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2008年5月

2008年5月 3日 (土)

だいせん5号のナハ21

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ナハ21車内
20系客車の項でも書いた記事ではあるけれど、高砂時代に特に印象に残る車両でもあり、改めて書いてみたいと思う。

ナハ21はプルマン式の寝台車ナロネ21を一般座席車に改造した車両であり、東北線と福知山・山陰線の夜行急行に使われた。
当時はまだ夜行急行の需要の旺盛な時代だ。
生活水準の向上に伴い、夜行急行と言えどいつまでも非冷房、半鋼製のスハ43系客車を使うわけには行かない。
寝台特急は2段寝台化が進み、余剰になった20系客車を急行に転用するのは当然の車両政策であるとは思う。
けれども、20系の座席車は失われて久しく、改めて座席車を準備する必要に駆られる。

本当はこの時に12系の活用が考えられても良かったのではないかと思うのだけれど、そうなると20系客車の改造工事が大掛かりなものになってしまう。
全体の経費を考えると余剰になるA寝台を座席車に改造するのがもっとも安上がりと言うわけだ。

ナロネ21の上段寝台を取っ払う・・
そうすると広々とした座席車が出来るのは車両を知っている人なら誰にでも想像できるけれども、A寝台は日中に使うときには「グリーン車」扱いになる。
普通車としては定員が余りにも少ないわけだ。

そこでナロネにあった2個所の便所・洗面所のうちの1個所、業務用室、喫煙室を撤去して、ここに客室を延長する大改造工事が必要になった。
こうすることで、クロスシート1ブロック分、8人分の定員を増加させた。

もっとも、この時に作られた座席や窓周りには廃車車両から移設した部品が使われている。

さて、実際に乗車した感想だ。

僕らは関西在住なので上野からの夜行急行には縁がなかったけれど、福知山・山陰線の夜行急行「だいせん5・6号」にこの車両が使われていて、好んで乗車したものだ。
時には旅行の行き先より、この列車に乗りたくて旅に出ることもあった。

それくらい居心地の良い車両だったわけだ。

ただし、改造車なので問題点がないでもない。

もともと二人で向かい合うことしか考えて作られていない座席だったので、4人がけで使うとピッチはさすがに充分なものの・・座席幅がやや窮屈だった。
座席はA寝台の下段を固定化したもので、座席を引き出す為のローラーに塩ビパイプをカットしたものでローラーのガタを押え、簡単な金具で布団が引き出せないようにしてあった。
非常口は改造前には喫煙室にあった為、ここを客室に改造した際、新幹線で一時的に使われた落とし込み式の非常口がこの部分の座席の間に設けられた。
これはロックを外して室内から蹴ると、釣り合いばねに支えられた扉が落ちる仕組だったが、実際にこれを必要とする場面があれば、随分とその操作に手間取る造りだったのではないだろうか。

座席はやや固く、この点では12系客車などの方が座りごこちが良かったかもしれない。
けれども、深みは充分すぎるほどで、向かい合わせのクロスシートにしては背もたれの傾斜も充分、ちょっと固い目のソファのような座りごこちだった。

天井の照明は何故か減光できないように改造されていて、これも12系客車なら減光されるので、眠るにはまぶし過ぎるきらいがあった。

床は高砂施工のものは床全体にロンテックスが新たに流し込まれて、新車のようななっていたのに、大宮施工のものは絨毯をはがしただけの仕上がりだった。

便所、洗面所は前位側のみ残してあった為、出入り台と反対側と言うことになり、その場所に戸惑いを覚えることもあった。

けれども、20系客車独特の大きな窓は開放感に溢れ、高い天井は他に例がなく、深緑の段付きモケット、濃紺のカーテン・・
これらが織り成す車内の雰囲気はとても日本の車両とは思えない、豪華な雰囲気だった。

大宮施工の車両ではレースのカーテンも残されていたが、これは高砂入場の際に撤去されてしまう。

大きなテーブル、肘掛けのモケット・・
僕は未だにこの車両以上の開放感に溢れる豪華さを他の車両で見たことがない。

20系客車独特の軟らかで、静かな乗り心地はこの車両でも全く変わらず、そういう意味では車内の雰囲気と言い、奇跡のような車両だったと思う。

昭和53年頃、大阪駅を21時32分に出た「だいせん5号」は、DD51がその持てる性能を遺憾無く発揮していきなりの高速運転。
東海道線を滑るように走っていく。

けれども、尼崎を過ぎて福知山線にはいると、その走りっぷりはローカル線のそれになる。
実は、この列車のあとの時間帯にもう1本、普通客車列車が走っていて、この列車ともうひとつ、京都始発の夜行普通列車「山陰」と福知山駅で並ぶのだ。

有効時間帯を少しでも活用しようとしてのゆったりとした運転だったが、今から考えると少し遅すぎるように思う。

列車は米子から普通列車になり、そのまま、出雲市を経て大社まで走る。
大社到着は7時20分。
今からは考えられないようなゆったリズムである。

出雲市から通学の高校生が大勢乗車してきて、日本一のデラックスな通学列車にもなるのだ。

国鉄が余剰車両を活用して作り上げたこのナハ21・・
奇跡のような存在のこの車両は長くは続かなかった。

夜行だいせんは、のちに14系寝台と12系座席車の混成に変更されてしまう。
そのとき、僕はもう、国鉄にはいなかった。