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2008年3月

2008年3月26日 (水)

EF58

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須磨海岸を行く大窓のEF58
僕たちが中学生の頃、東京発の九州・山陽方面寝台特急はあの20系をEF65Pが牽引していて、それは僕らの憧れの的で、東京発の寝台特急をただ眺める為に山陽本線の宝殿駅の駅員さんにお願いし、深夜のホームで過ごさせてもらったこともある。

でも関西発の寝台特急は基本的にはEF58がヘッドマークも鮮やかに西下していたわけで、これはこれで、格好良く思えたものだ。

何故か、僕は小学生の頃からこの機関車への憧憬を抱いていて、なんどか80分の1のプラモデルにも挑戦している。
それは、あまりに複雑すぎて何れも失敗に終わったのだけれど、何故か僕の脳裏にこの機関車が大きなインパクトを与えていたことだけは間違いがないようだ。

国鉄に入社後、この機関車を触ったのはほんの数度・・
一度だけナンバーの交換をさせてもらったことがあるけれど、それも実習中の出来事であり、高砂への正式な配属が決まってからは、相手が客車になるのだから仕事とこの機関車との繋がりは薄い。

それでも、当時の山陽本線には重厚な荷物列車が走っていて、この列車の牽引機関車と言えばEF58に決まっていたから、普段の生活でこの機関車を見ることは結構多かったように思う。

二軸の従台車、それに続く三軸の動台車・・
それを前後対照に配置し、その上に乗った湘南型マスクのロングボディは国鉄直流機関車標準のブルーに塗られ正面にはステンレスの髭が飾りとなって華やかさを増す・・
従台車の先端には小粋なポールまでつけられた。
機関車の持つ重厚さ、華やかさを全て併せ持っているような機関車だったのではないだろうか。

戦後すぐに誕生した原形はEF15などと同じ茶色のデッキ形だったようだが、戦時設計の粗末さゆえに関係者から嫌われ、やがて、初期の31両はずべて新型車体に乗せかえられることになり、同じく戦時設計の非常に粗末な貨物機関車、EF13に旧車体を譲り、EF58は湘南型デザインを取り入れた流線型の大型車体に更新された。

この大型機関車が特急を牽引する・・そのインパクトは相当なものだったようで、国鉄を代表する特急機関車としてそれぞれの時代の看板列車をこの機関車が牽引している。

東海道全線電化後の「つばめ」「はと」
初の九州特急「あさかぜ」
そして東海道旧型客車特急のラストを飾る「青大将つばめ・はと」
流線形・美しいデザインの20系客車を使用したブルートレイン・・


関西と九州を結ぶ寝台特急はこれらに比べると格下の感もあるけれども、国鉄を代表する幹線の特急であることには変わりなく、僕らはまさに羨望の眼差しを持ってEF58をみたものだ。

関西と言えば私鉄のイメージが強かった時代。
一人気を吐く国鉄の雄大さを堂々と身を持って示す存在こそ、EF58だったように想うのだがどうだろう。

EF58の引退後、特急列車の牽引はEF65から貨物機として開発された高性能EF66へ・・
けれども、機関車の性能向上とともに皮肉にも寝台特急はその精彩さを欠いていくようになる。
そしてつい先日、長い歴史を有する関西と九州を結ぶ寝台特急はその使命を終えてしまった。

思えば、EF58とは国鉄が(あるいは国鉄の寝台特急がと書いても良いかもしれない)一番元気だった時代のその象徴だったのではないか?
性能的には決して今の最新の機関車と肩を並べるようなものではなく、貨物用EF15と基本設計を同じくしながら、ギヤ比などの味付けを変えることで高速運転に向くように設計された機関車だ。
けれども、新製当初はともかくとして乗務員に愛され、機関区で好まれ、沿線の鉄道少年たちの目を輝かせた・・その実績は非常に大きかったのではないかと思う。

EF58よ永遠なれ!
かつて、線路際で口をぽかんと開けながらこの機関車の牽引する「あかつき」「明星」「彗星」を見ていた少年だった僕はそう叫ばずにはいられない。

2008年3月 4日 (火)

