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2005年12月

2005年12月17日 (土)

14系座席車

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12系に続いて波動輸送用を主な用途とした特急用の客車だ。
誕生は昭和47年、当時は未だ山陽新幹線も岡山までしか開通しておらず、多客時の臨時列車を特急として運行するために設計された。
室内は12系よりぐっとデラックスになって、客車の普通車ではじめてのリクライニングシート付となった。

この車両は作業が楽で、これにあたると喜んだものだ。

窓は12系が電車急行形と同じ2段窓なのに対し、特急電車と同じ寸法の大きな固定窓となった。
座席は固定クロスシートから、この年あたりからの183系、381系あたりの電車と同じ簡易リクライニングシートに変わった。
座席布団もセパレート形に、座席背面にはネット上の物入れがついた。
ところが、テーブルが窓下に小さなものひとつだけ・・
旅行中、飲み物は窓框におけるけれども、弁当などをどこへ置くべきか、悩んだものだ。
また、電車特急では大半が日中の運行だったから、大きな苦情にはならなかったものの、14系客車は新幹線博多開業後は夜行急行の定期列車の筋に使われ、見た目は良いものの、ロック機構のない、中途半端な座席は乗客の戸惑いを招いた。
このリクライニングシートは肘掛下のレバーを引くとわずかに背もたれが倒れ、戻すときにはレバーを操作せずとも、力を抜くだけで良いものだった。
日中でも、不意に肩や腰の力が抜けると、うとうとしているときにバタンと座席が元に戻り、びっくりするのだけれど、夜行なら、尚更のことだった。

肘掛下部にはこのシートのリクライニング機構の仕掛けが入れられていたが、これの復元ばねをはずすだけで、シートの自動復元は収まり、かわりにシートを起こすのも、いわばマニュアル操作になるのだけれど、そのほうが使いやすかったかもしれない。
僕自身はこの車両には急行「あそ」「くにさき」「雲仙・西海」「銀河51号」などで良く乗車したものだ。

急行では全席指定の「銀河」を除いて、なぜかエンジンのあるスハフが座席指定として使われることが多く、夜中の停車駅での長時間停車時には騒音が車内に入り込んで非常にうるさかった。
けれども、このエンジン音が返って睡眠を誘発する人もあるらしく、僕の友人にもそう言うのがいて、彼と旅行するといつも好んでスハフに乗車するので僕自身もすっかり慣れてしまった。

天井は12系より低く、電車特急の車体断面をそのまま、この客車に持ってきたようだった。
蛍光灯はグローブ付、通風器も485系電車と同じ形のものが蛍光灯と同じ列の中に組み込まれてあった。
車内化粧板は12系と同じくクリーム色、天井は幕板と下天井が一体になったもので、天井板の境目に飾り面は用いず、デコラを重ねただけで、かえって丁寧なイメージに仕上がっていた。
カーテンは横引きで、窓下テーブル下にはJNRマークの入った灰皿が取り付けてあった。
電車と比べて大いに違ったのは、客用ドアが折畳式で、12系やキハ181系、キハ65と同じものだった。
どうして電車は引き戸で客車、気動車は折り戸になるのか理解不能だけれど、それがため、北海道への転属車は全部引き戸に改造する羽目になった。
折り戸では雪がはまり込んだり、ドアエンジンが凍結したりして、開かないことが多かったからだという。
ではなぜ、日本海縦貫線の急行に長く折り戸の12系を使ったのか?
あるいは、電車でもなぜ583系のドアは折り戸なのか?どうも国鉄の設計はまとまりがあるようでまとまりがない気がする。
また、車端にはスキーなどの長モノをおいておける簡単な荷物スペースもあり、こう言う余裕が電車とは違う面でもあったのだろう。

作業面では全般検査でも窓や座席ははずさず、そのまま洗浄するだけ、はずすのはカーテンと灰皿、錠前くらいで、あとはすべて調整だけですむのがほとんどだった。
窓ガラスも寝台車のように狭い空間ではないので、交換は比較的容易で、ある面では手のかからない車両だった。

14系は特急「雷鳥」の臨時列車などにも使われたけれど、どう言うわけか急行として使われたことのほうが多かったように思う。
それも夜行急行として・・
今の時代なれば「あそ・くにさき」や「雲仙・西海」のような列車が存在していたなら、夜行バスにも十分対抗でき、かえって鉄道の乗客を増やせたのではないかと思うけれども、国鉄による夜行列車の寝台車化政策によって、その可能性は費え去った。
寝台車で高額な料金を取りたいのは確かだったろうけれど、低コストで十分なサービスを提供してくれる夜行バスが寝台列車を駆逐していくさまを見るに付け、14系客車による夜行急行は実は大きな可能性のはずだったのにと、それを企画した天才的国鉄幹部の苦渋の気持ちにもなってみることもある。

後に多くの車両がイベント用に改造され、現在も原型で残るものは、ごくわずかだという。
イベント用としては残念ながら「みやび」を失ったけれど、「サロンカーなにわ」は健在で、そう言う意味では14系座席車は今も健在といえるのだろうけれど・・