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2004年12月 6日 (月)

入場作業

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朝、始業時に点呼で仕事を貰う・・
改造車に携わるチーム以外はこの時に今日1日の仕事が決まる。
作指と呼ばれる主任がクルマのカルテを親方に手渡す。親方はこれで今日一日の段取りを考える。僕たち、若い衆は親方から指示を受けるというわけだ。
ひとりの親方に2〜3人の若い衆がいる。
「こころおきなくやってくれ」オハ35の全般検査でこう言われた親方は顔をしかめる。
「床板全交換、根太腐食、便洗配管交換、側樋交換、出入り台床板交換、化粧板5枚交換・・なんじゃ・・えらいものくれたなあ・・」
今日一日、定時までに終わるかどうかという仕事を貰った組。
「徹底的に押さえてくれ」
スエ30でこう言われた僕が所属する組の親方は、別の意味で顔を顰める。
「二重屋根、どこまでするのや?」
「すべて、補修だけ」
「換えるものは換えなあかんやろ」
「予算がまったく付いてないのや」
親方はため息を吐く。

入場作業といわれる補修工事を担当した組は基本的には出場・・出車作業も担当する。最後まで責任を持てという事だ。
スエ30は傷んでいた。
側樋が腐食している。
さっそく、バールで樋を外しにかかった僕に親方は「待て!」という。
よく見ると側樋の形が普通のクルマと異なる。
本当に腐食している部分だけ、鋸で切り取り、そこに普通の樋をつける。
親方は丁寧に形の違う樋をカンナで削り、形をあわせる。
そんな作業を何個所も繰り返す。
「まだ、二重屋根の明かり取りがないだけマシやのう」
昔はその作業が大変だったそうだ。
予算がないから窓なども外して洗浄、再塗装が出来ない。
扉の腐食もつぎはぎをしてやるしかない。
傷んでいるものはすべて、細かな調整で出来るだけ使えるようにしてやる。
ある意味、救援車などは新系列よりも楽だった。

その頃、隣に入ったオハ35では大工事が進行していた。
昼頃、作指が「若い衆、一人貸してくれ!」といいに来た。
行ってこい!といわれ、僕は隣の組へ応援に行った。
座席枠はすべて外され、窓から外にぶら下げられていたが、床板を外すのに四苦八苦していた。
僕の組はこういう仕事が多かったから、手順はよく分かっていた。さっそく、バールで引っぱがしにかかる。
「おまえの組は荒いけど、手が早いからなあ」
そこの親方がにこにこしてくれる。
クルマの床が裸になって工場の地面のコンクリートが見える。歩くところがない。
鉄工職場の人が腐食している梁を修繕してくれる。そこの組の親方が根太にする材木を持ってくる。墨を打つ・・このあたり、まったく大工さんそのものだ。
親方と二番手の人が根太のノミを入れ、形を整える。根太を乗せたところで今日の予定は終わった。
「サンゴなんか・・何時まで使うのやろなあ・・」
終業で詰め所に戻るとオハ35担当の親方があきらめたように笑う・・
「まだまだやで・・国鉄には金がないさかいなあ・・」
僕の親方が自慢のパイプに煙草の葉を入れながら相づちを打つ。
「あっさんとこのスエ、あれは博物館入やな」
「おうよ!そやけど直しとうても、金が無いさかい、こら、困ったわいな」
僕の親方はどうやらスエ30をもっと奇麗にしてやりたかったらしい・・
定時のサイレンが鳴る・・僕の親方は棚から日本酒のビンを取り出して、美味そうに呑み始めた。

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コメント

鉄道ファンからは伺い知れない話を拝読しまして、本当に頭が下る思いです。鉄道ファンの中にはオハ35系やスハ43系の違いを解かっているのかどうか「雑型客車」などと軽く言ってる輩が多く居ましたが、罪にならないのなら殴ってやってたかも知れません。因みにオハ352395は外板がリベット止めでは無く、10系客車のように溶接で止めてあった試作的要素の高い昭和17年大井工場(国鉄自前)の作品でした。最後は米原に在籍し、北陸本線の普通列車の一員として活躍。氷見線の途中から分岐する新湊線の新湊、そこからまた分岐する工場の中で解体されました。同じような車輌に現在も在籍する大井川鉄道のオハ352149があり、こちらは国鉄最後の配置区は金ツル(敦賀)でした。

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