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2006年9月

2006年9月 7日 (木)

福知山線

Nspiiwrw
5:46、6:49、7:45、8:00(特)、8:27、8:55(急)、
9:50(急)、10:23、12:10(特)12:16、13:52、
14:03(急)、14:50(急)、15:14、16:10・・・

上記は、ある駅の、ある路線の時刻表だ。
これを見る限り、普通列車は毎時1本以下、運転間隔も不揃いで、特急や急行があるので、いかにも地方の亜幹線の時刻表に見える。

実は、これは、昭和58年の福知山線、大阪駅での発車時刻表の3分の2ほどの書き写しだ。
当時、既に宝塚までの電化、複線化が完成しており、宝塚までの103系普通電車が毎時1本から2本走っていたけれど、その分は、これには含まれない。
もちろん、電化工事が出来るまでは宝塚までの区間運転は存在しない。
特急はキハ82系で、その証拠に8時ちょうど発車の列車には食堂車のマークがついていて、この列車が博多まで行く「まつかぜ1号」、昼の列車が途中、米子までの「まつかぜ3号」だ。
急行は同じような時間帯に別方向へ・・
豊岡、鳥取方面への「だいせん」と舞鶴、福知山方面の「丹後」が運転されている。

途中の三田まで普通で1時間10分から1時間30分、特急のうち、朝の方は停車しないが、三田に停車する昼の便で69分を要していた。
三田までの距離は43キロ、宝塚から先はすべて単線であり、宝塚と三田の間は渓谷を縫うように走り、速度は低かった。
宝塚以遠へ行く特急・急行と一部の篠山口までの普通列車が気動車である他は、普通列車はすべて客車列車で、DD51がオハ35やスハ43を何両も連ねて走っていたものだ。

この頃より以前、僕は武田尾あたりへ客車列車の写真を撮影に出かけることが多かった。
どちらかと言うとローカル線然とした播但線あたりより、かつての非電化幹線の面影を残す福知山線の列車には、歴史と情緒と言うか、何か、感じるものがあったのも確かだ。
それに、僕自身が、当時、現場で修繕作業をしていた宮原区のスハ43一党に出会うのも楽しみだった。
宮原の旧型客車は、かつては幹線筋の急行に使われていたものだった。
だから、整備も行き届き、程度も良かった。
失礼ながら、同じ区間を走る福知山区のオハ35一党は、厳寒、塩害の日本海沿いを走ることもあり、痛みが激しいものがあり、当時ですら何とか持ちこたえているような状況だったから、同じ乗るなら宮原の車両・・と思っていたものだ。
よく愛用していたのが大阪駅8時代の篠山口行き・・
スハ43一党ばかり、6連か7連で運行されていたこの列車は、他の列車が福知山の4連で運行されることが多かったのと比べると、比較的空いていて、快適な客車旅行が出来る存在だったのだ。
ただし、これに乗車すると、8時発の「まつかぜ1号」は撮影できない。
撮影よりも、ゆったりした休日を楽しみに・・武田尾へ通ったことが多かったと思う。
そう言えば、列車が武田尾駅につくたびに、武田尾温泉の旅館の送迎車がお客を迎えに来ていたのも印象深く残っている。

武田尾では色々な撮影ポイントを探し回った。
トンネルの上によじ登ってみたり、川の対岸から撮影してみたり・・
西宮市内とは思えないほどに雪が積もることも多く、滝が凍ることもあった。
秋の紅葉は事の他美しく、しばし、見とれることもあった。
そして、そこを走る客車列車の美しさ・・
福知山線武田尾での撮影の主人公はまさに、客車列車だった。

福知山線は大阪や神戸の都心に近く、最後に残された非電化路線だった。
国鉄はこの路線を近代化するために、多額の投資を行い、三田あたりまでの通勤路線化を目指していた。
けれども、宝塚から先の山岳区間は難工事となり、まだ少し、時間を要する状況だったわけだ。

昭和61年、新しく開業した新三田までの複線化と城崎までの電化工事が完成、渓谷の中を走っていた区間はトンネルと造成地を走るニュータウン鉄道に変貌する。
宝塚までの普通電車は新三田や篠山口、福知山まで延長され、中古の113系を改造し、厚化粧を施した快速電車も走り始めた。

JRになってからも、この線区の増強は続いた。
武田尾が面白味のない山岳区間になっても、三田や篠山口、谷川へと僕の福知山線詣では続いた。
列車はどんどん増え続け、JR東西線が開業してからは、爆発的に増えた。

昭和58年から、23年・・
JR西日本の路線で福知山線ほど変貌した路線は他にない。
今や、宝塚駅では毎時2本の大阪行き快速、毎時4本の大阪方面行き普通、毎時4本のかつては片町線と呼んだ「学研都市線」行きの快速に、毎時1本の特急電車が加わる。
旧型客車を連ね、のんびり走っていた頃の面影などどこにも存在しない。

この路線で、昨年、大事故が起きた。
あまりにも急激な成長は、結局は・・どこかにひずみを残してしまうと言うことなのだろうか・・