれども、結局、短命に終わり、一部が能勢電鉄へ譲渡された以外は廃車されてしまった。
もっとも、廃車が近いからか、高級な雰囲気の内装に対して蛍光灯カバーを省略するなど、短期間の使用であることを印象付ける部分もあるにはあったけれども・・
もう少し走って欲しい電車であったことに違いはない。

阪急6300系の支線転用にし際し、阪急はこの車両の更新工事を行ったが、実車を見ていないのだが、写真で見る限り・・阪急のあの素晴らしい内装技術は今も生きているように思う。
そして、それは阪急の車両をこよなく愛する僕には非常に嬉しい事だ。

2009年3月13日 (金)

東海道・山陽ブルートレインの最後を酔いながら思う

JR最大の幹線筋から青い客車の夜行列車が消える。
それも今夜の運行が最後だ。

少年時代にあこがれた東京駅での写真の一端を見ていただこうと思う。
Dsc_0840hayabusa まずは「はやぶさ」の機関車入れ替えの様子。

Dsc_0838fuji そして「富士」の同じく入れ替えの様子。

「富士・はやぶさ」は僕が今住む舞子を通過するのが上下とも午前1時過ぎから2時にかけて・・今の仕事では時折、仕事中に出くわすこともあり、それは僕がふっと一息入れるシーンになるのだけれども、今夜は見に行かないことにした。
明日も仕事だ。
明日の仕事に影響を残すわけには行かないし、何より自宅でじっくりとこの日を思うのも良いかも知れない・・

多分、今夜の僕はその時刻には寝てしまっているだろう・・

今、焼酎の軽い酔いに任せてこの駄文を打ち込んでいる。

東海道・山陽筋のブルートレイン・・寝台特急列車は新幹線開業後も長く鉄道ファンや利用者に愛され続けてきた。
それが変化したのはいつごろだろう・・

JR発足時にはブルートレインは「スーパーブルートレイン」として改装され、星の食堂車が登場し、ロビーカーや個室寝台を連結したりと様々な手を打ってはいた。
けれども、まずは航空機利用の一般化が浸透し、夜行列車で疲れる夜を過ごすよりは航空機とビジネスホテルという移動形態が定着していった。
あるいは、高速道路の発達に伴い、高速バスがそれまでの鉄道の常識を超える破格値で長距離都市間輸送に参入すると、鉄道はこと夜行に関しては脇役に留まらざるを得なくなってしまう。
鉄道自体の都合もある。
日中、大都市圏では通勤・近郊輸送に力を注がなくてはならず、貨物列車がここを通過できるのは深夜時間帯になってしまう。
あるいは、夜行列車が到着する朝の時間帯は旅客鉄道会社にとってもっと忙しいラッシュ時間帯でもあり、1本でも多くの通勤電車を走らせたい。

新幹線利用もかつて程の抵抗がなく、東京と博多の間でも航空機を使わずとも5時間ほどで到達でき、しかもその運転本数は都会の快速列車並だ。

航空機やバスを嫌う人でも新幹線を使えば東京を朝出て午前中に福岡に到着することは新幹線を使えばごく普通のことになった。

今の状況に問題がないわけではない。

航空機にしても新幹線にしても午前中に目的地に着くには朝早く家や会社を出るか、前日の夕方に出て現地でホテルに宿泊しなければならない。
夜行列車なら発車ギリギリまで仕事が出来たのに・・ではある。
だが、こういった需要には高速バスが答えてくれるし、しかもそういう需要が新幹線や航空機を使う需要より少ない現状では寝台特急列車なるものが存在するに必要なコストを宛がうことが出来ないというのも実情だろう。

夜行列車がその存続の可能性を全く否定される・・わけではなく、打つ手を変えれば十分交通機関としてよみがえる可能性があると僕には思えるのだけれども、日本の鉄道は忙しい・・
深夜時間帯は復活著しい高速貨物列車のために空けて置くのもまたこの国の経済にとって必要なことなのかもしれない。

あるいは、地域ごとに分社化された現在の旅客鉄道ではどうしても相互乗り入れという形が必要になり、会社間の調整を要する問題もある。
だったら・・第二種鉄道事業者たるJR貨物に会員制でもよいから旅客列車の運行を認めてやれば機関車も貨物用と兼用でき、相互乗り入れに関しての様々な問題もクリアできると思うのだけれど、これは国鉄分割の趣旨から外れるとでも言うのだろうか・・
乗り場も駐車場がたっぷり取れる郊外の貨物ターミナルでもよいと思うけれども・・

いずれにせよ、新幹線が走る区間の夜行列車はその存在意義をなくしてしまった。
これまではJR関係者の使命感に支えられて運行を継続してきたブルートレインだけれども、車両の老朽化とともに静かに消え去るのはやむをえないということか・・

そういえば、20系客車が引退したとき、これら客車の寿命は当初の12年をはるかに越えて20年以上も使われ続けていた。
今、消え去る夜行列車の客車の大半は昭和40年代半ばから50年代にかけて製造されたものばかりだ。
北斗星やトワイライトエクスプレス以外の客車は根本的な更新工事を受けていない。
すでに車齢30年を超えるものが大半で、20系の寿命をはるかに超えてしまっている。

