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2008年10月

2008年10月20日 (月)

夜行鈍行

Dscn5244nagasaki_2 (画像は長崎夜行)

戦前、戦後というか、明治や大正の香りすら色濃く残していたのが国鉄の長距離鈍行、中でも夜行鈍行列車だ。
普通列車で一晩を明かし、明け方に目的地に到着する・・

僕が鉄道を自分で使うようになった時期には、夜行鈍行・・夜行の普通列車は数えるほどになっていたけれども、それでも「大垣夜行」「長崎夜行」「山陰夜行」「南紀夜行」などと呼ばれて学生や鉄道ファンから親しまれていた。
マルス発券の関係もあり、寝台車連結列車には急行列車並みの名前が付いていたけれども、それよりは○○夜行と呼ばれることが多かったように思う。

当時は高速道路も発達しておらず、土讃線や予讃線にも夜行の普通列車が走っていた。
今、岡山からでも高知や松山へは2時間台の所要時間であり、夜行列車の入り込む余地など存在しないが思えば隔世の感がある。
さらに中央線の新宿口には115系電車を使った夜行普通列車もあったように思う。

夜行といえど、普通列車であり、基本的には普通に使う車両のはずだが、やはり近郊型では長距離運用には難があり、急行と共通の車両を使うことが多かったように思う。
343,344M・・いわゆる大垣夜行は165系電車で、急行「東海」と共通運用の車両だったし、長崎夜行、山陰夜行、南紀夜行などはいずれもスハ43一党のブルーの急行型客車だった。

いずれもボックス型の固定クロスシート、寝台を除けば指定席など存在しないから、オンシーズンには座席の確保もやっとで、時には通路に寝ることもよくあった。
有難かったのはこれらの車両は冬には暖かく、車内には独特の安堵感のようなものがあったことだ。
冷房は電車か気動車の列車でないと取り付けられていなかったけれども、夏場の夜、窓を開けて走るのもまた心地よかったものだ。
心地よいなどというのは僕が蒸気機関車の時代を知らないからで、煤煙が入り込んだ時代には旅行は大変だっただろう。

直角椅子と呼んだボックス型のクロスシートは、寝るにはやや不向きで、仲間内ならお互い足を伸ばしあって少しでも疲れが出ないようにしたものだ。
普通列車だから発車してしばらくは遅めの帰宅ラッシュと重なり、しばし通勤客の疲れきった表情が同席する。
しかし、深夜時間帯になると車内は長距離客だけとなり、落ち着いた雰囲気になる。
時間調整をすることが多く、深夜や明け方の比較的大きな駅では何の音もしない不思議な時間が過ぎてゆく。
あるのは鈍い車内の明かりとホームのわずかな水銀灯や蛍光灯のみだ。

それでいて、深夜時間帯に営業していない小駅はたいてい通過となるから、停車駅の間隔は急行か特急並となる。
走り出すと東海道線などの幹線筋の列車は結構速い。
貨物列車や夜行の特急・急行などもあるから、ダイヤ上ではそれらと平行ダイヤにせざるを得ず、速度は高くなる。

その点、亜幹線である山陰線や紀勢線、土讃線などはゆっくりしたものだった。

今思えば、僕らは随分、贅沢に鉄道旅行を楽しんだような気がする。
夜行鈍行など、今望んでもその存在すらないわけで、コスト優先の民営化された鉄道では今後も復活することなどなかろう。
そういえば、東海道線の343,344Mの後身である「ムーンライトながら」ですら次のダイヤ改正で廃止もしくは季節臨化されるという話も耳にする。
乗客が乗ってくれる列車でも運行コストを考えるとすでに存在が成り立たなくなってきているようだ。

このあたり、夜行バスなら人件費は運転士だけ、駅の営業は不要で、道路の保守は高速道路会社がしてくれるわけだから夜行鈍行とはその運行コストは比べ物にならないのだろう。

眠れない夜、窓に映るのは自分の顔やそのバックにある車内の風景のみ・・
誰かの鼾や、汗のにおい、酒やタバコのにおい・・
そして車内に響く規則正しいレールジョイントは何故か昼間より音がこもる感じがした。
むき出しの蛍光灯の味気ない雰囲気、窓辺に並べられたビールや酒の容器・・
それらすべてが今、僕には懐かしい・・

そして深夜から明け方に移るころの海岸線や山の稜線の神秘的な姿・・

夜行鈍行・・もう二度と乗れない贅沢な時間をすごした列車である。

2008年10月 6日 (月)

標準軌19メートル3ドアの魅力

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大都会周辺の電車といえばJRとともに、大手私鉄や準大手私鉄、地下鉄を思い浮かべるのだけれど、僕はどういうものか、国鉄=JRの規格外の電車に強く惹かれる癖がある。
これは幼少時より阪神、阪急、山陽といった関西私鉄に触れてきたから自然にそうなってしまうのだろうけれども、これら私鉄の車体長18~19メートル級3ドアの電車が如何にも私鉄の空気を漂わせているような気がしてならない。

国鉄の場合、すでに戦前に車体長20メートル級の電車を基本として確立しているから、よほどのことがない限り国鉄=JRで車体長の短い電車にお目にかかることはないのだけれども、大手私鉄、準大手私鉄には今も18~19メートル級の電車を走らせているところが結構多い。

関東なら京成、京浜急行、都営浅草線とそれらの関連線区である北総や新京成・・それに東京メトロの銀座、丸の内、日比谷各線区と日比谷線に直通する東武や東急の一部電車あたりか・・
最近までこのサイズを使ってきた京王井の頭線は(狭軌ではあるが)ついにというか、20メートル級電車の走る路線になってしまった。
(といいつつも、この路線の車両デザインは好きなんだけれど)

