フォトアルバム

プロフィール

フォトアルバム

こう@電車おやじ

小説サイトSTORY http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/ 鉄道掲示板 http://6551.teacup.com/kouzou/bbs プロhttp://pr.cgiboy.com/02653710/フィール

« 117系登場の前後 | メイン | 九州の鉄道 »

2007年6月13日 (水)

夏のオハ41

63bgcxf_
高砂工場の夏・・
厳しい陽射しが浜風で少し緩み、蘇鉄の木が本場事務棟のまえに葉を広げる。
夏の高砂工場・・
周囲に高い建物はなく、ただっぴろい敷地の中で、夏の陽射しを跳ね返す全般検査終了間際のぴかぴかの車両たち。

その中で、マニ36やマニ60と並んで、いかにも高砂の夏を思い起こさせるのが何故かオハ41だ。

播但線、吉備線といった日中は閑散としているがラッシュ時には大都会の通勤路線並の混雑になる路線に朝ラッシュ時を中心に活躍していたオールロングシートの客車たち。
ロングシートとは文字どおりに読めば「長い座席」であるはずで、たとえば113系電車の二人がけのロングシートなど、あれはサイドシートとでも言うべきではないかとも思うのだけれど、オハ41の座席は端から端まで・・

座席の全長は18メートル程度はあったのではないだろうか・・

そしてずらりと並ぶ吊り輪・・
妙に明るい車内、天井のペンキの香りもまだ真新しいオハ41の車内に大型扇風機を持ち込んで風を通しながら作業をした懐かしい思い出・・これこそは夏の高砂工場の印象の第一かもしれない。

この車両たちは、実は非常に由緒正しき血統の車両で、戦前戦後を通じて製作されたオハ35一党の二等車(現在のグリーン車)が中心となった形式なのだ。
国鉄最大の窓を誇るオロ36や転換クロスのオロ40、41など、かつては幹線筋を疾駆していた言わば客車のエリートたちだ。

それが国鉄の近代化や地方都市のラッシュの激化・・などにより幹線輸送のエリートとしては古くなってしまい、当時の国鉄の耐用命数からは十分使用期限内にあったことから思いきって通勤専用の客車に改造され、地方都市で朝ラッシュを中心に運転された輸送力列車に使われていたものだ。

車体の改造は扉を増設するなど必要最小限だが車内は徹底して改造され、なんとも不思議な雰囲気を持った明るい客車が誕生したわけだ。

ラッシュ用であっても大半の線区では一日1本か2本の列車に使われればあとは車庫で昼寝状態になる。
というわけで、廃車寸前の頃にあっても車体の痛みは少なく、手のかからないクルマが多かったように記憶している。
あの長いロングシートの背もたれを取り付けるのだけが一苦労で、数人がかりで背もたれを座席枠に角材を乗せて、てこの原理で持ち上げ・・一人が片端から背もたれの下についているネジ穴に大きな木ねじをもみ込んでいく。

これさえ済めば作業の大半は終わったようなもの・・
もちろん、窓の調整もあるし、デッキ付なので仕切扉の調整もある。
でもあとの作業はそれほど大きなものではなかった。
(順序としては先に窓やカーテンをつけるのだけれど)

ただ、こんな車両でも仕切に灰皿がとりつけられていたのは時代かな・・

作業が終わり、検査も済めばオハ41の組みたて作業は終了だ。
明るい車内で残った時間で雑談をする。
室内で作業するものは誰もヘルメットはかぶっていないし、半袖の開襟作業服だ。
誰かが天井の扇風機のスイッチを入れる。
もちろん、検査のためだが、これがまた・・夏の趣があって良かった。

高砂工場終焉の頃・・これらのオハ41も終焉を迎えた。
荷物輸送の使命を終えたマニや、郵便輸送の合理化で行き場をなくしたオユ、スユとともに、高砂工場の浜手・・
廃車置場につながれた彼らを見るのは辛い物があった。

しかい、考えると栄光のエリートたちは、老後には地方都市で街の人々の足として地味な生きかたをしていたのだから彼らに魂があったとすれば、結構満足していたのではないだろうか。
今で言う「Iターン」のはしりかもしれない。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.eonet.jp/t/trackback/351371/14451677

夏のオハ41を参照しているブログ:

