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2007年6月

2007年6月13日 (水)

夏のオハ41

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高砂工場の夏・・
厳しい陽射しが浜風で少し緩み、蘇鉄の木が本場事務棟のまえに葉を広げる。
夏の高砂工場・・
周囲に高い建物はなく、ただっぴろい敷地の中で、夏の陽射しを跳ね返す全般検査終了間際のぴかぴかの車両たち。

その中で、マニ36やマニ60と並んで、いかにも高砂の夏を思い起こさせるのが何故かオハ41だ。

播但線、吉備線といった日中は閑散としているがラッシュ時には大都会の通勤路線並の混雑になる路線に朝ラッシュ時を中心に活躍していたオールロングシートの客車たち。
ロングシートとは文字どおりに読めば「長い座席」であるはずで、たとえば113系電車の二人がけのロングシートなど、あれはサイドシートとでも言うべきではないかとも思うのだけれど、オハ41の座席は端から端まで・・

座席の全長は18メートル程度はあったのではないだろうか・・

そしてずらりと並ぶ吊り輪・・
妙に明るい車内、天井のペンキの香りもまだ真新しいオハ41の車内に大型扇風機を持ち込んで風を通しながら作業をした懐かしい思い出・・これこそは夏の高砂工場の印象の第一かもしれない。

この車両たちは、実は非常に由緒正しき血統の車両で、戦前戦後を通じて製作されたオハ35一党の二等車(現在のグリーン車)が中心となった形式なのだ。
国鉄最大の窓を誇るオロ36や転換クロスのオロ40、41など、かつては幹線筋を疾駆していた言わば客車のエリートたちだ。

それが国鉄の近代化や地方都市のラッシュの激化・・などにより幹線輸送のエリートとしては古くなってしまい、当時の国鉄の耐用命数からは十分使用期限内にあったことから思いきって通勤専用の客車に改造され、地方都市で朝ラッシュを中心に運転された輸送力列車に使われていたものだ。

車体の改造は扉を増設するなど必要最小限だが車内は徹底して改造され、なんとも不思議な雰囲気を持った明るい客車が誕生したわけだ。

ラッシュ用であっても大半の線区では一日1本か2本の列車に使われればあとは車庫で昼寝状態になる。
というわけで、廃車寸前の頃にあっても車体の痛みは少なく、手のかからないクルマが多かったように記憶している。
あの長いロングシートの背もたれを取り付けるのだけが一苦労で、数人がかりで背もたれを座席枠に角材を乗せて、てこの原理で持ち上げ・・一人が片端から背もたれの下についているネジ穴に大きな木ねじをもみ込んでいく。

これさえ済めば作業の大半は終わったようなもの・・
もちろん、窓の調整もあるし、デッキ付なので仕切扉の調整もある。
でもあとの作業はそれほど大きなものではなかった。
(順序としては先に窓やカーテンをつけるのだけれど)

ただ、こんな車両でも仕切に灰皿がとりつけられていたのは時代かな・・

作業が終わり、検査も済めばオハ41の組みたて作業は終了だ。
明るい車内で残った時間で雑談をする。
室内で作業するものは誰もヘルメットはかぶっていないし、半袖の開襟作業服だ。
誰かが天井の扇風機のスイッチを入れる。
もちろん、検査のためだが、これがまた・・夏の趣があって良かった。

高砂工場終焉の頃・・これらのオハ41も終焉を迎えた。
荷物輸送の使命を終えたマニや、郵便輸送の合理化で行き場をなくしたオユ、スユとともに、高砂工場の浜手・・
廃車置場につながれた彼らを見るのは辛い物があった。

しかい、考えると栄光のエリートたちは、老後には地方都市で街の人々の足として地味な生きかたをしていたのだから彼らに魂があったとすれば、結構満足していたのではないだろうか。
今で言う「Iターン」のはしりかもしれない。