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2009年2月

2009年2月21日 (土)

昭和51年の東京私鉄

先だっての小田急ロマンスカーの記事で当時の写真を探していたら、同時にたくさんの東京での電車の写真が出てきた。
当時の僕の鉄道趣味は国鉄よりも私鉄に傾いていて、今思えばそれは非常に不思議なのだけれども、国鉄の車輌は特急や急行はともかく、普通列車の車輌で魅力を感じていなかったからかもしれない。

これは、今も僕の鉄道趣味の方向性の一つで、ごく普通に走っている電車に何ともいえない魅力を感じるのであり、だからこそ、今でも地元の山陽・阪神・阪急各電鉄を最もたくさん撮影するということになっているように思う。
その上で、小田急や近鉄などは優等列車の車輌にはさらに魅力が増すという部分も確かにある。

さて、初めて出かけた東京の電車めぐり・・
友人たちと別れ、僕は一人でひたすら私鉄を回っているのも今と似た傾向性だ。

ただ、経済的事情からか電車そのものには余り乗車せず、ひたすら駅の構内で来た電車を眺めていた。

そんな中から何枚か、当時の写真を見て行きたいと思う。
なお、写真のネガが変質していること、また、当時の撮影は「オリンパス35ED」というコンパクトカメラである上に撮影技法といえるほどのものはほとんどなく、作品としては鑑賞に耐えないけれども、そのあたりはご勘弁を・・

最初は京成電鉄。
00230050keisei3001 上野駅地下ホームに停車していたのは、今思えばすごいことだが3000系列最初の電車で、京急のような小型のヘッドライト一灯はこのシリーズでは唯一のものだ。
京成の電車はフロントマスク、側面デザインとも阪神と似ていて、いや、阪神よりも同じ系統のデザインながら細かな部分の処理が上手で電車にもなんとなく穏やかな上品さを感じていたものだ。
00230062keisei514 次は日暮里駅でも「青電」・・まだまだツリカケ電車が各地で健在だった頃だ。
そして3300系か・・特急電車。00230056keisei3300tokkyuu
この車両こそ、阪神7001系をスマートにしたような感覚の電車だ。
日暮里駅は当時はいかにも下町のど真ん中の粗末な駅舎だったけれども今はどうなのだろう・・
スカイライナーも停車するターミナルに変貌しているとは聞くが・・

00230058toden7084 次は東京都電。
場所は多分、大塚駅前だろう。
まだ存続の決定がなされぬ状態で荒川線だけが「残っている」という感じだった。
走っている電車は更新前の7000形ばかりで、いまや時代の先端を突っ走るLRTと変わりつつあるのが嘘のように思える。
ただ、この当時でもレールは路面電車にしては相当良かったような印象がある。
00230068toden7503 そして、しばらく頑張ってまっていると、当時としては最も新しい路面電車車輌だった7500形がやってきてくれた。
後年の正面が膨らんだような格好ではなく原型である。

東武鉄道。
浅草に行ったことはなく、これは池袋の東上線だろう。
走っている電車は同じタイプ、8000系のクリーム色ばかりで、面白みに欠け、すぐに退散したように思う。00230065toubu8000
今思えば、7800系などの旧型電車も走っていたはずだし、何故それを見なかったか悔やまれるが、僕がまともな情報を得て池袋に行ったとは思えず、このあたりは自分でも苦笑してしまう。
ところで、僕は結婚するまで東武沿線の佐野が本籍地だった。
佐野には先祖の菩提寺もあり、何度か祖母に連れられて行っているけれども、いつも東北線と両毛線を使っていた。
東武の本線ともいえる伊勢崎、日光線にはいまだに行ったことがないのだ。
次の機会には是非にと思っている。
・・今の伊勢崎・日光線の電車は魅力があるものが多いので非常に気にかかっているのだ・・

西武鉄道。
こちらも池袋駅。
最初の東京電車めぐりで一番長い時間を費やしたのがこの西武鉄道だったように思う。
00230064seibu101 黄と灰色のツートン、湘南マスクを近代化した感じの西武101系は、写真で見る限り大好きな電車の一つだったが、実物はなおさら格好よく思えた。
今、この写真を眺めても何ともプロポーションのよい電車だとつくづく感じてしまう。

