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2006年6月29日 (木)

荷物車

Oxhzyydl
荷物車・・例えばマニ60や、マニ50のように最初から荷物車として製造された車両もあるのだけれど、旅客車から改造された車両も多かったようにおもう。
旅客車から改造された車両は窓が不揃いで、広窓もあったりして、元が何であるか・・ちょっとは考えない事もなかったけれど、やはり仕事中には、仕事を早く、きれいに終わらせる事が最重要課題であるわけで、そう言った意味では鉄道車両を扱いながら、自分の趣味とは無縁のような存在にも思えていたものだ。

荷物車・・マニ○○という形式がつく事の多かったそれであっても、全般検査での手抜きは許されず、ただ、見栄えの面では、車内全面をライトグリーンに塗装するので、多少のごまかしが利く手軽さは確かにあった。
マニが入場すると、旅客車と同じように入場検査を受ける事になる。
僕たちは、入場検査と平行して、全般検査の為の解体工事・・たとえ、マニであっても、窓枠も外せば錠前なども専門の職場に送る。
窓には必ず保護棒が取り付けてあり、これもすべて取り外してから窓枠を外すのだ。
保護棒は外した窓のすぐ近くに置くようにする。
大きな両引き戸は、木製のものなら、ドアレールに直接触れる「靴」と呼ばれる鉄製の箱が一番下に取り付けられていて、これがよく腐食し、交換を要する事が多い。
さらに、扉本体の木部が腐食し、現車での修繕が難しいと判断したときは、扉を外して木造場へ送らねばならない。
鋼製の扉でも、現車で簡単に修繕が出来るものなら、そのままにしておくけれど、痛みがひどいものは鉄工職場へ送る事になる。
木製扉で痛みが激しいものは、木造場で新品に交換されてくる。
これは扉の大まかな形だけがある代物で、新品の木製扉を取り付ける作業は大変だった。
図面通りに戸車や靴を取り付けても絶対に合わない。
現車で、立て付け大工の仕事をするしかないのだ。
この仕事は若い衆に木工作業を教える恰好の作業とされ、まだ慣れきっていない若い衆(入社数年の青年)は、この作業があたると鬼のような親方の、徹底した指導の下、悲鳴を上げながら頑張ったものだ。

扉の類はいずれも大きく、重いものだけれど、特にマニ60などの木製扉で60kg以上、マニ36などの鋼製扉では、バランサー付きの窓を外してでも80kg以上あるのだから、取り外し、取り付けは大変な重労働だった。
コツが分かれば一人で取り外しも取り付けも出来るし、二人がかりになったところで、戸袋はあるし、作業場所は限られてしまう・・
昔、この扉を倒した人がいて、その横で作業をしていた人を直撃・・その人は何箇月も入院する羽目になった事もあったそうだ。

マニは扉の下のレールが車体鋼体に直接取り付けられていて、レールそのものは真鍮製なのだが、鋼体からの錆でレールが浮き上がったり、永年の使用で扉が変形し、レールに支えるようになってしまう事が多く、この場合も扉を外して、横に倒し、グラインダーやカンナで削り取ったり、ドアレールを外して錆を全て落としてから取り付けると言った作業が最も多かったように思う。

マニの引き戸には必ず木製の戸袋があり、これは角材数本で構成されていたけれど、戸袋内部も塗装をする必要から戸袋の角材を1個所につき2,3本取り外す事もしなければならなかった。
この戸袋はマニ50からは完全な密閉形の戸袋になった。

通常のマニは、床板の上に横手方向に荷擦れ木、長手方向に道板が取り付けてあった。
荷擦れ木も、欠けているものや、腐食しているものは交換する。
道板も傷んでいるところは補修もしくは交換する。
但し、パレット輸送用のマニ37は、床板に鉄板を敷き詰めていた。

