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2005年10月

2005年10月31日 (月)

80系気動車

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高砂での華は、24系客車と80系気動車だった。
僕は客車担当だから80系気動車は。気動車担当が忙しい時の応援にしたことがあるだけだったけれど、自分では思い入れの深い車両でもあった。
国鉄の長距離旅行はかつては直角椅子といわれるボックスシートがそのイメージだったけれど、それを画期的に変化させた車両・・それはスハ44などの特急客車や151系、157系と言った電車特急も確かにそうだけれど、何よりも非電化区間に大挙して乗り入れ、特急列車のサービスを一気に全国的にしたという点では、その最大の功労者はこの80系気動車だろうと思うのだ。
国鉄にはどういう訳か電車・客車より気動車を一段落として設計、製作する癖がある。
80系気動車も151系特急よりはかなり見劣りのする造りではあった。
例えば、シートは同じように見えながら、特急電車より若干、質を落としてあったし、窓のカーテンも横引きではなく、ロール式になっていた。
しかし、見た目は大して変わらない。
外観ではキハ81の垢抜けのしない、野暮ったい印象のデザインが、すぐに時代遅れになったけれども、それは亜幹線でのタブレット収受を考慮して運転台位置を151系よりも下げたことからそうなったのだ。
デザイン面ではキハ82の登場で大きく改善された。
運用しやすいように貫通化された正面デザインは、大きな曲面ガラスを用い、流れるような速さと精悍さをイメージさせるに充分だった。

「かもめ」や「白鳥」「はつかり」に代表される80系気動車は、電化区間が延びていくとともに活躍する場を減らしていった。
それでも、一時は片道1000キロを無給油でロングランしていたのだから、たいしたものではある。

僕が高砂に入った頃には、「くろしお」からの撤退が秒読みで、「まつかぜ」「はまかぜ」「あさしお」ではまだまだ元気に走り回っていた。
けれども、「まつかぜ」の車両などは博多まで山陰線をロングランするわけで、潮や雪の害により腐食が甚だしかった。
びっくりしたのは、北海道へ始めていった時、函館から「北海」に乗車したのだが、北海道の80系気動車は関西で見るよりも遥かに傷んでいると言うことだった。
座席はがたがたで、天井は汚れ、窓は密閉が侵されて曇っていた。
台車は速度が上がれば上がる程よく揺れ、「まつかぜ」「はまかぜの」静かで、柔らかい乗り心地を知っているだけに、北の気動車の厳しい使用条件を考えさせられたものだ。

僕自身は当時は急行列車を愛用していたけれど、それでもこの気動車特急にはよく乗車したものだ。
乗車すると、すぐ目に入るのが天井の穴の開いた化粧板・・
防音の為らしいが、これがどの程度役に立ったかはよくわからない。
食堂車も何度か使ったけれど、くたびれている印象はあるにせよ、「まつかぜ」での長いひと時を過ごした快適な思い出は忘れられない。
この系列は20系客車に似て、柔らかい、静かな乗り心地が印象的だった。
窓回りなどにやはり木材を使っていたからだろうか・・
80系気動車は最高速度も110キロ止まりで、良くこれで山陽線などで時速120キロの電車特急と並んで走れたものだと思うが、性能を超えた無理な走りは車両自体の寿命を縮めたのではないだろうか。

「まつかぜ」の80系はやはり、痛みの激しいものがあり、「くろしお」の電車化の際、止むに止まれず車両の振替を行なったことがあったように記憶している。
今となっては番号などは記録していないけれど、車両によってはもう限界という所まで車体が傷んで、車両中央部が沈み込むようになってしまっていたのもあった。

正面の窓ガラスや、止めゴムの交換が大変だったと聞いた。
ガラスが副層で大きく重く、曲面であるために持ちにくく、3人がかりで交換していたようだ。
この点、同じ難しいガラスでも、ナハネフ22の曲面ガラスが慣れれば二人で作業できたのとは大違いだった。

80系気動車は「やくも」などで余剰となった181系にバトンタッチして高砂から消えた。
181系はさすがに頑丈な造りだったけれど、室内なども無塗装化が計られていたけれども、やはりカーテンはロール式で、それは不思議に未だに使われている。
その181系は、デザイン的には80系を踏襲したけれど、残念ながら乗り心地はやや固く、エンジン音が若干、大きい気がする。
それでも、181系気動車は既に80系が引退した車齢を遥かに突破し、21世紀にまで走り続けてしまった。
JR西日本は181系気動車の置き換えも検討しているようだが、それは国鉄特急形気動車独特の、スピード感溢れる、精悍なイメージのデザインが消滅し、一つの時代が終わることを意味しているように思える。Iuiduc1n

2005年10月13日 (木)

113系電車

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僕は客車の仕事を主にしていたから、電車のことはあまり詳しくはわからない。
けれども103,113、117、153と言った系列だけは、実際に自分が乗車して通勤した系列でもあり、乗ると自然に仕事の目で見ていたから、やはり強く印象には残っている。
特に、今日、ここで書く113系電車は僕にとって、ある時期には最も身近な電車だった。

関西の113系電車は80系の置き換え用として入ったのが最初だ。
僕の子供のころのイメージでは、国鉄の快速といえば紛れもなく80系電車だったけれど、それは眺めるだけで、実際にはいつも阪急か阪神に乗っていたから、あまり子供の頃の記憶はない。
ところが、別の項で書いたように、僕は突然、中学生になってから加古川市に住むことになった。
それも、始めは山陽電車の沿線だったが、僅か半年で、国鉄山陽線を使うしかないところに引越しをした。
それから僕と113系との付き合いが始ったわけだ。

