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2008年6月

2008年6月17日 (火)

スエ3015と出会った日。

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スエ3015高砂工場入場線にて


1979年、夏頃だったか・・

高砂工場で車両の入場待機線を散歩していると、なんとも古めかしい車両が目に留まった。
二重屋根、そして他の車両より一回り小型のその車両がスエ3015だった。

所属は大ヒメ・・姫路機関区だ。
スエの表記が示すように救援車で、普段、この車内には事故復旧の祭に必要な様々な道具が備えられているのだろうが、工場への全般検査入場とあって、それら備品類はすべて外されていた。

車内に目をやると車掌室の年季の入ったダルマストーブ、天井櫛板にある大きな花弁の紋が入った何かの蓋・・
そして外からはふさがれていて見えなかった二重屋根の造作も完璧に残っていた。

車内の作りからはこの客車が荷物車か郵便車であったろうことは想像がつく。
外観も二重屋根のモニター部分が板でふさがれ、二個所の出入り口のうち、1個所が鉄板で溶接されてふさがれている他は原形を止めているように感じた。

当時の高砂工場では、新鋭だった25形客車などに混じって戦前の中型客車や戦災復興客車が時として見られることもある趣味的には大変面白い状態だった筈だが、僕自身はそれほど多くの記録を残しているわけではなく、個人的な趣味は国鉄以外の鉄道に振り向けられていた。
今思えば勿体無いことだ。

さて、スエ3015はその入場作業も僕の班の仕事となった。

一般の客車と異なり、走り装置以外にはほとんど予算をかけられない業務用車両とあり、修繕にはかえって気を遣う。

窓も動くようにはするが、解体修繕などはしない。
側樋は、いかにも昭和初期の車両と言う感じの優美な曲線が入ったものだった為、腐食している個所も交換部品がなく、結局、腐食のひどいところだけを現車合わせで新しい米松材をあてがって、鋸とカンナで形を整えると言うやり方をするしかない。
これらの仕事の中心は古株で木材に詳しいMボーシンが中心になって行った。

けれども、それだけの仕事でも、随分と見栄えがするようになっていくからこの仕事は面白いと感じたものだ。
「昔は、この屋根の明かり窓の調整が大変やったな」
室内で天井を見上げ、Mさんが呟く。
「しかし、見事に天井の造作が残っているなぁ・・」
自慢のパイプを咥え、感慨深げに天井を見上げるMボーシンの横顔には職人の魂が宿っているように感じた。

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スエ3015の室内





室内には汽車会社東京支店昭和4年製造の銘板が残っていて、あとで様々な資料を漁って調べたところ、この車両は原形を47600形、改番でスユニ36200、更に改番でスユニ30となった形式の末裔であることが判明した。
小倉工場昭和26年更新の銘板が室外に残っており、更に記録では昭和35年に救援車への改造が成されていることも判明・・

昭和4年の製造から半世紀・・
平凡な1両の車両が戦災を経験し、戦後の混乱を経験し、後継の大型車両の台頭で第一線を離れ、隠居生活とも言える救援車として余生を送る様子が、この車両の姿から見えてくるような気がしたものだ。

頑丈で無骨な昭和一桁生まれ・・
物言わぬ車両の横顔が頑固なボーシンと重なって見えた。