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2008年2月

2008年2月11日 (月)

伯備線

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電化直前の気動車「やくも」
山陽と山陰を結ぶ鉄道・・いわゆる陰陽連絡鉄道としては、播但線、姫新線、津山線、因美線、伯備線、芸備線、木次線、山口線・・この他にも福塩線や三江線、美祢線なども入れると、結構たくさん存在し、・・かつてはどこも同じような雰囲気だったのではないだろうか。

福塩線南部や津山線は出自が私鉄だったので、やや趣を異にするかもしれないけれども、国鉄としての営業も永くなると良くも悪くも染まってしまっているようにも思う。

その陰陽連絡鉄道の中で、急激に脚光を浴びたのが伯備線だ。

新幹線の岡山開業を機に、強力181系気動車を使った新幹線連絡特急「やくも」が走り始め、これはやがて、気動車として初めてのL特急になっていく。
(この時、四国にもしおかぜ・南風で181系気動車の特急が走り始めた)
岡山・倉敷と米子・松江・出雲市と言うような中核都市を結んでいたのもこの線区にとっては幸いだったのだろう。

しかし、いくら強力とはいえ、国鉄設計の181系では伯備線のような急勾配、急カーブが連続する線区では自ずとその速度にも限界があり、発達する自家用車に追い抜かれてしまう有り様。

この線区の抜本的な改善は線形の改良とともに電化と振り子形電車による高速化以外に策はなく、今も続く381系電車によるスピードアップへとつながっていく。

181系気動車はその重厚さが、ある意味では魅力でもあった。

食堂車組み込みの長大編成で渓谷を縫って走る姿は、それを俯瞰すると思いのほか良い被写体になったし、乗車すれば気動車特急独特の安定感が旅情を掻き立てる部分もあった。
僕は気動車時代の「やくも」に乗車したときは必ず食堂車で食事をとりながら景色を眺めていたものだ。

その時代の伯備線は普通列車もなかなか面白く、新見以南では気動車による快速列車も走っていた。
普通列車には、たいていキハ20辺りの車両が使われ、岡山から乗車すると駅ごとにだんだん沿線の山が深くなっていくのが車窓の興味をそそる。

その伯備線が昭和57年、電化された。
活躍10年の気動車特急はきれいな新車の振り子電車となり、岡山と米子の間の所要時間も劇的に改善された。
普通列車にも新車の115系が投入され、気動車の快速よりも短い所要時間で岡山と新見の間を結んだ。

僕はたまたま、電化直後の伯備線特急「やくも」に松江から乗車したのだけれども、きれいな新車の輝きとは裏腹に、走り出すと激しいゆさぶり・・食堂車でまったりと食事が出来た気動車とは大違いの派手な乗り心地には、居合せたお年寄りの団体さんのなかに揺れで酔う人まで出る始末・・
所要時間の短縮と旅情とは表裏の関係にあるものなんだと言う印象を持った。

その代わり、これまで並行する自家用車に抜き去られていた山越え区間では、軽々と自家用車を追い越し、勾配のストレスもなく、電化・高速化の威力ここにありと言う感じだ。

今、この伯備線はまさに陰陽連絡の主役だ。
電化と同時に登場した381系電車は四半世紀を生き延びて今も主力の座にある。
伯備線の数年前に電化された中央西線の「しなの」が同じ381系だったのが既に世代交代が完了しているのとは大違いだ。

リニューアルを繰り返し、それでも老朽特急車を使わざるを得ないJR西日本の台所事情はこの伯備線が如実に物語っていると言えるかもしれない。

伯備線が幹線として活躍していく中で、他の陰陽連絡鉄道は忘れられたような存在になっているように思う。
第三セクターの「智頭急行」の開業もあり、かつてたくさんの気動車急行が走っていた津山線・因美線・姫新線・木次線・芸備線は既に陰陽連絡としての機能を発揮していない。
同じ事がJR東日本の田沢湖線と北上線などとの関係にも言えるかもしれない。

ひとつの線区が脚光を浴びると言う事は、他の多くの線区が沈んでいくと言う事と同義語なのだ。