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2006年5月

2006年5月 8日 (月)

屋根

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車両の屋根は様々だった。
ちょうど僕が国鉄にいて、高砂・鷹取で過ごした時期には、未だ戦前戦後の半鋼製車両も残り、技術的にも長い過渡期の最終期にあたっていたのだと思う。
有蓋貨車などは、波型鋼鈑そのままだったけれども、客車・電車となるとそうはいかない。
防温・防湿・そして、雨の音も客室内に入らせるわけに行かない・・

半鋼製車両・・僕が担当したのは、30番台、40番台、60番台の形式を持つ・・例えばスハ43とか、オハフ33、マニ61と言った車両になるのだけれど、これらの多くは木製の屋根だった。
木製屋根の場合は、屋根板(米松が一般的だったと思う)に屋根布を載せてそれを側樋で押さえるわけだけれども、作業は口で言うほど単純ではない。
まず、屋根板の屋根布を貼る部分に熱いコールタールを塗る。
中央から貼っていったような気がする。
コールタールは一斗缶のまま、車両の横で火にかけ、煮えたぎらせてある。
コールタールを塗り終わったら、屋根布を貼り込む・・
屋根布はキャンバスに小石や砂を吹き付けてあるもので、これを車両の端に大きなピンを打ちこんで止め、数人掛りで反対側へ引っ張りこむのだ。
車両は20メートル・・
屋根布の長さも同じだけある。
重なりになる部分が少なく、屋根布を置く位置には神経を使う。
墨坪を出してきて、屋根板の上に一直線を記す。
思いきりぴんと張る状態で、ピンを打ちこんで止める。
屋根布は5枚で1両分だったように思う。
全て長手方向に貼られ、通風器のあるところはあとで穴をあける。
1枚貼ると、鋲で止め、つなぎ目にコールタールを塗る。
これを繰り返し、両サイドの側樋の下になるところも鋲で止める。

屋根布を貼り終えると側樋だ。
これは茶色のカシューと言う塗り物を水漏れ防止の為に側樋の裏側一面に塗る。
そして、数人掛りで押さえておいて、鉄ネジを使い、タッパー(ねじ切りようのドリル)で一気に押し込んでいく。
側樋は長さが3メートルほど・・これを何本も浮き沈みなく取り付けねばならない。
スハ43やマニ61は車体鋼体が一直線であるから作業はそれほど難しくはないが、オハフ33などの車体端部に絞りがあるタイプは、側樋も曲げねばならず、樋の内側に切込みを入れて、これも数人で車体に推しつけて鉄ネジで一気に締めてしまう。
あとは車体妻の水切りで・・
これは円弧状の板3枚で構成され、つなぎ目の部分の線を延長すると自連の頭に来るような目検討で・・とりつけた。

このあと通風器を取り付ければ屋根は完成となる。
仕上がったばかりの木製屋根は、清潔でほのかに温かみが残っており、作業後には屋根の上で揃って煙草を吸う職員たち・・
夏場なら熱で汗だくになった職人たちが涼しい夕方の風に吹かれるのもまた・・情緒ではあったなあと思うのだ。
けれども・・この風景もまた遥か昔のものになってしまった。

鋼製屋根の場合は塗装をするだけの場合と、20系客車や電車のようにイボ付のリノリュームを貼り込む場合とがある。
何故屋上機器がなにも存在しない20系に、リノリュームが貼ってあるのか・・未だに理解に苦しむけれど、高砂・鷹取ではこれを修繕ではがすこともなく、きちんと傷んだものは張り替えて出していた。
これは基本的には床材と同じで接着剤によって貼りつけてあった。
修理の際には鷹取ではリノリュームを熱風で解かしながら切り張り、溶接していたが、高砂は接着した後はグレーの防水用の接着剤で隙間を埋めていた。
オハフ33の一部やオハ46、オユ10、ナハ10、そして新型の12系、14系、24系は防水性のある塗料を塗装職場で塗布していた。

屋根といえば冷房改造・・
僕が入った時代にはいわゆる「特ロ」の冷房改造は終了し、オユ10の冷房改造が行われていた。
これは、屋根をいったん丸ごと取り外し、改めて別に組んでいた、冷房装置を搭載できる屋根をとりつける大掛かりなもので、「特ロ」の時と同じ手法だった。
言わば屋根の部分は全て新品だ。

これに対し、鷹取で行われていた103系などの冷房改造は屋根中央に大穴を明け、この穴の周りに鉄骨を入れて補強・・補強部分は戸袋の中にまで及んでいた・・いったん、穴があいているところ以外の天井板を貼りこんだその上にダクトを取り付けると言うものだった。
冷房改造はこのやり方で構わないけれど、何故か新製車両まで同じやり方にしたのは・・解せない点でもある。
折角の冷房車・・新車くらいは全く新しい屋根構造にすれば良かったのにと・・今も思う。

高砂工場が廃止される前・・
同僚と、夕方のひととき・・客車の屋根の上で将来を語り合ったことが思い返される。
屋根の上からは国鉄の未来など、僕らには見えなかったのも無理からぬことではあるけれど・・