TEC100系

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加古川橋梁ですれ違う100系
昭和60年、国鉄は味気ない新幹線の旅をより魅力的にする新車、100系を投入。
最初の試作車はシステムはともかく、客室設備は0系の延長にあったような感じだ。

0系は新幹線開業時から製造を続け、その種類は多岐に渡り、ついには0系を持って開業時の0系を駆逐すると言う不思議な事まで起った。
0系の場合、普通車座席が転換クロスから固定リクライニング、大窓から小窓、食堂車の連結、内装のデラックス化と言うような事が行なわれていくのだけれども、これの集大成が100系の試作編成だったと思う。

100系では内装の更なるデラックス化とともに、電動機の出力向上により編成出力に余裕が生じた分を使い、新幹線では初めてT車を連結、しかもこのT車は2階建てとし、食堂車、グリーン車、個室、カフェテリアなどをここに集約した。
また、0系とは反対に、最初の試作編成こそ小窓だったが素材や工法の改善で大窓が復活、窓からの眺めもぐんと良くなった。

0系食堂車の登場で、ややゆとりの兆しが見えていた新幹線ではあるけれど、100系に至って列車全体が余裕をもち、イメージが大きく向上したように思うのだ。

さらに、JR移管後、JR西日本ではこの100系の細部を改善。
最高速度270キロ、T車4両組み込みの「グランドひかり」編成の登場となる。

味気ないと思っていた新幹線は大きな魅力を備えた。

けれども、100系の旧態以前としたシステムでは、沿線の騒音公害に対処できない。
折角の270キロ運転は行われず、それでも、ようやく新大阪と博多の間は開業時の3時間40分あまりから3時間を切る事が出来るようにはなっていた。

新幹線を襲うのは航空機との熾烈な競争。
航空運賃の値下と便数の大幅な増加は、航空機の利用をごく日常的なものにし、太平洋ベルト地帯の輸送の主役だった新幹線をその主役の座から引き摺り下ろす事態になっていく。

100系のゆとりは、ここに至って捨てられる運命になる。

とにかく速く、とにかく大量に・・
新幹線に求められるサービスはその根本から変わっていく。
いや、変わっていったのではなく、東海道新幹線開業時の様相に戻っていったと言うべきか・・

新型300系は騒音問題を一定のレベルでクリヤし、常時270キロで走行できるようになる。
最初こそ供食サービスは考えられていたものの、やがて、それも一般的な車内販売に戻されてしまう。

航空機の狭い座席に対する優位性を確保するためか、座席のピッチは拡大され、定員確保のために食堂車やビュッフェを連結する事すら出来なくなる。

高速運転のために車両の重心を下げる必要性から、2階建てなどは過去のものになる。
(東北・上越新幹線の2階建て車は、新幹線通勤に対処するためのものであり、ゆとりを目指したものではない)

300系、500系と高速運転のための車両が増えてくると、100系はその活躍の場を狭められてしまう。

今の東海道・山陽新幹線に「ゆとり」の部分は存在しない。
乗客は乗車したら最後、トイレに行く以外は座席に座っている事を余儀なくさせる。
鉄道旅行の楽しみのひとつである筈の広い列車車内を様々な設備を使うために歩き回る事は既に過去のものになった感もある。

事は新幹線に限らない。

北陸線でも485系特急にはかつて存在していた食堂車、お座敷車、展望車などは姿を消し、新型「サンダーバード」は外見こそ格好が良いけれども車内はただ、座る事だけしか考えられていない作りだ。
一時的に鹿児島線特急にビュッフェが存在したけれども、これも今は座席に改造されて存在しない。


100系は今、山陽区間で「こだま」として活躍している。
かつてのスターの都落ちの姿はなんとも淋しいものがあり、しかも100系最大の特徴だった2階建て車両は既に存在せず、今秋から500系が「こだま」に転用されると加速や最高速度の点で見劣りする事は避けられず、いずれ、近い将来、山陽区間からも撤退するのは間違いがなかろう・・

僕は基本的に「旅行」とはプロセスを意味するのであり、単に目的にへだけ行くと言うのではないと思っていいる。
国鉄がその末期に新幹線100系で見せた「ゆとり」は実は将来、鉄道が航空機やバスよりも魅力的な旅行を可能にする・・そのもっとも大事な部分ではなかったかと思うのだが・・