コメント

こうさん ご無沙汰しております。こんなすごく長いロングシートの客車があったのですね。仕切りに灰皿というのも、今では絶対考えられないですね。本当にこの時代の客車に乗って見たかったなあ…エントリとは少しずれますが、先日、俳優の石立鉄男さんがお亡くなりになられましたが、その石立さんの代表作の一つである「鉄道公安官」が好きで毎週見ていました。今はもう無い鉄道公安官を取り上げたドラマでしたが、国鉄の電車が毎週見れるのが楽しみだったことが懐かしいです。また再放送でもしてくれないかなあって思います。

トラ太さん>ご無沙汰しています。MYP裏ブログを閉めてしまったので・・申し訳ない限りです。これ、本当にロングシートでしょ。。同じような車両に九州は筑肥線あたりで活躍していたキロ26を改造したキハ26-600や播但線で50系の置き換えに使われたキハ28のロングシートバージョンなどもあります。鉄道公安官・・ドラマとしての出来はともかく、バックに映る列車は良かったですね。今は特急田中3号でしょうか。。

カナーツ、おととい行って来ました。ずいぶん痛めつけられているようで…心中お察しします。 旧型客車といえば、牽く釜は自分にとってEF58かDD51がピタリとくる、というか、実際にそれらが牽くものしか見たことがないのです。荷物列車と福知山線。 EF58は小学校から中学時代にかけて1番機から175番機まで写真に収めようと頑張っていましたが、遠い地方の所属機はとても収まるものではなく、でも相当追いかけました。宮原、姫路、竜華やら瀬野、広島やら機関区の周りをうろうろしたことも今となってはいい思い出です。 乗るぶんでは、大阪からの福知山線。当時はお金もぎりぎり状態で、こんなのに乗ったらどこに連れていかれてどれだけ払わされるか…とびくびくしていました。あの頃に近郊区間大回りのしくみを知っておれば…と悔やむばかりです。加古川線経由で大阪まで行ったらいくらなのだろうか?という疑問はもっていただけになおさら。そういうわけで旧型客車には大阪から尼崎まで試乗するくらいで、満喫できたというものではなかったです。 登校拒否をして播但線50系で寺前までいって、そこから西日傾く線路上をこれからどうなるのかと、とぼとぼ心細く歩いたことがありますが、旧型客車だともっと絵になったかもしれません。 EF58もDD51もともに戦後、蒸機を追い落とした当時の新鋭機でしたが、時代とともにそれぞれの機関車にも栄枯盛衰が…世の常とはいえ第一線に立ち続けることはできないのは寂しいことです。 鉄道公安官、再放送見てました。サーカスの歌うオープニング『ホームタウンエクスプレス』。わくわくしていました。本物の鉄道公安官に補導されかけたこともあります。通過するディーゼル急行に水風船を投げたところを見つかって。注意ですみましたが… カナーツに一回分くらい飲めるように手配しておきました。(施しではないです)是非遠慮なくご利用を。 体質や身体のことで部下をあげつらうのは見苦しいことですね。それにサービス業はそれ以上に腹立たしいことが起こってきますよね。鬱積したものは吐き出さないと。 わたしもキレないように近郊区間大回りを息子としてやろうとたくらんでいます。時間がないんですがね… 

不器用者さん>ありがとうございます。差し入れのお酒、じっくりと味わいながら呑ませていただきました。自分の進む道がやっと少し見えたような気がします。もう一度、鉄道と写真が好きな自分に戻ろう・・そう考えています。折角好きなものを嫌いになるなんて、もったいないじゃないですか。。旧型客車の旅が出来れば、それがオハ41でも一向に構わないのですが、ねだってもないものはない・・223系でも321系でもやはり好きになれる自分でありたいですし、ニコンを夢を語るように語れる自分でありたいですね。

 こうさん、人間万事塞翁が馬。鶏口になるとも牛後となるなかれです。 プライドをもっていきましょう。 ブログ始めました。今は鉄道関係ではありませんが、いずれそうなるかもしれません。http://green.ap.teacup.com/momohakase/

朝・夕のラッシュには、荷物車まで立ち席車として活躍していた70年代、客車並ロを改造して、詰め込みのオールロングシートで、寺前や播磨新宮までの区間用で良く運用されていました。朝夕ラッシュでも4両で間に合う今と違い、まさに鉄道黄金期の産物、2人用の客車シートをずらっと敷き詰めた、やけくその様な産物です。しかし懐かしいですね。

