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こう@電車おやじ

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2005年9月 1日 (木)

スハ43

旧型急行用客車・・僕が高砂に居た頃、スハ43、スハフ42、オハ46、オハ47などは、こう呼ばれることもあった。
オールクロスシート、トイレ、洗面所つきの落ち着いた車内は急行用というに相応しく、天井が高いので夏に乗車しても意外に過ごしやすかった。

これらの車両・・車体に関しては、それ以前のオハ35あたりとは大きく違うところはなかったけれども、オハ35が車体端に若干の絞込みがあるのに対し、まっすぐ直線で、上から見るときれいな長方形の形をしているのが特徴でもあった。
車体鋼体はオハ35一党の一部車両が、粗悪な材料を使っていたためか腐食の補修に苦心したのに対し、厚み2.3ミリの鋼板は丈夫で、出入り口付近をのぞけば、殆ど補修の必要がない頑丈なつくりだった。
出入り口は鋼板製の開き戸で、大抵の場合、窓はHゴム支持されていた。
出入台と便所・洗面所のしきりに木製の引き戸があり、更に便所・洗面所と客室の間にも木製の引き戸があった。
車内に入ると、向かい合わせのクロスシートがずらりと並んでいて、スハ43では左右で11組だったように思う。
座席はオハ35とは異なり、背もたれが上下2段に分割され、下のほうには傾斜がつけられていて、乗客が少しでも快適に座れる工夫もしてあった。
一部の未更新の車両では、背もたれ上部にはモケットがなく、ニス塗りだったように思う。
座席のモケットは国鉄普通車標準のブルーだった。
座席背もたれの通路側には枕を兼ねた手すり状のものがつけられていた。

窓は幅1100ミリの大窓で、5ミリ厚のガラスを木枠に埋め込んだものだった。
窓の組み立ては工場木造場で行なわれ、釘などは一切表に出すことがないよう、木枠の中に埋め込んであった。
幅1100ミリで、厚み5ミリのガラスを入れた窓は重く、そのままでは開閉に難があるので、左右の窓柱上部に釣り合いバネを取り付け、これで窓を開ける際、少しでも軽くなるような工夫もされていた。
(窓構造は基本的にオハ35と同じ)
窓の左右には乗客からは見えないが、フェルトが貼り込んであった。
このフェルトは窓がガタつかないよう、隙間風がないように小さな釘でしっかり止めてあった。
リフターも、窓止め棒(金当てとも呼んだ)も真鍮製で、リフターは工場入場の都度外され、洗浄、調整された。具合の悪いものはこの段階で新品になった。
カーテンはオハ35の遮光性の高い物と異なり、サランのやわらかいものが使われた車両が多かった。
カーテンのほかに網戸があったが、これは蒸気機関車の廃止に伴い、撤去されていた。
カーテンカバーは鋼製だったけれど、これも更新車ではアルミ製になっていた。
荷棚は、まさに網棚で、ハンモック状の網は入場の都度洗濯・修繕されていたが、これを取り付ける際は車体全長分を一度に作業せねばならず、このときだけは上回りで他の仕事をしていた人も含めて、網通し、張り込み、取り付けの作業をしていたものだ。
天井には二列になった室内灯、これは殆ど丸型の蛍光灯となっていたけれど、まれに白熱灯の車両も残っていた。
天井中央部には整風器があって、鋳鉄製のごついつくりで、落ちてきたら大変なので、しっかりした大きなネジで止めてあった。
整風器の開閉レバーも軽く動くように調整していったものだ。
もともとスハ43一党の内装はベニヤ板にニスを塗り木目を生かしたものだったけれど、大半の車両はベージュ系の内装に変えられていた。
色調は153系電車と同じものだったけれど、材質はハードボードだ。
ベニヤ板なら強度もしっかりあるが、ハードボードの欠点は強度があまりないことで、暴れん坊の乗客がけりを入れたりすると簡単に割れてしまう。
だからよく痛んでいて、これの交換には座席を外さねばならず、難しくはないが、大袈裟な感じになるので好きではなかった。
窓わきには小さなテーブルとその下に灰皿がつけられていた。
テーブルも12系あたりと同じものだけれど、木製で上部には梨地模様のアルミデコラ、周囲にはアルミの飾り面がついた。(12系後期ではこれは全金属製になる)
小さな栓抜きもつけられていた。

