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こう@電車おやじ

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2005年1月

2005年1月22日 (土)

座席

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国鉄の座席には厳格な基準があった。
通勤用・・ロングシート。
近郊用・・セミクロスシート。
急行用・・固定クロスシート。
特急用・・回転式クロスシート。
グリーン車・・回転式リクライニングシート。
これは昭和43年ごろから厳格に実施されてきた。
但し、ローカル幹線の長距離普通列車はほとんど、クロスシートの客車で運転されてはいたけれど・・

昭和45年、万博輸送の頃から、人間工学を積極的に取り入れ、少しでも快適に座っていただけるように、変更を施した車両が出回りだした。
103系などのロングシートも、座布団の位置を少し通路側にせり出させ、高さを低くし、すわり心地のよいものとなったし、急行用に最後に登場した12系客車は固定クロスながら、幅もピッチもゆったりさせていた。
特急用は普通車でもリクライニングの時代となり、簡易リクライニングシートが登場し、183系、381系電車、14系客車がこれを装備した。
けれども中途半端なリクライニング角度やロック機構の省略、テーブルの設備もなく、また14系客車を夜行急行に運用したものだから、その不評は想像以上のものがあった。

シートの色は普通車はブルー、グリーン車はエンジ、特急やA寝台などの一部はモスグリーンの段付モケットだった。
国鉄の場合、座席だけではなく、ドアの数も系列や用途できめられていた。
東京で設計された車両がその設計のまま全国を走るのだから、無理もあったろうと思う。
国鉄はその末期に将来の鉄道車両のあり方をきめていた。
それによると座席の部分では特急・・フルリクライニングシート、急行・・簡易リクライニングシート、近郊型・・転換式クロスシートもしくはゆったりとしたロングシート、通勤型・・ロングシート・・
今のJR各社もこの方向性で車両を作っている。
急行という種別はほとんど存在しなくなったが、それでもごく一部に残っている急行は、それなりに優れたアコモデーションで運行されている。(JR西日本の“みよし”“つやま”は例外だけれど・・)

面白かったのはオハ35等の木のクロスシート・・背摺りも木製、ニス塗りで、いかにもベンチに腰掛けている感じが、冷たい木の感触とあいまって、面白いと思ったものだ。
昔はこれが標準だったのだ。
スハ32の傾斜のついた木製シートもあった。
上の画像はこれである。
スハ43などは急行電車に合わせて腰と背に分けたモケット貼りのクロスシートだった。これが一番、旅情を感じられるシートだと思う。
オハ41・・これは元の二等車を通勤用に改造したものだったけれど、端から端までそれこそ長い、ロングシートだった。
シート全長は17メートル以上あったのではないか?
優等車両だった客車に気の毒に思ったものだけれど、これはこれで面白い車両だった。
究極の通勤車両が和田岬線のオハ64・・
車体の真ん中片方だけに、いかにも手作りといった感じのドアがあり、そのドアの向かいは6〜7人がけのロングシートがある他、何もなく、只っ広い木の床に、ずらりと並んだつり革・・窓には保護棒・・
今、首都圏に走る座席収納電車など、これに比べると色あせて見える。
豪華だったのがナハ21、
20系の項でも書いたけれど、A寝台時代の座席をそのまま使用し、座席モケットもそのままに、深い緑の段付モケット・・
ピッチも非常にゆったりしていて、大きな固定窓、高い天井、横引きカーテンとあわせて国鉄にしてはよくもこんなに豪華な普通車を作ったものだと感動した。
もう一つ、面白かったのが簡易寝台車。
オハ47などが中心で、普通の座席車を寝台としても使えるようにした傑作?
評判の方は今イチ・・ぱっとしなかったようです。

2005年1月 8日 (土)

鋳物職場

Kwooaame 鷹取工場での実習中、鋳物職場に配属されたことがあった。ここは国鉄最大の制輪子の集中工場で、主に貨車や客車の鋳鉄の制輪子やその他の鋳物・・例えば車両の端についている楕円形の銘板、蒸気機関車等のナンバープレートなども自作していた。

制輪子の鋳造プラントはおよそ鉄道工場のイメージから程遠い、巨大なローラーコンベアを中心に出来ていた。
形枠に砂を入れる・・プレスする・・中子を入れていく・・つるされた鉄の鍋から溶けた鋳鉄を流し込む・・冷却する・・制輪子を取り出す・・砂を落とす・・
一つの作業が1分で行なわれ、次の作業に移る・・50分間これを繰り返し、10分の休憩。
休憩のあとはメンバーを入れ替え、また50分・・
これが一日中続くのだ。
作業する国鉄マンは防じんマスクをし、夏でも長袖の菜っ葉服を着、黙々と続けていく・・

この作業には製品の品質を保つため、薬品や鋳鉄以外の材料を配合する部署まであった。
ここは、指示に応じ、10分から30分に一度、指示されたものを指示された量だけ配合する。
この部署は小さな部屋で、単調な作業が続くが、担当で入るのは一人だけ・・思わず眠たくなってしまうところでもあり、鋳物職場はかように極端な部署でもあった。

楽しみは銘板などを作る部署で、ここでは鋳鉄や真鍮をつかって、それこそ様々なものを手作りしていた。
蒸気機関車のナンバープレートを磨く作業をさせてもらい、大喜びしていた実習生もあった。

国鉄改革の前に行なわれた貨物輸送の合理化で、大量の制輪子を必要としていた貨車が激減し、この職場は廃止されてしまった。
不思議なのは全く車両の面影すら見られないこの職場にたくさんの鉄道ファンが居て、詰め所には鉄道雑誌がいつも置かれていたことだ。
鉄道ファンの世界では、とても有名な方もおられた。