関東の場合、戦後すぐに国鉄63系を導入してそれからずっと20メートル級で通してきた東武以外は、車両の大型化は意外に遅く、同じように63系電車を導入した小田急もいったんは車両のサイズを小さくして、通勤ラッシュの激化により1964年の2600系からというような状態だった。
現在、大型車両の走っている各社でも西武は払い下げ国電の台枠を利用して比較的早い時期に20メートル電車を作り始めたけれども、、他社の場合、東急は1969年、、京王は1972年から車両の大型化に踏み切っている。

国鉄はかの悪名高きモハ63で4ドアの威力を味わい、それ以後、通勤電車は4ドアになったのだ。
新性能電車の時代になり、101系、103系といった通勤型電車の威力を、各私鉄は目の当たりにして、押し寄せる通勤客を必死で捌こうとして、各社、その規格を取り入れていったのが目に見えるようだ。
それでも、西武は20メートル級3ドアという独自路線を貫き、4ドアになったのは1977年の2000系からだ。

京王を除けばいずれも国鉄と同じ狭軌を採用しているのが興味深い。

さて、車両の大型化は実に関西の私鉄がその先鞭をつけていて、車体長20メートル級の大型電車は1928年の大阪鉄道(今の近鉄南大阪線)から始まっていて、これは国鉄最初の大型電車モハ32登場の4年前になる。
関西私鉄は戦前、大型の電車を次々に生み出し、1929年の南海301系(後の2001系)、1930年の大阪電気軌道1300型、参宮急行2200系(いずれも現在の近鉄大阪線)、と続く。
これらのうちで通勤型といえるものは大阪電気軌道の1300型くらいで、あとは中・長距離用・・今でいえば急行型か近郊型といったところだろう。
関西の私鉄の場合、4ドアの純然たる大型通勤電車を作り始めるのはやはり戦後で、南海が国鉄63系を導入して、それの更新工事で1959年に1521系を生み出し、近鉄は1957年から南大阪線でラビットカー6800系を登場させ、このときから4ドア通勤電車が幅を利かすようになってくる。

さて、ここで不思議なことは、本来、車両の大型化に有利な標準軌私鉄にあって、大型20メートルの電車を走らせているのは近鉄だけで、京王も標準軌に近いがやや軌間は狭く、そういう意味では標準軌私鉄の多くが未だに大型車体を作らないのがなんとも不思議に思える。
とはいっても、その近鉄ですら車体長こそJRよりやや長いが車体幅になるとやや狭く(車体幅は裾を絞って、2800ミリ・・JRは裾を絞って2950ミリ))、そういった意味では完全な大型車体といえるものは標準軌私鉄には存在しないように思える。

標準軌私鉄の多くが実は路面電車をその発祥としたり、公営路面電車への乗り入れを模索していたために標準軌を採用した歴史上の経緯を見ると、やはり大型車体の採用にはインフラの面で無理があるのかもしれない。
そう考えれば明治時代の遺産が今も残っているのが標準軌私鉄の中型車体ということになるのだろうか。
(京王も軌間を東京市電に合わせているように、その出自は路面電車的な鉄道で、その鉄道を長い年月をかけて大型車体が走れるように改良した関係者の努力はすばらしいと思う)

唯一、標準軌私鉄で国鉄並みの大型車体の電車を走らせたのが山陽電鉄で、ここは戦後、どうにも仕方のない車両不足を乗り切るために線路のほうを国鉄63系電車に合わせて改良したという歴史の持ち主だ。
ただ、今現在、山陽電鉄には車体長20メートルの電車は存在せず、阪神と合わせた規格の車体しか使っていない。(阪急神戸線はやや車体幅が狭い)

さて、そのような歴史の必然、偶然は飲み込んでおきながらも、僕にとって車体長18~19メートル、片側3ドアの電車はいかにも私鉄的で魅力的に思える。
4ドアだとどうしても国鉄=JRの通勤電車のイメージが強く、いくら私鉄が自社の個性を盛り込んで設計したとて、そこにオリジナリティがあまり感じられないからかもしれない。
それがやや車体の短い、3ドアの電車だと、どことなく余裕のようなものが感じられ、それがいかにも庶民的な私鉄臭を漂わせているような気がするから不思議だ。
国鉄=JRとは違うんだという主張のようにも見て取れる。

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京成、京急、新京成、阪急、京阪、阪神、山陽、それに西鉄・・

いずれも個性豊かな鉄道だ。
かつて、これら私鉄の通勤車両はドア間の窓は3個、車端の窓は2個だった。
これがある意味では規格のようにも思えたのだが、京急あたりの新型車からドア間の窓は幅広の2個に変わってきて、今や阪急・阪神も含めそのスタイルが主流になりつつある。
多少は規格化されても、絶対数の多いJRのようには見えないところが、これら私鉄の車両の得な面でもあるだろう。

ただ、標準軌、18メートル車体でありながら4ドアを採用している大阪市営地下鉄や、19メートル車体に5ドアを設けた京阪5000系のような例外はもちろん存在するし、それもまた強烈な個性の現われかとも思う。
それでも、標準軌、19メートル、3ドアの電車を見ると、なにやら国家権力にも見える国鉄への反抗心や、没個性化時代への反発にも思えてくる。
ま・・難しいことは考えず、ただ単に、僕は私鉄の標準軌、19メートル、3ドア電車が妙に好きなだけなのだけれども・・
(それには僕が国鉄に居たということも関係しているのかもしれない・・それと決して4ドアの大型車体の電車が嫌いなわけではない・・念のため)

*注*
電車の車体長は基本的には連結面間距離を指します。20メートル車体の場合、実際の車両の長さは19メートル50センチ程度です。