不器用者さん>ありがとうございます。プライドなんて、いや、それどころか、基本さえ捨て去れと言う職場でどうやって僕が輝けましょう・・愚痴すみません。なんとか、人と接するような仕事を今、本気で探しています。人間をお金としか見ないような仕事は・・特に写真の世界では御免ですね。ブログ、拝見しました。ほのぼのしてて、良いですよね。たまには鉄ネタも入れてやってくださいね。キッコーマン専用線さん>僕の知っているオハ41は・・2人がけのシートではなかったと思うのです。そう言う車両もあったかもしれませんね。103系電車の座席を転用してのではと思わせる3人がけか4人がけだったように思います。このあとにキハ28がオールロングシートで出たとき・・「歴史は繰り返す」と思ったものです。それから考えると今の播但線のリニューアル103系はスマートに思えますね。

 あ、和田岬線がありました。 DD13に引かれたオハ60。外吊り扉の異端児。線区自体が異端の盲腸線。兵庫駅の高架から見るばかり乗ったのは引退前の2回だけ。オイルの匂いが印象に残ってます。 そうとう痛めつけられている様子ですが、悪影響が精神に出ず、肉体に出ておられるようで… 限界を通り越しているのなら、深手を負う前に撤退するのがよいかと。過ぎたるは猶及ばざるがごとし。 そのお年で転職できたのは、こうさんの揺ぎ無い基礎と技術があればこそで、たまたまではないと思うのですが… 現職場は人の入れ替わりが激しいのであれば、そういう職場で頑張るのは傷を深めるだけのような感じがします。 一昨日、義理の弟が胃がんで死にました。34歳。 普通の生活を送ることがどんなに周りの人間・家族にとって尊いことなのか、我々神戸人は思い知ったはずなのに、喉もと過ぎてすぐに忘れてしまいます。 流れから上がって、心身ともに休めて、岸から眺め回復を待つ時間は要りますね。自分なら大丈夫という思い込みはかえって悪い結果を招いたりします。 伝言板のようにして、ブログの趣旨から逸脱していますが。またカナーツ行ってくださいね。パトロンではないつもりなんですが、情けは人のためならずというか、明日はわが身というべきか…  

不器用者さん>義理の弟さんの冥福を祈ります。34歳・・あまりにも若いですね。成したいことがたくさんあったろうにと思うと自分のことのように辛いです。オハ64の記事もこのブログにあったと思います。懐かしいあの油引き米松の香り・・今の103系では味わえないものが確かにあったように思います。なんとか、生きる道を模索しています。人と接し、泣き笑いを共に出来る仕事があればと思うのですが・・

こうさん、不器用者さんいろいろなご苦労お察しします。オハ41に、オハ46は、新車当時とは晩年まったく違う形に改造され本線からローカル線用になっていましたが、利用者から感謝された存在でした。示唆が有ると思います。

キッコーマン専用線さん>結構、このブログもそのときの精神状態が出ているように思います。オハ41を思い出したのも決して偶然ではないでしょうね。そこに何某かの意味を求めているようにも思います。いまから、世間にとって本当に必要なことに汗を流したいと・・すごく感じていますよ。地方都市のラッシュ輸送に生きがいを見出したオハ41のように。。

今から、25年以上も前、伯備線が電化されたと同時に、吉備線の721レと722レは気動車に変わりまして・・・当時、小学生でした。客車に乗りたくて、最寄り駅の備中高松から岡山まで行って、岡山発17時53分の721レに乗るという、当時の小学生では考えられないような贅沢な乗り鉄をやっていました。しかも、DE10の後ろには、8両もの客車がつながっていて、そのうち2両がオハ41。5両目と7両目にいました。オハ41ですが、最初はあの長〜いロングシートのどこに座ろうかと迷うほどで、でも、いつも乗る学生さんたちは決まった場所があったようで・・・いつも乗ってくる女子高生のお姉さま方にかわいがってもらって、漫画のクレヨンしんちゃんのような雰囲気でしたね〜その後、女子高生に走れば、カタギの道を走っていただろうに、何の因果か、鉄の道を脱線しつつ走っているので、浮世離れした人生を送っています。でも、あのロングシートはホントにどこに座るか迷うほどなんだけど、岡山にいたオハ41は、3種類あったような気がするんですが・・・

吉備線721レさん>羨ましいようなお話で・・オハ41は車内の雰囲気も明るくて、ある意味では安心して乗車できたのかも知れませんね。岡山には確かに3種のオハ41がありましたね。大窓、狭い窓、その中間の大きさの窓・・それぞれ種車が違うのですけれども。

コメントを投稿