床にはリノリュームが張られていたが、その下は普通の木の床だ。
米松の床材が木製床の車両と同じように使われていた。
床のつくりはオハ35と大差はなく、頑丈な鋼鉄製の台枠の上に大きな木製の根太を取り付け、この根太に床板を鉄ネジで止めてあった。
根太は殆ど角材の状態で現場の材料庫にあった。
高砂の場合、巨大な製材所を部内に持っていたから、こう言う材料の調達は簡単だったけれども、取り付け加工には熟練の大工の技術が必要だった。
根太は鉄製のボルトで台枠に固定する・・このボルトはすぐに錆びて全く抜けなくなる。
取り外す時はボルトの頭を、ガスバーナーで飛ばしてやらなければならない・・

屋根はオハ46を除けば木製が大半だった。
側樋も屋根布もオハ35のように車端を絞ってないので、工作は楽だった。
ただ、高砂では屋根布の張り込み作業は大半が外注化されていて、僕たちが張替えをすることは少なかった。
屋根布は小石や砂をコールタールとともに敷き詰めたもので、木製の屋根に熱いアスファルトを塗りこみ、車両全長分を張り込んでいくのだ。

スハ43はとても好きな車両だ。
仕事でも12系や25形と並んで最も良く接したクルマだけれど、何故か高砂での在場時の写真を撮影していない。それだけ、ごく普通に接したクルマだということだ。
営業列車で乗ると、台車の、なんともいえない重厚感触れる乗り心地・・落ち着いた車内のムード、ハイネケンスのセレナーデのオルゴール・・
時代は変化し、車両は変わったけれど、あれほど完成度の高い車両を僕は未だに見つけることが出来ない。
客車列車の顔そのものだったスハ43一党への、追慕の念・・それはまさしく客車列車そのものへの思い
かもしれない。

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コメント

こう様、はじめまして 24年前のニス塗りの車内が思い出されます。昭和56年に東京から富山へ移り住んで、北陸直通の越前、能登で行き来しました。 TR47を履いたスハ43やオハ46、スハフ45、オハフ45のゆったりとした乗心地、TR23を履いたオハ47の小刻みな揺れ、大枚をはたいて乗ったスロ62の乗り心地がよくなくて(台車が軽いためでしょうか、振動を拾っていたような気がします。)がっかりしたこともありました。 オロネ10以外の10系寝台車の下降窓枠はさびがひどかったように覚えています。 上野口北陸客車急行は翌年の上越新幹線開通で全廃されましたが、昨日のことのように覚えております。

Yukiさま>始めまして。こちらこそよろしくお願いいたします。僕自身、上野からの急行「越前」に乗車したことがあります。それに北陸線の普通列車の大半は客車列車でした。北陸線や東北線の場合は客車列車といえど、走り出すとすごく速くてびっくりしたものです。10系については過去ログにありますので、ご参考ください。

こう様、こんばんは> 北陸線の普通列車の大半は客車列車でした50年代後半の学生時代は富山出すごしたのですが、富山〜直江津間は糸魚川の先に交直切替セクションがある関係でしょうか、交直両用電車が高価なせいなのでしょうか、とにかくEF81牽引の客レばかりでした。また朝晩、DE10に牽かれた富山〜城端間直通の客レにオハユニ61が入っていて、悪餓鬼が走行中に郵便室や荷物室の引き戸を遊んでいました。

私は山陰本線沿線で育ったので、どちらかと言えば後藤工場で面倒を診て貰っていた客車に良く接していたと思います。それで末期の頃は編成メモやドアの状態など幾つかの項目を設けてメモをしていました。何故か日本海に面する側の乗降扉が木製で、反対側は鉄製の客車を割りと見掛けたように思います。潮風の影響でしょうか、木製の方が劣化の度合いが緩いのでしょうか?未だに解かりません。

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