00230070seibu551 西武には当時、大量のツリカケ電車が走っていた。
これもなかなか素敵な電車だ。

00230074sebu701 そして701系の原型。
黄色になってからは随分とイメージが変わった。

00230080seibu5000 そこへ入ってきたのが特急「レッドアロー」だ。
格好のよい通勤電車101系をさらにゴージャスにしたようなデザインで、国鉄特急を見慣れている目にはまさに驚愕の電車だ。
デザイン的には当時の最先端だったのではなかろうか・・

京王帝都電鉄京王線。
当時はまだこの名称だった。
写真は新宿駅だが地下駅でも当時のコンパクトカメラはレンズが明るく、ASA100しかない時代、それでもこれだけの撮影が出来た。
余談だがこと写真レンズに関する限り、30年前のほうが良かった気がする。

00230078keiou5000 さて、そこにいたのは大好きな5000系で、この電車にはこの数年後、八王子まで特急で乗車してその乗り心地と走りっぷりの素晴らしさに感激もしている。
電車のデザインはこれまた非常に上品で、国鉄153系低窓をさらに格好よくしたような印象だ。
僕にとって、これまた大好きな電車で、地方私鉄へ多数が譲渡されたのは嬉しい限りだ。
ただし、そのうちで見にいけたのは琴電だけだけれども・・

京王帝都にもツリカケ電車が走っていた。00230088keiou2774
緑色の車体で、湘南マスク・・これまた・・渋い・・

00230095eidan1356 で、渋谷に移って営団地下鉄の中間にはさまれる1300形と先頭の2000形・・
今もそうだけれども当時の営団は個性的に見えた。00230103eidan2122
大阪市営地下鉄は30系の黄金?時代である。
それから思えば営団は魅力的だったし、渋谷のど真ん中を高架でビルに吸い込まれていくのは如何にも東京!と思ったものだ。
古いタイプの地下鉄車輌は東京の地下鉄の歴史をも感じさせてくれる。

渋谷といえば東急・・
00230089toukyuu7027 で、7000系の急行電車。
如何にも米国からデザインを持ってきましたと言わんばかりのバッドスタイルには強烈な個性が漂う・・
00230098toubu8500 そして逆に没個性を感じさせた当時の最新鋭、8500系電車。
この電車も他社に譲渡されていると聞くが、時代の流れを感じてしまう。

最後は今も好きな京王帝都の井の頭線渋谷駅で3000系の急行。
00230102keioi3000 今の地下駅のような雰囲気とは随分変わったなあと思う。
車両も長く変化少なく来たが、1000系の登場と3000系の更新でイメージが変わった。
変わった後のイメージも好きだけれど・・

京浜急行については思い入れもあるので別機会に書きたいと思う。
30数年前の東京・・
電車のデザインからはまだ東京に素朴さが残っているような気がしてしまう。
しかし、当時、私鉄駅のホームでコンパクトカメラで撮影するような少年は余りおらず・・私鉄好きは変わり者だと鉄道ファン仲間からも言われていたのが、なんとも気恥ずかしい思い出ではある。

2009年2月13日 (金)

特急「こだま」を現在の神戸で見る

特急「こだま」を現在の神戸で見る。

今回は思い出ではなく、現在の状況のレポートに近くなると思う。

日記ブログでも書いたけれど、神戸市の川崎重工でかの特急「こだま」1号車が保管されている。

Dsc_0389kawajuu181frontunder
これは、山陽線「しおじ」から「あさま」「あずさ」に転用されて、使用された後、183系の台頭で甲信の山々から追い出され、当初は記念すべき1号車であるとして川崎重工が引き取って保管していた車輌をなるべく原型に近づけて保管されているものだ。
この車輌は映画「3丁目の夕日」でこの場所に東京駅のセットを作って使用されていたので覚えておられる方も多いのではないだろうか。

川崎重工が引き取った当初は「あさま」「あずさ」用の赤帯つき、頭上のヘッドライトは撤去された形で、長く公開されていなかった。

僕は今の仕事で比較的頻繁にこの場所を通ることが多く、この車輌の存在は知っていたけれども、まさか営業車から降りて趣味的な写真を撮影するわけにも行かず、改めて公私の私として訪れたものだ。

さて、特急「こだま」は昭和33年10月、東京と関西を日帰りできる初めての列車として東京・神戸間に登場した。
東京大阪間の所要時間は6時間50分、最高速度は当初110キロ毎時で、運転時間が短くなることから食堂車ではなくビュッフェを組み込んでの登場だった。