僕が高砂工場に在籍していたときですら14系客車などでは痛みが激しく、保守に手を焼いた経験がある。
思えばそれから20年以上も誤魔化し誤魔化し使い続けてきたわけだ。
保守担当者の努力には頭が下がる。

Dsc_0841hayabusa20 最後の写真は友人から頂いた大垣駅での20系「はやぶさ」・・
遅れて通過した列車を友人が偶然キャッチできたものだ。

東海道・山陽ブルートレイン・・今まで本当にありがとう。
どうか、次は新幹線で復活してくれと祈りながらかなり酔いも回ってきた・・

2009年3月 8日 (日)

力の象徴、貨物用電気機関車への憧れ

僕が国鉄に入った頃、昭和50年代前半といえば、在来線ではいまだに貨物列車が花盛り・・
それも黒や茶色のワム、トラといった二軸貨車がその編成の主体で、山陽線などでは編成長も50両というとんでもない長さの列車も頻繁に走っていた。
それらを牽引するのはこれまた無骨な貨物用機関車で、当時はEF65なら新しいほうで、さすがに山陽線からEF15の姿はなくなったとは言っても、真っ黒な車体に黄色の帯を締め二車体を連結して走るEH10などはこれら貨車にはよく似合い、如何にも男の世界という感じがしたものだ。

もっとずっと前、まだ僕が小学生低学年の頃か・・神戸の高架下に、父の友人が住んでいて、そこに何度か連れて行ってもらったけれども、貨物列車が走ると、地響きのような電気機関車の音に続いて、如何にも二軸貨車という単調な音が延々と続く。
時折、タキやワキが混ざっているらしく、そのときだけは音が乱れるのだが、またすぐにに単調な音がする。

誰かの歌にあったが「貨物列車が通ると揺れた♪」何とも、子供心にも人生をはかなく感じさせる雰囲気だった。

Eh10 その貨物列車の先頭に立っている電気機関車が、これまた渋く、僕がようやく写真を撮影できるようになった頃には山陽本線から旧型のデッキつき機関車は姿を消していたけれども、それでも、大きな車体のEH10などは汗の象徴のように思えたものだ。
もちろん、EF60だって、EF65だって力がないようには見えず、美しく機能的なデザインとともになかなか子供の心をくすぐるものがあった。

さて、写真を撮影できるようになった僕は、当時はいまだにSLブームの時代ではあったけれど、残念ながら僕は都会の生活ばかりで、SLなんてものをまともに見たことはほとんどなく、唯一、たまに親戚が居る天王寺駅近くで関西線のたぶん長距離列車だったのか・・それを見ることくらいだった。
神戸・大阪とも自宅近くの臨港線にはDD13や、いや神戸の臨港線ではなにやら怪しげなディ-ゼル機関車が走っていたくらいだから、僕の興味は必然的にSLブームであったはずの蒸気機関車には向かずに、電車や電気機関車、ディーゼル機関車に向いてしまうわけで、それがいまだに続いているのだ。

さて、子供時代の僕にとって、貨物列車は国鉄を象徴する存在だった。
それがモハ72などの旧型電車のイメージとあいまって国鉄といえばなにやら男臭いイメージとして固定されてしまったようにも思う。

僕は国鉄に採用されたときから高砂工場配属は決まっていて、ただ、そのための研修で鷹取工場に居たわけで、だから電気機関車を生で見ることはあっても、それを仕事の対象とすることは非常に少なかった。
どちらかといえば鷹取では貨車やディーゼル機関車に触れたほうが多かったような気がする。

それでも、鷹取の出車線に、全般検査を終えた機関車が並んでいるのを見るのは大好きだったし、研修や仕事の終わったあとによく機関車職場を眺めて歩いたものだ。
EH10はもとより阪和線で使われていたEF15もここには顔を出すし、時にはデッキに乗って遊んだものだ。
機関車のデッキは意外に広かった。

Ef15 後にEF15はその最後の活躍をあちらこちらで見ることが出来たけれど、同じ時期に完成していながら長寿を誇った旅客用のEF58と基本的に同じシステムの機関車でありながら、今ほとんど保存すらされていないことを思うと、やはり貨物用の機関車はどうしても陰に隠れてしまうものなのだろうか・・

さて、山陽線からほとんど旧型の電気機関車が撤退した後であっても、瀬野八本松越えの補機には長くEF59が活躍していた。
当時、九州へは「あそ」「くにさき」「雲仙・西海」といった急行列車でよく出かけたけれど、そのときの楽しみの一つがこのEF59に八本松駅で会うことだった。
Ef59 たいてい、急行列車が停車したホームから線路を挟んだ待機線に停車していて、当時、感度の低かったフィルムに露光するため、このためだけに三脚を用意していたものだ。
このEF59は東海道線で花形列車を牽引したEF53、EF56を改造したものだそうで、なかなか風格が感じられる機関車だった。

今、JR貨物は新型電気機関車をたくさん製造して走らせている。
貨物用とはいえ、すでにワムやトラのほとんどない現在、牽引するのは高速用に設計されたコンテナ貨車がほとんどで、これら列車には確かに今のスマートな機関車がよく似合うと思う。
Ef210 格好のよい機関車に颯爽と乗り込む機関士を見ていると、時代があれから大きく変わったことを実感せざるを得ない。
しかし、それでもやはり、貨物用の機関車は・・力の象徴に思えてしまうのだ。