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2007年5月

2007年5月14日 (月)

117系登場の前後

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国鉄は昭和50年代前後においては厳格なルールの基に車両を設計していた。

特急形は幅の狭いドアが片側1箇所、固定窓、回転クロスシート。
急行形は片側2箇所の引き戸、デッキ付、開閉の出来る窓に固定式ボックスシート。
近郊形は両開き3ドアに全開の出来る窓、戸袋付近をロングシートで他はやや窮屈な向かい合わせ式のクロスシート。
通勤形は片側4ドア、全開の出来る窓、ロングシート。

これは電車の基本で、気動車では通勤形が3ドア、近郊形が2ドアになる違いはあるし、寒冷地用では急行形と近郊形の車体デザインはどうしても同じようなものになっていたし、実際、近郊形電車や気動車による急行も走っていたし、急行形による普通電車も少なからず存在していた。

しかし、東京、大阪といった大都市圏ではこの車体構造と用途のルールは厳格に守られていたと言って良いと思う。

しかし、ラッシュ対策にどうしても大量の人員の輸送を考えねばならぬ東京近郊と、私鉄王国と謳われ、大手・中堅私鉄がサービス合戦を繰り広げる大阪近郊とは同じ発想で車両を作ることが出来ないのは自明の理である。
そう言った意味では関西では戦前から、それも、SL時代から国鉄は快速、高頻度運行を実施し、私鉄に対抗していたのではあるけれども、戦前のピークは昭和12年ごろに投入された流線型、ツートンカラー、トイレ付き、2等車(現在のグリーン車)まで連結した「急行電車」全盛期だったのだろう。

戦時の荒廃のあと、国鉄にも余裕が戻ってきたのか、また、「急行電車」が最初は戦前と同じ52系で、やがて当時の最新鋭、80系電車の関西バージョンで運転開始された。
この列車はのちに「快速」と名を変え、電化区間の延長と共に、関東の近郊型電車と同じような運行形態・・
大都市区間では快速運転し、近郊区間に入ると各駅に停車する・・形に変化していく。

やがて、この列車も80系のデッキ付き、2ドアでは到底、ラッシュ輸送などまかないきれず、113系電車の独壇場となっていく。
ところが、この「快速」が万博開催前後に停車駅が増え、しかも、対抗私鉄の優れた新鋭電車には113系ではどうしても見劣りがしてしまうようになる。
そこで、万博開催の年、停車駅を極端に絞り、都市間輸送に特化した「新快速」電車が、日中1時間ヘッドでささやかに産声を上げたのは承知の通りだ。

私鉄の攻勢は更に激しく、京阪はオールクロス、冷房完備、テレビ付きの名車、3000系を同じ年に運行開始・・
阪急は京都線には扉間クロスシートの2800系の増備を続け、真っ先に冷房改造工事も終わらせるなど対抗・・
神戸線では3000系よりゆとりを持たせた設計の5000系を新製・・
阪神は他社に先駆けて冷房改造工事を本格化させ、経済車といわれたR車シリーズや初期特急車を改造した3061系までも車両内外を更新、上質なイメージを作り出していた。
中小の山陽は、地下乗り入れ対策もあり、早々と旧型車両を含めて車両のイメージ統一に乗り出していた。

これらに113系の粗末な内外装では到底利用客には目を向けてもらえない。
そこで国鉄が実施したのが、国鉄としては大判振る舞いの「急行形電車」153系の「新快速」への転用だった。
急行時代に冷房は搭載済み、各車両にトイレと洗面所がつき、固定式オールクロスシートの車内は国鉄の「快速」としてはまさに破格の存在だった。
停車駅を絞り、京阪間29分、阪神間25分をノンストップで達成、所要時間と15分ヘッドの高頻度運行で私鉄各社にとって大きな脅威が始まった。

けれども、新快速は日中のみの運行で、朝夕はこれまでと同じ快速電車が主役・・
しかも、ピーク時間帯をはずしているとはいえ、153系の2ドア、デッキ付ではラッシュの乗客をさばくのも難しい状況になっていく。

そんなときに、対抗する阪急はオールクロスシート、片側2ドア、長距離運転する列車のような品格を持った名車6300系を京都線に投入・・
いまでは考えられないことだが梅田と河原町の間を38分、十三と大宮の間はノンストップで30分を切る高速運転・・

国鉄、大阪鉄道管理局の焦りは手に取るようにわかった。

機は熟していた。
昭和49年、九州にキハ66系が投入された。
新幹線連絡の快速気動車として誕生したこの車両は国鉄としては始めての近郊形転換クロスシート車だった。
キハ66の投入は必ずしも成功とは言い難い面もあるけれども、「近郊形」のルールを打ち破った点ではまさに画期的だった。
仙台地区には近郊形として始めての2ドア電車・・417系も登場・・
関西国鉄のフラッグシップとなる新型電車の構想は現実に近づいていく。

阪急6300系から遅れること4年・・
昭和54年秋、新快速の専用電車、117系電車はついに誕生した。
国鉄本社としてはあくまでも消極的に認めた形で、大鉄局は当初、快速も含めて全面置き換えを計画し400両以上の新製を申し入れたが、新快速での必要車両数、120両あまりしか認めてもらえなかったっと言う噂も残っている。
当時は東京一極集中時代・・
地方で電化工事が出来ても、その線区に新車は入らず、東京に新車を投入したお古が回ってくるのが常だった。
地方専用の新車など、これまでのキハ66や417系のような少数なら認めても・・と言うことだろう。