小田急SE,近鉄ビスタカーに先を越されたとはいえ、格下げ改造をまったく意識せず、特急専用車輌として登場したのは国鉄では初めてのことだ。
エアコン完備、固定窓、回転式クロスシートの車内は3等車であれども、当時の2等車をはるかに凌駕し、快適な旅行を明確に印象付けた。

僕は残念ながらこの車輌に乗車することも、ましてや工場職員として検査修繕に携わることもなかったのだけれども、この当時、この電車に乗った乗客の驚きが手に取るように理解できる。
当時のスーパースターたる客車特急「つばめ」「はと」などはいまだエアコンの装備も一部優等車輌だけで、概観はかの43系客車そのものだったのだから、まさに未来が目の前に存在するようなものだったのではなかろうか。

さて、川崎重工におけるその写真である。

Dsc_0375kawajuukodamazenkei まずは全体像。
場所は川崎重工の事務棟敷地内で比較的広々としている。

公道からも十分観察できる。
写真はすべて公道からの撮影である。

Dsc_0383kawajukodamaside サイドビュー・・スカートが原型ではない点が惜しまれる。
連結器の形状といい、これはまさに「横軽対策」そのものだろう。
489系のクハは今も残っているので、この部品を使えばもっと原型に近くなるのにと・・残念に思う。なお、ボンネットは固定化されてしまっている。

Dsc_0386kawajuukodamafront フロントマスク・・ヘッドマーク付近は溶接されて固定化され、その溶接跡が見えるのが痛々しい。
しかし、運転開始当時の「こだま」はヘッドマークは固定式だったから形としてはこれでよいのだろう。
ある意味では復元できているといっても良いかもしれない。
バックミラーも欲しいところだ。
ヘッドライトの復元は喜ばしい限りだがマーカーも欲しい・・

Dsc_0382kawajuu181namber ナンバー部分・・
切り欠いて継ぎを当てているのが分かる。
本来のナンバー部分はどこかに保管されているのだろうか。

Dsc_0385kawajuu181jnr JNRのシンボルマーク・・
このマークは「こだま」のためにデザインされたといっても過言ではない。
今も光を浴びて輝く。

Dsc_0381kawaju181daisya 台車・・
TR58でほぼ原型を保っている。
登場時は下回りはグレーだったはず・・
でも、黒のほうが質感があってよいかな・・

この車輌はもっと知られても良いような気がする。
日本の鉄道史に燦然と輝く金字塔を打ち立てた車輌であるだけに、もっと引き立たせてやりたい気もする。
でも、この車輌誕生の地で、しかも、始発駅だった神戸駅に程近いこの場所に保管されているというのは・・この車輌にとって実に幸せなことなのかもしれない。

誕生が昭和33年、廃車が最終のものが昭和57年・・
一部は九州へ転出しているけれども、これはあくまでも485系の一員としてだ。
活躍は24年に過ぎず、昨今の485系電車で40年ほど走り回っている車輌があることを考えると、早くに世を去ったという感じだろうか。
もっとも、暖地向けの設計であり、寒冷地ばかりを走行していた晩年では想定外の傷み方もしていたというから、その点でははじめから寒冷地での使用を考えて設計された485系と耐久性が違うのかもしれない。

訪れた日は冬にしては暖かな日差しが差し込む日だった。
クハ181-1は屈託なく寛いでいるように見えた。
長くこの地で、穏やかに過ごして欲しいものだと思う。

2009年2月 1日 (日)

ロマンスカーに乗りたい!

ロマンスカーという言葉を最初に使ったのは京阪電鉄で、それは昭和初期にさかのぼるのだけれども、「ロマンスカー」をブランドとして定着させたのは戦後の小田急電鉄に他ならない。
戦後すぐ、初めて「ロマンスカー」と呼ぶにふさわしい車両を造り上げたのは山陽電鉄で、おなじ時期に登場した小田急の特急車両は固定クロスシートだったはずだ。
ところが、小田急が有料特急の専用車両を建造するにいたり、「ロマンスカー」は小田急のブランドとして成長していく。
国鉄こだま型よりはるかに先じて「格下げ改造」をまったく考慮しない専用車両、SE車を投入してからは「ロマンスカーの小田急」はしっかりと根付いていったのではないか。