車掌室もきれいに整備する。
便所も、もちろんきちんときれいにする。

塗装を終え、出車線で完成したマニの車内にいると、なんとなく南国のムードが漂うから不思議だった。
高砂工場のただっ広い敷地や、ソテツなどの南国風の植え込みが余計にそう思わせるのかもしれない。

意外な事だが、マニ36や60の出場作業で、時間が押して夕方になってしまったようなとき、試験点灯する室内灯のムードはすごく美しかった。
何の飾りもない白熱灯と、保護棒だけの簡単な灯具ではあるが、うす緑色の壁面、白く天井板のない屋根の内側・・これらが醸し出すムードは、もはや絶対に味わえない独特のものがあったように思う。

荷物車は国鉄の旧態以前としたサービスが宅配便に取って代られていく急激な変化の中で、あっという間に姿を消してしまった。
保存車両の中にも荷物車は当然のごとく少なく、国鉄荷物輸送を後世に伝えるものは余りにも少ないと思うのだが・・

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コメント

荷物車ですか・・・。私の故郷、長崎にも一日一本急行荷物列車がありました。始発は東小倉でしたか。汐留始発はなかったような気がします。時刻表を買い始めた小学生のころ、急行荷物列車の時刻を見るのが楽しみでしたね。旅客列車にはなかった青函・宇高航送があったりして面白かったですね。そんな荷物車の中に一度入ったことがあります。形式はマニ60だったと記憶しています。小学生のころ、どういうわけか我が家では血統書つきの犬を買っていまして、メスだったので繁殖のために関東のある繁殖家の所へ送ることになりました。そこで指定されたのが荷物列車。当時は犬を送る、といえばそれしか手段がなかったのです。「時刻を調べろ」といわれ、時刻表を開いてビックリ。目的地まで2日はかかるのです。その間当然彼女は飲まず食わず。どうすればいいんだろうと途方にくれましたが、えさや水を多めに与えて送りました。そして帰り、またも2日間飲まず食わずの彼女。さすがに心配で積みかえ駅の東小倉駅に電話をして水をあげてもらいましたが、飲まなかったとのこと。こんなお願いに応えてくださる駅員さんも親切ですね。その日の夜、彼女は長崎へ帰ってきました。家族で駅まで引き取りに行き、駅員さんに荷物を引き取りに来た旨を告げると「どうぞ」と入場券無しでホームへ。そこには温かい白熱灯の明かりとともにマニ60が堂々たる姿を見せていました。ひょっとしたら僕にとっては犬よりそっちが楽しみだったかもしれませんが。そのときの彼女のうれしそうなこと!帰りの車の中で水もたくさん飲み、えさもいっぱい食べました。僕にとっての荷物車の思い出は白熱灯の下でじっとしていた彼女の姿と共にあります。

荷物車に乗っている車掌なんですが、入社してすぐには、通常の車掌はできないのですが、荷物車には乗れるのです。乗務掛といっていました。ところで、「こうさんへ」マニではなくマヤ車や操重車なんかのお相手はしなかったんですか?

木津川のひろくんさん>良い思い出ですね。鉄道図書刊行会に「赤い腕章」という本があって・・この中にペット好きの荷物車掌の話が出ています。きっと、その彼女も・・そういう車掌さんに可愛がられていたのかな・・荷物輸送システムは決して悪くはなかったと思うのです・・システムそのものを見直すことで、今の宅配以上のサービスも出来た気もしますね・・国鉄20面相さん>マヤも、それから現金輸送の車両も、オイラン車も、経験はあります。でも、操重車は鷹取工場機関車職場の担当で・・高砂には来なかったです。乗務掛・・そういう職種がありましたね!