117系電車は何から何まで、近郊電車のイメージを打ち破った車両だ。
ずらりと並んだ茶色の転換クロスシート、国鉄の標準にない模様入りの内装材、特急車両のようなグローブ付の蛍光灯、すっきりとデザインされた天井。
窓回りを除けば、阪急流にネジを隠して見えなくさせる工夫もされていた。
車内から見た窓回りのデザインが最初のシリーズでは国鉄然とした無骨なものであったのが惜しまれる・・(これは下降窓の100番台で改善されたけれど)

外観を見ても、国鉄の標準にない茶系統のツートンカラー、グリーン車のように2連になった窓、特急・急行と同じ空気バネ付DT32系台車、そして、湘南電車をぐっと近代化したような鼻筋の通った流線形の全面デザインには、なんと折れ曲がったヘッドサインまで設けられた。
この、流線形、茶系統のイメージはまさに戦前の流線形52系を彷彿とさせるものだった。

難点は1両あたりの座席定員が中間車の場合で153系より22人も減ってしまったこと・・
それでも編成は153系電車と同じく6連が基本だったから・・毎日の通勤などでこれまでは座れた人が座れなくなってしまう。
座席は非常にゆったりしていて、当時の特急並のシートピッチ・・
しかも、向かい合わせになることが多い端部の座席はピッチを広げる良心的な設計だった。

国鉄末期の大幅な運賃値上げは、乗客の逸走を生み、神戸以西から大阪へ向かう通勤客の大半が三宮で私鉄に乗り換えてしまうような状況になっていたから、国鉄としてはなによりもイメージアップが最優先だったのかもしれない。

153系電車の置き換えは関西「新快速」のほか、東京口の急行「伊豆」、名古屋近郊の快速、岡山以西の快速を含めたローカル輸送・・の各所が抱えた問題だったが、東京は急行の特急格上げと近郊輸送にも少し苦しいが使える185系電車の投入、広島では115系の車体構造のみを117系に近づけた3000番台の投入によって行われた。
東京の185系はどう見ても153系をリファインしたイメージにしか見えないし、広島の115系3000番台は車体はともかくメカニズム的には近郊形そのものだろう。
基本的に完成され尽くしたシステムを使っているとはいえ、発想そのものが大きくチェンジしたのは関西の117系だけだったと思うのだ。

同じように私鉄からの攻勢にさらされる名古屋近郊は、関西と同じく117系電車を投入することになった。

この電車には実は欠点がひとつある。
4M2Tでの運用を基本として考えたため、後年、名古屋で編成短縮を行って2M2Tになったとき、加速が充分に得られなかったのだ。
これは足回りの設計が急行形電車並の高速運用に適した設定だったためで、MT54を使いながら設計最高速度は110キロだったのに、ギヤ比が大きすぎたのだろう。
現実には後年の115キロどころか、加速だけなら130キロ運転でも充分に運行できた設計だとも言える。
(ブレーキシステムがついていかないから駄目だけれども)

JRになったあと、JR西日本は少ない予算の中で、最も投資効果の大きな車両を新造する必要に駆られた。
東海道新幹線を持つJR東海、首都圏の通勤路線を有するJR東日本と比べ、通勤線区ですら平行私鉄の脅威にさらされ、幹線の大部分の実態はローカル線と変わらず、その経営基盤の弱さは国鉄の負債を背負った分、負債を背負わない北海道、四国、九州の各社よりも脆弱であったからだ。

JR西日本は会社発足後、一部のごく僅かな増備車両を除けば、本格的な新車は新快速用の120キロ対応車両、221系になったのは当然かもしれない。

117系のときにあっても良かった3ドア、転換クロスの室内構成はラッシュ輸送にも強く、乗客の快適性も維持できる優れた設計となった。
平行私鉄の山陽5000系、近鉄5200系の登場にヒントを得たとはいえ、この車体構成はJR西日本、「新快速」にうまくマッチした。
おりしも、平行私鉄の運賃が徐々に値上げされていくと、区間によってはJRのほうが安くなる区間も出てき、こうなると快適性のアップした117系、221系による新快速は注目を集めるようになった。
国鉄末期には117系は若干の増備をされ、ラッシュ時にも運行できるようになっていたが、JR化後は主にラッシュ時の運行拡大、増発、増結に力が入るようになる。
改造工事を施しても最高速度115キロでしか運行できない117系では他の列車の足を引っ張るし、2ドアでの乗客扱いも3ドアとは比べ物にならぬくらい手間がかかる。

新快速はやがて221系に統一された。
阪神淡路大震災で一時的に増発された新快速運用に117系が帰ってきたことはあっても、それは結局は急遽新製された223系1000番台に取って代わられ、その223系によって最高速度も130キロにアップ・・
こうなると、117系が再び、関西のメインストリートを走ることは出来なくなってしまう。

今、紀勢線や岡山以西の山陽線で活躍を続ける117系ではあるけれども、国鉄ならではのしっかりした鋼体をもち、今の時代にも充分、見劣りしないサービスレベルやデザインを有するだけに長く走りつづけて欲しいものだと思う。