フォトアルバム

プロフィール

フォトアルバム

こう@電車おやじ

小説サイトSTORY http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/ 鉄道掲示板 http://6551.teacup.com/kouzou/bbs プロhttp://pr.cgiboy.com/02653710/フィール

メイン | 軽量客車 »

2004年12月 6日 (月)

最初の客車

Viqekvkn
スハフ4299が最初の客車だ。
昭和54年4月はじめて正式に高砂工場、旅客車職場上回り2組に配属された。
国鉄に採用されたのがこの3年前、3年間、みっちり鉄道学園で鉄道の現場で必要な基礎を叩き込まれた。けれども実際に僕が配属された職場はまだ当時の主流だった半鋼製客車の仕事にために鉄道学園では学ばない木工作業の必要な職場だった。

その現場での最初の仕事がスハフ4299なのだから前途は多難というものを思い知らされた。現場でとにかくスピードが要求される。
しかも新人はまず、全般検査の解体作業からという事だったので回りの先輩方も他の職場からきている人たちも殺気立っており、目を丸くしている間に仕事はどんどん進んで行くという感じだった。
客車は工場に入るとまず、ついているものではずせるものはすべて外されてしまう。
座席、窓、灰皿、カーテン、網棚、通風器、錠前・・・
まだ蒸気機関車の時代のなごりで網戸もついていたが、これはすべて捨ててしまうという事だった。けれどもすすは解体するあちこちから出てきて、作業服・・ナッパ服はすぐに真っ黒になった。

客車はよほどの事が無い限り7日ほどですべての工事を終え、出場して行く。
この日の午後にはこの客車はもう大建屋と呼ばれる主棟の中に引き込まれクレーンで台車を外され作業場で仮台車にのせられる。

当時は1日2両ほど車両が入場して、この作業をしていた。24系25型が当時のもっとも新しい車両で扱いやすく現場の人たちには喜ばれていた。
スハフ42は古い車だが傷みが少なく、作りのよさが目立つクルマとの事だった。
これに比べずっと新しい10系と呼ばれる軽量客車は痛みが激しく、当時もう、ほとんど廃車の運命だったようだ。

仕事を終えると先輩方は身体を休めるのだが、僕にはする事があった。
ノミやカンナの刃先を研ぐ特訓を受ける事だった。
この職場では鉄道学園で得たガス溶接の免許は必要無かった。
上司のM氏は恐い人との前知識があったが実際は仕事には厳しいが普段は優しい気のいいおじさんだった。酒が好きで仕事の後、良く日本酒を美味そうに呑んでいた。

結局、僕はこの次の日がスユニ6137、非番と公休を挟んでマニ362240、オハネ2545、と全般検査の解体ばかり5日連続でする事になった。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.eonet.jp/t/trackback/351371/14450451

最初の客車を参照しているブログ:

コメント

夕方から全て拝見させて頂きました。(=^▽^=)大変面白かったです&制服姿が格好いいですね!また訪問させて頂きます!

狼さん>始めまして!!ようこそいらっしゃいました。。制服・・菜っ葉服っていう作業着ですね。安全帽(ヘルメット)もかぶらず、布の帽子を斜めに被り・・ホンマに、そないなカッコつけてどないするねん・・って感じでした。。若い頃はこんなものかもしれません・・不良国鉄マンですね・・今後ともよろしくです。。

コメントを投稿