はじめて書き込みます。私もこうさん同様、国鉄から身を引き、現在は鉄道とは全く関係のない職業に就いております。マニ60の写真、懐かしく拝見させていただいています。私は、国鉄就職後辞めるまでの約10年間はずっと乗務員をしておりましたが、最初の3年間は「乗務掛」でした。このマニが職場であったわけです。さらに、乗務する車両のなかには、所属が竜華や京都のものがありました。だとすると、鷹取工場の担当だったのではないでしょうか。私もこうさんが苦心して整備された車両にいつもお世話になっていたのだろうとおもいます。このマニの写真、所属が大キトと読み取れます。番号は読み取れませんがマニ60149あたりでしょうか。このマニのなかで積み込まれる荷物と格闘していた30年前を懐かしくおもいだします。こうさんのおっしゃるように、荷物室の透明の灯具からの光、むき出しの屋根構造、薄緑色に塗装され保護棒に囲まれた荷物の匂いがしみついた独特の雰囲気は一般の客車にはないものでした。>>木津川のひろくん さん生き物もずいぶん運びました。犬猫はもとより、金魚、うなぎ、ひよこ、ジュウシマツ、モルモットなどなど。犬に弁当の残りをやろうとしたら、先輩にひどくしかられたこともあります。>>こうさんそれから、「赤い腕章」は持ってます。これと雑誌「蒸気機関車」に連載されていた「動輪の響き」(長谷川宗雄著)は国鉄の現場を生で伝える貴重な著作として私の宝物です。

鉄な元乗務員さん>はじめまして!!よろしくです!マニに乗務されていたのですね・・あの雰囲気をご存知と言うだけで、すごく身近に感じます。キト、ミハ、リュウ、ヒメ、ムコ、オカ・・高砂の担当はこのあたりだったように思います。フチは後藤工場でした。鷹取では、荷物廃止の流れの中で、結局、荷物車は修理していなかったと思います。高砂工場のページhttp://www4.ocn.ne.jp/~e-maiko/MyPage/menu4.htmlにも、いくつかマニの写真を入れています。僕は、仕事の煩雑さはともかく、見た目は木製扉のマニ61が好きでした。「赤い腕章」いいですよね・・僕も宝物です。友人が車掌長になったとき、これをプレゼントしました。「今とはだいぶ違うなあ・・」と言う感想でしたけれど・・

手前側の窓は明らかに客室窓です。ですから種車はオハニ61だと思われます。関西では割と早く消えてしまった車種の一部のようです。木製扉がそんなに重い物とは存じませんでした。

ども、こちらでは初めまして!いつも某SNSではお世話になっております。荷物車ですか、懐かしいです。住んでいる最寄の私鉄が東武鉄道なのですが、かつてこの社の場合、昭和初期に製造された旅客車が荷物電車に改造されて、全線を走っておりました。他の列車が全溶接車体でカルダンドライブでスムーズに走る中、リベットだらけの車体、重々しい釣り掛け音を響かせながら走っている姿に何かときめきを感じておりました。その東武鉄道も荷電の運用が廃止され、西新井工場に入れ替え用として残った1両とJR貨物に売却された1両を抜かしてすべて廃車となってしまいました。更に西新井工場入れ替え車も、同工場閉鎖に伴い廃車!北館林荷扱い所で解体されてしまったのが残念です。一度モニの中をのぞかせてもらったのですが、ニス塗りあるいはペンキ塗りにもかかわらず、半鋼製の車体には何か温かみがありますね。それと白くぽ〜っと灯る白熱灯。今の鉄道車両なんて、車体内部がプラ製かと見間違うような客室に、ギラギラ照らす蛍光灯...何かを忘れてきてる気がします。

絵之本 桜さん>いつもお世話になっています!お返事が遅くなりました。。荷物車にあった独特の情緒・・あれは僕は、汗の臭いとともにある世界かな・・とも思っていたりします。汗をかいたあとの、放心状態のような開放感・・今の日本にはそういった本当の意味で汗をかくことを嫌う風潮があるようにも思います。荷物車の有情に必要なのは・・汗をかくことを大切にする文化かも知れないですね。

オハ352395名マイ さん>マニ61・・ありましたね。。マニ60が純粋に荷物車として設計された美しさを持っていたのとは対照的でした。この窓にもきちんと釣り合いばねは入っていたのですよ。

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