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2004年12月 6日 (月)

20系客車

Doduomf4 *ハードボードとアルミデコラ

1950年代から国鉄は旅客車の内装化粧板にそれまでのベニヤ板に変ってハードボードを使い始めた。いわゆる新建材で表面に様々なカラーが印刷でき、塗装も不要で車内の雰囲気が明るくなるのだった。
けれども、このハードボードには大きな欠点があった。
火災に弱いのだ。
大きく炎を上げて燃えるというより、有害ガスを出し、燻りつづけるというものだった。この弱点は北陸トンネルでの「きたぐに」火災で現実のものになってしまった。
43系なども近代化と称してこのハードボードを使っていたし、当然、20系も当初は化粧板はハードボードだったのだ。

けれども、国鉄は弱点を知っていて、1960年代後半からこれに変ってアルミデコラを化粧板に使い始めた。燃えず、痛みにくく、強い・・アルミデコラはまさに車両の内装材としては理想的なものだった。
20系もナハネが300番台頃からアルミデコラに変った。
一時はそれ以前のクルマにも難燃化工事と称してアルミデコラに変更する工事を実施したという事だったけれど、その工事の実施車両数は少なく、20系の両数は多く、中途半端で終わってしまった。
仕事の上ではハードボードの場合、比較的、割れたり、穴が開いたりして、交換する事が多かったがアルミデコラでは、まず、そのような事はなかった。



*ナロネ21とナハ21

20系には「あさかぜ」などで使われていた個室寝台車や食堂車、座席車があったが僕の時代にはこれらは過去のものとなっていたし、高砂の場合、担当する列車が関西所属のものにかぎられるので元々、これらのクルマとは縁がなかった。
しかし、関西の20系にも変化が訪れる。
まず、「銀河」続いて「だいせん」といった急行列車に20系が使われる事になったのだ。
銀河の場合は20系になると同時にスハ44を使っていた座席指定車が廃止され、寝台専用列車になるので車体の改造は必要なかったが「だいせん」の場合、座席車を連結する必要から余剰になっていたナロネ21を改造する事になった。

ナロネ21はゆったりとしたプルマン式のA寝台で、赤い絨毯、幅の広いベッド、こじんまりとした喫煙室、洋式のトイレなど、豪華で重厚な雰囲気のクルマだった。
作業をする上でも特に難しいところはなく、むしろナハネよりも仕事は楽だったように思う。窓のカーテンも横引き式で、フリーストップの調整の必要なナハネよりは楽だった。水回りは車体の前後にトイレ、洗面所があるので複雑そうだったけれど・・

さて、そのナロネ21を改造したナハ21だが、ぱっと見た目にはただ上段寝台を撤去してそのあたりの化粧板を張り替えただけに見えるけれど、実際は後位側のトイレや喫煙室を撤去し、ここに客室を延長する大掛かりなものだった。
僕は直接この工事にはたずさわらなかったけれど、先輩方から苦労話や大宮との出来栄え競争で意地をもってした事などを聞いた。
高砂のナハ21はほとんど新車のような出来栄えだった。化粧板はすべて張りかえられ、床もすべて新たにロンテックス仕上げされていた。
これに比べ、大宮のものは床は絨毯を外しただけ、化粧板も使えるものはそのまま使っていた。床に関しては「だいせん」のものは次回入場時にすべて高砂改造のものにあわせられていたがその他の部分は最後までそのままだった。

ナハ21は天井が高くて空間が広く、固定クロスシートのピッチが583系電車並みに広く、まるでヨーロッパの列車を思わせる開放感と高級感のある車内が現場の自慢だった。僕も「だいせん」には何回となく乗ったけれど、いつもナハ21に好んで乗車した。
いまだにあれだけゆったりした雰囲気の車両には出会わない・・それほどのクルマだったように思う。