僕が始めて東京へ電車を眺めに行ったとき、新宿駅で始めてみたNSE車は衝撃的だった。

子供の頃、絵本や子供雑誌、塗り絵などに登場する電車と言えば・・
まずは新幹線、そして「こだま」形電車、それに20系のブルートレイン・・
そして、私鉄ではなんといっても近鉄ビスタカー、名鉄パノラマカーと共に、必ず出てくるのが小田急のNSEだったわけで、まさに、子供の頃からの憧れの電車であり、夢にまで見たといっても大げさではない。

00230091odakyunse

小田急の新宿駅は阪急や南海の関西私鉄ターミナルを見慣れた目にはこじんまりとした、阪神や近鉄のターミナルのような雰囲気に感じられた。
その特急専用ホームに入線してきた「はこね」はまさに、絵本で見慣れたそのままの格好で、少年時代の僕はしばらくそこで動けなくなってしまった。

その後、所要で東京へ行くたび、時間を作っては小田急のロマンスカーに乗った。
乗車券の購入の仕方が分からず、新宿駅の複雑怪奇な構内を迷いながら歩いたのも懐かしい思い出だし、関西へ帰る道に、わざわざ小田原まで小田急に乗ってから新幹線「こだま」に乗り継いだりもしたものだ。
NSEの車内は小型の連接車独特の雰囲気で、鉄道車両としてはこじんまりとした空間に当時としては贅を凝らしたものだった。
光天井、座席ごとの大きめのテーブル、ヒートポンプ式エアコンの吹き出し口がさりげなく設けられている窓框、そして大きな窓に横引きのカーテン、売店かトイレと客室を区切るガラス張りのマジックドア・・
不思議だったのは客用出入り口が自動ドアではなく、ウェイトレスが開け閉めをしてくれること・・
このあたりに特急列車への小田急のこだわりも感じられた。
Emaiko_149odakyusse 同じように小田急では車内や駅での案内放送で急行列車を「普通急行」、特急列車を「特別急行」と呼んでいたけれども、これも国鉄以上に列車種別へのこだわりを持つ小田急らしいやり方だと感じたものだ。

走り出すと、何故か国鉄電車と同じ音がした。
並行カルダンであり、開け放しの隣の車両との連結部分からモーターの音が入ってくるのだろう。
しかし、レールジョイントの音はまさに連接車のそれで、タタ、タタ、タタンというボキー車の少し複雑な音とは異なり、タタン、タタン、タタン、という単純な音は非常に不思議な感じがしたものだ。
NSEに乗車した後に近鉄のビスタカー10100系にも乗車したけれど、ビスタカーは3車体の連接構造であり、11車体もの長大な編成による走行音は小田急でしか味わえないものだった。

シートサービスを謳う、ウェイトレスによる車内販売は、憧れの一つでもあったけれど、慣れた乗客たちが勢いよく歩く彼女たちを上手に呼び止めるのに対し、僕などの田舎者は気後れがしてなかなか、声をかけることが出来なかった。
それでも、車内で陶器のカップで飲む紅茶は美味しく感じられたものだ。

当時の小田急の特急は西へ行くほど速度が上がるが、東・・新宿に近づくほどにのろのろ運転になることが多かった。
しかし、それもまた、車内でゆったり感を味わうにはちょうど良かったのかもしれない。
遅いと不満を感じるようなことはなく、そのあたりがまた、小田急の演出の良さなのだろう。

小田急の線路は大体が高速運転向きに出来ている。
昭和初期、西の参宮急行、新京阪、阪和、阪神急行に匹敵する高速設計で完成したのが小田急だったのだし、箱根、江ノ島といった大観光地を目的地とすることが出来、そういう意味ではロマンスカーの運転は小田急ならではのことなのだろう。

国鉄は二度ほど小田急の連接車を借りて各種試験を実施していたように思う。
新幹線、在来線とも連接式の特急車両が生まれる下地はあったのだが、コスト面、輸送量の面、編成の自由度などにより断念してしまったことは残念にも思うし、国鉄・JRの運行形態を考えると止むを得ないかなとも思う。

Emaiko_138odakyuvse

小田急は線路改良が進み、僕は最近乗車した急行列車で、かつての小田急とは比べ物にならない速さを実感した。
それはもはや、関西民鉄各社がスピードの面でかつてほどの華やかさを失ってしまった今だからこそ、出来るならば・・あの複々線を連接式のロマンスカー、VSEに乗って、爽快感を味わいたいと願っている。