そのころ、東海道山陽線の快速電車は西明石以西では日中は30分ごとの運転で、それは朝夕ラッシュ時に新快速用の153系が、ピンチヒッターとして使われる以外、ほとんどの電車が113系で占められていた。
私鉄のロングシートばかり見慣れた目には、113系の窮屈なシートとはいえ、クロスシートは豪華に見えたものだ。
夏になると快速電車には冷房などない時代、窓を全開にしたボックス席で、進行方向に向かって座っていると、それが姫路や神戸までの短い旅であっても、旅行気分になり気持ちがよかったが、風は高速で走ると息も出来ないほどの強さとなり、それもそれで面白かった。

当時の快速電車は喫煙が出来て、窓の下や、ドア横のロングシート横、衝立のようになっているボックス席の背の部分に国鉄型の灰皿があり、電車の天井はたいてい黄色く、ひどいものは黒ずんでいた。
ところが、サハ111−1あたりから天井の無塗装化が始った。
最初は天井板だけがメラミン化粧版で、飾り面は塗装していたから、塗装後時間の経過と共に飾り面だけが黄色に変色して来るのがわかった。
関西では湖西線用の700番台から、天井は全面的に無塗装になった。
けれども、吊り手や荷棚を支えるポールだけは相変わらず塗装してあった。
それが昭和52年の増備からほぼ完全に無塗装となり、美しい車内が実現した。
若干造作は荒いものの、当時の私鉄電車には及ばないものの、格好の良い新車が出来たと、喜んだものだ。
ところが113系の進化はさらに続いて、2000番台の登場となった。
これこそ113系の決定版ともいえる車両で、評判のよくなかった狭く窮屈なクロスシートが改善され、幅は急行電車並に、ピッチもやや広げられた。
このとき、人間工学とかでシートの座面を下げたが、それは失敗だったと思う。結果としてピッチの広がりを吸収してしまい、折角座席の間隔が広くなったのに、その実感がないものとなってしまったからだ・・
2000番台はデザイン面でもそれまでの荒っぽいデザイン(というより作りっぱなしの車内と言う感じだが・・)から、若干の進化が見られた。
クロスシートの背もたれの裏側、ついたてのようになる部分の化粧板の面積が広げられ、シートの骨組みの露出度が減ったし、車端の妻部の化粧板は幕板で区切ることをせず、天井との接点まで緑色の板が張られるようになった。
シートピッチの拡大と呼応して、窓割りも変更され、サイドビューから小窓が消え、クロス部の大窓と戸袋窓だけのすっきりしたデザインとなった。

国鉄末期には煙草の害が叫ばれ始め、禁煙区間以外でも先頭車両(中間に挟まれるものも含め)は全て禁煙となり、それはやがて全面的に禁煙となった。
やがて、黄色くくすんだ天井は過去のものになり、灰皿は撤去され、小さなテーブルが窓の下についた。
車内の更新も進められ、茶系の内装の車両も登場した。

113系は冷房のない時代の設計だから最初は扇風機がついていて、その個別のスイッチが吹き寄せ部についていた。
冷房改造すると103系は扇風機を残すのに、113系が撤去されるのが不思議で、一度、鷹取工場電車職場の職場長に訪ねたことがある。
「103系の場合は乗車率が高いことを想定するから」という回答だったが、僕は納得できなかった。
113系の冷房は集中式で、車端に行くほど良く冷えるが、車両中央部はクーラーの騒音は高いものの、冷房の効きが良くないことが多かったからだ。
JRになってから、是が非でも103系113系の冷房化率を100パーセントにするとか言うことで、ダクトもつけず、集約分散型のクーラーを載せただけという改造をしたクルマが登場した。
このクルマの場合、扇風機の撤去も面倒だったのか、扇風機はそのまま存知されて、逆に不思議な雰囲気の車両となっていた。

関東では15両編成などと言う長い編成も見たが、関西では12両編成が最長だった。
だが、その中にグリーン車であるサロを組み込み、製造年によって少しずつ違う電車が入り混じり高速で走行する様は、まさに国鉄の世界を代表するもののように思えた。
今の221系や223系が編成美を誇るのとは違った魅力があったわけだ。

京阪神の快速電車ではつい先ごろまで、113系が活躍していた。
オレンジとグリーンの本来の塗装も良く似合うが、僕はブルーライナー、レッドライナーの塗装・・それぞれ阪和線・関西線の専用の色だったが・・これが大好きだった。
阪和線にはブルーライナー色の2000番台もあり、これが113系の中で最も美しい車両ではなかったかと今でも思っている。
関東でスカ色の113系を見たとき、ものすごく都会的な感じがしたものだ。
思えば、どんな塗装をしても良く似合い、しっかりと国鉄の誇りを、その高運転台と曲面ガラス、二つ目玉のヘッドライトにきちんと表していた車両ではないか・・と思う。

けれども、2000番台以外の狭いクロスシートと、揺れのひどい台車は、僕が鉄道ファンであっても、今では乗りたくない心境だ。
JR西日本はこの電車を大改造し、室内の造作を徹底的に洗いなおし、転換式クロスシートにした車両を登場させた。
113系がここまで化けることに驚いたのもつかの間、113系は僕の前から姿を消した。
尼崎脱線事故後、117系が福知山線を追い出され、あちらこちらから113系を集めてきたのにはちょっと驚いたけれど、それも長くはないだろう・・

僕にとって113系は、少年の日の少し重い思い出と共に存在し、窓を全開して風を受けて喜んだつかの間の楽しみが心の底に残っている哀愁の電車でもある。
昨今のフロントの曲面ガラスに金属の押さえをつけている姿はあまり好きではないのだけれど・・
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