この工事をした先輩がクルマが完成し、回りにいた人たちが口々に誉めるのを聞いて、こう言った。
「今までより、安くお客に乗ってもらう為に、こんな大工事をするんやから・・国鉄はあほなところやで」
ある意味、救いようのない赤字体質という事か・・


*扉
20系の出入り口は自動ドアではない。電磁式と呼ばれる手動式とオートロックを組み合わせたものだ。何でこのような形になったのか不明だが、昭和30年代の国鉄部内での車両に関する意思統一が出来ていなかった事の表われでもあるだろう・・
折畳式で、開けるにも閉じるのにもかなり力の必要な代物で、乗車された経験を持っておられる方なら、その事を覚えておられる方もあるに違いない。停車駅では、乗客が開けたドアを、駅員や車掌が「パタン、パタン」と閉じているのが印象的だった。旅情を掻き立てるには良いが営業線での現場の苦労は大変だったろうと思う。
僕の先輩が、この扉の作業をしていて指の先を飛ばしてしまった事もある。ステンレス製だったが、水はけゴム(裾ゴムと呼んだ)を交換するにはドアを外すしかなく、それが結構、重く、また折畳式になっている為、持つに持てず、僕も指に怪我をした事もあった。

12系との併結を「ちくま」で実施した際は、ドア回りの改造をせざるを得なくなり、12系にあわせた形になったが、何故、最初からその形に設計できなかったのかいまだに疑問ではある・・

*固定窓
20系の側窓は大きな固定窓だ。窓ガラスの寸法は14系以降と同じなのだが窓を止めるゴムに問題があった。電車やディーゼルカーでは固定窓のゴムはなるべく外気に触れる露出面が少なくなるように設計されていた・・ただしこのやり方は外板の補修時などには手間を食うのだが・・20系では・・オロネ10なども含め、外板の形状は単純だがゴムの露出面が多く、このため、窓ゴムの腐食が進行し、これが入場時の大きな仕事の一つになっていた。
しかも、固定窓は突っ張り棒と接着剤で圧着してある為、ゴムの交換といっても、結局、ガラスの交換と同じ手間が必要なのだった。
窓ガラスは国鉄客車標準の復層ガラスで、これはガラス2枚の間にフッ素ガスを封入してあるものだが、永年の使用によって密閉が侵され中に外気が入るとガラスが曇ってしまう・・この為に交換が必要になるがこの作業が結構大変だった。
場合によっては周囲を立ち入り禁止にし、車両の側樋からビニールシートをかけて車内から一気にガラスを破壊する事もあった。交換するガラスが多い時はこの方が早かったのだ。
窓ゴムが古くなって、けれど、まだ腐食までいっていない時にはシリコンで、ガラスとゴムの間に出来た隙間を埋める事もあった。

*ナハネの寝台
20系の寝台・・ベッドは幅52センチ、3段式の窮屈なものだ。
けれど、同じハネでも10系に比べると、背もたれを中段に使わないので中段の寝心地はマシになっていたのではないだろうか・・
日中の使用ではこの中段が乗客の頭の上で折りたたんでいる状態なので何かの衝撃にロックが外れると、乗客が大怪我をする可能性があった。
このため、中段のロック装置は二重にロックされるようになっており、このロックやバネの調整も全般検査の大切な仕事だった。
下段は、日中には座席としてそのまま使うが、設計上、下段の下の座席枠に折畳式の棒がついていて、これを起こして、その上に座席を乗せ、さらに背もたれの後ろにも同様の棒があって、これも起こす事で座席がリクライニングしたような格好で使えるようになっていた。
これを実際に現場で使ったのを見た事は一度もなかったし、工場でもこの設備の検査はしなかった。
僕は「銀河」で乗車したある時、事故で列車が大幅に遅れこの設備を使ってやった時がある。座り心地は必ずしも良くはなかった・・
しかし、ハネとは言え寝台の幅52センチで特急が走っていたのだから設計当時の日本の経済、社会状況を如実に表していると思うのだ。

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