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2006年11月

2006年11月 5日 (日)

地方私鉄の慟哭

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(画像は別府鉄道土山線)
国鉄は戦前には連帯運輸で全国の私鉄を結び、貨物もほとんどの私鉄が国鉄との連絡で営業していた。
これから外れるのは大都市の私鉄の一部くらいで、大都市の私鉄でも南海や東武、西武などは貨物輸送もまた大きな収入源でもあったのだ。

僕が国鉄にいた時代、最初の頃は貨物輸送の合理化と称して巨大なヤードを全国の主要拠点に建設・・二軸貨車を含めた多くの貨車をヤードで貨物列車に自動的に仕分けると言うようなことを目指していた。
けれども、この方式では1両の貨車が、何度も列車の組成変更を受けて、連結される列車を変え、最終的にはようやく到着した駅でトラックへの積み替えが必要になるという・・今から考えると漫画のようなことをしていたのだ。

国鉄はその末期に貨物の大合理化を行った。
それは、折角作り上げた巨大なヤードを捨て、コンパクトなコンテナ輸送に特化して生き延びるというものだった。
この方式はコンテナを使うことで鉄道とトラックの積み替えが短時間に簡単に出来る上、列車組成を単純化し、相対的なスピードアップが出来るという画期的なものだったけれども、ここで息の根を止められた鉄道がたくさん出てきてしまった。
地方の民鉄の中で、貨物輸送を中心に生き延びてきた鉄道である。

当時は鉱山の閉山も相次いだからこれら鉱山鉄道も含めると、国鉄末期に廃止になった地方鉄道は相当な数になるのではないだろうか・・
僕が好んで通った鉄道でも、別府鉄道、岡山臨港鉄道、加悦鉄道、同和鉱業片上鉄道、と、いくつかはすぐに思い浮かぶし、専用線で可愛い機関車が活躍していた会社でも、例えば高砂工場すぐ近くの会社群のように、企業としては貨物輸送を鉄道で続けたいのに、国鉄の一方的な都合で廃止せざるを得なかった会社がたくさんあるのだ。

また、貨物輸送に限らず、旅客輸送でも輸送の効率化、近代化の名の元に、多くの私鉄との直通運転は国鉄の一方的な事情で廃止され、例えば、有田鉄道のように、これが元で縮小への道を歩み始めた鉄道もある。

所詮はお役所だったのだ。
地方鉄道の仕事で生活している人間があり、その鉄道で成り立っている町や村があり、工場があるということなど、国鉄にはどうでも良いことだったのだ。

地方交通線問題でも第三セクター化し、ようやく生き延びる鉄道との線路を切り離し、それませ直通させていた列車を切ってしまえば、乗客が減ることぐらい、誰にでも分かる道理なのだ。

国鉄はある意味では冷淡で、ある意味では傲慢だったといわれても仕方がない。

けれども、その方針もまた、一貫されていない。
第三セクターとの接続を切りながら、国鉄=JRが営業的に必要な鉄道には新車の特急車両を作らせ、直通させて成り立たせる・・
北近畿タンゴ鉄道や土佐くろしお鉄道、伊勢鉄道への手厚い配慮が、何故に島原鉄道や長野電鉄、富山地方鉄道ではなされないのか・・
三木鉄道や北条鉄道が折角繋がっている線路をわざわざ切り離さなければならなかったのは何故なのか?

あるいは、拠点間だけの輸送で良い筈の専用線や貨物鉄道の貨車を何故、受け入れてやることが出来なかったのか・・
これらの会社が支払ったトラック輸送への莫大な費用負担は、国鉄にその責任がないとでも言うのだろうか・・

かくして、これら専用線があった街の道路は大量の大型トラックで埋められてしまう。
国鉄には地方都市の交通事情悪化の責任もあるように僕には感じられてならない。