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2004年12月 6日 (月)

サロンカーなにわ

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高砂工場の廃止が高砂線の廃止とセットで論じられるようになっていたある日、サロンカーなにわの構想が発表された。
「この工事で我々の技術力を世に知らしめて工場の存続をはかる・・」という掛け声の下、組合も全面的に協力してスタートした。
14系の座席車を欧風のジョイフルトレインに・・

その第1号は僕の所属するM組ともう一組I組との合同で施工することになった。
まず、14系客車のすべての内装を剥ぎ取ることから始まった。
座席、化粧板、その他室内についている部品のすべてを取り払って、このクルマを裸にする。

工事は鉄工職場による新たな骨組の構築、床の嵩上げ、天井に暖房機取り付けの準備、と進んだ。
嵩上げした床にベニヤ板を敷くが、その前に座席固定用のナットを床の下に取り付ける。
僕は図面をじっと見ていた。
作指が墨壷を持ってきて墨を入れようとしていた。
「Nさん、この図面、変や」
「何ゆうとるんや、変なことあるかい、さっさとせんかい」
ボーシンのM氏は身体の不調を訴え、休みだった。
「そやけど、これやったら、椅子が回転せえへんで」
作指は怒り出した。
「おまえはまた、ゴチャ言う」
僕にしてみれば、座席のピッチと窓につく窓框(帯状のテーブル・・14系の再用品)の幅を見ると回る筈が無いと思ったのだ。
けれど、上司には逆らえないし、今日はボーシンが休んでいる為、誰にも相談できない。
図面通りに墨を入れ、すべてのナットをベニヤ板につけてしまった。
その日のうちに床の嵩上げは出来上がり、まだ絨毯を敷く前だったが試しに座席をつけてみた。
1列3個の座席をつけてみた。
「テストなんかせんでもええがな・・はよ全部やれや」
また見に来たN作指が怒鳴る。

車端で仕事をしていたもうひとりのボーシン、I氏がやってきた。
「回してみんかいな。若い衆が不安なんやろ」
座席を回してみた。
どの座席も干渉しあい、回転できない。特に窓側のものは窓框をつければどうしようもない状態になるのが皆に分かった。
N作指の顔が曇った。

翌日、ボーシンのM氏が出勤して、前日の報告を聞き、自慢のパイプをくわえたまま、その床面を見ていた。結局、図面を無視して、現場の人間で座席が回転するように寸法を決めた。それにしたがって、すべてのナットを付け替えた。
試してみると座席は何の問題も無く、回転した。

暖房機は天井の片方に斜めに向けてつけられた。
頭寒足熱にならんやないか・・Mさんが言う。けれども、設計はこうなっているし、これは部品が出来てしまっているのでどうにもならない。
僕は頭の上から温風が吹き出すのを想像してみた。嫌だな・・そう、感じてしまった。
化粧板は腰板のみ、ベージュ系の連続模様のものをH型の飾り面で押さえていった。
これはM氏が「阪急の内装技術を参考にしろ」と上部に進めていたものが実現したものだった。実際の工程では初めてのことで、1号車ではうまくいかない部分もあった。
客用の出入り口は片側1個所にされ、もう一つは埋められた。
けれど、乗客には靴を脱いでもらう構想なのに下駄箱は出入り口と反対側に設計されていた。これも、僕たちから疑問視する声が出たが、設計を変更することが出来なかった・・出入り台に下駄箱を置くスペースが無かったのだ。
仕切り板には片方には大型のテレビモニター、もう片方にはデザインされたステンドグラスがつけられた。この部分を担当したのは先輩のDさんだった。

化粧板の腰から上は、天井も含めてクロス張りとなった。
鉄道車両でははじめてのことだ。これは専門の業者に委託された。
真っ白のビニールクロスは作業を進めていくと次第に汚れ、どうなるのかと皆を心配させたがこれも専門のクリーニング業者が見事にキレイに直してくれた。

僕たちの中間車と平行して展望車も工事が始まった。
こちらは1号車で問題がほぼ出尽くしていたので、比較的快調に進んでいった。
展望車の後尾の鋼体が完成し、ガラスも入れられた後、M氏がこういった。
「展望車やったら、アンチクライマーが要るで」
なるほど、何か一味足らない。
M氏は桃山式の展望車が廃車される時、芸術品だからと、反対もしたそうだ。
鉄工職場の人が「ちょっとマシにしてやる」と言って標識灯掛けをつけてくれた。これが図面に載ってないとは考えられないから、忘れていただけか・・あるいは本当に図面に載っていなかったか・・そこのところは分からない。

6両目のクルマは現車の設計が他のクルマと違い、新しくて骨組みも変更されていたからここでまた、図面と違う事態になって現車合わせが必要になったそうだ。これはクルマを裸にして始めて気がついたことだった。
14系、12系は途中で難燃化の為、設計が変更されていたのだ。何とも情けない話でもある。

塗装職場は徹底的に塗装の剥離を行い、磨き出しと塗装を何回も繰り返した。始めてみる光景だった。

完成した「サロンカーなにわ」はお世辞にも格好が良いとは言えないデザインだったけれど、高砂工場の技術の粋を集めたものに違いなかった。
僕が担当させてもらったのは1両だけだった。1号車であるが為、色々うまくいかないことが多く、そのすべてを記憶はしていないが、それがまた思い出に残っている。

「サロンカーなにわ」は後日、鷹取工場で徹底的に再工事されたと聞き、嬉しくもあり、寂しくもある。
また、高砂工場はせっかくの技術の成果もむなしく、まもなく廃止されてしまった。


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