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2007年10月

2007年10月 6日 (土)

オハ35

V1b5gbke
戦後製造の車両。屋根や車端部のデザインが変わっている。

昭和14年、それまでの客車を大きくモデルチェンジした客車が登場した。

すでにモハ52で実用化された広い窓を客車流にアレンジした1メートル幅の大型の窓を持った3等車を中心としたグループ、オハ35、オハフ33一党だ。

幹線の長距離列車や急行列車に向けて作られたこのシリーズは、当時としては新しい時代を先取りするものであったのかもしれない。

けれども、細部に目を凝らすと、鎧戸の代わりに設けられた緑色、ビニールレザーのカーテンは完全な遮光性を持っていて、この後の時代の灯火管制や軍事施設への乗客の視線を遮る役目を果たすようになる。

そしてやってきた大戦・・
粗製濫造のD52,EF13,モハ63と言った戦時設計の標準形式とは異なり、客車としての標準形式はあくまでもこのオハ35一党だった。



オハ35一党の詳しい分類などの研究は鉄道ピクトリアル2004年7月、8月号を参考いただきたい。
また、客車専門のウェブサイトもあり、そちらも御参考頂きたいと思う。

ここではあくまでも現場作業者、もしくはファンとしての立場からの「思い」の部分を書いていきたいと思う。

オハ35の前の標準形式はスハ32だった。
20メートル級の鋼製客車。

一つの座席に一つの窓、向かい合わせの座席には二つの窓・・そしてその系列の途中から採用された丸屋根・・

言わばスハ32の居住性を高め、長距離列車に相応しいデザインとしたのがオハ35なのだが、時代は既に戦争の足音が大きくなっていくころ。
前述のカーテンはこの後の時代への対応もしっかり考えた設計だったのだろう。

そして如何に粗製濫造ではない設計であるとは言っても、大戦時の材料の不足や技術者の徴兵による技量の低下は覆うべくもない。


スハ32を僕が仕事で触ったのはごく僅かだけれども、いずれも状態が良く、廃車寸前の時期においても手間のかからない車両だったように思う。

また、戦後の標準形式であり、旧型客車の完成版とも言えるスハ43一党も、廃車の頃にあっても手間のかからない優秀車両だったと思う。

この点ではオハ35は戦前、戦中、戦後の混乱期に製造された車両であり、一部には材質の問題か、痛みが激しく補修に手を焼く車両が有ったのも確かだ。

スハ32の窓柱内側・・
窓と直接接し、窓止め棒(金当て)を取り付ける下地になる部分の板は、スハ32では腐食防止のために真鍮製であり、窓におけるトラブルも少なかったように思うが、オハ35では普通の鋼板とされ、この部分の補修に手を焼いた。

外板も痛みが激しく、一部の車両では腰板の半分ほども切り継ぎをしたり、結果として腐食部が木材を使った部分にも及び、更新修繕なみの大工事が必要な事も有った。

丁寧で上品なスハ32、完成度が高く隙のない造りのスハ43に挟まれたオハ35の印象は、まさに「混沌」ではなかったか・・

けれども考えれば、日本の工業製品の中で、鉄道車両として戦後にも通用した唯一の戦時製造の車両がこのオハ35であったわけで、そういった意味では記念碑的な存在かもしれない。


後のスハ43一党との車体構造の差は、まずは絞り込んだ車端部。
入れ替えや増結解放作業などの際の連結手の安全を考慮していたとされる設計だが、スハ43ではこれが一直線の完全な箱型構造に改められている。
構造の簡易さや旅客へのサービスを考えると、もっと早くに複雑な設計を改めるべきだったのだろう。

国鉄のデザインは、どうも過去のしがらみにとらわれる癖が有るようで、スハ32の途中まで残っていた二重屋根構造などにもそう言った部分が見られるのが面白い。

後年には各地の工場で更新修繕が行なわれ、一部には木目内装、横引きカーテンなども有ったというが、高砂に関してはあくまでも基本に忠実に・・洗練されているけれども、面白味のない施工だったという。
残念ながら僕はスハ43の近代化工事をさせてもらった事はあっても、オハ35は僕の時代にはそういう頃ではなくなっていた。

補修に手を焼いたオハ35では有るけれど、愛され続け、今も大井川鉄道に何両もの車両が残るのは嬉しい限りだ。
スハ43と並んで客車の代名詞的存在になっている感もある。
手を焼いたとは言っても軽量客車ナハ10ほどではないわけだし、戦時の製造ながらも今も生き残り、歴史を伝え続けている車両があるのは大変、嬉しい事だ。