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2005年3月

2005年3月28日 (月)

モハ52を見に行った時・・

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モハ52を見に行った時
鉄道に入社する前から、とても気になっていた電車だった。
戦前の関西で、流電・急電としてその名を高めていたモハ52だ。
昭和50年頃には飯田線南部のごく短い区間を行ったりきたりしているだけの運用になっていたけれど、それでも是非一度見に行きたいと願っていた。
国鉄に入社してすぐ、僕は一人で新幹線に乗り、名古屋へ向かった。
新幹線でそのまま豊橋に行くことをせず、一旦名古屋で下車したのには訳があった。
・・名鉄のパノラマカーに乗りたかったからだ。
名鉄は入社直前の友人との卒業旅行で乗車していたけれど、そのときに使ったのが犬山線だったこともあって、パノラマカー7000系や7500系には乗れなかったのだ。
確か、特急券を買ってまで乗車したのが7700系・・貫通形のパノラマカーだったからがっかりしたものだ。
このあたりの実感はモハ52を当てにして急電に乗った人が、半流のモハ53だった・・ことに似ているかもしれない。
当時の僕は国鉄に入社しながらも、国鉄で好きな車両はごく一部しかなく、私鉄の車両が大好きという風変わりな鉄道マンの玉子だった。

さて、ご機嫌よくパノラマカー7000系の特急に乗車して、その速度と揺れを体験し、一種のカルチャーショックを受けた僕が、まだその余韻に浸っている時に豊橋駅に入線してきたそれはまさにモハ52だった。
正式にはクモハ52だったけれど、当時の雑誌にはほとんどモハ52という戦前の形式を書いていたからこれで通っていたのだろう。
モハ52の中でも広窓の003号がやってきてくれた。
外観は張り上げ屋根も美しく、衰えた、不細工になったといってもかつての面影は充分、まるで113系のような広窓は木製窓枠だったけれど、それがきれいに磨かれていてガラスの大きさが眩しかった。
車内に入ると普通の国電そのものだけれども、シートはズボッと、はまり込むような深いシートで座ると窓の位置が高く思えた。
いよいよ発車だ。
緊張する。
低い、ごつい、モーターのうなりが振動を伴って響いてくる。
駅間距離が短く、それほど速度は出さないけれど、何ともすさまじい乗り心地に感じた。
先頭車の運転席から数えて最初の位置のボックスに座っていたから、広い運転台の大きな窓を通して、前方が見えた。
おりしも、名鉄の5000系が急行で入ってくるところだった。
名鉄は速度とそれに比例する揺れ、モーターや台車のガチャガチャとした騒音が僕にはたまらない魅力だったけれど、モハ52はモーターがうなっている間中の振動と轟音・・別な意味でも魅力を感じた。
牛久保駅で下車・・
一旦、今乗ってきた電車を見送った。
電留線には、これまたいかめしい、2ドアのモハ42が停車していた。
当時、飯田線南部は、モハ52を含む編成と、モハ42の編成があって、これらが専属で使われていたのだ。しかも、中間にはサロ改造のサハ75や、80系の珍しいスカ色・・サハ87がいて、どの編成も旧型国電の魅力がたっぷりだった。

しばらく、線路の脇でモハ42を眺めていると、やがて豊川駅で折り返してきた、さっきのモハ52が帰ってくるのが見えた。
日中はこれらの電車はここで日向ぼっこよろしく、長い休憩を取る運用が組まれていた。

それから駅前の小さな食堂で昼食をとった。
まだ一人で店に入れない年頃だし、僕などは同年代の少年達よりずっと人見知りをするクセもあったので、この店に入るのには大きな決断が必要だった。
店に入ると、粗末なテーブルが3つほどあるだけで、人のよさそうなおばさんが「何にしよ?」と聞いてくれた。少し塩辛い親子どんぶりだった。
そのあと、また線路際に戻って、飽く事もなく、モハ52とモハ42を眺め続けた。

帰りに何に乗ったか全く思い出せない。
牛久保駅から豊橋まで戻り、そこからまた名鉄の・・今度はパノラマカー自由席特急の先頭車両に乗ったことは覚えているのだけれど・・

2005年3月19日 (土)

キハ58

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キハ58系・・現場では「にはちごはち」と呼ばれて愛された気動車だ。
気動車といえば電車と同じ用途の車両でも、例えばキハ80と181系電車、キハ181と183系電車とでは小さなサービス部分など・・例えばカーテン一つ取ってみても、どこかわざとレベルを落としている部分があるものだけれど、急行用の車両についてはそう言う差異は目立つところには見当たらない。
(但しグリーン車の天井の蛍光灯に電車のようなカバーはなかったけれど・・)
唯一、早い時期に製造された車両のフロントマスクが、平面ガラスで構成されていることくらいだけれど、これはこれで、この車両の走る路線の自然環境の厳しさを思わせるものがあり、なかなか風情がある顔立ちになっていたと思う。
気動車はグリーン車や特急用を除けばほとんどの車両が運転台つきで、このためか車体長が電車よりも1メートル長く設計されていた。
また、外観デザインでは電車にはない、張り上げ処理された屋根が、よく手入れされた車両では美しかった。
これは実はこの車両が限界の小さなトンネルのある区間も通過するため、普通の位置に雨樋をつけてしまうと、僅かに車両限界に触れる恐れがあったためだ。
言い換えると国鉄の線路である限り、この車両が入らない区間はないといえる車両で、まさに国鉄全社としての汎用型と呼ぶべきか・・
確かに北海道のキハ27・56、信越用のキハ57を含め、すべて登場当初は、同じクリームの車体に窓回りと裾の赤という塗装で、急行列車というもののイメージを決定つけた名車ではないかとも思う。
残念ながらエンジンや足回りが一般気動車と共通だったので、それほどの速度は出せないけれど、電化区間での限界まで加速する見事な走りっぷりも記憶に新しい・・
車内は落ち着いた雰囲気で、シンプル、必要にして充分な設備だった。
固定式のクロスシートは窓側に座ると、足元の暖房菅カバーが邪魔だったけれど、冬の暖かさ、冷房化以前の夏の暑さ、そして冷房化後の寒いくらいの涼しさ、よくオーバーヒートして冷房が止まるので、扇風機を残してあったことを覚えておられる方も多いだろう・・

現車は作業の上でも結構、単純なつくりで、それなりに痛んでいたので、楽ではないが、それでも同じ時期の客車の車両・・10系などよりははるかに仕事が楽だった。
窓も隙間風が入りにくく、腐食しにくいように考えられており、非常に堅実な、質素だが充分な設計であったように思う。
長距離も旅行をするのに、最も適した車両は?
もしも僕が、そんな問いを受けたなら、先だってのスハ43あたりとともに、必ずこの系列を入れるだろうと思う。

さて・・播但線の冷房化を推進するという名目で、この系列をロングシートと化し、塗装を変更した車両が投入された。
塗装は僕の友人のデザインなのだったけれど、残念ながら車体の端から端までのロングシートは現地では非常に評判が悪かったそうだ。
電化後の103系の評判が良いのと対照的だけれど、元々クロスシートの車両だから、これをロングシートにしてしまうと一般客にも敬遠されるくらい不自然で、おかしな車両になってしまうのだろうか・・